生き方

【適合方法に異常性】甘えと言われる社会不適合者に大切な生き方

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「仕事が続かない?!そんなの甘えだ」
「学校に行けないだって?!甘ぇ甘ぇ、とんだsweet toothだぜ」

社会不適合者は怠けや常識知らず、我慢や努力不足の甘え者だと思われがちです。

実際に甘いのでしょうか?

実は甘いかどうかはどうでもよかったりします。

「甘えだ」と言うこと、言われることに意味があり、社会不適合者は本当の意味での適合へ向かえる有難いお話。

ここでは、甘え認識に潜む、社会不適合者にとって重要な真相を見ていかれてください。

  • 社会不適合者は甘えなの?
  • 甘えと言われる意味があるの?
  • 社会不適合者だからこその生き方とは?

これらを紐解き、「甘えだと言ってくれるから本当の意味で社会適合できるんだ」と知っていただく内容となっております。

物事の正否判断は外面主体で中身を理解しにくくなってしまうので、「社会不適合者は甘え」に潜む本質と対面する、そんな一つの考え方となれば幸いです。

「社会不適合者は甘え」の意味

社会不適合者が甘えに思われる理由

イメージを共有するためにも、一番初めに社会不適合者の人物像を明確にしたいと思います。

社会適合者がもし周囲にいれば観察するとわかるのですが、社会適合者と不適合者の違いは実は一つだけだったりします。

「自分を他に順応させる時と場所と状況をコントロールできるorできない」

社会適合者であっても家では自分の思うままに解放して、ソファの上で寝そべりながらバケツみたいなアイスクリームを食べます。

極端ですがイメージは、バケツアイスを会社のオフィスでもパクパクするのが社会不適合者です。

社会では、「これはOK,正解」「これはNG,間違い」というルールがたくさんあります。

「ここはOK,あそこもOK」「でもあそこはNG,あの人にはNG」などのルールもたくさんあります。

時と場所と状況によって既存のルールはコロッと真逆にもなり、正解は時に間違いになり、その逆も然りです。

社会適合者は時と場所と状況によって、自分を他(人・情報・ルール・社会・環境)に合わせるため、非常に膨大なルールをインプットし、柔軟で的確にその場その場を認識し、記憶を基に脳をフル稼働させます。

生きているだけで一生働き者です。

この働きは慣れて来ると自覚がなくなるので、「普通のこと」と思えてきますが、実際にしていることは異常な量の働きであり、自己防衛が稼働して潜在的な働きとしてルーティーン事情に組み込め、過労やストレスで気が狂うのを対処しています。

しかし、実際には無自覚にしているだけで疲労とストレスを常に作り、抱え、蓄積し続けます。

身を削って適合している人からすれば、社会不適合者は甘えに見えてしまうのは当然かもしれません。

 

社会適合者の働きは過激

私達は誰しも生まれた時は社会不適合者であり、稀にアグレッシブベイビーはバブバブー。まるで中指を立てる勢いと反社会的なさまを見せることもあります。

漏れなく全員が社会不適合者だったところから始まり、自分を自分以外の他に合わせる作業によって、適合らしさを多少は異なりながらも人それぞれ手にしてきました

この作業は一筋縄ではいかず、人によって内容が違い、言語化すると異常性がわかります。

一覧でご覧ください。

社会適合する方法
  1. 自分を消す、内面を殺す
    …普通の人
  2. 自分を抑圧、縛る、強制する
    …自分を許せなくなる人
  3. 自分に嘘をつかせる、誤魔化す
    …自分がわからなくなる人
  4. 自分に演技をさせる、他者を真似る
    …自分を見失わないように対処する人
  5. 自分を理解し、社会を尊重して寄り添う
    …自分を見失わず確立した人

自らが消えてしまいかねない大きな波の中、社会に揉まれて潰されながら、自分を他に合わせる毎日を過ごします。

他に合わせる場合には、⑤のように自己理解を深めて確立する必要がありますが、そうではない前提では自分が消えかねない中で他に合わせる過酷な無賃労働です。

特に①自分を消す、内面を殺す人、いわゆる普通の人と言われる道は異常に難しく非情、完全に自分を消して社会にゴクンと飲ませて合わせるという等価交換をします。

このように自らを懸賞にして適合性を育む場合、社会不適合者を甘えだと思うのは無理もありません。

※典型的な社会適合者については、普通に生きるのは超能力的に難しい|変人どころの騒ぎではない生き方 をどうぞ。

 

甘えと言われることに意味がある

上述の⑤を除いて、自己懸賞的社会適合努力と称します。

身を削ってまで適合努力をする挙句、現状の社会を正しいと信仰します。

少し冷静に考えたいのは、「自分を苦しませずに、⑤自分を理解し、社会を尊重して寄り添う形の適合が好ましいのでは?」ということかもしれません。

自分を知らなければ、自らの認識でしっかり社会を理解できません。

すると社会に適応するのではなく、ただ従って一方的に相手側に合わせ、結果的に自分が空虚になっていなくなり、責任を持てずに執着して他責になり、これまでの努力を無駄にしたくないと脳が稼働して正当化、「自分は正しい、あなたは間違っている」と思いたい欲求に翻弄されてしまう可能性があります。

ここでお伝えしたいのは、甘えだと思われることからわかる理解。

社会不適合者は①自分を消したり、②抑圧したり、③誤魔化したり、④演技したり、⑤知ろうとするのではなく、自分を貫こうとしていることです。

「私は私でいたい」

「過去の自分でいたい、自分という存在を主張したい、貫きたい、護りたい、変えたくない、干渉されたくない、邪魔されたくない」

自己愛、自意識です。

中には生まれつきの気質や特性、障害や病気によって自意識が元々高い人もおり、自尊心を消さずに貫くことが自然であるため、他に合わせたくても困難な人もいます。

自らを他に合わせる動機がないと、嫌なことに対する拒否が強くなって恐怖心との向き合いができなくなり、愛の形がポジティブのみを求める自己都合に傾く場合もあります。

利益を得るために自らは誤魔化さず他は誤魔化すなど、言動と行動にギャップが出て、内面と外面の違いを自ら作っていても、他の影響に起因しているので他者が煩わしくなって人間嫌いにもなります。

私達は日々の経験と知識の育みによって価値観を作り、性格を彩り作っていますので、経験値を増やす動機がなくなると自らを変化させる意欲がなくなり、自己保存にフォーカスしていきます。

変化しないさまは現状維持、または過去の記憶へのすがりがあるため、甘えに思われてしまいますが、それ以上に大切なのが、変化しない自分に対してどういう認識があるかです。

この見直し機会となるのが、「甘え」と外部から思ってもらえることです

※努力できない甘えの詳細は、【甘えではない楽天的努力家】努力できない自分が嫌いな人に大切なこと をどうぞ。

 

甘えだと言う人には役目がある

他に合わせる努力をして社会に適合してきた人、特に嫌々の我慢をして、一生懸命に働いて適合度合を高めてきた人は、社会不適合者に対して厳しい目線を持ちます。

しかし、甘えかどうかは本人が生きてきた環境での、本人の培った認識でしかわからないので、「自分にとっては、その感じ、甘いんじゃない?」という具合にしかなりません。

甘えと言ってストレス発散する、自らを正当化する、劣等者を作って優越を感じる。

甘えと言われて自己否定する、自虐材料にして他責になる、自己評価を定める決定打にする他力。

人それぞれに「甘えだ」という言葉は目的達成の糧、本人都合の材料に変換できますが、重要なのは他によって自らを認識する我欲の満たしではありません。

社会適合者の思う「あなたは甘えだ」は、本人の目的以上に社会的な意味がメインとなっております。

社会的な意味は、本当に甘えさせない制御です。

障害や病気、気質や特性にて本当に社会に適合したくてもできない人も、本当に努力や我慢が足らず、自己愛と自意識の過剰によって適合努力をしたくない人も、「社会不適合者」という名前を得ると、何もかもがストップする危険性があります。

もし誰も甘えだ怠けだと否定せず、「それは仕方がないよ」と肯定すると、「これでいいんだ」と不変の認定、正式に社会不適合者として怠惰に走り、現世で生きながらに人間を卒業しかねません。

私達人間は、どれだけスーツとオールバックで決めていても、内心は怠惰で嫌なことをしたくないヒト科ナマケモノ属ナマケビトです。

私の名前は、ナマケダルオ甘太郎漬け。

本当に甘えて社会不適合者になり、そのままを貫こうとする人もいます。

そのような人が増えると、日本の社会は維持・管理が困難になり、尊重して寄り添う努力もできなくなってしまいます。

日本崩壊を防ぐためにも、厳しい目線を持つ適合者が必要になります。

「甘えだ」と言われることは、自らを評価するためでも否定する材料でもなく、自らの適合努力を今一度見直す機会になります。

※生きづらさの甘えは、【生きづらいのは甘えにした方がいい】甘えている自覚のお役立ち をどうぞ。

 

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社会不適合者に欠かせない理解

社会不適合者の意味とは?

社会不適合者と言っても枠が大きく、一括りにはできないほど多種多様な理由と原因を抱えていると思います。

気質や特性による敏感性・感受性・共感性の高さ。

性格や心理による完璧主義、思い込み、他責、自己中心性、自己愛性。

障害や病気。

アイデンティティによる自意識、自尊心の高さ。

過去の経験による心の傷、トラウマ、インナーチャイルド。

たくさんありますが、全てに共通するのは自己愛と自己防衛意識の過剰、他からの影響過多と考えられます。

自分を愛したくて、怖れを拒否したい欲求や心への忠誠的なさまです。

このことから、一言でまとめるとこのようになります。

社会不適合者とは、自分がいると知っている人。

潜在的に自分を貫きたい尊重があるために、自分が消えることへの恐怖が強くなり、無自覚に自分を曲げない核(信念や意志)ができ、他からの干渉や合わせる調整は反発や抵抗の憤り、ストレスになり、最終的に自分を優先します。

それは、自分が既に存在していると知っているから、という考え方です。

 

自分がいると知っている人に大切なこと

人間には思想の力があり、自分がいると思うか、いないから構成していくと思うか、人によって考えが違います。

バブーと生まれ、「はいもう自分という核がある」と自覚せずとも感じる。

一方、「いや、生まれた時なんて何もない、これから成育と共に知識を入れて構成されていくんだ」と考える。

障害や病気があることでより自己認識が高まり、自分がいると思える。

既存のものを見出して成長させるのか、存在しないものを成長と共に見出しながら構成していくのか、人によって価値観や観念があります。

社会不適合者は既に自分がいると知っており、言葉にすると自意識や自尊認識が強い(または高い)意味です。

自分がいると知っている場合には、他に合わせることは大切ですが、他に従ったり飲み込まれて干渉・抵抗・負荷を増やすのは好ましくありません。

他に合わせる意味は、自らを確立した上で社会や他者などの他に寄り添う形です。

同情して相手に飲み込ませてあげるのではなく、共感して一対一で向き合って感情を寄せるイメージです。

 

自分を消さず、貫きたい尊重を活かす

どれだけ頑張ってもできないこと、頑張る必要のないこと、世の中には不要な事柄がたくさんあります。

人によってはオシャレな洋服選びは大切ですが、私のような人間は洋服は同じでいいんです。

それならば頑張らず、同じのを毎日着たり、同じ服を持ちます。

社会不適合者は自らにフォーカスしているので、何が必要で、何を求めて、何をしたいかを明確にしやすい利点があります。

なによりとんでもなく重要なのが、自分として生きる意志を見出しやすいこと。自らを消さずに来たのは、社会不適合者になる見返り、意志を殺さず守り抜いた対価の等価交換です。

自分を消さず、自らを貫くなら貫きます。ただ、他者に危害や迷惑をかけることは社会への冒涜であり押し付けですので、自らを尊重する生き方を強くおすすめしたいです。

私の理解では社会不適合者の生き方は、自分にできることをして自らを活かすのがベストと考えます。

することは一つ、創作です。

自分を消さずに尊重する、最高です。

自分がいると知らなければ創作なんてできません。自分の構成途中ならば創作なんてできません。

自分がいると知っているからこそできるのが個人の尊重、自らを活かした作り・創り・造りです。

これを極めるのが社会不適合者の努力だと考えます。

 

社会不適合者は自己理解が絶対条件

創作の可能性は本当に無限大です。

プログラマー、Youtuber、ブロガー、作家、芸術家、小説家、写真家、詩人、作詞提供、楽曲制作、陶芸、生け花、書道、起業、芸人‥‥。

社会に適合しないと創作は自己満足の押し付けか、低価値になりますので、極めていく過程で価値の意味を知るためにも、社会そのものを理解する必要がでてきます。

①自分を消したり、②抑圧したり、③誤魔化したり、④演技したりではなく、⑤社会を知り、尊重して寄り添う形が社会不適合者が迎える適合。本当の意味での社会適合かもしれません。

社会を知るためには自分を知る必要があります。

社会不適合者は「自分」を理解していることが大前提の必須条件となります。

自己理解とは自分が自分を理解する意味ですので、必要行為は自らを認めることです。

自分を知り、認識を高め、理解を深めることで能力や才能が開き、自らを認めることで確立度が上がります。

自分を知れば知るほど創造性が高まり、認識と経験と記憶とひらめきで何かを創る力になります

私達は人それぞれ千差万別の存在ですので、一人一人に生きる道があります。

社会に従って飲み込まれ、右向けば右向いて、左向いてカールであれば左向いてカールぱくっ、ではありません。

右向けば隣に立って右を向く。下僕でも奴隷でもなく、感謝であり尊重であり貢献でありお返しの寄り添い。

尊重しているからこそ、社会のために右を向かない方がいいこともあり、左にプイプイっと。

自分がいると既に知っている人が社会不適合者です。

 

社会不適合者の甘えを活用して生きる まとめ

一部実際に存在する怠惰な甘え者をこれ以上増殖させない門番として、「甘え」と言ってくれる存在は社会に欠かせません。

本当の意味での社会適合の道を教えてくれるようです。

自分を既に知っている認識は心の核から響くため、抑圧して縛り上げるチャーシュー的扱いの不必要さを、潜在的に理解しています。

消す必要などありません。ただ、自らを押し付けて主張する訳ではありません。

自分を知っている認識は一歩間違えると不変の肯定、「このままでいいんだ」と言いながら何も作らず、周囲に執着するエゴを増殖し、怠惰の繁殖助長になりかねません。

「不適合」と名前に悪いイメージがありますが、怠惰に向かい何も作らず何も理解しようとしないか、自分を信じて理解を広げ、創造性を高めて自ら人生を創っていくかによって、意味は月とスッポンです。

知っている以上、理解を深めるのが私達人間の道、学び。知っている範囲・奥行き・詳細を広げていけるのが社会不適合者です。

もし自らを社会不適合者だと思い悩まれている場合、初めにするのは自己理解を深めることです。

その後に、自らが自らを活かした人生ゲームが始まります。

自己理解によって世界を大いに広げるチャンスは、自らがこれまでの軌跡と共に大きくしてきました。

せっかく自分を消さずに尊重してきた経験と核、使わない手はありません。

自己理解には時間がかかり、自己投資する大切さがあります。

100年続くかもしれない人生。その内の1年を一点集中して自己理解に費やし、その後に門をくぐって人生を自由に創っていく、そんな楽しい計画もありだと思います。

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既に自分がいると認識する以上、行動・知り・学び・作る一連が、これまでとは全く違う人生の側面を見せます。

コロッと反転させた認識世界は、自らを活かして敬う現実作り。これを遊びと言ったりします。

社会に属す上では何が大切か見えにくくなりますので、核に気づかれる内容となれば幸いです。

それでは、社会不適合者と甘えのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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