対処・解消法

【人と違うと生きづらい原因は一つ】大衆もいいけど、変人であれ。

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巧みな技、強い個性、かけ離れた価値観、合致せぬ考え方、孤独の趣味。

人と違う時、私達は「大衆」という虚無、VRゲーム、実体のないリビジョンから解放されます。

しかし、人と違うから生きやすい人もいれば、人と違うからこそ生きづらくなる人もいます。

一体何が違うのでしょうか?

変人は面白くて好かれるのに、電車の中の変わり者は怖がられて嫌われる。

一体何がどうなっているのでしょうか?

ここでは、人と違うことで生きづらくなる原因として、明確な一つを見ていかれてください。

  • 人と違うと生きづらくなる一つの原因とは?
  • 実は自惚れている?
  • 生きづらさの解消方法とは?

これらを紐解き、「生きづらさは自惚れの異形なんだ」と知っていただく内容となっております。

大衆呪縛の解放となる力が人と違うことですので、いい具合の変人になるための一つの考え方となれば幸いです。

奇妙な内容ですので、気楽にお楽しみください。

人と違うと生きづらい原因

人と違うと生きづらい原因は一つ

ここでお伝えしたい原因は核となる一つ。

「思い込みによる知らぬ間の自惚れ」

これだけです。

思い込んで生きているのは私達誰しもに共通ですが、思い込みによって自惚れるつもりがないのに自惚れていることがポイントになります。

それでは、紐解きを始めましょう。

 

生きづらさは違和感や不調和

そもそも生きづらくなる理由には、違和感や不調和があり、そこには不納得や不満足があると思います。

人と違うことで他者との間にギャップが生まれ、社会との間に溝ができ、なにより自分との間にわからないという空白ができます。

生きづらい理由
  1. 自分と他者の不調和
  2. 自分と社会の違和感
  3. 自分と自分の不合致

[自分:X]

なにかしら自分主体で対象Xとの間にギャップができるのが、人と違うことです。

ギャップをただの違いにするか、苦しい違和感にするかに分かれ道があり、生きづらい場合には思い込みが介入してきます。

 

ギャップを強くする思い込み「この私が私」

生きづらくなる場合には自と自、自と他のギャップをなんとか合わせようとしているかもしれません。

自と合わせるためにコントロールしようと力み、許容を超えてでも一生懸命に自己制御し、支配し、全てを把握してわからないことをなくそうとします。

他と合わせるために努力し、我慢し、気を使い、自分を消し、他者を優先し、個性を消す活動が激化します。

ギャップを合わせようとする働きにあるのが、「自分」に対する思い込み

「この私が私なんだ」という認識です。

人との違いがあればあるほど、自分の認識は他者との比較や違いや差によって見出す癖ができるため、他によって自らを見出すと言われるものが形成されます。

この我、人と違えば違うほど自分は自分であると強く思い込みやすいです

思い込めば思い込むほど他と合わせる際、自分を消す際、自分を支配する際に、「この私が私なんだ」という思い込みが無自覚に激しくなります。

例えば、「私は大好きな海で死ねたら最高に幸せなんだ」と言う人がいて、もし自分への思い込みが強いと自意識の主張が起きます。

主張状態で他者や社会と関わると、「そんな考えは変だよ」「死ぬなんて簡単に言うもんじゃないよ」「ふーん、で?」などと反応された時に、自分が認識している「私」が激しくうねります。

まるで魚が陸で跳ねるようなうねり、パチパチピョンピョン。

海に戻るために、または陸で適応するために必死になり、自分をより主張するか、他に合わせる努力をします。

私は私であるという思い込みがあればあるほど、他に合わせて自らを消したり、抹消することが逆効果となり、自らの主張が無自覚に起きます。

他に合わせても喜びや納得ではなく、苦しくて辛くなるのが主張しているからこその反応です。

自分は自分である思い込みが強いと、人と違う自分をなんとか変えようとすればするほど無自覚で自意識の主張が起きる、という考え方です。

 

知らぬ間の自惚れが生きづらさを作る

無自覚の自意識主張とは別名、知らぬ間の自惚れです。

自惚れとは自分を高く優れていると思うさまですが、知らぬ間の自惚れとは、自分を知らないのに知っていると思い込む無知を意味します。

思い込む無知が顕著になるのが、「私は私」「人と違う」という認識です。

「私は私じゃないの?」という感じですが、私とは実体のない空虚な存在です。

これを仏教では空(くう)と言い、何もなくて全てがあるという、意味深なお話です。

ここではややこしいお話は割愛。ポイントとして知っていただきたいのは、「私は私」と思うのは思い込みでしかないと自覚する大切さがあることです。

「私は私」と思っても何の問題もないのですが、人と違うことを材料にして、「この人と違う私が私」などと存在確証をあえて強める場合、その認識は私を捉えるのではなく、私という存在を主張する方法になります。

自らを特別視したり、独自性を見出す努力をしたりと、他の認識以上に自らをどれだけ認識できるかの在り方が作られます。

重要点と考えられるのが、これらの一連が無自覚であることです

無自覚だと主張の形は、「これが私だよ、見て見て」ではなく、「私はどうして他と違うの、どうして他と合わせなければならないの、どうして他と合わせられないの?」と反発を抱きます。

無自覚の思い込みは、自意識を強める自惚れに変形し、辛さや苦しみを感じながらも対処法が見出せなくなるため、より生きづらさを作ります。

 

知らぬ間の自惚れは自分を知らない意味

「自分が何者なのかわからないからこそ自分を明確にしたい」という思いが、知らぬ間の自惚れを作ります。

「どうして自分は他と違うのか?」という疑問、「あなたは他と違う」と周囲から言われるに従って、自らを何者かに特定したいジレンマ(不納得)が起きます。

名前以外に、「私は○○だ」と特定できる何かを他から得ようとする意識が強まります。

「自分」をどう認識し、どう捉え、どう把握し、どうコントロールし、どう使用するかを重要視します。

「自分とは自分、この自分、人と違うこの自分である」という強い観念の誕生です

この場合、人との違いは自分を認識する最たる材料になり、「私は人と違う」という概念が手放せなくなります。

自意識が強まり、自己愛が強まり、「私はこうしたい、こう在りたい、これが自然なんだ」という在り方を貫きたい欲求が生まれ、その意に沿わない出来事が起きると、反発や抵抗になり、人との差やギャップは不納得のジレンマへと変化していきます。

※無自覚の自惚れは孤独感になる詳細は、【孤独は最大の友になる】孤独を感じるスピリチュアルな仕組み をどうぞ。

 

エンパスやHSPは人との違いに生きづらさを感じやすい

エンパス逆エンパス、HSPと言われる感受共感能力の高さも大きく関わると考えられます。

感受性、共感性、敏感性が高いと、自分以外の周囲からキャッチする情報に翻弄されやすくなります。

言語などの外部だけでなく内部情報もキャッチするエンパスやHSPは、それだけで他とは違う自分を認識しやすいにもかかわらず、さらに無用な二重情報を捉えるので、自らを律して戸惑いや困惑を自己対処し、情報過多から護る必要があります。

情報処理方法は人それぞれに経験して見出せますが、問題は「自分」に対する無知が自然と強まることです。

「私はHSP」「私はこういう特性がある」「私は発達障害」などと何かしら特定できれば、無自覚の思い込みによる自意識の主張にはならないのですが、能力や他との違いだけ目立って特定できないと、自分のことがわからなくなって何者かにしようとする働きが加速します。

知らぬ間の自惚れを作ります。

人と違うと思える材料だけが増えながら自らを特定できないことにジレンマが起き、実際には特定しようとしても自分とは何者でもない空であるため、反発や憤りが増え、対処できない彷徨いや迷いも起き、苦しくて生きづらくなります。

※社会的に名前付けする大切さはありますが、一方で何者かになった自分に執着が起きやすい点もあり、名前を得ると自らを知る意欲がなくなる可能性があります

※純粋さは生きづらさを作る件は、純粋すぎる人は生きづらくて大変│ピュアは時に罪になり嫌われる をどうぞ。

 

『自分を知りたい方へ』

自己理解は知識の習得だけでは本質になりません。
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※自分を本当に変えたい方のみご活用ください。

人と違う生きづらさの解消方法

原因を知っていただいたところで、初めに攻略ポイントを見ていただき、その後に方法を順番にご覧ください。

解消攻略ポイント:自覚

人と違うと変人や変わり者など、レッテルを貼られることが多いと思います。

人との違いは大衆人からすると、自らの利益(不安や恐怖の排他、安心や安泰ゲット)を阻害する可能性です。

大衆とは普通。普通の人はみんなと同じであることに利益があります。

満員電車のホームで、「わぁ、こんなところにカタツムリだぁ」と観察し始める人がいれば気になってしまいます。

良い悪いはないのですが大衆的な人からすれば、人と違う人は気になる存在です。

私達ジャパニーズメンタリストにとって、「恥、他と違う、目立ち」は大きな利益阻害懸念ですので、人と違う人が近くにいることは既にアラームがファンファン鳴っています。

ここで特に気になる存在となるのが、「自分という存在を主張している人」です。

気になると身構え、繊細なジャパニーズメンタルを脅かす危惧を気にかけます。

もし主張している自覚がないと、どうして周囲は非寛容的で、排他的で、否定的で、時に攻撃的なのかわからないので、余計に苦しくなってしまいます。

そのため、生きづらさの攻略には原因の自覚が最も重要になります。

 

生きづらさの解消方法①:変人に習う

手本となるのが、変人です。

人と違う生きづらさの緩和には、「私はHSP」「私は変人」など、自らを特定する名前を付けると役立ちます。

しかし、自分を知ろうとする意欲を教科書に限定し、自らの可能性を狭めることも考えられます。

ここでお伝えしたいのは、「私は変人」「私は人と違う」と名前付けして特定するのではなく、変人の認識を習う方法です。

変人は個を認識します

「私は私」と自分を特定する認識ではなく、「社会という全体の中で私という唯一無二がいる」と個を認識します。

他に干渉しない(無視や無関心ではない)意味であり、他の上で成り立つことを度外視しない前提認識であり、無自覚の自惚れがない状態です。

ご飯に箸なんか使いたくありません。それであれば茶碗に顔をダイブ、ボーン。

他と違う自分の行動ではなく、そうしたいと思う自分の行動。自らを他によって見出しているか、自らによって見出しているかの違いです。

変人は自らのことは自らで見出します。周囲や他者の目は実にどうでもいいことです。

お化粧したければ男性でもお化粧する。したいと思ったからする、それだけです。

仕事を辞めてクライマーになりたければ山にこもる。他を介入させなければ責任は自分にしか持てないことを知っています。

旅をして生きたければ旅をし続ける、それができるだけの基盤を作る。社会に反発するのではなく、受け入れた上で自らのいる環境を作り、生き方を作り、在り方を変化させます。

変人は自由になるために覚悟を持っています。

自分を消さずに社会という他の上で存在できるように自らを変える。そんな変人の在り方を習うと生きづらさはなくなります。

※変人が生きづらい場合は、「変わってる」と言われるのが辛く生きづらい時に知りたいこと をどうぞ。

 

生きづらさの解消方法②:着目をエゴではなく個にする

大衆とはエゴです。
※エゴとは他によって自分を見出す意識

自らのことを他によって見出す認識世界では、「人とは、個とは、自分とは」などの思想の対象にはなりにくいです。

「お金とは、モテるとは、社会とは、ルールとは」などが対象になるので、何が大切な着目点かが異なります。

エゴとは社会維持には欠かせない重要なものですので、私達が社会で生きていく上では欠かせません。

しかし、生きづらい場合には着目の相違になり、人と違う人が大衆に目を向けると物事の認識がぶっ壊れます

言葉と心が違うように、現実と事実を区分けし、真意を奥底に潜めるルール下、いろいろ複雑化させるチンチロリンゲームをしているのが大衆です。

その中では同じようにするのが生きやすいルール。いわゆる、「自分を撲滅させて、有無を言わないでください」というお話ですので、則れば安泰はゲットできますが、とても難しい過酷な道です。

着目はエゴではなく変人(個)です

個の主張ではなく、個の認識

電車の中で自らの奇怪性や存在を主張する承認欲求モンスターではなく、ただそうしたいからしているおじさんのセーラームーン姿です。

いたって真面目にお伝えしております。

スカートを履きたいから履いている男性、ミニスカートを履きたいから履いている女性と同じです。

主張をなくすことは思い込みの撤廃であり、私という存在をあえて見出そうとする我欲の手放しを意味します。

ただそうしたいからするさまは、他を含めた上で成り立っていることを忘れない他も含めた認識であり、出る杭ではない自らの尊重です。

水色ヘアーのおじさん最高ということです。

 

生きづらさの解消方法③:人と違うという妄想理解

最後は変人概念から離れましょう。

人と違うのが当たり前だと思っている人は、個性を持って抵抗のない生き方をします。

大衆という虚無から解放されて生きやすくなりながら、好かれやすく、面白く、価値を見出しやすく、人のために生きることもできます。

生きづらさをなくすためには、人と違うのは特別ではなく、誰しもがそうである理解が大切です。

もし今はみんなと同じであれば、その人にはそうなった、そうならざるをえなかった、そうなりたかったバックグラウンドがあります。

他者をしっかり捉えると、認識力の育みができ、自分に対する思い込みが緩和されます。

本当は誰しも人と違います。

しかし、社会の上で生きているので他に従い、自らを矯正して生きる対処をしています。

内側は人と違っても、外側を同じようにします。いずれ違っていたことを考えなくなる人もいます。

「自分だけでなくみんなそうなんだ」という理解ではなく、「誰しも生きる対処をしているんだ」という尊重が大切になり、一人一人の個があり、過去があり、歴史があり、今があると知る、そんな捉え方が生きづらさを解放させてくれます。

 

人と違うと生きづらい原因 まとめ

原因となる無自覚の自惚れは、どこかしこに潜むのが私達人間です。

他者との共存、あらゆる他の情報に溢れ、ルールに縛られ、制約が設けられる世の中では、「この私が私」と自らを護るためにも認識を強めます。

人によっては護るだけでなく、自らを納得や満足させるために優越感と劣等感を味わい、他者を利用していき、我欲のスロットゲームはやめられなくなります。

人と違うことで生きづらくなる人は、自らを護ったり、我欲のゲームを始めて他者利用する以上に、自分という自意識を強めることで対処する傾向があります。

それは強い戦士の生き方です。

別の時代にはとても大切な方法でしたが、今であれば戦士以上に、「自由なひょこっとさん、駄菓子屋やってます」くらいの感じがおすすめです。

人と違う人は自分を主体にする大切な基盤が既にありますので、知らぬ間の自惚れに気づき、後は周囲を見て、自らを変化させてみてください。

核を変えずに自分を変える。

それは変わり続ける時代に合わせた柔軟性と創造性を意味し、戦う以上に個を認識して、何者でもない自分という唯一無二をはっきり捉える変人道ドドン。

いつの時も自分は中心ではなく社会などの他が中心です。しかし、自らを消してしまうと他を捉える基盤がいなくなってしまうので、自らは主体にしながら周囲の認識を忘れないことが、自分という存在を自然と明確にしてくれます。

自信がないから自信満々にするように、自信があれば自身があるもないも認識しないことと同じ。

そこに生きづらさは皆無です。

人との違いを活用し、生きづらさを自由に変換していきましょう。

そんなことを変人達は人知れずもくもくとしている。そんなお話がお役立ちできれば幸いです。

それでは、人と違うと生きづらいお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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