自分を受け入れるとは、自分そのものになることとは少し違うかもしれません。
「はい、受け入れるだけで幸せになるからやってみて」と、こんなことは無理だと私の経験からでは思ってしまいます。
ここでは、自分を受け入れることの紐解きとして、意味・段階・方法をお伝えします。
受け入れることには人それぞれの目的、段階、そして意味がありますので、自分や現実を受け入れるために大切な理解として、人生の10分間をここでご活用されてください。
それでは一休み、「自分を受け入れることがわからない、それでいい」という話をご覧ください。
Contents
自分を受け入れることがわからない

自分を受け入れることがわからない訳
どうして、自分を受け入れたいのでしょうか?
「悩みがなくなる、心地良くなる、自分らしくなる、幸せになる、違和感がなくなる…などなど」
どれも人それぞれに起きる事実。そこには、本人にとっての利益として喜びや満足や納得があります。
実際に自分を受け入れる場合には、自分を受け入れていない現状があると思います。
その状態で受け入れる、せいっ!
いや無理無理、むずいー。
受け入れていないことには受け入れていない意味と理由と原因がありますので、それをせいっとコインを裏返すかの如く軽々変えることはできません。
この行為、受け入れていない現状というリアルを度外視した現状否定をしてしまいます。
現実を認識している方にとって、自分を受け入れるということはとてもわかりにくいもので、詳細不明ですと無理な行為になってしまいますので、わからないのは当然です。
自分を受け入れることがわからないのは、受け入れていない現状を否定する矛盾行為だからです。
自分を受け入れるためには、受け入れることの意味や詳細を理解することが大切です。
自分を受け入れるとはスピリチュアルな悟りの話
自分を受け入れることは、自分を確立して認識した後にする行為です。
そのため、受け入れる前には自分を理解する段階があり、それはエゴと自我を区分けすることで始まる“受け入れられる基盤”があっての話になります。
自分を受け入れるためには、“自分”というものを明確に認識する必要があるため、その上で“受け入れることができるか否か”という精神性や人格や意識状態の変化や成長によって起きる行為です。
スピリチュアルや宗教概念にある“悟り”や“覚醒”の段階があり、その後に始まるのが“自分や現実を受け入れる”という行為を広げる状態です。
自分を受け入れることがわからない大切さ
「それじゃあ、受け入れは無理ですね」と言いたくてお伝えしているわけではないんです。
自分を受け入れることはとても重要な行為ですので、受け入れることの意味を理解して行動に及ぶことが大切でして、「自分を受け入れることがわからない、無理」と理解することが必要という内容が主旨です。
そんな自分を受け入れることは、心理用語に“自己受容”という言葉があります。
自己受容とは
自らが自らを受け入れる、そのままを受け入れて取り込むこと
自らを受け入れるには、その主観の“自分”を知っていることが前提です。そして、それをさらに取り込むことができるか否かですので、とても難しいことです。
どうして難しいのかへの答えとして真っ先に来ることが、“自分を知っているかどうか”です。
私達は違和感や不調和や悩みを思い込みや時間にて解決することができ、それが脳の能力でもあります。
「これが私だ!」と思い込んで疑わない人もいれば、「これは私のはずだけど、本当かな?」と確信がない人もいます。
自分を受け入れていない状態ですと、自分とピタッ、そんなしっくり感がないので、違和感や心地悪さや不安や悩みや彷徨いがあり、「これが私だ!」と思い込むことは困難で、思い込みに強引さや無理矢理な状態を作ると、頑固や決め付けにて現実を認めない偽りになります。
そのため、“自分を受け入れることがわからない”となるのは現実への嘘や偽りではなく、自分の理解で把握できているからこそ抱くことだとわかります。
現状、自分を受け入れていないからこそ受け入れようとします。
受け入れていなければ、受け入れることがわからないとなるのは当然のことで、その理解が受け入れる段階として大切です。
自分を受け入れる、現実を受け入れるために

自分を受け入れるために必要なこと
自分でも現実でも、何かを受け入れる際には、受け入れる基盤の“自分”が必要です。
誰しもが“自分”を持っているからこそ生きているので自分が在るのは確かなのですが、それを明確に自分だと思えるかどうかはどのように判断するのか不思議なものです。
それは、「ここに手が合って、腕を動かそうと意識すれば腕が動くから」と肉体の存在が確証たらしめるわけでも、脳の思考にて意見や情報の出し入れをしている機能が確証たらしめるわけでもありません。
認識です。
認識とは、見て、感じて、知って、考えて、思って、想って、評価して、判断してと、物事を自分なりに捉える源です。
どのように認識するかには、過去の記憶や経験を基にした自分のフィルターがあるため、認識があることで自分たらしめることができます。
そのため、認識を明確にすることが“自分”という受け入れるための基盤を固めます。
自分を受け入れるためには、自分という基盤である“認識”を明確にする必要があります。
認識とは、自分の見方であり捉え方、価値観や人生観や考え方を作る材料であり、生き方にもなる自分の原材料です。
それは、肉体や心や魂のそれぞれを分類したものではなく、全てを統括して“私です”と私たらしめる原材料。
自分を受け入れるためには認める
自分を受け入れるためには認識を確立することから始まります。
それは、現実をそのまま見て確認することを意味します。
自分なりのフィルターが過去の記憶と経験によって一人一人に構築されているので、現実を見て、知って、感じて、思ってと捉える認識は千差万別です。
自分の認識を見て確認することには、もちろん誤魔化しや嘘、偽りや演技をすることも含めて“自分なりのフィルター”ですので、自分にとっての現実を否定しないことを意味します。
自分や現実を受け入れる際には、『受け入れる』と『現実を認める(否定して誤魔化さない)』を明確に区分けすることが大切です。
自分を受け入れる意味
“受け入れる”ことの意味を明確にすることで、方法がわかりやすくなりますので見ていきましょう。
辞書にはこのようにあります。
受け入れるとは(受け容れる)、
1 受けて入れる。「水を器に―・れる」
2 人や物を迎え入れたり、引き取ったりする。「留学生を―・れる」「海外の文化を―・れる」
3 人の意見や要求などを認める。「主張を―・れる」
受け入れるとは現実を否定しない前提での行為です。
起きることやあるものをそのままにできないと迎え入れることも引き取ることもできないため、“現実を否定しない+迎え入れ”というもの。
受け入れることには、迎え入れ、取り込む、引き取るといった“自分の中に入れる”状態があります。
受け入れるとは自分にとっての現実を誤魔化さず、さらに自分の中に迎え入れること
受け入れるとは喜んで認められること
自分の中に迎え入れることはWelcome状態ですので喜びが表現されます。
「この子を預かってください!」と頼まれて、子供が欲しいと思っていた老夫婦であれば、「もちろん受け入れますよ」とNice,Nice。
「冗談じゃないわよ、ダメよダメ」と言うガマガエルさんは、現実を認めるが受け入れNG。
「えっ(絶対嫌だよめんどくせー)、いやあのー、最近体調悪くて預かりたい気持ちはあるんですが無理ですー」と言うひじきさんは、現実を否定して誤魔化し、受け入れNG。
「仕方がないねぇ」と嫌々の場合は、現実を否定しないけど受け入れNG。
ですが、「一ヵ月10万円の養育費をお支払いします」と対価があれば受け入れOKかも。
このように、現実を誤魔化さず認める+喜び(利益による満足や納得)=受け入れる、になり、受け入れとは行為だけではなく気持ちが含まれることがわかります。
自分を受け入れることは許容と敬いがあるからできる
喜びがあれば受け入れることが容易にできます。しかし、喜びがなければ受け入れることは困難で、現実を認めることすらできないかもしれません。
受け入れる対象が“自分”だった場合、対価としての利益は誰からももらえません。
そのため、喜びを自ら見出せなければ自分を受け入れることは難しくなります。
しかし、こんな人がいます。
「この子を預かってください!」
「困りましたね、しかしあなたとお子さんのためなら」と、これは悟った人。悟り系は受け入れます。
ここにあるのは、相手を許す許容の広さと寛容性、そして相手を敬う愛があります。
相手を許す受け入れによって自分に取り入れることができ、相手を許すには自分を許していなければなりません。
それは敬いも同様で、相手を敬うことは自分を敬う前提があります。
以上から、受け入れるとは否定せず迎え入れるだけではなく、自他を許し、自他を敬う愛を持つ状態です。
自分を受け入れる場合には許し、敬う愛があることで成し得ます。
許し。これは否定や拒否せずに迎え入れることでもあり、そのままを許して誤魔化さない認識の先にあるのが受け入れです。
敬い。これは押し付けや干渉にて変えようとせず、そのままをそのままに尊重して尊敬することで、現実にあらがわないその先に受け入れがあります。
受け入れる意味 まとめ
これまでお伝えした受け入れる意味の一覧はこちらです。
- 喜んで現実を認める気持ちのある行為
- 現実の否定や誤魔化しをせずに迎え入れること
- 自分や他や現実を許すこと
- 押し付けや干渉せずにそのままを尊重して尊敬すること
- 自分や他や現実を敬うこと
自分を受け入れる意味 まとめ
上述の受け入れの意味から、自分を受け入れる意味がわかります。
- 自分を喜んで認めること
- 自分に起きる現実の否定や誤魔化しをせずに迎え入れること
- 自分の現状の否定や誤魔化しをせずに迎え入れること
- 自分を許すこと
- 自分を支配せずそのままを敬うこと
自分を受け入れるためにはそのままを尊重して拒否しない認識が必要です。
それによって押し付けや干渉にて支配せず、自分を許すことができます。
そのためには、起きる現実や、それを認識する自分自身を迎え入れることに喜びがなければできません。
その喜びは、「自分を迎え入れて何か利益がありますか?」ということです。
「この子を預かってください!」と言っていたその子が自分だったらどうしますか?
可愛くて、好きで、愛らしくて、愛しい。そんな存在なら容易に受け入れられると思います。
これまでの内容から、自分を受け入れようとする状態=受け入れていない前提ということが、受け入れを理解する上で特に重要です。
現状、自分を受け入れていない状態がある場合、受け入れることは無理だと思った方が自分のためになります。
私の経験上ですが、自分を受け入れていない状態は苦しみや悩み、見失いや喪失、空虚やむなしさがあり、それらから違和感や不調和の心地悪さや嫌悪や憤りを感じます。
この状態で、「私は可愛いから受け入れを頑張ろう」。無理です無理、私なら確実に無理です。
無理だと知ってもらうために受け入れる意味をお伝えしましたが、自分を受け入れることの意味から、何が大切かが方法としてわかりますので、先を見ていきましょう。
※受け入れることは愛である真相は、本当の愛を持つ人の特徴とスピリチュアル|無関心と紙一重な親愛の真実 をご覧ください。

自分を受け入れる方法

無理なので自分は受け入れない
自分を受け入れる方法は、受け入れられないことを理解することです。
再三ですが、受け入れることは自分が確立されてからの話です。
自分が好きでないのに愛しましょうと言われたところで困難かと思います。それでも無理矢理頑張ると、嘘や誤魔化しにて思い込みを正当化し、「幸せだ、愛している」としか言わなくなったりします。
そこに何も悪いことはありません。しかし、自分をより見失っていることにいつか気付き、遠回りになるといういばらの道に入っています。
受け入れられないことがわかれば、方法はこちらです。
自分を受け入れる方法は、自分を受け入れない現実を誤魔化さない
これは、受け入れないことにあらがわないという意味です。
受け入れないことを受け入れることは矛盾を作りますので、ただ現実を認識する。自分の中に入れる必要はありません。ただ事実を否定しない。
これは、受け入れることを諦めるわけではありません。
自分を受け入れるためには段階がある
受け入れないという方法は、自分を受け入れるための段階の一つです。
まずは自分にとっての現実の認識を見ます。それが“現状そのままを誤魔化さない”ことで、これが一番初め。
その後、起きることの反応や認識をそのままジーっと見ます。
そして一つ一つを確認します。意見、見方、思考、嘘つくこと、誤魔化すこと、体裁を気にすること、醜態を隠すこと、恥ずかしいのが怖いこと、さまざまにリアルをジー。
それによって認識が確立されていきます。その際に見えるのは恐怖から逃げ、現実逃避をしようとするかもしれません。
その自分をただ確認。
「あー、今逃げたね」と。
「あー、今嘘ついたね」と。
ただひたすらに事実を否定しないことは、自分のフィルターを理解する行為であり、それが認識である自分を確立させ、受け入れへの段階を進みます。
「逃げていることを見る、それで進んでいる?」と思うかもしれませんが進んでいます。
これは自らを理解するために自らを観察する行為です。
そうやって、一歩ずつ進んでいくのが自分を受け入れることです。
※そのままを認識することが大切で、嘘をついてる自分でも何でも、肯定にて評価するのではなく、ただ現実にあらがわないことです。
今の自分を誤魔化さない
↓
起きる現実を否定せずそのままを見る
↓
起きる現実にて作られる自分の認識を一つ一つ見て確認(メモ推奨)
↓
認識をそのまま見て把握することで自分を知っていく
↓
否定と誤魔化しがなくなることで自分や現実を認めていく
↓
敬い許す気持ち(愛)を育みながら喜んで認める受け入れを
実際に段階を踏むことで、自分の中に複数人居ることに気付くと思います。
それは現実を作る自分、それを認識する自分。
作る方はそのまま行為、認識する方は誤魔化さないでただ見る。重要なのは認識する側の自分が現実を誤魔化さないようにすることです。
※自分がわからない時の話は、自分がわからないこそのスピリチュアルな意味|本当の自分を見つける機会 をご覧ください。

自分を受け入れるためには拒否にあらがわない
受け入れる前段階の事実を否定しない=現実を認めることは、評価して認めて価値を見出す“肯定”ではありません。
本当にシンプルに、現実や自分を見るだけです。
その際に見ることになるのが、“現実逃避をする自分”です。
この自分を知ることがとても重要になります。
自分を受け入れられない場合には、拒否や否定にて現実をなかったようにする傾向があります。
それは見たくない、認めたくない、怖い、否定されたくない、馬鹿にされたくないと、プライドや思い込みを持ち、自己主張や自己否定、不安や恐怖と対峙しないなど、人それぞれに事実をそのままにしない自分がおり、都合の良いように認識して現実を湾曲させて誤魔化します。
誤魔化しは恐怖を見ずに済むのでとても気楽な安泰であり、変化を求めないことを善とします。
それに何も悪いことはありません。ただし自分はいなくなり、受け入れることから遠ざかります。
現実を拒否し否定して恐怖から逃避する。その拒否を認めない場合、逃げる自分を一人作ります。さらにその現実を見ない場合、さらにもう一人作り、計二人作りました。
これが拡散していくと自らの力では現実を認めることが困難になるため、まずは現実を否定しない。または否定してもその自分を見ることが物事を進めます。
逃げてもOK、しかし目隠ししてうずくまる自分を見ないようにしないということです。
現実逃避は自分を何百人、何千人と増やしていきますので、それをシンプルに一人にすることが大切です。
拒否したら拒否した、それだけ。すると、物事は進んでいきます。
自分を認めるためにメモする
現実や自分をそのまま見て、その後に確認するためにメモがおすすめです。
その際、“自分や私”という言葉を使用します。
例えば、仕事ができない自分がいます。それを認めないで否定する場合、「仕事できないと言われて怒る私」と書きます。
そのように一つ一つ書いていきます。
書くからには目的を必ず持ってください。
目的は認識を理解し、自分を知る。それだけです。自分を受け入れる際はとにかくシンプルにすることが大切です。
メモを書いたらその後見返します。
「怖いと思うことを見ないために声を荒げる私」「人付き合いがめんどくさいから嘘ついてカラオケ断った私」というメモを確認して、より詳細に自分を知ることができます。
それは、「今日は乗り気じゃないから夜ご飯はサバの塩焼きから餃子にした」と同じです。自分しか見ませんので、そういう気楽な話をずっとしています。
すると、自分を受け入れようとした目的も明確になります。
もっと喜びたいから、現状の苦しみを何とかしたいから。その真意には自分への敬いがあります。
否定だけでなく認める認識、「幸せになりたいと思う私」などもあればメモしましょう。
「お祭りに行ったらりんご飴NGな私はあんず飴OK」と。
ゆっくり行きましょう。
※成長と共に受け入れる話は、心の成長段階を知る│9つの成長全てに受け入れがある意志と精神性 をご覧ください。

自分を受け入れる まとめ

受け入れることは最強の幸福メソッドだと私は思っています。
認識を理解していれば悩む自分も、喜ぶ自分も容易に把握できます。しかしそれは一般的なことではありません。
受け入れるには受け入れる基盤が必要です。
受け入れる基盤がないのに受け入れることをしたらおかしなことになります。自分が確立されていないのに確立していると思い込むことで、疑似現実をリアルだと認識するような現実逃避を逃避するという、遠くにサー。
自分や現実を受け入れることがわからないと思う方は、現実を誤魔化そうとしない人です。
受け入れるために自分を否定しない誤魔化さない。ここで最も重要なことは現実である己の認識にあらがわないことであり、それは嘘でも何でも認識したことを誤魔化さないことです。
嘘はついても、嘘をつく自分に嘘をつくことはNGという。
わからないものはわからない、そんな自分を認めます。無理なものは無理。自分はまず受け入れられないと認め、物事は一歩一歩進んでいきます。
受け入れは敬いと許容から始まりますが、それが必要かどうかは人それぞれです。そのままを認めることで違和感も不調和もなくなり、喜びと歓喜に溢れることができます。
受け入れるかどうかは一歩一歩進みながら認識を観察してみてください。いつの間にか受け入れていることに気付くかもしれませんよ。
そんな理解が笑顔の一助であることを祈ります。