特性

【人と関わりたくない、怖い訳あり】心理とスピリチュアル合体

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

『DNAシフトセラピスト養成講座』

・セラピストになりたい方
・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※本気で人生を変える方専用。

内向的な人、敏感体質、陰寄りの性質。

関われば関わるほどに人と関わりたくない、怖いと思うようになります。

内向性にて面倒くさくなる。
敏感体質は関わりたくないと思いやすい。
陰寄りの性質は「怖い」と思うことに意味がある。

ここでは、「人と関わりたくないのはなぜか?」の答えを心理とスピリチュアルを合わせた全体像にて知っていかれてください。

  • 人と関わりたくないのはなぜ?
  • 人と関わるのが怖くなるスピリチュアルとは?

これらを紐解き、自己理解を深める内容となっております。

人への嫌悪感や遠過ぎるほどの距離感は、社会的には一般ではないために「×」を付けられてしまうことがありますが、心理とスピリチュアルの理解ではごく自然なことだったりします。

ギュウギュウに縛り付ける世の中にいるかもしれませんので、縛りを解いて気楽になりましょう。そのための一つの考え方となれば幸いです。

人と関わりたくない、人が怖い心理

人と関わりたくないのはなぜ?

人と関わりたくない理由には大きく二つあると考えられます。

  1. 自分の思い通りにならない憤り
  2. 人から攻撃される(傷つけられる)ことへの拒否

二つはポジティブ寄りかネガティブ寄りかで極端に分かれ、支配欲や自己顕示など自らを主張・押し付けることでの不納得か、他者から強制・押し付け・決め付けられることでの不納得かが違います。

自ら不納得を作るか、周囲から不納得を与えられるかです。

人と関わりたくない、面倒くさい、怖いなどの理由は、ネガティブな認識に基づくために、②人から攻撃されることへの拒否が関わると考えられ、周囲から不納得を与えられるので関わりたくなくなります。

関わる動機がなくなる状態です。

私達は誰しも自分のために生きていますので、関わる意味がなければ関わりたくないのは当然だと思います。

社会的には、「それでも我慢して関わりなさい」という人もおり、まさに①のプッシングタイプがいると②の被害が増えてしまい、我慢すればするほど、プッシングされればされるほどに関わる動機がなくなるだけでなく、嫌悪感や憎悪にもなる可能性があります。

このように人と関わりたくないのは、幼少期や過去の生活環境、周囲の人々との関わりによって自然と抱きます。

「では、どうして他の人は同じように人との関わりを毛嫌いし、面倒くさい、怖いと思わないのか?」

この紐解きのために自己理解を深めるのがここでの主旨です。

先へ進みましょう。

※人間嫌い万歳というお話は、【嫌いで良かった】人間嫌いで気持ち悪い│日本ならではの原因と仕組み をどうぞ。

 

内向性は人と関わりたくないと思いやすい

心理用語に内向性と外向性という言葉があります。

内向性とは、
自己の内面に興味や関心が向けられる性格特性。引っ込み思案な性質。スイスの精神病理学者ユングによる人格の基本的類型の一つ。⇔外向性。
※コトバンク引用

内観や内省など思慮深く自己理解へ向かいやすく、「個」の認識が強くなり、癒しを好む傾向があり、自分が主観になる特性や性質です。

反対に外向性は外部に興味や関心が向き、行動的で社交的、刺激を好んで他者との関わりによる衝動を重要視します。

私達人間は内向性と外向性を兼ね備え、割合やバランスが人それぞれに違います。

内向性に傾くと他者への興味が薄いために、関わる動機が減ります。

 

内向的な人は周囲からの干渉が面倒くさくなる

内向性は自分の内面の認識を大切にし、人との関わりにて利益や恩恵を得るのではなく、自ら喜びや納得を作る特徴があります。

物事が起きた時には自ら考える癖ができ、観察や洞察能力を高めます。

自己解決や自己対処能力を高める基盤となり、自らが考えたことや行動したことを自覚しやすいために認知能力が高まり、周囲からされた影響と作用も明確に認知します。

例えば、「あなたは素直で可愛い子なの」と周囲に言われた時に、「このおばさんは私のことを決め付けた」と内心思えば、そう思ったことをはっきり自覚します。

周囲の押し付けに従ったり、反応を気にして素直で可愛い子として振舞うと、自らに嘘をついていることが自覚され、罪悪感や自己否定に繋がり、自己評価を下げて自己肯定感が下がったりもします。

良い面もありながら、他者からの影響を受けた自分を自分が疑いやすくなり、自分を護るために周囲との関わりを避けたり、距離を取る防衛意識が強くなります。

他者の影響に揺さぶられる自分がいると関わりは干渉されるように感じ、面倒くさくなります。

 

認知能力の高さが逆にネック

内向性による自覚は、「これは見たくない、認めたくないからなかったことにしよう、パッ」と誤魔化せません。

誤魔化したことを自覚してしまうので、嫌なことや拒否したいことがあっても、目をひん剥けてジーッと見せられているイメージです。

他との関わりでは人間関係の悩みや、疲れやストレス、憤りにジレンマなど、たくさんの不調和と違和感があります。

周囲から強制、押し付け、過干渉、攻撃、利用など、「嫌だ、認めない、拒否したい」という心地悪さや苦しみを誤魔化さずに認知します。

恐怖との対面状態です。

危険や苦痛や未知など、拒否したくなる恐怖心を誤魔化して対処できないのが、内向性による良い面でも辛い面でもあります。

外向的だったり集団意識を持つ人であれば、悩みや嫌なことで対処に困った時は外側に向かい、執着して甘えたり、誤魔化して一時凌ぎしたり、問題を自分だけでなく全体の問題にして対処できます。

内向的な人は他に向かわないので、嫌なことや苦しみは一時凌ぎではなく、自ら恐怖を克服する必要があり、辛さの継続と蓄積が起きます。

一時凌ぎできれば人との関わりで違和感や不調和があっても対処できますが、「嫌だ、拒否したい」と思う自分と向き合って克服しなければ次へ行けないために、人との関わりはとにかく不利益で煩わしくなります。

※人と関わるのが嫌になる心理は、【ひとりになりたい気持ちは合図】心理とスピリチュアルな意味がある をどうぞ。

 

敏感体質は人と関わりたくなくなる

体質や気質にて、人と関わると反吐が出てしまうことがあります。

心理ではHSP、スピリチュアルではエンパス逆エンパスと言われます。

敏感性・感受性・共感性の三つを兼ね備え、他者からの影響を体感感受します。

無意識に他者の心理・精神・健康状態を自分のことのように感じ取り、人と関わることで体調が悪くなったり、気分が悪くなったり、エネルギーを取られたり、周囲の人次第で良いも悪いも左右されてしまいます。

敏感であればあるほどに周囲に翻弄され、飲み込まれ、自分がなくなることで思い込みや決め付けも多くなり、自己防衛にて身を護るために思考がグルグルと周り、エネルギーを消費しやすく、精神免疫が弱くなる可能性があります。

人と関わるだけであらゆる影響が増えるので、気分の浮き沈みが激しく、関わりが辛く面倒くさくなります。

「一人にさせて」と休息を求めながらも孤独を怖れると、人と関わりたくないけど寂しくなる人もおり、ジレンマを抱くことで自分を見失いやすくなってしまいます。

※人と関わりたくないけど寂しい心理は、【人といると疲れる、けど寂しい】他人との関わりが苦痛になる心理と改善 をどうぞ。

 

人と関わりたくない、人が怖いスピリチュアル

陰寄りの性質は人と関わりたくないことに意味がある

精神理解として陰陽思想を組み込めると、私達には陰寄りか陽寄りかの性質があります。

陰陽思想とは万物は二極に分類される考え方で、陰はネガティブ・静・受・死・闇・恐怖・月などがあり、上述の内向性も陰寄りと考えられます。

陽はポジティブ・動・発・生・光・愛・太陽・外向性など。

陰も陽も共に内包しているのが私達人間。陰と陽のどちらの傾向が強いかが人それぞれに違い、陰寄りか陽寄りかという表現をここではします。

陰やネガティブにはあまり好ましくないイメージがあるかもしれませんが、陰があれば陽があり、陽があれば陰があり、恐怖(陰)があるから愛(陽)があり、光(陽)があるから闇(陰)がある、表裏一体で共に欠かせない大切なものです。

良い悪い、正否の社会的ルールの関与は一切ない、精神というスピリチュアルな理解です。

陰は静であり受け側であり、人との関わりでは攻撃されたり防御したり、嫌なことがあると、「関わりたくない」という拒否を表します。

 

陰寄りは恐怖との関わりが重要

恐怖とは闇であり愛の反対に位置するもので、「拒否」を意味します。
※愛は「受け入れ」の意

陰寄りの性質は拒否する在り方を持ち、嫌なことがあれば関わりたくないという拒否感を生み出し、人と関わりたくない、怖いという認識になります。

陽寄りは嫌なことがあれば拒否せずに受け入れますが、形を変えると他者への執着や依存になり、問題の本質を見ずに一時凌ぎで誤魔化し、人と関わりたくないと拒否する気持ちが嫌なので、無理矢理に関わって他者を支配することも起きます。

陰寄りは恐怖という拒否、怖いという拒否、嫌だという拒否を拒否として誤魔化さないのが、自然な在り方です。

周囲の影響によって人と関わりたくないと思えば、そんな自分を受け入れることが恐怖に愛を付け足す状態になり、自然と「個」を重んじる生き方や、関わる人をしっかり線引きして選択する重要性があります。

関わりたくないにもかかわらず無理矢理に我慢する際には、関わりたくない拒否に対して、「関わらなければダメだ」とさらに拒否する矛盾が起き、自らを苦しめてしまいます。

陰は恐怖(闇)の内包を意味し、「人と関わりたくない、怖い」と思うことには、自分の性質を知れる真相理解があります。

※陰の詳細は、【ネガティブな感情を受け入れる方法】とてつもなく大切な陰との対話 をどうぞ。

 

陰寄りの性質は「怖い」と強調する

「人と関わるのが怖い」と思う場合、陰寄りの性質が強い可能性があります。

心理状態によって、過去の記憶や心の傷やトラウマという可能性もありますが、陰寄りの場合には「怖い」と思う自分に落ち着きを感じる特徴があります。

恐怖の内包を認識することで自分らしさを噛みしめる状態となり、「怖い」と思うことに意味があります。

「怖い」という状態を周知して他者に何とかしてもらおうとする場合には、承認欲求や他責などの別の心理になりますが、陰寄りの人は他者に言うことでの反応を欲するのではなく、自らが怖いと思ったり感じることに自分の拠り所があるという考え方です。

例えば、陰寄りの私は夜のお墓にいると落ち着き、「怖い」という感覚を好みます。恐怖と友達なので、「あぁ、これが私だ~」という感じです。
※ただの変態所業、場所を見極めないと危険です

特定の人と関わるのが怖い、少しうるさい人が怖い、同年代が怖い、若い子が怖いなどを抱く時、実際にその対象の人に怖い感情を抱いている訳ではなく、怖いと思うことでの自己理解だったりします。

「人と関わるのが怖い」と思うことには、合図の意味があります。

 

人と関わるのが怖い合図

「怖い」と思った時、自分の内面に拒否感が作られます。

「嫌だ、近づきたくない、関わりたくない」

この時、自らの陰性質がおぎゃーと産声を上げ、自意識が高まります。

「この私が私だ」と認識する状態です。

実際には拒否した相手の顔すら知らなかったりしますので、相手への拒否ではなく自らの陰性質による自我、「これがあなたですよ」という合図だったりします。

陰(ネガティブ)は一般的にはよろしくないと考える人もいるかもしれませんが、陰の性質はなくてはならない大切なもので、知性や創造や価値創出の能力を高める重要なものです。

例えば、普段の私はヘラヘラして風を感じて感覚的に過ごしていますが、文章を書いたり絵を描く際には陰の性質にのめり込むようにする必要があります。

「怖い=悪い、無理、対処不可能」というものではなく、怖いと思うから陰寄りの自我を認識できる(自分らしさを知れる)という考え方です。

 

人と関わりたくない時に考えたいこと

私達人間は陰も陽も兼ね備え、バランスを図るために成長できる生物だと思います。

独りで生きていければそれでよく、できなければ社会に加わり他者と協力して調和します。

しかし、中には協力や調和ではなく利用や上下関係を作り、嘘偽り損得勘定の駆け引きがあり、支配や執着によるさらなる不調和を作る人もいます。

周囲の人との関わり、影響作用は嫌でも起きるため、関わりたくない時は関わりたくなくなります。

関わりたくない気持ちが特に強くなるのが、心理とスピリチュアルを合わせたものだと思います。

[内向性+敏感体質+陰寄りの性質]

言い方を変えると、[自分主観+認知能力の高さ+恐怖内包の人間性]

これらの自己理解には、「個」というキーワードが見出され、個を尊重することで陰に陽を付け加えることができますので、関わりたくないと思った気持ちを尊重する大切さがあります。

内向的な人が、「人と関わりたくない」と思う場合には、関わらないという選択を大切にされてください。

外向的な人が、「人と関わりたくない」と思うのとは全く意味が違うため、自分を知ることでわかる真相があります。

もし、ここでお伝えしている心理と精神に該当する場合には、「人と関わらない=個としての在り方」へ重きを置かれてみてください。

 

おすすめ:個を尊重して陰に陽を付け足していく

個としての在り方をするためにも、「人と関わりたくない、うんそれでいいよね」という認識が大切だと考えられます。

しかし、注意点があります。

万が一個の主張をしてしまうと、陰が形を変えて[陰+エゴの陰]という状態になってしまい、恐怖を与えたり、ネガティブを押し付け、エネルギーを奪い取るような、他者の巻き込みが起きます。

典型例が、関わりたくない理由を他者のせいにする状態です。

「あの人がいるから私は嫌な気持ちになって、人と関わりたくないと思ってしまう」

他者を介入する主張ではなく、個を尊重することで、陰に陽を付け足すことができます

陰があるから陽があり、陽があるから陰があるので、他を含めずに人と関わりたくない自分自身を受け入れることには、個という陰に他との関わりを作る陽を付け足し、少しずつ他者と関わる動機を見出せます。

その際には個を明確にして責任を持ち、関わる人は選択すると良い塩梅です。

選択したからには関わりたい動機の自覚があるため、相手への感謝や敬いに繋がり、徐々に陽が加わってバランスをとる状態になりますので、その際の自己理解を楽しまれてください。

 

人と関わりたくない、怖い まとめ

あらゆる表現には人それぞれの心理が表れますが、どうして人と関わりたくないのかわかりにくいところがあると思います。

根底の精神理解を組み込めることで、少しでもわかりやすくなれば幸いです。

私自身、「人と関わりたくない、面倒くさい、怖い」と全て思っていた時があり、そんな自分を受け入れる大切さを実感しています。

もし、「こんな私は人間失格だ」と思う場合には、明確に社会性や常識や他者の意見などのへの干渉があるため、個の在り方は尊重ではなく主張になってしまう可能性があります。

他への主張はエゴが加わるために、他の情報やルールや人を巻き込む傾向があり、陰は陰ではない別物になります。

何も悪いことはないのですが、人を嫌いになりながら自らも嫌いになってしまう可能性があり、向かう矛先が決まります。

ぜひ、陰寄りの性質を大切にされてください。私は陰が大好きです。

陰があることで自己理解を深める思慮を持ち、知性を育む学びが加速されます。

人それぞれに陰も陽も兼ね備えていますので、自らの性質は?性格は?気質は?特性は?

あらゆるアイデンティティを知り、人との関わりにある気持ちを合図として受け取っていきましょう。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です