他人であろうとなかろうと、誰にも理解されないことで孤独を感じることがあると思います。
自分が理解していれば、誰かにわかってもらおうとしなくてもいいかもしれませんが、実際に理解されないことは辛く、悲しいものです。
しかし、理解されないものはされません。
わかってもらうために自分を他人に合わせるか、押し殺すか、強制ギブスを着るか、選択は山ほどあります。
「そんなの嫌だね」と思う方、ぜひここで一休み。
理解されないことは喜びに変わる真相があるかもしれません。
辛さにフォーカスすることでなかなか見えにくくなる真相として、誰にも理解されない孤独感を裏返すと現れるものをお伝えします。
理解されずに生きてきた経験から、自分を知る一助となることを願います。
Contents
誰にも理解されない

理解されないのは当然
人と共に生きる社会環境では、他人と共存や共有を図るために賛同や同意、共感に同情、評価に肯定しますが、実際に他人を理解することはとても難しいと思います。
しかし、他人を理解するためにルールや常識、基準や規律など“決め事”を共通認識することで、「お金は価値がある」とみんなが理解しているように、人も理解できたりできなかったり。
誰しもに共通認識があればとてもわかりやすく理解できます。
認識が希薄になればなるほど理解できません。
以上から、ルールに則っていれば、理解されることがわかります。
「なんでみんなご飯なんて食べるんだろうね、大気中にたくさんエネルギーあるのに」
「やっぱり風船で空飛んでエベレスト越えよう」
「はっ?」
そりゃそうです。
ルールに則っていなければ他人に理解されないのは当然です。
他人との関わりは社会性という前提基盤の上で起きているので、社会性が共通認識のルール庫です。
ジャングルで暮らしていれば、そこにはそこの共通認識があり、社会で理解されなくても森の動物達には理解されたりします。
理解されるか否かは、共通ルールへの順応度です。
理解されない人の特徴
周りから理解されない人はルールという共通認識から外れている状態が考えられます。
すると、変わり者、変人、面白い人、おかしい人、癖が強い人などの枠組みが作られます。同時にそうでなければ、普通、凡人、生真面目、糞真面目、犬、結婚候補ナンバー1など、何かしら名前が付きます。
理解されない人にはいくつかの特徴が見られますので、一覧でご覧ください。
- 独自性が強い
- 個の意識が濃い
- ルールへの従順性が薄い
- 人と同じを好まない(または同じにする意味がわからない)
- 指示されたことをそのまませずに自分なりにする
- あまのじゃくに見られるけど本当は違う
- 孤独
- 攻撃や排他など、他者から否定・批判される辛い経験が多い
- リーダー、社長向き
- 創造力がある
特徴には個の意識が強めで、集団の意識が弱めな印象がありますが、集団の意識が強い人もいます。
そこには、集団を嫌がるのではなく、統一的な思想や、自分で物事を考えない様への理解不能さがあり、どう頑張っても理解できない現実があったりします。
あまのじゃくで、他者とあえて違う独自性を見出すタイプというわけではなく、「なんでみんなと同じがいいんだろ?」とルールを理解したくても意味がわからないのでできません。
そのため、理解されない人は、大衆や統一意識、「みんなと同じがいい」などのルール従順性がない人が多いです。
すると、ルールに従う人と従わない人、さらに自分の真意があるか否かで分かれてしまい、理解しない人と理解しない人のぶつかり合いが起き、お互いにわからないことをわかり合おうとしない状態が起きます。
理解されない人の方が明らかに少数派なので、被害者意識に繋がりやすい認識があるかもしれませんが、実際には同じように理解しようとしない人同士で反発し合っていたりします。
理解されない人を一言で表すと…
理解されない人は”自分”という自我の意識が強く、個が確立されているために自分の意見を持つことや、自らの力で考えたり困難を乗り越えたりと、行動に主体性があります。
ですが、人には向き不向き、得意不得意があります。
何をどう頑張ってもできないことがあれば、努力すればできる人もいます。そこには、才能と能力が関わり、身長や体格、体質に気質、アイデンティティに生活環境、生まれた場所や家族、病気の経験なども才能としてあります。
才能や能力、得意不得意があるように、統一思想や大衆的認識はどうあがいてもわからないのが周囲に理解されない人です。
わかりたくてもわかりません。私は何度努力したかわかりませんが、ことごとく潰れるように終沈の過去でした。
理解されない人は得意と不得意の区分けがはっきりしていて、できるできないが明確な特徴もあります。
そんなことから、理解されない人を一言で表すとこんな具合になります。
理解されない人は、ルールに従う側ではなく、自らがルールを創る側。
なんとも偉そうに見えるかもしれませんが、全くそんな意味はありません。
理解されない人とは、何かに従事するタイプではなく、何かを見出す創造者です。
※理解されない変人の詳細は、変人と言われる場合の明確な捉え方|変わっている人には基準がある をご覧ください。

理解されない人は孤独
理解されない人は孤独になりやすい理由があります。
孤独を恐れて人と関わりを増やす人もいますが、個や自我意識が強いことや、他から排他されやすいことから自然と孤独感強め。
孤独になることは必然的だったりします。
理由は、集団の中に身を置いて生きることを求めないことが考えられます。
言わば、孤独になりたくてなっているという具合です。
無意識の人もいると思いますが、理解されない人は共存に対する欲求があまりありません。
家族やコミュニティなど人との共存生活によって安心感を得て、恐怖や苦痛や危険から身を護るという本能的な共存意識が作られます。
共存のために他を理解するしない、理解されるされないが大切なツールとなりますが、その意識が薄いです。
その分、より喜びや満足を得るために人と関わる意識が濃いです。
集団が嫌いなわけではなく、人と常に一緒にいたり、同じことをして集団行動することへの意欲がないために意味がわからず、長時間人と一緒に居させると発狂します(これは私の場合です)。
一定時間や、タイムリミットが決まっていれば問題はないのですが、いかんせん欲の矛先が人との共存にはありません。
共存向きではないために、自然と孤独になっていたりします。
理解されない人は孤独であることに意味がある
理解されない人が共存ではなく孤独を選ぶことには、“欲”が大きく関与します。
欲とは喜びを作る源であり、行動を生み出す動力です。
理解されない人の生き方にはとても大きな特徴があり、安心や恐怖のなさ以上に喜びや満足にフォーカスします(欲の大きさではなく焦点の違いがある)。
安泰を得る(安心有+恐怖無) < 喜びを作る(嬉しい楽しいなど)
安泰ではなく、喜び。
貰うのではなく、作る。
この在り方に欲が向き、行動意欲に動機を持ちます。
先天的な本能や生理的欲求以上に、後天的な人間味や社会的欲求にフォーカスがあり、言い方を変えると、恐怖が少ない、または恐怖に負けない人です。
恐怖は行動を抑え、アイデンティティを消し、動力を抑制する障害になる自己防衛反応であり、エゴであり、陰要素を引き出す架け橋です。
恐怖は生きる上で大切なものですが、理解されない人は恐怖によって自分に負けません。
そのために孤独になれます。
嫌々でも人といれば安泰があるので利益になり、人と常に関わる理由や動機になります。しかし、それでも孤独を選び、人との関わりに堪えられない、もう嫌、我慢できない、これなら独りが良いとなります。
安泰以上に自分らしく生きることを選択します。そこに喜びがあるからです。
理解されない人の真意には、どれだけ周りから排他されても攻撃されても、否定されても拒否されても、自分を消さず嫌なことを無理強いせず、自らの意志と人間性を尊重し、自分らしく生きることを選ぶ強さがあります。
※孤独を楽しむ話は、孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない をご覧ください。

理解されない辛さの対処と生き方

理解されない 辛い
理解されないことには無意識の選択による孤独が付き添い、強さを表し、恐怖のなさ以上に喜びを尊重する人間性があります。
と、こんなことを言われても、実際問題のリアルな現状は辛いものがあると思います。
理解されないことは常に独りvs他の状態が生まれます。
仲間がいないので心細くなりますし、何より孤独、一人、独り、only one、悲しい、ナニコレ、うるる。
さらに、身近な人で信用していた人、または家族などの理解してもらえると期待を持てる人々にもわかってもらえない時には、まるで身寄りがなくなったような、裏切られたような、居場所がないような気持ちになります。
辛い。
ここでの内容は、そんな時の対処として理解されないことの意味を知ることが主旨です。
理解されない、わかってもらえないことに対して辛いと思う場合、一度理解してくれない人を理解してみたり、理解してもらえるようにすると、何が辛いかがわかりやすくなります。
辛さをわかりやすくするために、
- ルールに従順になり、理解してくれない人の気持ちになってみます
- 理解してもらえるように自分を変えます(相手を変えることは押し付けや干渉や支配になるので、理解してもらうためには自分を変えることになります)
自分を押し殺せばいいんです。抑圧して、縛り付けて、支配して、目隠しして、口にタオル詰め込んで、自分で自分を頷かせます。
自分の意見を変え、意志を曲げ、バキバキにへし折り、ゴミ箱にダンクシュート、ペッと唾を吐いて火で燃やす。
「私も、みんなが言っていることが正しいと思う、うんそうだ」と。
辛い、これこそ辛いです。
おそらく、理解されない辛さより、理解されるように自分を変えることの方が辛いと思います。
意見と意志を明確に持つ人間性があるため、理解されないことの辛さにフォーカスすることは、ないものを求めて現実を思い通りに支配する欲を生み出します。
それを我欲、エゴと言い、自分を見失う可能性を強める材料です。
理解されないことが辛いと思う場合には、理解させるために相手を変えたり、無理矢理に自分を変える以上に、特徴や人間性を活かした対処法が大切です。
理解されない時の対処法
対処法は、理解されない自分を最大限活用すること。特徴と人間性にある、喜びを求める欲に焦点を当てます。
すると孤独になる在り方の裏返しとして、あるものが現れます。
創造力です。
理解されない人は、ルールに従う側ではなく、ルールを創る側です。
作る、創る、創造性にて自ら生み出す人間であることを自覚します。
理解されない時の対処法は、見る側ではなく見せる側、受信者ではなく発信者、従う側ではなく創る側だということを自覚して行動することです。
言われたことをただするのは合いません。
立場がどうこうではなく、自分のすること、するべきこと、役割、できることは、発信側、自ら何かを創り出す側です。
理解されない人は個人でも集団でも両方適している
自らが主体性を持って行動します。
一から始め、起業、立ち上げ、個人経営、アーティスト、芸術家……。
従うだけではないことが重要です。
何かに従事するタイプではないため、自らが始めて創りますが、個人でも集団でも社長やリーダーなどトップとして活動するかどうかは人それぞれです。理解されない人が把握したい自覚のフォーカスは創造です。
集団の中に居ても、マニュアルを一から創ったり、新しい案を考えたり、イベント企画したり、立ち上げの起爆、創り上げのアイデア出しなどなど、創造性を使用することに適します。
恐怖に打ち負けない強さがあればあるほどに、リーダーやトップとしての役割がお似合いです。
対処法はシンプルに、自らが作る・創る人間だと自覚することです。
理解されない人の生き方
周囲や誰からも理解されないということは、とてもわかりやすい特徴を教える合図となります。
企業でも家族でも、集団や共存環境では人それぞれにできることや得意なことから役割が見出されます。
何かを一から創る人がいれば、そこに工夫を加える人がいて、そのための環境を整える人がいて、創ったものを完成させる人がいて、広める人がいて、指摘する人がいて、改善する人がいて、サポートする人がいます。
言われたことをすることも能力ですし、言われたことを自分なりにすることも能力です。
従うことが仕事の人もいれば、創ることが仕事の人もいます。
人それぞれに生き方があり、人との関わりでの在り方があり、社会環境との関わり方があります。
森や無人島などに住まず社会の中で生きている以上は、孤独や集団ならではの生き方があり、その中での独りや人との関わり方、環境との兼ね合いや活用、協力や協調があります。
創り出す人や社長が全体の少数であるように、理解されない人は全体の少数です。
少数であることに意味があり、明確な理由があり、誰でもできることではない役割やできることがあります。
自分の在り方や生き方を自覚して、居る場所、環境、人、仕事と関わることで、理解されない人ならではの道が必ずあります。
※理解されない人の辛さは、普通じゃない人に辛さと喜びの人生│自分の意志が強いと弱くなる をご覧ください。

理解されない孤独 まとめ

ルール順守、大衆意見への賛同、みんなと同じであること。
これらには、安心・恐怖・恥・世間体・体裁・見栄・優越感・劣等感と、私達日本人の大好物が勢ぞろいですので、ビジネス心理に多用されます。
そこに翻弄されず、自分の目で見て感じて考える人は理解されにくくなります。
しかし、独自の認識を消さないことは事実を有耶無耶にせず、真相をそのまま把握することができ、強みになります。
他者との関わりでは孤独になるために辛く悲しいこともあり、人との関わりに隔たりができやすいですが、自分を消すことの辛さを知ることで孤独の喜びと楽しみを見出すことができます。
さらに、自覚によって創造力を活用した対処、生き方をすることで、自分らしさに羽をつけて飛躍させることに繋がり、解放と爽快は自由という空に変わり、色を付けます。
孤独になれることは、自らの尊重であり強さです。
理解されない場合には理解されません。しかし理解できる人がいます。同時に、理解するしないの概念がない人がいます。
その人達に出会うためには自覚が道を開きます。
「理解されないなんて最高だ」と気付く道はいつでも目の前にあります。
辛さの緩和と真相への気付きの一助となる内容であることを願います。
ありがとうございました。