生き方

【生きづらいのは甘えにした方がいい】甘えている自覚のお役立ち

メンタルが弱い、まだまだ我慢が足りない、甘えだ、私ならむにゃむにゃむにゃ。

周りはいろいろ言ってきます。

生きづらいのは甘えなのか?

はい、甘えです。

正確には、甘えだと思った方がいい人もいます。私がその一人でした。

ここでは、生きづらいのは甘えなのかどうかを考えるとわかる、大切なことを見ていかれてください。

  • どうして生きづらいのか?
  • 生きづらいのは甘えなの?
  • なぜ甘えだと思った方がいいの?

これらを紐解き、「甘えだと言ってもらえることは実は有難いんだ」と知っていただく内容となっております。

生きづらい状態では物事の捉え方はネガティブに偏りがちですので、物事・状態の意味を本来の形として認識する機会にされてください。

何か該当するものが、お役立ちできる考え方となれば幸いです。

生きづらいのは甘えではない

生きづらい状態とは?

言葉の貧弱化を防ぐためにも明確にしたいのが、生きづらいとは生きるのが辛いことです。

生存維持を図る潜在的行動、本能、機能従順など、自然と生きる活動をしているのが私達。

今この瞬間も意識せずに呼吸して、血を巡らせ、細胞の生死が考えられないほどの速度で繰り返されています。

生きづらいとはこれら自然なさまに対して真逆に働く、抵抗・反発がある状態と考えられます。

生きることへの抵抗感

現状の自分の在り方・生き方、すなわち精神と肉体と脳(三位一体)の使い方に対する完全なる不納得(または不満足)です。

[生きづらい=生きている現状への完全なる不納得(不調和)]

ただの不納得ではなく、完全なる不納得であるために、生きるのが辛いところまで行きます。

この生きづらさ、全ては一つの言葉で表れます。

「拒否」

 

拒否によって誕生する生きづらさ

拒否する対象は大きく三つあると考えられます。

生きづらい要因
  1. 自分への拒否
  2. 他者(周囲)への拒否
  3. 社会(環境)への拒否

「どうして拒否するのか?」の答えは一人一人違います。

  • 固定観念が多くなってルールで縛る
  • 制約が増えて自由がなくなる
  • 従うだけになり意志がなくなる
  • 我慢や気を使い、他者優先で自分がなくなる
  • 無自覚に自惚れている
  • 思い込みや決め付けが多く、まかり通らない
  • 完璧主義による自己支配の強迫観念
  • 他者支配とコントロール欲求が強い
  • 愛欲と我欲が強くて周りを見ていない
  • 自分が何者かわからず、意味や目的を失う
  • ‥‥

さまざまに自分や他者や社会に対して拒否したくなる理由があり、根底には原因として一つの核があると考えます。

自分のことを知らない

生きづらいとは自分のことを知らない状態だと考えます。

自分を知らないがために自らの在り方に納得いかず拒否。

自分を知らないがために他者との人間関係に納得できず拒否。

自分を知らないがために社会の在り方や縛りに納得できず拒否。

生きづらさには無知が大きく関わります。

 

生きづらいのを甘えだと言われる理由

無知なさまは、「それは甘えだ、やいやい」と他者から言われる可能性が出て来ます。

実際に甘えているかどうか、他者の苦しみは他者にしかわかりません。

無表情でシチューを食べていても、「考えられない幸福だなぁ、テヘペロ」と思っていたりするのが人間です。

辛く苦しい生きづらさに無知なさまがあると、「もっと何かできるんじゃないの?行動して改善できるんじゃない?」と周囲に思われやすいのが、このようなタイプです。

対処・改善・行動できない(目的が明確ではない)人

ここに生きづらくなるポイントがあります。

無知だと何が生きづらさの原因かわからず、対処・改善のし方がわからず、行動したくてもできなくなったり、傷口を広げるようなあやふやな行動になります。

苦しいのに苦しみが見えない。痛いのにどこが痛いのかわからない状態。

苦しみを味わいながらも対処できないため、自分に対する苛立ちによって否定が強くなっていき、メンタルが穢され、他者にはわからない内面の葛藤や憤りを含めた生きづらさになります。

本人は明確に生きづらいにもかかわらず、周囲には、「甘えだ、我慢が足りない、自業自得だ、もっと頑張ればなんとかなる」と思われてしまいます。

向かうべき矛先が不明であるため、頑張ろうとすればするほど自らをより苦しめる行動へ向かう人もおり、暗闇でうずくまっているのが嫌だから目を瞑って走ったら、奥底へ向かっていたなんてことが起きます。

※逃げる甘えの詳細は、【甘えでいい】嫌なことから逃げるメリットとデメリットに甘えの真意 をどうぞ。

 

生きづらいのは甘えではない

生きづらいとは、人間の内面にある不調和や違和感を表し、そこに拒否や無知があります。

本人にしかわからない陰惨なもので、まるで精神という内部世界を彷徨い、途方に暮れ、歩き続けた一方には絶望という暗闇があり、もう一方には絶望という崖があるイメージ。

無知とは目隠しをして世の中を生きるようなものですので、対処しようとすればするほどに起きるのが、思い込みと決め付けです。

固定観念と強迫観念が増え、ルールや制約での縛りが増え、他に従うことで自分がなくなっていきます。

にもかかわらず、思い込むことで物事の逃避や誤魔化しができるため、問題の核がわからなくても拒否状態を継続し、不納得がある状態でも我慢して貫こうとします。

「自分に厳しくすれば甘えではない」という思い込みも人によっては作ります。

知らぬ間に生きづらさを蓄積していきながら、事実に気づきにくくなります。

このサイクルの沼にハマると、自ら生きづらさを作っているさまが表れるため、周囲からは、「自分で選んでいるんだから、嫌なら道を変えれば」と思われますが、実際には無知による彷徨いが起きているため、甘えではありません。

自分のことを知らない原因による生きづらさは、本人にとって一切甘えにならず、実際に甘えではありません。

頑張り屋、我慢癖、周囲の気づかい、自己保持意識、自意識や自己愛の強さがあればあるほど、生きづらさが絡むように増加していき、何とかしようと動けば動くほどより苦しくなるジレンマが起きます。

これが甘えな訳はありません。

無知です。

※人と違うことでの生きづらい原因は、【人と違うと生きづらい原因は一つ】大衆もいいけど、変人であれ。をどうぞ。

 

生きづらいのを甘えだと思った方がいい人もいる

甘えていると自覚する大切さ

私自身、生きづらくて死ぬ直前まで行った時があり、当時は甘えているなんて思う概念すらありませんでした。

無知な私が甘えているなんて思えば、自己否定する材料に無意識にしていたかもしれません。

しかし、無知を自覚して甘えていると思えれば事前の対処ができ、最悪の状態にならなかったかなと思っています。
※今となってはそれがあったから恐怖を学べたので、どっちが良いも悪いもありません

ここでは、「甘え=悪」と思う固定観念(無知の強化)を手放し、一概に悪くはないと知っていただくことが目的です。

人によって甘えている自覚が役立ちますので、自分は甘えていると思った方がいい人かどうかを見極めながらご覧ください。

 

「甘えている」とは、自分の殻から抜け出すチャンス

生きづらさを痛感していた当時の私は、実際甘えがありました。

「甘えに甘んじた、知らない自分という存在に甘えた」という状態。

この結果、私は自らを変えるための行動として、「他」の着眼が皆無でした。

苦しければ改善する。しかし、まだ我慢できると自分の意志のなさに甘えました。

苦しければ行動する。しかし、自分を知らないとは思いもしない無知が、自己都合の対処法をして行動したと一時的に納得しました。

辛ければ他者に助けを求める。しかし、自分や他者を否定して現状を変えない怠惰欲に身をまかせました。

精神が崩壊する段階ではこのように見る余裕はありませんでしたが、その前を振り返ってみると、ふとした時に考えたり行動することはいくらでもできました。

にもかかわらずよくわからない行動をして、自らを厳しくして自己納得を図り、助けを求めず、改善ではなく自らが苦しむことを選択しました。

無知だからです

無知は馬鹿とは違います。自らのルールや観念を固定して決め付け、思い込んで事実を捉えず、時に自己都合で逃避し、誤魔化し、誤魔化しているとは思わないように誤魔化すさまです。

とにかく固定観念で自らをルールでグルグルに縛り、「これが正しい、これが間違っている」と決めたがります。

これに気づくためには自らの殻にこもるのではなく、「他」に向かう方法しかありません。

いくらでも周囲には人がいるのに、カウンセリングできる機会があるのに、占いでもセッションでもあるのに、環境を変えられるのに、無知のままの現状維持に甘んじました。

思い込みや決め付けなど、自らの一方的な認識では現実は捉えられないと、知りませんでした

現実を見るためには、自覚する大切さがあります

生きづらいのを甘えていると自覚することは、自らを変えるために本気で行動する動機になり、無自覚の殻から抜け出す空想世界からの脱出チャンスになります。

※自分に甘くする大切さは、【自分に甘いのは悪くない】末路は条件付きの幸せorアンタッチャブル をどうぞ。

 

甘えだと言ってもらえるのは有難い

私の周りにはいませんでしたが、もし周囲に、「お主、それは甘えじゃぞ」と言ってくれる人がいれば、とてつもなく有難いことかもしれません。

自ら殻を破って他へ向かえない時、他からわざわざ殻を破って来てくれる人。

本当は、「甘えている」なんて人に言いたくありません。

しかし、生きづらそうにしている人を見ると、自らの過去と投影し、何か言いたくなります。

承認欲求かもしれません。マウントを取りたいだけかも、独自性欲求を満たすため、我欲の解消、自己価値を高めて優越感に浸るため、なんでもいいんです。

その人にはその人の都合があり、他者の都合とはこの世で最もどうでもいいことのトップ5に入ります。

言われたからには何かしら意味があり、自分のためにするかどうかは全て自分次第です

どれだけ相手自身のためだとしても、殻を破って言ってくることに意味があり、「甘えているぞ=現状以外のやり方がある」と捉えられ、他の認識を含めることでより現実を認識する機会になります。

突然言われても意味わかりませんので、ここでの内容を解釈の一助にして頂ければと思います。

※社会不適合者に対する甘えは、【適合方法に異常性】甘えと言われる社会不適合者に大切な生き方 をどうぞ。

 

注意点:甘えを自己否定に使わない

甘えが活用的と言っても、「甘えているだって、ガガーン、私なんか」と自らを卑下して、自虐して、否定する材料にすると逆効果、巨大ホールにアーと落ちてしまう危険性があります。

無知の増長のために甘えを使うか、無知の改善のために甘えている自覚を使うか。

改善に使うためにも、自らを甘えていると否定せず、甘えていると言われても否定せず、「甘えている」という自覚によって自らを知る材料にします

現状にどれだけ不納得があろうが、自分を否定する必要は皆無、明確にゼロです。

自分を知らないから生きづらくなります。

自分を知っていると生きやすくなります。

自分を知ることで生きづらさが改善されていく、というお話です。

気質や体質、病気や障害などによって生きづらい場合、「甘え」の活用は難しく、自己否定が増長されてしまう可能性があるので、あくまで自分は甘えていると思った方がいいかどうかを見極めて、ご参考にされてください。

※心にこもると生きづらい詳細は、【心が綺麗な人】心にこもると生きづらい│改善は人間の三位一体 をどうぞ。

 

生きづらい時に大切な「自分を知る」とは

生きづらい気持ちや感覚は本人にしかわからない苦しいものです。

  • 明確に辛いのに対処ができない
  • 自分のままでいたいのにいれない
  • 人と調和したいのに上手くできない
  • 社会性を持って生きたいけどできない

自分を知らないと現実と空想のギャップが大きくなり、顕在意識と潜在意識のバイアスが増え、知らぬ間に自らを押し付けたり、その反応で自らを卑下したり、否定したり。

とにかく認識のフォーカスが自分になります

「自分はどうしたい、自分はこうだった、自分はこう感じた、自分にはこう返ってきた、自分はこれをしてしまった、自分は相手がこう思っていると思う‥‥」

その自分とは一体何なのでしょうか?

自分を知らない人とは、自分を知らないとは思わない人のことでもあります。

自分を知っていると思うことは思い込みや空想以外ではできません。

誰しも知らないから知ろうとして、他者に協力してもらい、助けてもらい、学び、成長し、経験していきます。

生きづらくなりやすい人は、自分に対する着目やフォーカスが強く、自己愛が強く、自意識が強く、自分の殻にこもります。

それらはとても大切なものですが、ポイントは他への認識の薄さです。

自分に集中すればするほど生きづらくなるのがこの世の仕組みです。

理由はシンプルに、一人で生きている人はもちろん、一人だけで存在している人がいないからです。

 

不信感を見つめる大切さ

自分にフォーカスする認識には、気質や体質、病気や障害の可能性もあり、エゴや執着など意識や欲の在り方も関係しています。

人それぞれに幼児期や幼少期、成育期や今日までの日々は、他者との関わりであり、他の情報とのやり取りにて自分が作られます。

過去の過程に自分にフォーカスする要因があり、自分を知らないとは思わない無知の原形となるのが、不信感です。

不信感を持っているだけでなく日々育んでいることに、生きづらさの生成があり、拒否の増大があります。

不信感は過去のトラウマや、愛の欠乏、親との関わり、教育にある否定の多さなど、他に起因して自己内部に芽生えます。

他者を信じられなくなりながら、自分自身を信じる気持ちがなくなり、起きるのが自己否定か、自己愛を強めて自分を強引に信じようとする過剰です。

不信感は自分を知らないとは思わなくさせることで、自らを維持して護ろうとします。

同時に、他者への認識を限りなく少なくして自分にフォーカスさせます。

生きづらい時の自分を知る意味は、自分を信じることであり、他者を信じられるようになることです。

不信感を拭うために、甘えている自覚が殻から出て自らを俯瞰させ、他者に認識を向ける一歩目となります。

その先に思い込みではない現実があり、どうして苦しいのか、何が生きづらくさせているのか、あらゆる認識がはっきり見える世界が待っています。

※日本だからこその生きづらい詳細は、【自国愛を考察】なぜ日本は生きづらい?│海外に行くとわかる違和感の正体 をご覧ください。

 

生きづらいのは甘え まとめ

甘えている自覚を自分のために活用すると、辛さが激化する前に自らを変化・改善させられます。

しかし、自らを否定するために使うと逆効果ですのでご注意ください。

私達は本当に誰しもが未熟な甘え者です。

自らを否定するためではなく、自覚するための甘え肯定は、既に生きづらさの緩和になります。

誰しもが生きづらければ、否定はなくなり認めやすくなり、生きづらくなくなります。

しかし、大切なのは他者への干渉による自分の見出し、殻のままで心地良さを作ることではありません。

自らが他者の助けを使い、必要に応じて自己投資し、自らが自らを癒せるようにすることです。

殻のままでもいいんです。出られる時に出ればいいんです。

ただその間何も変えずに、何かしらしていると思うのではなく、自らが殻の中にギーギーとソファを持っていく、そういった一つ一つの些細な行動がものを言います。

自らを信じることは自らを知ろうとすること。

自らを知ろうとすることは自らを信じること。

入口は人それぞれです。

生きづらい時は休息しながら自分のペースを見つけ、少しずつ自分を知ろうとする行動・在り方・考え方が大切です。

そんなさまは拒否をなくすための肯定、柔軟、変化、受け入れをもたらし、拒否のない在り方を作ります。

甘えを含めた生きづらさの捉え方が、飛躍と癒しへ向かう一助となることを祈ります。

それでは、生きづらいのは甘えではないけど、甘えにした方がいい人もいるお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生とのカウンセリング機会。
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