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【怒りのエネルギーが強い利点&汚点】すぐ怒る人は頭が悪い訳ではないと知った体験

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海外を旅しているとさまざまなナショナリティを垣間見ます。

中でも、「よく怒り、文句を言い、愚痴を垂らすなぁ」と圧倒的に思う対象は、イタリア人でした。

常に怒りを内包するようにイライラし、怒鳴り、解放を続けます。

すぐ怒る人は頭が悪いと思われがちですが、実際には怒りのエネルギーが強いだけだったりします。

そこには、利点も汚点もあり、頭が働きにくくなる仕組みがありそうです。

ここでは、よく怒る人のエネルギー的な理解を見ていかれてください。

  • 怒りのエネルギーが強いとはどういうこと?
  • 怒りのエネルギーの利点と汚点とは?
  • よく怒る人は頭が悪くないと知った体験談とは?

これらを紐解き、「心を開きたいから怒るんだ」と知っていただく内容となっております。

心理は私達人間の基本原理を教え、怒るとは良いも悪いも両方あることがわかります。

エネルギー概念からの捉え方が、ご自身や周囲のよく怒る人の内情を知る、一つの考え方となれば幸いです。

怒りのエネルギー(感情)が強い人の利点&汚点

怒りのエネルギー(感情)とは?

怒るとは自己内部にある反発や抵抗など、自らを抑圧している材料の解放表現です。

「これがあると自分らしくなくなるんだ、もう吐き出したい!」という抑圧。

不満、不納得、不安、恐怖、悲しみ、拒否など、自分にとって認め難いものが自己内部にあると、なんだか心地悪くて放出したくなります。

あらゆる認め難いものは自己抑圧の基となり、全てエネルギーとして内包されます。

怒りのエネルギーとは自己抑圧によって作られる解放待ちエネルギー。

認めずに拒否したいものによって作られた未浄化エネルギー。

心身内部に、「うわぁ、嫌なものがある」と認識している淀んだエネルギーというイメージです。

これが強い人とはどんな人なのでしょうか?

 

怒りのエネルギーが強いとは心を開きたい人

抑圧となる材料は、日々の生活や人間関係でいくらでも発生します。

例えば、「今日はピクニックに行く予定だったから晴れが良かったのに!」と不満や不納得、不安や悲しみがあれば、怒りの基である抑圧が完成します。

怒るか怒らないかは全て自分次第です。

物事に対して、「認められない、拒否したい」と思えば思うほどに強まる怒りは、起きた現実を認められるか否かです。

誰か知らない人に突然卵を投げられパンッ、「あぁ、いかすねぇ、綺麗だ」と思っちゃう人に抑圧はなく、怒りのエネルギーを作りません。

怒りのエネルギーが強い人とは、抑圧を作りやすい人と考えられます。

しかし、それだけではありません

抑圧が多くても解放や発散しないで我慢する人もおり、怒りたくても怒れずに悲しくて泣く人もいます。

怒りのエネルギーが強い人は、抑圧を発散したい意志があり、心からの動機が強い人。

心を開きたい意志が強い人です。

 

自己抑圧が強い人の陰と陽

抑圧によって作られる怒りのエネルギー。

エネルギーを陰(ネガティブ)にするか陽(ポジティブ)にするかは、人によって分かれます。

  • 陰にする場合、抑圧を解放せずに怒らない我慢
  • 陽にする場合、抑圧を解放してよく怒る

陰の場合には心を閉じます。

陽の場合には心を開きます。

※陰だから、陽だから良い悪いはありません。人それぞれに自らの選択によって形が決まり、深層心理や潜在意識も含めて自分にとって意味があるから選んでいます。

怒りのエネルギーが強い人は抑圧を解放する意欲があり、心を開きたい意志があります。

意志とは心から見出す覚悟であり、自ら喜びを作る勇気です。

自己抑圧によって怒りを作り、それによって自らを喜ばす意志があることで怒りを発散。

[抑圧材料を取得→怒りを作る→解放して喜ぶ→抑圧材料を取得…]と続くサイクルが完成。

自己抑圧をポジティブに使う人は、怒るためのサイクルを無意識に作り、喜びたければ喜びたいほど、心を開きたければ開きたいほど、怒りのエネルギーを強める生成工場ができます。

怒ることに利益や効果があるので、よく怒るようになります

※怒りのエネルギーの詳細は、怒りのスピリチュアルはエネルギー|愛と表裏の関係を持つすぐキレる訳 をどうぞ。

 

怒りのエネルギー(感情)が強い人の利点

そんな怒りの使い方には利点も汚点も両方あります。

初めに利点として挙げたいものがいくつかありますので、順番に見ていきましょう。

1,自己愛の大きさ

意志とは心からの想いであり、自分を喜ばせる勇気ですので、存分な自己愛の賜物です。

自己愛に対して一切の抑圧を与えないケアがあり、愛の貫きが表れます。

「怒」という字には、「女、又、心」とあり、女性性における愛の強さや、心からの気持ちであることが表れているようです。

 

2,心を開く勇気

心を開くことは恐れ多いものでもある今の時代、開きたい意志は勇気を意味します。

自己愛によって見出す勇気であり、心を開いて自らを表現し、歩み寄って人と関わることができる特徴です。

 

3,人との関わりを増やす力

心を開きたい意志は、人との関わりを自分次第で増減できます。

理由は、心を開くと自らを喜ばすための行動力が爆発的に増えるためです。

「自分がどうしたいか?」に全てがかかり、人と関わりたければたくさんの人と出会い続け、関わりたくなければ関わらないとシンプルです。

家族のように心を開いた関わりができるため、友人でも家族のようになります。

それは中国人の自国民への愛やコミュニティ愛、イタリア人の誰とでも関われる心の寛容さのようです。

 

4,欲求を解放して好きなように生きられる

怒りのエネルギーが強い人は、幸せを得やすい人です。

既に愛がある人ですので、今を幸せに生きるために感情と欲求を主体にすると、好きなように生きられます。

条件として、お金に困らない状態や欲求解放を受け止めてくれる人、そういった環境との関わりを要しますが、心の開きは素直に自分を存在させる糧となるので、条件が揃えば極端に幸福を得られると考えられます。

 

5,今を生きられる

過去や未来への執着ではなく、今この瞬間を如何に感じ、喜ぶかにフォーカスできます。

自己愛と心を開きたい意志は、感情と欲求が明確に主体になり、何か考えて自制する以上に今を楽しみ喜ぶことに認識の重きを置きます。

「美味しいものを食べて嫌なことを忘れる」という具合で、嫌なことをパパッと忘れて流せる頓着のないさまがあります。

以上が、利点でした。

 

怒りのエネルギー(感情)が強い人の汚点

利点があれば汚点もあります。

1,恐怖心の大きさ

自己愛がありながら、恐怖に対する抵抗も強くあります。

不安やコンプレックスやトラウマなどを抱え、抑圧を作りやすくする心理が根付き、心を開き過ぎることで心への反発や傷を負いやすくなります。

自分を強く見せたり、自意識過剰になったりと、プライドを高めて自らを奮い立たせる偽りが恒常化し、「自惚れながら自信がない」という矛盾を作りやすくなります。

 

2,嫌なことに立ち向かう勇気がない

恐怖心を克服して向上する意欲がなくなります。

勇気は自己愛に基づく喜び取得に限定され、恐怖に立ち向かう勇気は極端に萎れます。

克己心がないために、欲望を制して自らに負けない強さが衰退し、「良いこと、認められること、嬉しいこと」などの自己利益のみに心が偏ります。

 

3,人と関わりたくなくなる

人間関係に不利益を作りやすく、トラブルメーカーになる可能性もあります。

人が苦手で怖くなることもあり、心を開き過ぎて精神を傷つけられても護る術がわからず、逃げたり一切話さないなど極端に距離を置く関わり方をします。

 

4,幸不幸が極端

欲求を解放できる環境や周囲のサポートがあるか否か次第で、幸不幸が極端に変わります。

自分次第ではなく、他次第で幸不幸が決まるのは、孤独(恐怖)に耐えられないためです。

人と関わらずに一人で生きていくことが苦手で、人に執着しやすく、物事に依存しやすい点があり、お金の有無、周囲の理解者有無、環境適応有無で、幸不幸が変動します。

 

5,頭の使い方がわからなくなる

感情と欲求主体の生き方が根付くと、自らに喜びを作る能力が高まりながら、不利益の対処やリカバリーやリスクマネジメント能力の育みが欠如します。

物事を考えれば考えるほどこんがらがるように、自分の頭の使い方がわからず、自制心を逸脱したパニックに陥りやすくなります。

幸福になる能力が高くて、生きる力が弱い。

平和的に他者と関わり合う環境であればいいのですが、生存能力を求められると頭がパンクしてしまいます。

以上が、汚点でした。

 

利点&汚点のポイント

利点と汚点を見ていただくと、ほとんどは真逆のことを言っています。

怒りのエネルギーが強い人の大きな特徴となるのが、愛と恐怖の二極性。

自己愛も強ければ、恐怖心も強く、どちらに傾くかが極端です。

愛とは恐怖と表裏の関係であるため、愛を持つ人のさまですが、愛という温かくて心地良く、喜びがある世界に逃げているとも捉えられます。

両立が難しい愛側に傾く在り方に、怒りのエネルギーの強いさまがあり、ポイントが見出されます。

怒りのエネルギーが強い人は、心を開くのではなく、開きたいことです。

 

心を開きたい意志は抑圧を解放したい欲求に飲まれる

よく怒る人は心を開き、とても素直な人である印象を与えます。

過剰化すると素直すぎる状態となり、思うことを抑制せずに行い、我慢せずに嫌なことは吐き出し、自らの利益や欲求を優先し、人に執着し、物に依存しやすくなります。

相手側の認識ではなく自分がどう感じ、どう思うかが全てになります。

他に期待し、思い通りに行かないと悲しくなり、裏切られたと思い、許せないまでにもなります。

自己愛に偏ることで克己心(欲を制して自らに打ち勝つ心)がなくなり、愛の裏側である恐怖との関わりを一切拒みます。

心を開くのではなく開きたい意志は、「自分を愛して欲しい、愛さないのはやめて欲しい」といった、自分が認められる愛の認知欲求を生み出し、感情と欲求に飲み込まれます。

意志はいつの間にか欲望に飲み込まれ、認められる愛を得て、認められない愛の反対(恐怖)を得ないように、抑圧を解放する活動を促進させます。

怒りのエネルギーが強い人は自己抑圧を陽として使い、自己愛の欲を主体にした結果、抑圧を解放しながらも作るサイクルを構築し、よく怒ることで喜びを作ると同時に自己愛を恐怖から遠ざける。という考え方です。

 

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よく怒る人は頭が悪い訳ではない

よく怒る人は頭の使い方がわからない

物事を陰陽思想で区分けすると、陽に感、陰に知があります。

怒りのエネルギーが強い人は陽側に寄るため、感情に重きを置き、知性への重きが薄れると考えられます。

怒る時には自制と俯瞰性がなくなり、まるで自分の感情に飲み込まれるように周りが見えなくなります。

このことから、よく怒る人は頭が悪いと思われがちですが、実際には頭の使い方がわからなくなっている可能性があります。

私がよく怒る人間だったのでこのようなことをお伝えしているのですが、怒っている時の自分を洞察すると、自尊心が穢された恐怖や錯覚に陥り、自己愛を護ることに必死だったりします。

怒ることには原因と意味がありますので、それ自体は大切です。

しかし、着目したい点があります。

怒り方や抑圧の解放表現は、泣いたり、疑問を抱いたり、創作したり、踊ったり、笑いにしたりとさまざまにある中で、イライラを出し、不機嫌になり、怒鳴り、キレる。

考えて怒りを表現していません。

ムッとしたらなすがままにムッとなる、イラッとしたら起きるままに怒鳴るなどは、頭を使わずに感情そのまま、そしてそこにある自己愛の欲求そのままに従っています。

これは頭を使う怒り方をしない、わからない状態です。

あくまでわからないだけなので、いくらでも理解や学ぶことができます。

よく怒る人は頭が悪いのではなく、陽(感情や欲求)に偏りすぎて頭の使い方がわからなくなっている、という考え方です。

このことを知ったのは、私が海外を旅している時のイタリア人との関わりがあったからです。

 

よく怒るイタリア人との体験談

私の理解では、イタリア人ほどよく怒り、文句を言い、愚痴を言うナショナリティを知りません。

どこで出会っても、あの人達は驚くほどに仕事をせず、怠けて甘えて、その上で文句を言い、納得がいかなければ怒り、好きなことをして生きる、愛すべきムードメーカーです。

カップルの喧嘩はあとを絶たず、友人同士の言い合いはもはや趣味です。

もちろん真面目に働き、あまり怒らない人もいますが、傾向は圧倒的に怒りと愛と喜びの国だと思っています。

初めは、「何も考えないのかな?」と思っていた私は、直接聞いていました。

「ねぇ、なんですぐ怒るの?頭使わないの?抑えられないの?」

こんなことを言うと、大概笑われます。

「逆に何で思ったことを言わないの?嫌なことは嫌だって言わないと、怒らないと相手はわからないよ」と言われます。

イタリア人のよく怒る人はとにかくナルシシストです。

それを認めている点が、イタリア人と日本人の大きな違いだと思いましたが、心理は同じかもしれません。

 

イタリア人カップルは頭がいいのに感情に飲まれる

あるカップルと私は仲が良かったのですが、二人は激しく抱き合い、激しく罵り合っていました。

一緒に仕事をしていたのですが、ある日カップルの彼氏であるサムは、他の女性と会話していました。それは本当に些細な日常会話。

すると彼女のアローラは離れていた彼氏の基に早歩きで向かい、サムを自分側に振り向かせると同時に、パンッと平手打ちを頬にぶちかましました。

「へっ?」

周囲はへのへのもへじ顔で茫然自失、アローラは走ってどこかへ。

サムは怒り、周囲の物を蹴飛ばしたりと抑圧を解放していました。

宿泊しているホステルも同じだったのですが、その後二人の怒鳴り合いと叩き合いは続きました。

そんなことが日常でした。

二人を見ていると明らかに自制がなく、知性を使う気すらないように思えるほど感情に飲み込まれ、欲求を主体に行動します。

結果はいつも同じであり、喧嘩でとんでもない殴り合いや罵り合いをした数十分後には、ニヤニヤとシャワー室からスッキリした顔で出て来ます。一件落着です。

頭が悪い、もはや動物のようにも思えますが、実際サムは頭脳明晰であり、アローラは認識力が高くて頭の回転が早い人です。

ただ感情に飲み込まれやすく、心を開いているから愛情の裏側も表側も感じやすく、ナルシシストであるために自己愛に偏ってしまう。

怒ると陰の知性を使う概念が飛び、自制のないパニックやバグが起き、頭に意識が回らないために使い方がわからず、抑圧の解放に勤しむのだと考えます。

「後先考える以上に、今感じられる喜びと快感を得たいんだ」と言わんばかりのさまは、在り方を変えるだけで本来はもっと頭がいい人なのだと思います。

 

体験結論:「怒るって大事なんだな」

イタリア人達と関わってわかったのは、自分を愛したい思いが強いことであり、喜ぶ意志が大いにあることです。

そのために「怒り」を使っており、怒りのエネルギーを愛と喜びの材料として、無意識に吸収し、作り、発散しを繰り返し循環させます。

怒るのに疲れた時には、「気にしない」という方法をとります。

嫌なこととの向き合いをなくし、サッと流す最たる術であり、物事を気にしないと優しさにも寛容にもなります

「怒る行為を知り、認めて、わかって使うって大事なんだな」と知る体験でした。

しかし、利点がありながら汚点もあるのが怒りです。

怒るのは抑圧解放であり、私達人間には大切な行為ですが、あまりに自分しか見ないナルシシズムが過剰化すると、そんな自分を認めたくても認め難くなり、怒る自分に嫌気がさします。

頭の使い方がわからない状態は、自らに対する俯瞰性や客観視がなく、自分の情と欲の奥深くに潜るさまです。

自らも周囲も両方を捉える目線がないと、いつの間にか頭を使わずに情に流されるまま抑圧解放をして、自分だけ喜んでいたりします。

それも見ていないと、「怒りたくて怒っているのではない」と自らの行為をまるで誰かにコントロールされているかのように認識するかもしれません。

私がこの状態でしたが、全く頭が使えなくなりながら、それに気づけなくなります。

しかし、頭が悪い訳ではありませんので、怒るとは何なのかを知ると、イタリア人のように上手く怒りのエネルギーを活用できることと思います。

※どうしてか怒ってしまう心は、【本当は怒っていない】訳もなくイライラする人に明確な心の合図 をどうぞ。

 

怒りのエネルギーが強い人は頭が悪い訳ではない まとめ

私達人間には欠かせない抑圧解放の最たる方法が怒りです。

怒ることは本当に重要な未浄化エネルギーの解放であり、終わりは始まりを作ります。

怒れば陽、怒れなければ陰。

どちらも意味があり、利益があり、自分のためにそうしています。

自分のためになっていない場合、何かの歯車が外れており、自己理解がなくなっているかもしれません。

そのためにも、自らを俯瞰して捉える理解が大切です。

エネルギーとして捉えると、陰陽両極による見方と、心理を含めた理解ができますので、怒りとは何かを俯瞰する考え方となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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