心理

自分の意見を言わない人はずるい?│言うも言わないも自分のための心理

「言いたいことも言えないそんな世の中じゃ~ ら・ら~」

世の変化を求めるように、歌をよく口ずさんでいました。

自分の意見を言いたい人がいれば、言いたくない人もいます。

集団という他者と関わる環境だからこそ、意見を言わずに隠れ、潜むように集団環境を利用して利益を得ている人に、「ずるい」と印象を持つことがあります。

ここでは、自分の意見を言わない人の心理とずるいかどうかの詳細をお伝えし、下記の疑問を解消します。

  • 自分の意見を言わない人は実際のところ、ずるいの?
  • 自分の意見を言わない人の心理と目的とは?
  • 自分の意見を言っても言わなくても自分のためになっている?

意見を言わないのではなく差し抑えされている可能性もあり、意見を言うも言わないも共に意味があります。

意見の言う言わないに潜む人間理解として、一つの考え方がご参考になれば幸いです。

自分の意見を言わない人はずるい?

日本で自分の意見を言うことの意味

日本にいる以上、自分の意見を言うことは当たり前ではありません。言わない人のほうが多いかもしれません。

大衆的統一教育では暗黙の了解を理解し、同調圧力に従い、上下関係のルールを作り、現状維持思考を膨らませ、意思のない記憶のインプットを育みますので、自分の意見を持つことは困難と考えるのが容易です。

職場やコミュニティなどの集団帰属地では、自分の意見によって集団を構築・改善・向上していきますが、人が増えれば増えるほどに個々の特色に価値がなくなり、一人一人が集団の色を作るのではなく、「集団とは身を潜める場所」という概念が生まれます。

「日本の集団」という世界で類を見ない特殊な環境であることは、海外へ行かれた方にとっては歴然たる事実だと思いますが、ここで意見を言うことはただ意見を言うとは意味が異なります。

日本で自分の意見を言うことは、目立ち、周囲に影響を与える行為です。

目立つ影響によって起きる、意見を言う言わないの違いが起きます。

  • 意見を言う人は、好かれも嫌われもする
  • 意見を言わない人は、好かれも嫌われもしない

 

好かれも嫌われもする意見には必ず責任がある

周囲に影響を与えると好感になり、反感を抱く要因にもなります。

自分の意見には意思と行為があり、始まりと終わりがあるために周囲に与える影響力となります。

行為の始まりは、「私の意見を言おう」という動機であり、行為の終わりは、「私が言いたいと思ったから言った」という発言の自覚です。

始まりと終わりを自覚する自分の意見を言うという行為を、責任と言います。

責任を持つからこそ自分の意見を言おうと思い、実際に言う行動へ向かい、しっかりと結果を自覚して終わります。

このさまは本音やはっきり言う行為となり、意思を見せ、信念を見せ、軸と主体性が表れるために好かれも嫌われも影響力となります。

人に褒められて否定されないことのみを狙って言うのではなく、毒舌や誰も言わない事実を言う人は、責任と意思があるからこそ嫌われることができます。

責任や自責の念があればあるほど、責任を持たない人を「ずるい」と思うようにもなります。

 

自分の意見を言わない人がずるいのは責任放棄

責任には必ず覚悟があります。

「うわぁ、こんな沈黙の会議で意見を言うのかぁ、でも言わないと何も変わらない」とミーティングで意見を言う人。

言わば戦いの最前線を駆ける一等兵前衛部隊の気持ち。

「死ぬ気で行きまーす」と心の声が漏れるほどの戦いが、自分の意見を言うという行為に含まれるのが我らの愛するジャパニーズミーティングです。

この最前線にいる人からすると、後ろで潜んでいる人は目に付きます。

特に潜んでおきながら、「逃げていません」と現実を誤魔化す人は、木銃を持って恐怖と戦う人からすると、撃ち付けたい心境かもしれません。

 

責任放棄に見える「ずるい人」

対人恐怖症など意見を言いたくても言えない人もいるため、責任を持たないだけであればずるいと印象を持つことはあまりないと思います。

しかし、自分の意見を言わない状態への自覚をせず、「責任を持てないから苦しい」と自らと戦うでもなく、自覚する気もない人は責任を放棄したように見えます。

会議中はうんうんとよく頷き、全く真逆の意見が出た時にもうんうんと頷いていたりすると、「どういうこと?!」と驚きを隠せず、ずるい人に思えるイメージです。

ここで一つ明確にしておきたいことがあります。

本人にとっては責任放棄ではないということです。

 

自分の意見を言わない人は責任放棄に見えてしまうけど…

本人にとって自分の意見を言わないことの責任があり、日本だからこその責任を持たないように見える責任という概念が判明します。

ここに意見を言わない心理がありますので、詳細を紐解いていきましょう。

 

自分の意見を言わない人の心理

自分の意見を言わない人の心理

責任を持つとは、自らの思考と行動を自覚する意味であり自分自身にしか持てないものですが、「迷惑をかけたら腹切りね」という文化の見方が責任を持つと負うの両極端であるように、責任とは持つのではなく負うものという価値観の人もいます。

責任を負う人は自分の認識から、他者への認識を理解した上での行為が責任になるので、腹切りの可能性が驚くほどに拡大し、不安と恐怖にて行動を抑制する理由が作られやすくなります。

心理に「過剰適応」という言葉があります。

過剰適応とは、自分が自分を満たす以上に、外部環境や他者との関わり(役務や責任やルール順守など)を優先し、自らの行動や思考を変える度合が度を越える状態

過剰適応になると自分以上に他者を優先することに責任を認識し、[他者優先=責任がある行為]になります。

過剰とは極端な例ですが、そこまで行かずとも、自らの意思を持ったり尊重することを善としないルールを順守し、この状態が当たり前になると意見を言う以上に大切な認識が生まれます。

  • その場の空気に合わせる
  • 同調圧力に反しない
  • 暗黙のルールをいち早く読み取る

これらの全うが責任になります。

自分の意見を言う人と言わない人は、「責任」の概念が異なります。

 

自分の意見を言わない人は実際には言う意見がない

意見を言わない人は、集団に属す自分に対しての責任概念があります。

「自分」という存在への認識が少し特徴的です。

自分=自分
自分+集団帰属+集団帰属=自分

自分の意見を言わない人は、[自分+社会や大衆の集団帰属+仕事場などの集団帰属=自分]となっている可能性があります。

自分の中で認知する自分の割合が少なく、他の情報やルール順守が割合の主体というものです。

自分の割合が少ないと、意見を作ろうとしても他者の意見やテレビや本など他の情報が主体となり、自らの理解や吸収のない記憶を口から出すという状態になりかねません。

意見を言いたくても自己理解がないと中身がないために自信や自尊を見出しにくく、「同調圧力に反してまでこの意見を貫けるか?言う理由はなんだ?あの人の意見の方が正しくないか?なんか言われたらどうしよう?」と言い切る動機がなくなります。

動機がなければ目的がないので、私達人間は行動へ向かわず、言わないことに目的が作られます。

他の情報としての記憶は脳内にあっても、自分の意見ではないために言えなくなります。

※自分の意見がある人とない人の違いは、自分の意見がない人とある人の特徴|意見を持つ方法は遊びの創造 をご覧ください。

 

自分の意見を言わない目的は不安の解消

意見を言う人は物事に変化を起こす人であり、きっかけを作る人です。

影響力となり好かれも嫌われもします。

意見を言わない人は変化を起こさない人であり、現状維持を図る人です。

影響力はなく好かれも嫌われもしません。

どちらも目的があるからこそ意見を言ったり言わなかったりと、自らの行動有無が表れます。

意見を言う人は、「言いたい」から言います。

意見を言わない人は、「言いたくない」から言いません。

どちらも「自分のため」になるからこそ行動したりしなかったりと選択します。

 

自分の意見を言わない人は好かれなくても嫌われないことが自分のため

現状維持や変化を求めないさまは、不安や恐怖などネガティブに対する関わり方を重んじる在り方です。

影響力がないことは好かれたり、肯定されたり、評価されたり、外部からの反応がありませんが、何もないことは不利益ではなくプラスがないだけです。

ここにマイナスがあれば不利益ですが、マイナスもないために不利益になりません。

仕事であれば出世する可能性が減るかもしれませんが、現状頂く利益(納得があり不納得がない)を維持できます。

他者に対して自分の意見を言うことは、出る杭は打たれるように叩かれ、排他される懸念があるため、不安を抱きやすく、自分以上に他を優先する心理があり、他の情報が多く自分の意見を貫く動機がない場合には、言わないことが自分のためになります。

出世する必要などどこにもなく、人それぞれに欲や願望は全く異なるために、意見を言わないからこそ出世しないことができる利益にもなります。

※自分の意見を言うと起きる不祥事は、本音を言うと人が離れていく仕組み。はっきり言うと嫌われる原因。をどうぞ。

 

自分の意見を言うのも自分のため

意見を言わない人の中で一人だけ頑張って意見を言ったりすると、「みんな自分のことばっか考えて、少しは協力してよ」と思うかもしれません。

正義心や正当化意識があると、集団のためにならない、協力体制がないさまはずるさに見えます。

しかし、自分の意見を言うことも実際には自分のためであり、それが協力なのかどうかは自覚しておきたいところです。

私が会社員だった頃、ミーティングがとにかく多く、上司と私以外誰も何も言わない時間だったために、「なんだこの空間は?」と異様に感じていました。

「なんであの人は意見を言わないんだ?!」などと批判的に思った時もあり、ずるいという印象がありました。

言いやすい雰囲気にしようとお菓子を持ち込んだり、椅子はバラバラに配置したり、会議室を解放的にしたり、狭くしたりと工夫をしましたが、意見の言う言わないの変化は微々たるものでした。

あらゆることをしましたが決定的に重要だった気づきはある一つをした時でした。

「一度私自身が何も言わないで過ごそう」と決めて参加してみたのです。

ここではっきり見たのは、ただ言いたいから言っていた自分。言わないことが苦しく、自分のために言っている気づきでした。

集団に属しているとはいえ、自分が社長ではないのでお金は貰っている立場。自らが会議の代表になって他者に意見を求める場合には、意見を出せではなく意見を頂戴する立場です。

誰しもが自分のために生きているのは人間としての当たり前であるため、意見を言う言わないには共に自分のためである目的があり、言うから良い、言わないから悪いという考えを持つのは困難だと知りました。

 

言わないことがデフォルト

自分の意見が言えないとは自分がない、責任がないということではありません。

自分の概念が違い、責任の概念が違うという考え方です。

この真意は、「概念」によって生きているという意味です。

概念で生きるとは、ルールや情報を主体に自らを構成することでして、感覚や感性の自己認知以上に脳の記憶力を使用して他の情報を重んじて生きる状態です。

「脳で生きる」というものです。

幾分か前の日本では文化や教育が全く異なったと思いますが、私の知っている日本であれば、概念で生きるのは当然そのもの。

自分の意見を言う人が少し異種と言いますか、言わない人が日本ではデフォルト状態だと考えられます。

 

意見を言わない人も言う人もいて向上していく

私達人間は自分一人では生きられないので、常に他の影響があり他の情報を頭に詰め込んで生きます。

何か意見を言ってもそれは誰かの意見や情報であり、誰しもが他の情報を基に生きています。この内容も然りです。

他の情報である前提で、それを自らが理解して吸収するか否かによって、自分の意見を持つのか、記憶情報を口から音として出すのかが違い、明確に自分の意思の有無が分かれます。

自分の意思を持たないでルールや文化に従う人がいて、従わない人がいて、新しい価値観を持つ人がいて、新しく作る人がいて、さまざまに存在しながら共存するのが私達です。

「この世に電線は要らないので全て排除しよう」となったら急激に雇用がなくなりパニックになってしまうであろうように、物事はゆっくりとルールを整備して、価値観に順応し、不安と恐怖を緩和し、みんながそうしているよという安心を得て、次へ向かいます。

日本には日本の環境があり、自分の意見を言うも言わないもどちらもいて、変化する速度と環境整備が調整されて進みます。

自分の意見を言う人は前に進む起爆と躍動の動力に。

自分の意見を言わない人は進み過ぎや行き過ぎを調整し、ネガティブの緩和をしながらの緩和剤に。

先を急ぐ人は日本から出た方がいいかもしれません。

歴史を見ていただくとわかるように変わらない日本ではないと思います。個人ではなく島国としての文化や価値観があり、見合った変化速度があり、一人ではなく全員で構成している集団を重んじる在り方があります。

※自分の意見を言わない男女別の心理は、【本音を言わない男と女】本心を表さない心理に意味と目的がある をご覧ください。

【本音を言わない男と女】本心を表さない心理に意味と目的がある「本音で語ろうよ」 この発言には、「あなたの心を開いて見せてよ」という壁を取って欲しい願望があり、「私を信頼して」という目的が顔を...

 

自分の意見を言わない人はずるい まとめ

ずるいと思ってしまうものですが、自分の意見を言う人であればずるいとは思わないことが自分のためになります。

ずるいと思うのは、影響のない事柄から故意に影響を作り、自らに抵抗を与える行為です。

この意味があるかどうかを自覚して前に進むのが意見を言う人であり、責任を持つ人間性です。

私のミーティング憤りは、結果的にミーティングを廃止するという意見を言い続け、決定しました。

自分の意見を言う言わないでわかるのは、私達人間のさがです。

生きる上での価値観や観念は常に他からであり、何も知らない赤ちゃん時代から親や兄弟姉妹や教師などから他の情報を入れられます。

概念を主体に生きる当然な在り方となり、ルールに違和感を抱かなければ抱かないほどに、暗黙のルールを暗黙でしっかり了解し、同調圧力にしっかり圧され、見えない空気を読みながらも見えない概念を排他し、「どっちなの?!」とツッコまれます。

概念を主体に脳を重んじる生き方に変化を付けるのが意思です。

意思があるかないかにて、記憶は自分の理解なのか他の情報そのままなのかが分かれ、自信や自尊にも繋がり、不安や恐怖との関わり方も一変します。

意思がある人は自らを高めるように生き、余裕ができた時に他者を認識する方向へ進むと、自他を含めた全体の認識の育みとなります。

自分のために意見を言いましょう。
自分のために意見を言わないんです。

どちらも自覚した際に、必ず自分の意思が見つかります。そこでどういう行動をするかのご自身を観察し、向上か退化か維持かを見極められてください。

そのための理解が深まる一助となれば幸いです。

それでは、自分の意見を言わない人の心理と目的のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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