心理

肩書きにこだわる人は過去の産物に【心理に表れる努力と空虚】

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「江戸時代の武士かっ!」

名前に地位や身分の重きを置いていた江戸時代のような光景が現在にあると、思わずツッコんでしまうのは人間のさがでしょうか。

現在、それを肩書きと言うとか言わないとか。

肩書きは名前のようにその人の特定にも特徴にもなり、役務や従事を知る材料にもなりますが、人間の価値として捉えることがあります。

肩書きにこだわる理由です。

こだわる人には特徴的な心理があり、詳細を深掘りすると大切な理解が判明しますので、ここでは肩書きにこだわる人の心理をお伝えします。

  • どうして肩書きにこだわるの?
  • こだわる目的があるの?
  • 肩書きの行く末とは?

上記の紐解きにて、肩書きの大切さと使い方の逸脱を知っていただく内容となっております。

「こだわる場合には外面より内面がいいかもしれない」という一つの考え方をご覧ください。

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肩書きにこだわる人

肩書きにこだわる人の特徴

いくつかの特徴がありますので、順番にご覧ください。

1,社会性の中で自分の価値を欲する

自らの価値、存在意義、確証を社会性の中で見出そうとする特徴です。

大衆意見に従順で、世間の正しい、高評価、肯定、勝、上、優越を得ることに喜びがあります。

 

2,自分の価値を自分自身で知らない

他によって価値を認めてもらい、自らでは価値となる能力や才能や人間性を知らない特徴です。

まだまだ能力発揮できる可能性がありますが、それを引き出すもどうするも他の意見や反応や判断次第になります。

定年リタイアして孫の保育園に迎えに行った際に、「ねぇねぇ園長先生」と子供に声をかけられ、「こらっ、私は○○ホールディングスの元会長だぞ」と言ってしまい、「は?」という顔をされるタイプです。

 

3,自分に対して受動的

社会性の中で自分の評価や判断をしてもらうスタンスの特徴です。

自らの感覚や感情や思考や想いという内部認知は能動的にならず、外側からの情報や評価や判断を基に、自分を認知して存在させます。

 

4,自信がない

他によって価値を認めてもらう欲求に偏り、自らを信じる意識が自然と薄くなり、自信がなくなります。

それを認めず、「自信がないとは思わない、むしろ自信がある」と思い込めるように他からの肯定を得られる肩書きにこだわります。

 

5,否定されることへの怖れが強い

プライドが強くなる特徴です。

他を主体に自らの存在を認識するために、他からの影響受けが強く、流されやすく、翻弄されやすく、飲み込まれやすい特徴です。

肯定されればただ受け入れるだけですが、否定された時には誰か他や社会の常識やルールなどの情報に守ってもらう必要があり、自己対処できないために否定への怖れが強くなります。

 

6,素直

プライドにて身を護り心を傷つけられないようにしながら、「傷つけられないから大丈夫だ」と思える時にはプライドを解放する特徴です。

不安や恐怖がない状態や状況に執着や依存しやすく、恐怖心を味わわない利益があると、驚くほどに純粋で素直に従うようになります。

 

7,人間関係は上下関係

自分自身が上か下かで評価・判断してもらうスタンスを受け入れているため、他者に対しても上か下かで評価・判断します。

人間関係は自然と上下関係になり、無意識に人を上か下かで捉える価値観が構築し、「おまえ、あんた」が口癖になったり、敬語や態度を気にします。

自分より上の地位や肩書きを持っている人には、とても素直で従順になります。

 

8,努力が本質的でない

他によって自らの能力や才能を認識しているため、自力が自らの見出しではなくなり、自力による努力が困難になります。

目的を達成させる努力が他責を含めた自力になり、「いい大学に入る、大企業に入る、地位や肩書を得る」ための自分の外面を作る努力になります。

何も悪いことはないのですが、「大企業に入る目的は?名誉を得る目的は?お金を得る目的は?」の先に自分はおらず、他によって認識できる自分という何かがいる特徴です。

 

9,差別意識がある

人を上下、優劣に線引きして区分けする階級制度を好みます。

階級制度に反対する大衆意見があれば反対しますが、人を蔑み上下に見る認識があるために、世間的に低評価、低階級だと判断された人には差別意識を持つ人もいます。

 

10,肩書きが価値だと思っている

肩書きにこだわる人の大きな特徴は、肩書きの意味を特殊に理解しています。

[肩書き=価値]であり、肩書きがあると他者より上、勝、優になる評価の確証だと信じます。

肩書きは自分の価値も存在意義も見出せる道具になります。

 

11,生きる世界が狭い

テレビの世界がこの世の全てと思い込むようなイメージです。

ほんの一部の世界に浸かりきって自らを従属させるため、いる世界がまるでこの世になります。

高校生の時に、「大人なんかより自分達が一番だ」と本気で思うように、自己世界に陶酔して周囲の認識がなく、認識力がとにかく低い特徴です。

以上が、肩書にこだわる人の特徴でした。

 

肩書きにこだわる人とはどんな人?

私は肩書きにこだわっていた過去があるため、よく思い出して書いています。

肩書きにこだわる人は肩書きを価値だと思い込んでいる特徴があるため、社会的な他の意見や、自分のいる世界にこもりきる状態だと考えられます。

社長です。
タレントです。
著名人です。

などなどを主張して、それが価値になる世界に実際にいるため、本当に肩書きは大切なものだと思うに足りる周囲の反応があったりします。

肩書きが価値になると思っている人には同じような人々が集まるため、他によって価値を得ようとする人はこだわります。

この世界は明確に自分が主体ではなく、他の評価や反応が主体にあり、自分というパペットを笑わせる演劇が繰り広げられ、別名疑似現実、執着と空想によって成り立つ世界になります。

本当に中身がありません。ただ、自分の外観や外面にはペタペタとあらゆる装備品を付けだくり、外身があります。

鎧兜でガチャガチャする重い状態で平和な今の日本にいる、一種の民族のようなものです。

ガリガリの人がモフモフのダウンジャケットを着たら、なんか強そうで嬉しくなり、腕をフンフン振り回して強気になるイメージです。

一言でお伝えすると、肩書きにこだわる人とは、自分という存在を他によって見出してもらうと委ねた人であり、中身がない人です。

 

肩書きは努力しなくていい約束事

肩書きとは世間からの評価や判断にて上、勝、優を得られるため、安心感あり恐怖心なしの両方取りができます。安泰というものです。

目指すべきものが安泰という社会に守られた状態であるため、得てしまえば二度と努力など要らない、苦労もない、安心と癒しがあり、好きなだけ刺激を得て快楽に浸れる約束のようになります。

「宝くじで一攫千金、二度と苦労なんてないんだ、バンザーイ」という思い込みの妄想と疑似現実に生きる在り方で、努力をしなくていい約束事になるのが肩書きです。

これを得るために自ら肩書きを求める努力をする人もいれば、肩書きの利益による恩恵を得るために近づこうとする人もいます。

どちらも努力への向き合い方がわからない人だと考えられ、決められたルートへの努力は言われたようにすればいいのでできますが、中身がないと自力で努力ができなくなります。

私達人間には怠惰欲があり、自然と怠けて変化にある危険性をなくし、生存維持を図ろうとする本能があります。

不安や恐怖と関わらない防衛になり、そんなさまを正当化する欲であるため、自ら対処できない場合には、「肩書きだけ得てしまえばこっちのものだ」と本気で思えます。

肩書きにこだわる人を見ると、努力とは他によってさせてもらうものでも、させられるものでもなく、自分という中身が絶対的に必要なんだとわかります。

ここでお伝えする肩書きにこだわる人とは、努力できない、しない、しらない人であり、在り方によって努力とは何かを間接的に教えてくれます。

そんな人の心理にてより詳細を掘り下げていきましょう。

※肩書きにこだわるような中身がない人の詳細は、中身がない人の特徴は明確に一つ│「身」を探す改善に毒リンゴばばあ をご覧ください。

 

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肩書きにこだわる人の心理

肩書きにこだわる理由とは?

上述の内容からこだわる理由をまとめますと、このようになります。

肩書にこだわるのはなぜか
  1. 社会的に自分の価値を見出して肯定してもらう
  2. 高評価を得られて、安心感が貰え、恐怖心をなくせる
  3. 努力しなくていい約束事
  4. 他によって認められて存在する自分という何かを満たし、納得させる道具
  5. 怠惰欲を正当化して、自らを否定しないで済む
  6. 外側を固めて鎧のように防衛できる安泰ゲット
  7. 物事の認識を上下、勝負、優劣にする社会従属による余裕確保

ざっとこのようになり、見ていただくとわかるように良いことだらけです。

多くの利益を得るためには、既に決められている行動や努力値を費やす時間があればなんとかなります。

時間消費の見返りとして多くの利益があり、「社会の勝者だ」と思うこともできます。

最高です。

ただ一つ、大切なことがあります。

自分の中身はありません、すっからかん。

ここで肩書きにこだわるか否かが人それぞれに分かれます。

 

肩書きにこだわる人は自分を知る努力をしない選択をした

私がそうでした。

名前のある企業に入って安泰をゲットしたかったので、資格を取るためだけに学校へ行き、社会的な外面をペタペタと自分の周りに付けていき、働く先には何も目的がありません。

「自分が何者か、何がしたいのか、目的は何か、生きている意味は、何を目指して、何を創り出していき、どんな影響を作っていくのか?」

何もわかりません。わからないと自覚していても認めたくないので認められず、不安や恐怖を自分で対処できないので頼るのは他。

自らが自らを認めるのではなく、自らを見出し、彩り、作るのではなく、肩書きという外面に執着して、事実との向き合いを放棄します。

言われた道があれば努力できる、こうすればいいと言われれば努力できる。しかし一人では何もできない、努力の仕方がわからない、何をすればいいかわからない、そんな自分を見たくない。

努力を放棄して、肩書きにこだわります。

自分を知ることには主体性、能動性、責任、自力、努力を要し、努力の仕方がわからなければ、経験して成長しながら一歩一歩進む必要があります。

肩書きにこだわる人は自分を知り、認め、自覚し、作るという自己理解をせずに、他によって自らを存在させる、努力のない(または決められた努力のみをする)道を選んだ人だと考えられます。

※自分を見出すための肩書きにこだわる心理は、自称変人を名乗る理由がある│特徴と心理にある普通過ぎる変わり様 をどうぞ。

 

肩書きにこだわる人は攻撃的で排他的

肩書きとは職業や役務、従事やその人の特徴がわかる名前のようなものだと思います。

[肩書き=価値]という思い込みは自由ですが、これもまた社会の風潮や慣習という他によって作られたのかもしれません。

肩書きがないとその人が何者で、どういう人で、どういった仕事をして、どういった役務があるかわかりにくいので、あるにこしたことはありません。

しかし、「こだわる」という場合には、肩書きをあえて意識し、あえて主張する目的があるため、モフモフダウンジャケット効果を狙っていると考えざるを得ません。

真意として自分自身で弱いと自覚している人が、強いと思い込んで誤魔化したい心理です。

自分を認められない人は自分を責めます。これが自責のさまです。

しかし、自分に責任を持たない人は肩書きという他から見出す利益に執着して、認められない事実を誤魔化そうとします。

これが行き過ぎると自分のことは一切度外視して、他に責任を押し付け、負わせ、自らを上げるために他者を下にしようと、蔑み馬鹿にする人もいます。

自分より上の地位や肩書きのある人間にへこへこし、下の人間に上下関係を徹底し、自らの価値を得ようといきり、差別意識を持ち、人を排他し攻撃するようにもなります。

これが江戸時代には当たり前だった時もあるようです。

階級制度や武士を崇める時代、名前で身分を特定したり、名を名乗れるか否かを制限します。

名前に価値や階級の仕組みを付け加え、まるで今の肩書きのように使います。

今、あれから何年経ったことでしょうか。

ひと昔前までは当たり前だったものであっても、時代は常に移り行き変化していくため、物事の認識は変わります。

肩書きにこだわると周りが見えなくなり、自分の中身がなければ社会の有難みを捉える客観視がなくなり、努力へ向かう行動動機もなくなり、鎧をどんどん重くするように肩書きにのめり込み、地中に埋まっていきます。

今地上に出ているのは顔だけかもしれません。

 

肩書き自体が空虚

肩書きとは何なのかを今一度考えると、いつでもどこでも直ぐに作れるものだったりします。

社長になりたければ、少しお金を借りて起業すれば完成です。それがダメでも、「社長やってました」という過去の産物もできます。

私で言うと、銀行を開く資格を持っているので金融系の良さげな名前を付けてもいいかもしれません。整備士の資格もあるので適当に付けたり、ブログで生きているのでブロガーでもいいかもしれません。

個人的には虫との共存者や、好きなことしかしていないのでニートでも良さげです。

この通り、肩書きには中身がありません。

中身がないことを知ると、肩書きは外面として特徴や役務を伝えるためのもので、目の前の人がどんな働きをして、どこまでの責任を持っているかの従事の把握だとわかります。

外を固めても、中身を付け加えるのは自分自身にしかできないと教えてくれるのが肩書きです。

中身の彩りや創作にフォーカスし、自らを知りながら理解を深める経験を増やし、成長しながら意思を持ち、自己理解にある認識を高め、意志という確たるものを見つけ、自力にて責任を持って努力する行動へ向かいます。

このことから、空虚の偏りと努力の意味を教えてくれるのが、肩書きにこだわる人だと思います。

※肩書きだけでなく自分の中身もない実態は、何者にもなれないと気づく大切さ│自然をもたらす何者でもない自分 をご覧ください。

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肩書きにこだわる人の心理 まとめ

読みぐるしい内容だったと思いますが、実際に肩書きにこだわるとなかなか抜けにくいため、客観的に捉えやすくなることを願ってお伝えしました。

多かれ少なかれ、社会で生きている以上は肩書きへの執着やこだわりはあると思います。

肩書き自体は名前のように意味があり、役務や従事を知れることはその人の特徴を知る手掛かりにもなります。

ただ、こだわるというあえて認識を強めるさまは、人の区分けに線引きに差別化、蔑みや偽りに上下関係の構築、良い悪い正解間違いの他の情報に飲み込まれ、仮面の制作に邁進して周りが見えなくなりますので、ご注意ください。

私が肩書きにこだわっていると気づけたのは会社員だった時の上司のおかげでした。

お金を得るために昇給を目指し、いざ大きく昇給した時のフィードバックで、ニヤニヤして、「やったね、給料一気に上がるよ」と言われた時でした。

「くそいらねぇ、自分が何をしたいかわかっていなかった…」と当時はこういう感じでしたが、あれによって退職して今に至るため、こだわる人がいるから気づける恩恵があると思っています。

もし周囲にいる場合には、なるべく近寄らずに、自らを律するための材料にすると良いかもしれません。

直接の関わりでは上下関係を作り、人を上か下かで見て、自らの在り方を変え、常に利益を得る関わりをするために、あまり良き影響は期待できません。

肩書きにこだわる人の内情を知っていただき、関わり方の距離感や、努力に必須である中身を自ら付け加えるための理解となれば幸いです。

こだわるのは外面以上に内面。それが常に努力し、変化を加え、自らを知り、創り、育む生き方になることと思います。

それでは、肩書きにこだわる人の心理のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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