心理

【集団行動への反吐感に意味アリ】気持ち悪いと思う人は真に協調できる

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誰しもが同じ姿・形で動き、話し、陶酔して生きるさまを見た時、「あれ、なんで値札が貼ってないの?」と思うことがあるかもしれません。

ええ、貼ってありません。なぜならば人間だから。

そんな事実を認識した時、集団行動への気持ち悪さを抱く。

ザッザッザッと腰の高さまでピーンと足を上げ伸ばして歩く集団。マンセーと一斉に叫び出したらもう、「気持ち悪ー」と頭ピーンとなるかもしれません。

集団行動に気持ち悪いと抵抗を抱くことには、一体どんな真相があるのでしょうか?

ここでは、集団行動に対する反吐感が表す、心理と人間味を見ていかれてください。

  • 集団行動を気持ち悪いと思う理由とは?
  • 気持ち悪かった体験談とは?
  • 集団行動への反吐感が表す真意とは?

これらを紐解き、「集団行動は気持ち悪くないけど、気持ち悪がることに意味があるんだ」と知っていただく内容となっております。

集団行動における協調性は、集団行動しないからこそ学べるものです。

気持ち悪さを感じる人間性を、より活かすための一つの考え方となれば幸いです。

集団行動が気持ち悪い理由

集団行動が気持ち悪くなる心理

気持ち悪いとは最大級の反吐であり、生理的な不親和、心身の状態を悪化させる不具合のサイン。交わることなど皆無である。
by ようはなんでもいい教科書

生理的な反発であり、絶対にそうはなりたくないと心の奥底から響く強い気持ち。

よっぽどの抵抗を感じるのが、「気持ち悪い」という気持ち(感覚)です。

この抵抗感を集団行動に対して抱くのは、一体どんな仕組みなのでしょうか?

「個を重んじるが故の反発心、人間冒涜への危機感や憤り」が考えられます。

 

心理①:個を重んじるが故の反発心

集団で動き、話し、考え、生きる。

ここに違和感はあまりなさそうですが、誰しもが同じ動き、話し、考え、生き方をする場合、ちょっとちょっと。

誰しもが言うことに頷き、何も反発せず、疑問を抱かず、ただ従う場合、ちょっとちょっと。

まるでカルト集団全体集会の全員頷き演舞を見ているような。

「あなただって生きているんでしょ?」と言いたくなるような。

「嫌だったら嫌だって言わないと」と言いたくなるような。

一人一人の在り方を重んじるからこそ、自分が消えてなくなる集団行動への従順性と、疑問を抱かない他律に対して、違和感を抱きます。

集団行動に気持ち悪いと感じる人は、「個」に対する意識が強く、個個人の在り方を大切にする、尊重する、またはそうあるべきだと主張します。

 

個を重んじて気持ち悪くなる人のタイプ

ここで、タイプが二つに分かれます。

個を重んじるタイプ
  1. 個を尊重する
  2. 個人主義の主張

①個を尊重する人は集団に飲まれるさまに対して、「あの人は自分がなくなる選択をしているんだ」と捉え、自らを掻き消す選択行為に抵抗を感じると考えられます。

個を尊重しているので、「集団行動しているなんて自分がないね、ダメ」と押し付けや決め付けをせず、あくまで自分の気持ちに焦点を合わせ、「気持ち悪い、私はああはならない」

一方、②個人主義者は集団行動に対する反発が気持ちとは別に意思としてあり、自らを正当化するためにも意に沿わない他を排他します。

両者は全く異なるタイプですが、共に集団行動に気持ち悪いと抱く理由を個々に持っています。

 

心理②:人間冒涜への危機感や憤り

もう一つの心理を表す理由に、人間冒涜があると考えます。

集団で働くなどは社会的には日常ですので違和感は少ないと思いますが、誰かに従って何も感じない、抵抗がない、反発がない、怒りがないさまを見ると、個を重んじる人にとって引っ掛かりが生まれます。

自分で考え、自分の生き方をすることの放棄です。

奴隷制度に対する憤りではなく、奴隷を受け入れていることへの憤りというイメージです。

奴隷として縛られるやむを得ない理由がある場合には、サポートや助けや協力として関わる認識ができますが、私達の住む日本では本当の意味での強制や強要があまりありません。

一部社会主義国家など厳しい縛りの環境下であれば、集団行動に対する価値観は変わると思いますが、日本では本人次第で自由意志を持てる環境があり、本人が変わりたいと思って行動するかどうかの選択が多くの主導を握っています。

すると、他に言われるがままに従い、自分で考えて意見を持たない、そこに疑問や違和感を感じない、さらに集団に浸かって悦を得るさまは、個を重んじる人にとって理解し難いものとなりえます。

特に、集団だからこそ誇張できた自己像に誇りや執着を持ち、自分達を優れた存在だと思い込み、より結束力を高める現実逃避には、強烈な気持ち悪さを抱きます。

この集団による陶酔心理を、集団ナルシシズムと言います。

人が生きる上での在り方や生き方に強く危機感や憤りを感じる要因となり、「気持ち悪い」と強烈な抵抗や反発感となって表れます。

「気持ち悪い」という気持ちは、体が感じれば吐き気、心が感じれば悪(確固たる拒否)。どちらも心身に留めておいてはならない、今直ぐ排出しなければならない強いサインです。

それだけ強い気持ちの表れには、「絶対にこうなってはならない、なるべきではない」という心の奥底からの伝承(または遺伝子レベルでの拒否)があると考えます。

※馴れ合い心理は、馴れ合いが嫌いで気持ち悪い理由と心理【生きやすい馴れ合わない道】をどうぞ。

 

集団行動の何が気持ち悪いの?

いろいろと言ってきましたが、実際に集団行動とは気持ち悪いものではないと思います。

学校教育があり、家族というコミュニティで壁という名の家まで作って生存を図り、集団によって構成された社会を活用して生きている以上、そこに抵抗があると自らを苦しめかねません。

社会への反発、自分の正当化を図る心理は、集団行動がどうとか何とかは後付けのアクセサリーであり、本意は自分の肯定を他に頼る執着と依存心ですので、全く別のお話になります。

そのようなケースを除いたほとんどの方は、集団行動への気持ち悪さではなく、このような内訳があるかもしれません。

  1. 他に従って何も考えない
    自分を消す選択行為
  2. 集団帰属による利益取得の自覚なし
    利益搾取

※そんな同じような人々の重なりによって作られる膨大な空虚感、何でもしだす可能性への危惧、ビー玉のような目が一律して凝視する怖さ、灰色じみた感覚への不気味さ

拒否感とは恐怖心でもあるため、気持ち悪さの内訳には怖さや嫌悪があり、原因となるのが集団行動する人々の上記の二つのさまと考えます。

集団に紛れるようにドロン。

「マンセーマンセー!」と叫んでおきながら、何で叫んでいるかわかっていない。

上官の一言で一体何をしでかすかわからない、そんな在り方の多数力による怖さ。

「もう、叩っ切ってやる!」となるのが自己正当化、個の主張。

「いや、気持ち悪っ」となるのが個を尊重する人です。

 

集団主義を気持ち悪いと思った体験談

これまでの内容がわかりやすくなればと思いますので、私自身が体験した集団への気持ち悪さをご覧に入れます。

場所はオーストラリア、砂漠地の田舎にいた時のことです。

4~5ヶ月間滞在した内の一部期間、私はバックパッカーズホステルに宿泊していました。

そこにいるのはあらゆる多国籍のバックパッカー。ほとんどの人は近辺で仕事をするために滞在しています。

いました、グループ。

韓国人男性のみの集団です。

ワーホリができる国ではあるあるの一つだと思いますが、日本人と韓国人は集団行動者と単独行動者、極端にニ分けされるケースが多いです。

私が出会ったその集団は、軍隊のようでした。

軍事役務活動であれば素晴らしく統率が取れていると思いますが、いかんせんそこはバックパッカーズホステル。

これは大変です。

 

集団行動によって強い者には有無を言わずにまかれる

その集団はどこに移動するにも一同一緒でした。

ご飯を食べるのも、ホステル内を移動するのも、仕事をするのも、何もかもが集団。

一人のトップがおり、ぶら下がるタマのようにピラミッドの下が構成され、トップの一人が常に先頭を歩き、etcは後ろにくっ付く、粘着ボンドスタイル。

特に関わることがないので気にしていなかったのですが、ある日関わる出来事が起きました。

ホステル内の中庭で、軍隊演舞中の彼らは大量のお酒をガブガブ飲んでおり、楽しそうに騒いでいました。

夜も遅くなり、私は中庭で翌日の仕事の準備をしていると、なんだかキョロキョロと辺りを見てキッチンに入っていく韓国人がいました。集団の一人です。

ピーンと来た私はキッチンへ向かうと、韓国人の彼はビクッと反応しました。

私と彼、他に誰もいない夜中のキッチン。

明らかに動揺している彼は明日の軍隊用弁当を作っています。どうやら担当制のようです。

私の方を気にしながらホステル住民が共有している巨大冷蔵庫から卵を取り、温めているフライパンに投下しようとしました。

まるで爆撃演習かのごとく卵を落とそうとする彼に、「Hey!」と私は声をかけました。

「それ、自分の卵か?」と尋ねる私は、彼の動揺具合から別の人の卵を取ったと推測しました。

彼は極端にパニックになり、アワアワして動き回り、どうしようどうしようという感じに。

「誰かの卵を取って、自分達だけ食べて喜ぼうと思ったのか?」「Are you happy now?」と問うと、彼はテンパり始めました。

何かがおかしいと思ったのでなだめて状況を聞くと、彼はとんでもない状況にいると言います。

「明日の弁当に、○○(集団トップ)用の目玉焼きが三つないといけないんだ!彼は目玉焼きを必ず三つ食べるんだ!卵がないんだ、足りないんだ、見逃してくれ、頼む!!」

ポカーン…。

気持ち悪っ、ボソッ。

真っ先に表れた気持ちでした。

 

「人間を冒涜するな!」と思ってしまった

トップに従う彼に私は問いました。

「なんかおかしいと思わないの?人の卵を盗んでまでトップに従って、何も考えないの?自分ではこのことをどう思っているの?」

裏に恐怖の独裁者がいて、家族を人質に取られているのかと思いましたが、彼はただ従い、単独行動ができず、一人で仕事を探すこともできないので、集団の利益にしがみついており、自分で物事を認識して考える力がありながら放棄していました。

あまり怒ることはありませんが、この時の私は、「ふざけるな」と思いました。

直ぐに卵を戻させ、自分で解決するように言い、彼は納得して一件は終了。

明日のトップの目玉焼きは一つ。

「どうでもいいわっ」と何度ツッコんだことか。

そんな体験でした。

※人との関わりが苦手な心理は、【人といると疲れる、けど寂しい】他人との関わりが苦痛になる心理と改善 をどうぞ。

 

「気持ち悪い」によって集団行動の協調性がわかる

集団行動に偏る者に協調性はない

集団を重んじるのは私達人間の基本原理でもあり、非常に大切な在り方だと考えます。

私達は一人で生きることができず、存在すらできない生物です。

他者がいなければ自分を認識すらできないため、私達は他者を尊重し、集団でいる利益を自覚し、相互に関わり合うことで真に自分として生きます。

他者の存在をただ自分のための区分けに利用すると、自分がいなくなり、表れるのが我(エゴ)であり、自分がいないと気づくことも困難になります。

集団を大切にすることは、自分を存在させる上で欠かせません。

しかし、極端に偏ると協調性の意味を見失う可能性があります

集団行動に偏った人々に協調性はありません。

あるのは、協調と言う外枠を取った思い込みであり、他律の従順です。
※これも重要ですが、あくまで協調ではない意

 

上下、勝負、正否区分けがある集団の協調性は変異種

他律の従順は物事に従う力が強く、自分で理解して考えて作る力が乏しくなり、従わせる者と従う者の格差区分けができます。

従う力も大切ですが、偏ると作る力がなくなり、起きるのが執着と依存。

集団に所属する理由が自分の利益のみに絞られていき、これを善としない気持ちが、「自分勝手にせず、言われたことに従順になるのが協調だ」と思い込み始めます。

安心や安定を得て、不安や恐怖をなくす利益を得るための集団行動は、協調性を全くの異形に変え、変異種の協調性が無自覚に生み出されます。

相互認識のない一方的な集団利用(そうは思わない思い込み付)です。

集団を離れられない、利益を自ら作れない、不安と恐怖を対処できない。自らを誤魔化したり逃げたりもできなくなり、一人で何もできなくなってしまう可能性があります。

※集団が苦手な人見知り心理は、【大人数が苦手な人見知り心理】内向性トラップに改善策4点 をどうぞ。

 

集団と単独のバランスを図る人が真に協調性を持つ

自分がない、わからない、知らない状態では、協調・協力・調和・共有など、相互の交わりが困難になります。

自らのことは自らで認識して初めて存在するため、単独によって自らと向き合う時間は人生において何が何でも必須です。

その後に集団である他者との関わりへ向かうと、自分を持って他者と相互交流ができ、周囲を鑑み、他を認識して調整し、相互で問題解決できるように図り、協力や調和ができます。

集団行動も単独も重んじる人は、真に協調性を知り、人間関係を作り、育む力を持ちます。

この際、協調性に二つのタイプが分かれ、人それぞれに見合った形が表れます。

協調性のタイプ
  1. 集団に重きを置いた協調性
  2. 個人に重きを置いた協調性

①集団行動を大切にし、時に単独も大切にする人は、他者への思いやりや心配りのある調和や共有など、人と人の繋がりをもたらす力があります。

個の在り方以上に人との関わりを重んじ、物事を受け入れる許容や寛容の育みがあり、性質では女性性の高まりを見せます。

②単独行動を大切にし、時に集団も大切にする人は、自らの創造性や能力発揮など、自己理解と開発によって繋がりや社会性を作る力があります。

集団の在り方以上に自分との関わりを重んじるさまは、人間の基盤構築を極めていき、他者への指導や価値提供、新しい未来を作る力となり、年齢を重ねれば重ねるほど生きるのが楽しくなります。

ここでお伝えしている集団行動を気持ち悪いと思う方は、単独を基盤にして集団行動を大切にすると、②個人に重きを置いた協調性を得られるタイプだと思います。

 

集団行動が気持ち悪い時に知りたいポイント

最終的にお伝えしたいのは、集団行動とは大切なものであり、欠かせない人間関係と社会性の継続力となることです。

しかし、気持ち悪いと感じる以上、自己表現に真意があります

ポイントは、気持ち悪いという強烈な気持ちの認識があることです。

「気持ち悪い」とは心身奥底から抱く響き、アラームだと思うとわかりやすいかもしれません。

「キモい」と軽々しく言う空虚な表れとは訳が違い、心からの反吐感です。

心身の表現となる気持ち悪さは、本人にとって生理的に無理であり、一切関わるべき類ではない集団の在り方、本当にオロオロオロと吐きたいような嫌悪、反発、強い抵抗感。

これを心から感じるのは、人間本質からの大きな逸脱、あべこべ状態に対する違和感と考えられます。

違和感は自分に対してか、奇妙な集団行動をしている人に対してか、人によって違います。

「自分が正しい」と思う場合、違和感は自分に対しての可能性が高いです。

なぜならば、私達人間に正しさは存在せず、あるのは認めるか反発するか(受け入れるか拒否するか)であるためです。

奇妙な集団行動に対して違和感を感じる場合、より自分の在り方を信じる材料になるのが気持ち悪い認識です。

「気持ち悪い」が表す心の響きは、本当の意味での集団行動の大切さを教え、真に協調性を得られる人であると教えてくれます。

そんな重要合図となるのが気持ち悪い。という考え方です。

※気持ち悪い人の対処法は、「気持ち悪い人、生理的に無理な人」と感じる心理とスピリチュアル をご覧ください。

 

集団行動が気持ち悪い心理と意識 まとめ

気持ち悪さは感受のままでは心苦しく、エネルギーを停滞させてしまうので、意味を見出して流しましょう。

私達は発言、行動、気持ち、意思と、あらゆる言動にて常に自己表現をしています。

心理や意識に表れるのは自分の状態であり真意であり、本質であり大切なメッセージだと思います。

集団行動を気持ち悪いと感じる場合、何が気持ち悪いかを確認されてみてください。

集団行動自体はとても大切なものですので、どこに引っ掛かりがあるかを見つめると、強烈な抵抗感に潜む真意が判明します。

協調性がないから気持ち悪く感じる訳ではありません。協調性の本当の意味を知っているから感じるのか、はたまた自分を正当化したい主張なのか。

私達が他者と関わる際、自分がなければ執着します。考えがなければ感情と欲求に執着し、感性がなければ思考や情報に執着し、現実と向き合わない在り方に依存し、他に寄りかかってしがみつき、無自覚に利益を吸い取る盲目のヒル化が起きます。

右を向けと言われれば、「どうして?」と聞いていいんです。

箸で食べろと言われれば、「目的は何?」と確認できます。

それらは全て自分で作れもします。

自分で作れるのが集団行動に気持ち悪いと感じる人。

後は集団行動を大切にすると、異形のない真正な協調性を持てる、そんな人だと思います。

自己理解を深める一つのご参考となれば幸いです。

それでは、集団行動が気持ち悪い時にわかるお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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