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【愚痴は悪ではない】愚痴を言わない人になりたい時の方法と気づき

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愚痴とは誰しもが抱くものです。

言わずとも思います。思う認識がなくとも潜在的に抱きます。

しかし、愚痴を表現し、吐き出すかどうかは選択です。

吐き出さない人が愚痴を言わない人。自己対処・解決しているため吐き出す必要を自らなくします。

愚痴を言わない人とは言わないようにできる人を意味します。

愚痴を言わない人になりたい場合、愚痴の仕組みと付き合い方を理解すると役立ちます。

知ると変わります。

愚痴を言わない人になりたいと思う方を対象に、愚痴との付き合いで大切な方法と気づきを、一つの考え方としてご覧ください。

愚痴は悪ではありません。愚痴をどのように捉え、付き合うかの認識整理にお役立ちできる内容となれば幸いです。

愚痴を言わない人になりたい

愚痴を言う理由と原因

「どうして愚痴を言ってしまうのか?」

愚痴を言う理由は不平・不満です。

満たされていないからこそ愚痴を言いたくなり、不満のある状態は愚痴を溜め込む心身状態を意味します。

愚痴とは自らに対する抵抗であり反発。物事を認められず、受け入れられず、拒否することで蓄積する感情、思念、想念、エネルギーです。

わかりやすく、認めないことで蓄積するエネルギーとしたいと思います。

 

愚痴を言う原因は無知

不平・不満が溜まる「認めない、拒否」

仕事、人間関係、恋愛、お金、社会など物事に拒否があると愚痴の原材料となる認めないエネルギーが溜まっていきます。

「どうして拒否するの?」の答えが愚痴を言う根底の原因です。

拒否するのは自分が何かに対して拒否する意味。自らに起きる出来事、影響、作用、効果、干渉を受け入れられない自分がいます。

許容、寛容、許し。受け入れる自分を許せない意味でもあり、自らに対して自らが拒否を抱く状態です。

例えば食べず嫌いで、お肉は口に入れただけでオエッとする。過去の私です。

お肉を口に入れる自分を受け入れる許容がなく、オエッとなる自分を許せない、拒否したいと思います。実際に食べてもいないのに過去の記憶を照合して思い込み、現実を見ようとしません。

自分を知らない、知りたくない、知ろうとしないために、自らを拒否し、認めず、受け入れられなくなります。

愚痴を言う原因は無知。知らないのは知ろうとしないためです。

 

愚痴を言う問題点

自分を知らないと物事を知ることが困難。自分の理解や意見がなくなり、物事の理解は外枠が主体で中身が抜けます。

言われたことをただするようになり、物事の見方や捉え方の認識に工夫がなくなり、「良い悪い」「いいねダメ」「正しい間違っている」に二極化されます。

ご飯を食べる時に顔を突っ込み、「へへ箸なんかいらねぇガツガツガツ」となれば、「悪い、間違い、変な人、危険、関わらない」と教科書を読んだ答えになり、「面白い、新しい、個性、この人のルールかな、アートの一つかな」と何でもいいのですが自分なりの考え方が出る前に拒否します。

無知は不変。変化がもたらされる可能性を自ら削除してしまい、愚痴を言う材料が日々蓄積していくいっぽうになり、自らの思考や行動に自覚がなくなります。

無意識に愚痴を言い続け、自覚がないために止める理由もなくなります。

 

愚痴が止まらないと自分を喪失する

愚痴が止まらなくなると正当化と他者への執着が起き、自覚がますますなくなっていきます。

「愚痴を言わないなんておかしい」
「愚痴を言わない人はつまらない」
「愚痴を言わないなんて信用ならない」

自分に利益を与えない状態を毛嫌いし、自らが正しい、間違っていないと思い込み、自己否定しないように他者に排他意識を持つ人もいます。

愚痴を主張するように誇示し、自覚する機会をなくすように認識を誤魔化すと「自分」という存在を見出すことが他者なくして困難になり、喪失へ繋がります。

愚痴は日々の生活で溜まり続け、吐き出すために言い続けることになり、生きる術として必須行為となります。

一時凌ぎとして大切な行為ですが、変化と成長できず、執着が手放せなくなり依存していきます。

 

愚痴は悪ではない

愚痴に問題点はありますが、[愚痴=悪]ではありません。

愚痴とは本当に誰しもが内包する、認めないことで蓄積するエネルギーであり、無知のさまです。

愚痴とは知らないさまを表すバロメーター。自然なさまであり悪なんてことはありません。

誰しも自分のことを知らないのが私達人間。愚痴の材料は自然と増えていくものです。

知らないことをまずは知り、少しずつ理解を深められるのが人間。変化、成長、向上、学びと言われるものです。

問題は、愚痴を吐き出す選択です。

 

愚痴の対処をどうするかの選択がある

「蓄積したエネルギー(愚痴の材料)をどうするか?」

自分を知らないと選択は一つ、他者に吐き出します。

知らない度合によって対処が、他者への執着か自己対処かが変わります。

愚痴を吐き出すには捌け口が必要。他者に言うことが捌け口となり発散します。

言われた方は大変です。他人の負のエネルギーを一方的に吐き出されれば、困り、疲弊し、ストレスとなり、愚痴の材料を蓄積させます。

言い合うことでお互いに吐き合い、発散し合うと相互利益になります。
「愚痴は楽しいもの」と何かしら自己理解を持って愚痴を使用すると、共通の対象を決めて愚痴を吐き出す共感も起き、コミュニケーションにもなる大切な行為です。

しかし、一方的な執着は相手に迷惑をかけてしまいます。

愚痴の対処には常に選択があり、他者に執着する場合には選択の自覚がない特徴があります。

自己対処する人は愚痴を使用し、自分との向き合い方を知っています。

 

「愚痴を言わない人になりたい」は自己対処の始まり

自覚がなければ正当化して他者に執着して愚痴を言い続けます。

私自身そうでしたが、愚痴ばかり言う時は自分を知らないので変わるきっかけも動機も自ら見出すのは困難です。

周囲の影響や、変化のきっかけをもらうことで、「このままではよくない、変わりたい」という気持ちを抱けます。

「愚痴を言わないようになりたい」と思えるのは何かしら気づくきっかけがあり、既に他者への執着ではなく自己対処に入ったサインです。

 

愚痴を言わない人になるために

愚痴を言わない人の理解がとても役立ちます。もし周囲にいれば観察し、洞察されてみてください。

愚痴を言わない人は愚痴を自己対処します。

自然と蓄積するものですので愚痴を知り、付き合い方を知ると対処ができるようになります。

自己対処で大切なことは、愚痴は悪ではないと理解することです。

 

自覚すれば愚痴を吐き出すのは大切

自己理解を深めて少しずつ対処・改善できるようになるのが私達人間です。

愚痴を言わない人になりたいと思った場合には、[愚痴=悪]のルールを柔和させます。

愚痴を言いたいのに拒否して認めないと、さらに愚痴が溜まってしまいますので、悪循環に入ります。

まずはリラックス。気楽に行きましょう。

吐き出して何の問題もありません。とても大切です。

愚痴とはコミュニケーションツールになり、ユーモアや本音、赤裸々な告白で他者の心を開き、より近い距離感で関わり、結束力を高めることができ、嘘偽りがないと信用もされます。

吐き出しても自覚を忘れてはなりません。絶対条件です。

「私は愚痴を吐き出している」という自覚が、愚痴との付き合いを明確にし、他者への執着をなくします。

自らを把握し、周囲の反応や雰囲気がわかるようになります。愚痴を言う言わないの調整ができるため、愚痴の使い方を習得できます。

 

愚痴を言わないためには愚痴との付き合い方がポイント

愚痴をどのように使用し、どのように活用するかが愚痴を言わない方法です。

愚痴とは拒否する自分そのもの。愚痴を言う自分をエゴと言います。

同じ自分ですが別人だと思ってください。

愚痴を言う人はなかなか気づきにくいのですが、別人の自分はとんでもなく険しく、突然三十歳老けた顔になっています。

自覚があると愚痴を使用でき、お互いのコミュニケーションとして共感しながら発散もできます。

他者への執着し合いでも自覚があることで発散場、執着ではなく自分の意見や認識を持った共感共有タイムになります。

相手を配慮しながらの愚痴は一方的な吐き出しにはならず、「お互いのため」を忘れない人間関係、ストレスをなくす工夫であり愚痴の綺麗な使い方になります。

「知る」が大切で、愚痴を知る=自分を知ることを意味します。

「改善は愚痴を知り、自分を知る」です。

※愚痴を言う意味は、【愚痴とは無知】愚痴ばかり言う人のスピリチュアルと心理 をご覧ください。

 

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愚痴を言わない人になる方法

愚痴を知る人になりませんか?

愚痴を言わない人とは、愚痴を言わない選択ができる人です。

愚痴とは言わずとも思っているため、なくすためには「知る」が全ての答えです。

一生、いえ、何生もかかります。

誰も自分を知っている人などいません。神様とかそういう類かなと。

しかし、少しずつ知ることで愚痴との付き合い方がわかるため、愚痴を知る人になると愚痴を言わない選択ができる人になります。

知れば知るほど自己対処でき、愚痴を吐き出さずとも自ら発散、緩和、解消、循環、浄化できます。

「愚痴を言ってはならない」という思いがあれば、一旦手放しましょう。

「愚痴を知る」に意識を向けましょう。

自らの拒否をなくし、愚痴を増やさず、愚痴を知ると、自分を知り自己対処が容易になっていきます。

 

愚痴を言わない人の特徴

ご参考になれば幸いですので、愚痴を言わない人の特徴にて、愚痴を知るさまをご覧ください。

1,愚痴を言っている自覚がある

「愚痴っちゃった」「今の愚痴だったね」と認識します。

愚痴(自らの拒否)に飲み込まれず、常に主観を自分に起き、自覚します。

 

2,愚痴を言う自分を拒否しない

言ったものは言ったと認め、事実をそのままにし、拒否・否定しません。

「はは、愚痴ったぜ!」と開き直る必要もなく、言ったものは言ったとそれだけです。

 

3,喜ぶために愚痴る

愚痴を吐き出して不納得をなくすでも、他者に聞いてもらって自らを納得させるでもなく、言えないことや言ってもしかたないけど言いたいことを吐き出します。

「自分で自分を喜ばす」という意思があり、「言いたいから言う」と自らを喜ばすために愚痴を言い、喜びを体感します。

喜びを作る意識を持つと、愚痴以上に楽しいことはたくさんあるので、自然と愚痴に用がなくなっていきます。

 

4,他者に干渉しない

他者と比較しない特徴です。

他者によって喜びを得たり、納得させてもらうことに興味がないため、干渉しません。

 

5,嫉妬心、劣等感が少ない

干渉しないために妬み羨む動機がなく、比較しないために優越感や劣等感にて喜び悲しむ理由がありません。

 

6,自分を隠さない

誤魔化しや隠ぺい癖がなく、自分に正直です。

嘘をついても自らに嘘をつくことはなく、物事はそのままに捉えます。

イラっとすれば表現し、悲しければ泣き、悔しければ思う存分悔しがり、ムカつく人にはムカつくと言います。

自己表現に我慢がなく、感情表現に抑制がありません。

 

7,テキトー

ルールに縛られず、自らを支配しません。

気楽でテキトーな性格。多くを気にせず流します。興味がなければ一切興味なし。

そんな自分を好みます。

以上が特徴でした。

 

愚痴を言わない方法

愚痴を言わない人の最も大きな特徴は、完璧主義者の反対であることです。

ルールで縛らないさまは支配がなく、独占欲や自己顕示欲や支配欲に重要性を感じません。

ルールを作れば作るほど、「こういうものだ」「これが常識だ」「みんながしているから正しい」「正しいが正義」「正義が勝ち」「勝ちが良い」「良いが善」「善が?」

起きる結果を決め、見る世界を狭め、知る基盤がなくなります。拒否が増え、認められず、受け入れられなくなります。

肩に力が入っています。頭が緊張状態です。心が硬直しています。

全部ドロンッとゆるめましょう。

愚痴を言わないためには愚痴を使うことで自覚を増やし、自分を知ることが方法です。

愚痴を言わないために、自覚して愚痴を言いましょう。

愚痴は大切です。

 

愚痴を言う時に意味と目的を明確にする考える力

愚痴を言わないようにするためには完璧主義をなくし、ルール作った自己概念を手放すことも方法です。

しかし、とても難しいです。

直ぐに改善できるものではなく、それが自分らしさですので変えなくても何の問題もありません。

大切なことは、思考を使いルールを作る性格を知り、愚痴を言う時に意味と目的を明確にさせます。

「今愚痴を言った」「今は愚痴じゃない」と認識を増やし、いちいち確認します。
いちいちが重要

「今の愚痴を言った意味は?目的は?」

自分で答えを出すと自己理解が深まります。拒否しません。答えがわからなければそれが答えです。

考える力は、物事の外枠を記憶するものとは大きく異なる能力です。

「愚痴を言わないのが良いのはなぜでしょうか?」
実際に愚痴を言わない経験をし、体感して初めてわかります。

経験する前にわかるのは他者が言った情報である外枠です。

重要なのは中身。中身を唯一知れる存在が自分です。

※悪口を言わない人になる使い方は、【好かれる悪口の使い方】悪口を言うのに友達が多い人の秘密。をご覧ください。

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愚痴を言わない人になりたい まとめ

知る力は考える力であり感じる力です。

感じることで理解の中身が付きます。中身を具現化するのに考える力が要ります。

考えるには自分を知り、自らが自らを使用する状態が要ります。

まるでロボットのように、自らの中にある操縦席に自らが入ります。

この状態が自覚している時そのものです。

愚痴とは無知。無知とは知らない考えないと同時に、知ろうとしない考えようとしない意味です。

自分について知るために、感じると考えるは両方重要です。

「愚痴を言わない人になりたい」と思う方は知ろうする状態です。あとは如何に知っていくか、理解を深めていくかが物を言います。

知ろうとしなかっただけで私達は日々数えきれないほどの経験をしています。これまでの経験が全て知る材料として待っています。

気づきと行動。これが全てです。

外枠の理解がたくさんあることにも意味があり、感じて考えて中身を付け足すとみるみる自己理解が深まります。

その際には愚痴が溜まる状態がなく、愚痴との付き合い方は気楽なものとなります。

心理であり真理を知ると自分の世界が忽然と広がります。

自らの内側にはあらゆる世界があり、知ると見ている外側の世界は一変します。物事の見方も捉え方も、考え方も感じ方も変わり、人との関わり方、関わる人が瞬く間に変わります。

一体どんな世界があるのでしょうか?

唯一無二の世界は一人一人にあり、ご自身のみが堪能できる最高の自尊場。拒否なんて言葉は一生思い浮かばないほど認めて受け入れたい世界が待っています。

ご自身を知り、愚痴を知り、別の見方を楽しまれてください。

自己理解を深める一助となり、気づきがもたらされる内容となることをお祈りいたします。

気づきと行動があらんことを。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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