心理と特徴

他人に興味がないのは良い?悪い?│どっちでもいい大切な話

他人に興味がある人は社交性があるように見られるため、「うん、グッド」

親指アゲアゲ、仲間はわんさかです。

一方、他人に興味がない人は?

んー、と首をかしげられることが多いかもしれません。

インド人のする首の傾げ方ですね。あれ、YESという意味なんですね、わかりにくい。

そんなインド人は他人に興味がないようには思えませんが、と脱線も脱線、いきなり飛ぶところでした、すいません。

社会という他者との共存環境で生きている基盤があると、他人に興味がないと善悪の悪、正否の否になりがち、それがルールとして認識されているのかもしれません。

ここでは、他人に興味がないことは良いのか悪いのか、両面からの理解をお伝えします。

両面には集団帰属の大切さ、個人尊重の大切さが見られ、「もはやどっちでもいい」と思うかもしれません。

その理解には、「他人に興味がないから何か悪いの?」に対する明確な答えとして、より重要なことが判明します。

「私達は他の上で成り立つ己」

他人に興味がないからこそ理解できる話を、一つの考え方としてご覧ください。

他人に興味がないのは悪い?

他人に興味がないことを悪いと思う人々

何が悪いのか考えてみると、やはりこれでしょうか。

目の前で困った人がいても無視。

これは心証に影響を作ります。

そして、目の前で殺人事件、無視。

いや、それサイコパスー。と他人への興味のなさが行き過ぎると、周囲の認知がほぼ一定になり、人もタバコの捨て殻も同じになりかねません。

これは極端な例ですが、それでもここに何か悪いことはあるのでしょうか?

ありません。

ですが、「これは悪いだろ、そうだそうだ、ワーワー」と言う人がいます。

集団帰属意識が強い人々です。

「集団で生きるのが当たり前だ」という人は、『社会』をバックアップに掲げられるために、堂々と主張できます。

社会性、社交性、共存、集団への意識が重要で、規律や規範を重んじる場合には、そこから逸脱したように見える人々に目をギラリ。

ここでわかるのは、他人に興味がないことに悪い意味はありませんが、悪いと思う、思える、思いたい人々がいるという。

集団帰属意識は大切なものですが、これが強い場合、集団に属そうとしない人々を悪と思えちゃう心理があります。

それは集団帰属への反発、反旗の可能性にて、いわゆる敵(危害を加える因子)と当然のように思える認識を持つためと考えられます。

ここでの考え方として明確にしたいのは、「他人に興味がないことは悪くない」「悪いと思える認識を持つ人々がいる」の二つです。

ここに関わるキーワードが、「集団帰属」

これを基に、他人に興味がないことの良し悪しを見ていきましょう。

 

他人に興味がない 悪い面

まずは悪い面から順番にご覧ください。

1,協調性がない

協調性が必要な(集団帰属が重要視される)環境であればあるほどにブーイングを受けます。

アウェイになるためです。

職場は集団帰属のまさに巣窟ですので、協調性がなければ悪い面になります。

 

2,リアクション低め

リアクションは集団の要、超重要項目です。

反応などにて、「私の言動は影響しているな」と認められる材料がないと、集団帰属意識が強い人は、自己否定されていると思う可能性があります。

まるで自分が認められていないような、ここに存在しないように振舞われているような、けしからん、ひどい、と。

他人の存在や反応によって自らの価値や意義を見出す人が多い環境では、影響力がないと思わせる人は悪になりがちです。

 

3,社交性が低い

Shall we dance?
「Fucking no,go away!」

はい100%悪、嫌われます。

社交性はコミュニケーション能力がものを言い、仮面を被って顔を隠さないと出ちゃってるので、快い関わりが困難。

他人に興味がないと、社交性を持つ意味や動機や目的を見出せないため、どうでもいい当たり障りない話を重要視する場ではNGという具合です。

 

4,自分の意見がない人を不思議に見てしまう

他人に興味がない人は自分に興味があり、自らの認識を尊重するために自分の意見を持ちます。

それが当たり前だと思っているために、集団に属す自分の意見のない人々を見ると、まるで宇宙人を見るかの如く対応してしまう人もいます。

それは、「どうして自分として生きているのに自分がないんですか?甚だわからない宇宙の神秘か?」と顔に書いてあるような顔をしてしまい、心証を悪くします。

 

5,他人の気持ちがわからない

上述のように、他人の立場や目線で物事を認識することがないと、他人の気持ちを配慮せずに振舞い、知らずの内に否定や非難をしていたり、心に傷を負わせる可能性があります。

訳も分からず、相手が目の前から退席すればもう手遅れ、敵とみなされているかも。

 

6,集団利益を阻害する危険因子

集団に属さない在り方が、危険因子としてみなされる可能性があります。

不安や恐怖の回避や逃避のための集団帰属であればあるほどに、一人でも浮いていると不安や恐怖を生み出す懸念となり、集団に属さないちょっとした可能性でもあれば排他されます。

みんなで熱唱しているカルト団体で、一人熱唱しなければ、というシチュエーションです。逃げましょう。

 

7,知らずの内に恐怖を与える存在

自己認識があり、自らに興味がある人は、その反対の人からすると恐怖を作る存在になり得ます。

集団をかき乱す因子的な懸念だけでなく、自責で自立して自律がある人と、他責で自立がなく他律な人が関わると、自分がないという自覚を筆頭に、隠したい、認めたくない、知りたくないという恐怖を露わにさせられます。

居るだけで嫌われるという、とんでもないことが起き得ます。

 

8,人の下や、教えられる側になりにくい

他人に興味がないのは、自らが物事を知り、学び、理解する表れでもあり、他の教え方で他から教えられるのを他のタイミングで待つ、合いません。

そのため、部下として仕事を言われたようにする、教えられたように理解することに違和感や抵抗があり、覚えも自然と悪くなります。

上司や教える側の人には嫌がられる特徴です。

以上が、悪い面でした。

 

他人に興味がない 悪い面のポイント

悪い面をお伝えしましたが、「悪い」と思う人は集団帰属を強く重んじる人々が筆頭に考えられます。

集団である利益や意味、規律や規範を大切にするため、個を主張する人に対しては、危険性(利益や目的崩壊の可能性)を認識します。

特に意識が強い人々は、自らの存在を集団によって構成しているため、集団を崩されると自らの存在を壊す認識になり得ます。

わかりやすい例となるのは、学校、家族、組織の職場です。

まさに集団帰属が重要視される環境であり、集団だからこそ成り立つ組織ですので、基盤を崩すような存在は悪になりかねません。

このように、不安や恐怖に対して自己対処できない人々、または集団だからこそ己の利益を得られている人々にとっては、他人に興味がない協調性や協力体制の希薄な人を毛嫌いします。

同時に、他人に興味がない人の人間性や在り方として、社会性に反発した在り方が見られると、悪という心証を与えかねません。

それが、リアクションのなさ(影響力の抹消)、他者認識力の低さによる他人への配慮や思いやりの少なさ、他人の気持ちがわからないなどの特徴です。

以上から、悪いと思われるポイントに二つ挙げられます。

  1. 集団帰属主義者から敵対視される言動がある
  2. 社会性に調和のない個人主義

明確なのは、「集団帰属主義者がどう思おうが知らん」ということかと思います。

住む世界が違い過ぎます。

大切な理解となるのは、社会性への調和、個人主義に対する見方と考えます。

ここには、他人に興味がないことの良き面を活用できる理解がありますので、詳細を見ていきましょう。

※他人に興味がない人の特徴は、他人に興味がない人の特徴はとても普通|正体は冷たいか優しいか?をご覧ください。

 

他人に興味がない 何が悪いのか

他人に興味がない 良き面

次は良き面を順番に見ていきましょう。

1,自立しやすい

自己を認識のフォーカスとすることで、他律や他責にはなりにくく、自ら立ち上がる学びや経験を作ります。

他に頼ることが少なくなるため、苦労や過酷さが増えますが、対価交換として自らを明確にして生きる力を得るという具合です。

 

2,誤魔化しがなく成長幅が広い

他人に興味がない人の大きな特徴は自らを誤魔化さないことです。

他人は誤魔化しても自らを誤魔化さないので、「答えがない」という状態がありません。

言い方を変えると、わからないことはわからないと正直なので、一つに留まらず先へ先へと進み、成長していきます。

 

3,能力や才能発揮

他人との関わりが少ないため、自らを自ら知るように生活します。

すると、自己認識力が高まり、得意だったり好きなことを発掘し、能力や才能を発揮して自己を高めます。

一つのことに特化する力にもなり、やる気や動力の見出し方など、自己認知を深める在り方が構築されやすく、自律にて困ることや悩みを減らす対処を自らできる人です。

 

4,無用な気の使いがない

自らの保身、恐怖回避、安泰取得など、他人の存在によって得られる利益への執着がなくなるため、無用な気の回しや気遣いがなく、疲れやストレスが少なくなります。

情報詮索や心理読み取りをなくし、脳内に詰め込む情報量を節制できるため、自分らしさへの抵抗センサーが敏感になり、「はい邪魔、飲み会不要、さようならー」と一蹴。

問題は問題ですらなくなる気楽さを自ら作ります。

 

5,人の上に立ち、物事を教える側になりやすい

自立に自律、自責を持って自己認識高め。得意分野への能力や才能見出しを自らしているため、物事の理解が深い特徴です。

理解していないことを理解したかのような自らの誤魔化しもしないため、自分のしている行為や得た知識を人に教えることができます。

人の上に立ったり、師として教えを与える側になれる基盤構築があり、自ら物事を作り出す意識は、待ちや受動的とは真逆の突き進む姿として、フォローしてくれる人も現れる特徴です。

 

6,新しい発見や、独自の方法を作るのが上手

自己認知が高いために、一人での作業、事業、創作では本領発揮。

未だ誰も知らないことの発見や、独自に利益のある方法の作り出しに特化しており、他に恩恵を与えられる特徴です。

以上が、良き面でした。

 

他人に興味がない 何が悪いのか?

悪い面と良き面を見ていただきました。

良き面に表れる特徴は、自己認知による個人の力の強さかと思います。

自己認識力が高く、他者認識力が低い。

自らを内側からよく理解していると同時に、外側からの見られ方を気にせず、他者の立場や目線で物事を見れていない。

これの何が悪いのかを、これまでの良し悪しからまとめると、「どうでもいい」に集約されるように思います。

私の理解になってしまいますが、他人に興味がない以上、無理矢理に興味を持つことは困難です。

なぜならば、興味を持つ意味がないからです。

興味の材料となる喜び自体を自ら作るため、興味の矛先は自然と自分になります。

喜びを作る基盤となる自己認識力が高いために、肯定を求めたり、承認欲求や独自性欲求、自己顕示欲など、他人から自らの価値や存在を見出してもらう必要がない状態にいます。

いわば、他人に執着せずとも生きられる人。

この状態、自らの中に社会性を持っています。

自分の中で過去の記憶を基に規律やルールを作り(自律)、自己認識力による自責があり、自らの力で立ち、物事を創る自立。

既に独りで社会ができているために他人に興味を持つ意味がない、わからない、教えてほしい。

この場合、興味を持つ矛先はある条件を満たしている対象だけです。

条件は、同じように社会性を構築していること。

社会性を自らの中に持つ人、そして、社会そのものが該当します。

相手に自分を投影し、自らの社会を見直す機会になり、相手の社会から学びを得られるので興味あり。

他人に興味がない人はとにかく自分に興味があり、認識のフォーカスは常に自分です。

この在り方が自然、「他人に執着して何が嬉しいんですか?」という感じですので、何も悪いことはありません。

自ら喜びを作れる以上、自ら物事を認識できる以上、これが悪い訳がありません。

ですが、一つとっても大事なことを忘れてしまうと、悪いと思われてしまいます。

それが個人主義。集団帰属がないことに何も問題はありませんが、大事な何かの逸脱。

生きている基盤、この世の社会です。

他人に興味がないために悪いと思われる場合、社会帰属意識を持つと、他人に興味がないからこその大切な理解が見出されます。

 

他人に興味がないことの活用

他人に興味のない様は、社会性や集団帰属意識を主体にすれば、少し首をかしげる材料が多いかもしれません。

集団帰属とは集団であるからこそ機能し、利益がもたらされるので、その環境にいれば属す理解も必要ですが、同時に何かを創り出したり発見するためには、集団から抜け出た存在も必要となります。

そこで、集団帰属以上に社会帰属。

集団帰属?
要りません。

社会帰属?
超要ります。

極端にするとこういう考え方。

社会性の中で自立できるのが、他人に興味がない人に合っていると考えられます。

社会性とは人と人だけでなく、情報や知恵、歴史や地球環境、他の生き物や文化、法律に共存意識などにて構築された記憶の集大成、あらゆる過去のによってもたらされる共存ベストを作る基盤です。

この社会性を鑑みない場合には、他人に興味がないことで個人主義として個を主張するために、悪い印象が強まります。

そこで、他人に興味がないからこそ活用できる認識が、社会に興味を持つことです。

集団帰属意識がなくとも、社会に属している状態の自分を明確にすると、他人に興味がなくとも社会に興味を持つことができます。

ちょっとスケールが大きいように思えるかもしれませんが、社会への興味は実質自分への興味ですので、見方や捉え方の認識を変えるだけです。

自分も他も含めて構築されている社会は全体の認識であり生活基盤そのもの、生きるための環境です。

他人に興味を持つ必要はないと思います。ですが他人ではなく他、自分も含めた他という社会性に興味を持つことが重要です。

少しわかりにくいかもしれませんが、目の前の人を見るのではなく、全体的に俯瞰して見る認識。

  • 会社のために働いているのではなく、自分のため+社会のために働いている認識
  • 旦那のためにいるのではなく、自分のため+家族のため
  • 彼女のためにいるのではなく、自分のため+今後の二人のため
  • 自分のために恋愛するのではなく、自分のため+出会った人との今後の二人のため
  • 目の前の人のために関わるのではなく、自分のため+社会に属す自分と相手のため

[自分+社会(自分+他)]に興味を持つと、結果的に目の前の人への間接的な興味になります。

集団は社会の中に属しますので、集団にフォーカスせずに、社会という俯瞰して自分も含まったものに興味を持つと、個人を主張するような在り方ではなく、社会を尊重した自分らしい関わり方に繋がるかと思います。

その際にはおそらく気にすることもないと思いますが、悪い印象を持たれなくもなっているという話です。

※他人に興味がないと言われる際の気付きは、他人に興味がないと言われるのは気付きの機会|人の見方が違う心の在り方 をご覧ください。

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他人に興味がないのは悪いのか まとめ

結果、何も悪いことはありません。

ですが、悪いと思われる以上、何かしら理由があると思います。

それが集団帰属意識の高い人々からの目ギラリ。

それならば、より自らを高めて自立、自律、自責、能力に才能発揮と、自己認識力を高めていきましょう。

すると、他人に興味がないからこその興味の矛先として、社会そのもの、または同じように社会を自らの中に作る人との関わりが起きます。

それは紛れもない興味を持っての関わりです。

社会帰属を忘れないことは、個々の尊重となり、社会に属す集団を含めた認識となり、集団帰属のなさによる悪い印象を吹っ飛ばします、ポーンと。

社会とは全体に影響を与える基盤ですので、より社会を理解して自らのために関わると、結果的に目の前の人にも良き影響となり、間接的に興味を持つ状態になるため、悪い印象は持たれにくくなります。

何か大きなことをする意味ではなく、俯瞰的な社会としての認識によって、人に良き影響を与える意識が加わり、結果的に他人にも影響を与える在り方として、他人を排他したり、自らを主張することがなくなるという話です。

他人に興味がない人だからこその、社会的自立を構築する考え方であれば幸いです。

それでは、他人に興味がない人に成功者が多いという話を終了します。

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