対処・解消法

嫌いな人をこらしめる方法パート②【対象:自己中、ナルシシスト】

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「我慢の限界が来た」

さぁ、制裁の時。

一体どうしてくれましょうか、自己中でナルシシストなあの人に。

嫌いな人からの損害、損失、嫌な気持ちを味わい、一方的に利用して好き勝手される。

貸したゲームはズタボロ、もはや画面映らないのに、「え、知らないよ」だって。

ガッテム!

相手を野放しにしておくわけにはいかない、この世はポケモンの世界ではないのだから。

しかし、仕返しや復讐は同族であり、相手と同じ土台に自らを下げることは自分を大切にしない行為そのもの。

そこで、嫌いな人を間接的にこらしめる方法をお伝えします。

  • 人を利用する自己中、ナルシシストに痛みを知ってもらいたい
  • 間接的にこらしめる方法を知りたい

お伝えする方法は、仕返しや復讐によるこらしめ(不満を解消する、または不納得という感情をあやすため)ではありません。

自らの悪行を増やさず、相手のためにもなる間接的なこらしめ。

嫌いな人から離れるために、一つのご参考になれば幸いです。

【対:自己中、ナルシシスト】嫌いな人をこらしめる方法

【対象:人を利用する自己中、ナルシシスト】

初めに、こらしめる対象を明確にします。

ここでお伝えするのは、自己中やナルシシズムを主体とした自己愛過剰、「自分のために人を利用する人」です。

主にこのような人が該当します。

人を利用する人の典型例

自己中、ナルシシスト、愛着者、自己愛過剰、わがまま、自分勝手、私物化や過干渉する毒親、マウント、モラハラ…etc

※マウントとモラハラは、相手を傷つける意図はなく、他者への不信や無尊重など相手のことを考えずに利用する人が対象

自覚なく無意識に人を利用する人もいます(重度)。

さらっとですが、特徴としてこのようなものが目立ちます。

対象の特徴
  1. 自分のことしか興味がない、
    ・他人に無関心(興味があると思い込む人も含む)
  2. 思い通りにならないと怒る(または泣く)
  3. その場凌ぎの虚言や誤魔化しが多い
  4. 思い込みと決め付けが激しい
  5. 好き勝手に振舞う
  6. 聞く耳を持たない
  7. 被害者意識が強い
  8. プライドが強い

心理的には、自己愛過剰、認識力欠如、認知の歪みが考えられ、自己愛性人格障害に該当する人もいるかと思います。

悪意なく人を利用する人もおり、ランダムかつ自由奔放に不利益を与えるので、防ぐのが難しい対象でもあります。

助けてもらいながら裏では悪口を言っていたり、思い通りにならないと突然敵意を剥き出し、いくらでも嘘を吐き出し、平気で人を裏切ることも。

嫌うのはやぶさかではありません。

※対象の心理と末路については、【愛の破壊とAI化】わがままで自分勝手な人の末路は人間の逆行 をどうぞ。

 

嫌いな人をこらしめる上での考え方:因果応報は必須

こらしめる方法をお伝えする前に、どうしても気をつけたい点があります。

関わると巻き添えを食らってしまいます。

理由は、相手に因果の報いがあり過ぎるためです。

あまり近づくと、なんというかピカンッと光った天からの鉄棒串刺し刑ドドドに巻き込まれてしまう危険性があります。

数知れない悪行を積み重ねているため、エネルギー的に自業自得の返報があると同時に、周囲の人々の評価が低いので孤立し、誰も好んで関わらず、助けられず、敵が増えます。

年齢を重ねるごとに末路が険しく、言い逃れも現実逃避もできなくなり、徐々に改善もできなくなるとアルコール、薬物、性的快楽、買物、物欲依存にて溺れ、アンタッチャブルになる可能性も考えられます。

このことから、嫌いな人をこらしめるためには、できる限り関わらない努力をする必要があり、考え方を変える大切さがあります。

要約すると、

[こらしめる=自然現象の邪魔をしない=相手に干渉しない]

仕返しや復讐をしたい場合には関わり、こらしめたい場合には関わらない。

※仕返しや復讐は巻き込まれ必須、さらに自らのカルマも増やしてしまう

関わらず、カルマも増やさないために、間接的にこらしめる方法があります。

 

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具体的に:嫌いな人をこらしめる方法

関わらずに嫌いな人をこらしめる方法:正式に忙しくする

間接的にこらしめるためには、相手の心理や精神を理解して逆手に取ります。

対象の最も大きな特徴は、自己愛の過剰です。

ナルシシズムは私たち誰しもが多かれ少なかれ持っていますが、人に損害や損失を与えるほどのナルシシストには、メンタルで見逃せない特徴があります。

無責任

責任を持てない、持つ気がない、負う気もない。

自らで責任を持つ概念がなく、自分に非を認められない特徴があります

私が悪いなんて思う気もない、思う意味もない、あなたが悪いでいいじゃない、でしょ?違うの?

こういう人間が子供を育てると本当に大変です。

私物化し、人をぬいぐるみのように扱い、気に食わないことがあると怒り、危害を加え、自分の欲求と感情を満たすために言うことを聞かせます。

我慢の限界ですので、痛みを知ってもらいましょう。

方法は、現実から逃げられないほどに、誤魔化せないほどに、興味を持たれていないことを示します

具体的には、自分を正式に忙しい状態にします

どういうことか、仕組みがあります。

 

自分の成長で忙しくすると、嫌いな人は痛みを知る

何か新しい理解を深めたり、経験を増やす、学ぶなど、自分を成長させることで忙しくなります。

例えば、会社で新しい分野に挑戦しようと決めて毎日勉強。

起業する、例えばカフェを開くために人との関わりを増やしたり、土地巡り、店舗探し、行動計画を立てるなど、やることが増えます。

これまでと同じ状態でも、「もっとこれをやってみよう」「試しに新しい趣味でも増やしてみよう」など、成長を目指すと自己内部は良い意味で忙しくなります。

心地良い疲れを感じる状態でして、こうなると嫌いな人にかまっている時間がなくなります。

悪意や苦しめたい意図なく、自然な形で相手との関りを断り、話す機会が減り、忙しさによって放置が増えます。

無意識に相手に興味がなくなります

なぜならば、自らを高める成長や、自分のための利益に向かう方に興味が優先されるのが当然だからです。

嫌いな人は純粋に興味を持たれていないと認識せざるを得ません。

悪意なく興味を持たれない、いわゆる自然な無興味が表現され、悪口を言っても気にされないと対象は痛みを知り、悲しい気持ちになります。

悲しい気持ちと向き合うことができない、かといって相手のせいにしても興味を持たれていないので気持ちの整理ができない。

嫌いな人は現実に耐えられなくなります。

明確に正しいことをしていると自らで認められる働きであればあるほど“正式な忙しさ”となり、相手を断ることに躊躇がなくなり、自然と興味は薄れていきます。

 

自己中やナルシシストの苦手なもの

対象は、常に大きな矛盾を抱えて生きています

無責任でありながら、自分に対して責任を持たれないと憤ります

自らは自らにしか興味を持たないにもかかわらず、周囲から興味を持たれないと心が怒ったり悲しんだり。

「この人は私のことを否定している、嫌だ」と思えば、事実かどうか関係なくそう決めさえすれば、「私はあの人を攻撃していいんだ、許さなくていいんだ、だって私は傷つけられたんだから」となります。

自分に対する責任を持たないだけでなく、「周囲が私の責任を持っていないなんておかしい」という誰も理解できない概念で脳はグルグルテープ。

しかし、この世は無責任では生きられないのが普遍の事実

命がけでマンモスをみんなが捕まえて帰ってきた時、昼寝してグータラしていた人が分け前を貰えるはずはありません。

ところが、特権や利権、階級や差別、紙幣や主義を作ったことで、何もしなくても食べられるようになりました。

時代は無責任でも生存維持できるになったのではなく、『無責任でも責任を他に持ってもらうことで生存維持できる』ようになりました。

無責任に好き勝手やる人ほど、自分一人で生きられないことを本能的、潜在的に知っています。

だからこそ他に責任を持たせ、執着して依存して、他にすがり、甘え、とにかく利用しようと頑張ります。

対象の苦手なものは、

責任を持たれない、いわゆる干渉されず、放っておかれる、興味を示されない状態や状況。

本能や自己防衛意識が敏感に稼働して黙っていられなくなり、放られると暴れ出すほど危険な本性が露になり、何をするかわかりません。

この記事なんか見たら黙っていないでしょう。

ただ、お伝えしている目的は仕返しや復讐ではありません。

こらしめるために、「痛みを知れ」なんてことを考えてはこちらのためになりません。

何も意図せず悪意も持たず、成長を目指して自分のことで忙しくすると、何も考えずとも放っておく運びとなります。

 

ポイント:自立を目指すと自然とこらしめている

対象が無責任に人を利用する人である場合、こらしめの考え方はこうなります。

痛みを与えて苦しめ、反省させて二度と同じ過ちを犯させない

責任を代わりに持たない無干渉と放置によって、自然に痛みを知ってもらう

無責任である以上、反省したくてもできません。

自分が間違っている、何か悪いことをしていると思わないように認識を変えて自己ルールを作り、認知が歪んでいるのでそもそもの捉え方が特殊です。

こらしめは、徹底的に本人の責任の代わりをしないことで成します。

何もしないことであり、干渉せず、関わらず、離れ、責任を代わりに持たない、なすりつけられない、転嫁させない。

このために、自立を目指すと全てが整います

嫌いな人をこらしめるには、自らが自立すると効果的。

自立のためには学びや成長が必要ですので、自然と忙しくなり、嫌いな人を放っておくことになり、自他の線引き、課題の分離、執着と依存が明確になります。

「あ、泣いてる、可愛そう」なんて思ってはなりません。

「あ、怒ってる、怖いから関わろう」なんて屈してはなりません。

もちろん思っても屈してもいいのですが、自分が嫌な思いをしたくないから構うのか、本当に相手のためなのか、自らの行動と思考をしっかり見極めて認めるのが自立です。

自分が嫌な思いをしたくないから断れない、相手が嫌な思いをするんじゃないかと一方的に思い込むなど、自分のことしか考えていないのであればそれは相手と同じですので、そもそもこらしめるも何もありません。

責任を代わりに持たず、自分のことは自分でまかなう自立を目指すと、自ずと対象はこらしめられます。

 

注意点:相手は必死

相手はこちらの変化を何がなんでも阻止しようとするかもしれません。

興味を示されなければ悪い嘘や嘘を広めたり、周囲を巻き込みながら強引に興味を持たせようとしたりします。

「まだ引き戻せる、同類だ、利用できる」としゃかりきになり、泣いたり怒ったり甘えたり、振り回して翻弄し、変化させないようにしてきます。

理論も過程も何もかもが自己ルールでしかなく、良いも悪いも完全に相手次第ですので、議論や対話に進展は望めません

意図的に放置したり悪意を込めれば、一方的な解釈でこちらは敵になり、嫌がらせや攻撃するなどとにかく必死です。

危険性をなくすために、「この人は利用できない」ではなく、「この人を利用したくない」と思わせるのが、ここでお伝えしている策略の狙いです。

関わってあげることは優しさではなく、被害享受であり、危険なポケモンの野放しにもなります

自分のことで正式に忙しい状態を作り、「この人のせいにできる、この人がいれば私は納得できて、楽できる、現実と向き合わなくて済む」と思わせない人間、利用されない人間になることが欠かせません

相手には、「責任を負わせられない、利用できない、あぁ、私が本当は何もできないことが露呈する、嫌だ」となってもらいます。

「利用できないじゃないか!」ではなく、「あぁ、私って何してんだろ」となってもらいます。

この方法が自立というお話です。

自立の本質は自他の線引き(=無意識も含めた相手への感情的執着と依存の手放し)。

自他の線が太くなることで相手への興味や干渉が薄れるだけでなく、個々を尊重しますので、「何をこの人怒ってんだ、はいあなたの怒りはあなたのもの、私は受け取りませーん」で終わります。

「ちゃんとご飯食べたかな?」
「ちょっと冷たく放置し過ぎかな?」などの心配という名の執着もなくなります。

自立を目指す働きには責任を持って生きようとする雄姿があり、一切悪意なく相手に興味を持たず、関りや誘いを断る正式な理由があり、なにより努力して自分を高めようとする本人とは真逆の光があります。

相手が干渉してきても、「あ、この人は自分のことに忙しいだけでなく、私とは全く別の人間であり、明確に目的を持って生きており、私に全く興味がない、気にしてくれさえしない、嫌だ、見たくない、知りたくない」と認識させます。

一切の悪意ない純粋な放置は、強いこらしめになりながら、危険性が減るのでおすすめです。

はっきり断ったり自信をつけるなど、利用させない人になることを目指す場合、相手はターゲットを移行するだけでこらしめられない。

自立の場合、こちらではなく相手から離れたくなるので、離れるまでの間は何もせずともこらしめています。

 

まとめ:嫌いな人をこらしめる方法

こらしめるとは、自分のためだけの行為ではありません。

仕返しや復讐は「自分のため」という単体の目的によって遂行できるので、考えるのは己だけ、嫌いな人にされたように好き勝手できます。

しかし、こらしめる場合には必ず相手の理解を要します。

相手を知るためには大前提として自分を知る必要があります。

「どうしてこの人は嫌なことをしてくるのか?」の着目も大事ですが、それ以上の必須理解となるのが、「どうして私が嫌なことをされるのか?どうして私は嫌だと思うのか?感じるのか?」

嫌な人と関わるのは本当に時間の無駄であり、人生を無駄にしかねません。

どれだけ身近に嫌な人がいても、人生の責任を持てるのは私たち各々でしかありません。

関わらないことが大前提。

それが親であれ誰であれ、関わらないためにどうするかを考えます。

切っても切れない縁であれば、仕返しではなくこらしめが有効です。

自らを成長させ、本人が自らのしてきたことと向き合える影響作用を与え、あとは本人の意志と責任に委ねる個の尊重。

トゲのある気持ちで「興味がない」なのか、純粋に自己に集中した結果が「興味を示さない姿」なのか、両者は全く別物です。

こらしめましょう。

自立を目指して努力する過程において、左後方を振り返ると、「あ、効いてる効いてる」

そんな塩梅が自分のためにも、相手のためにもなっていたりします。

気持ちや目的を整理するためにも、一つのご参考になることを祈ります。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. いかんせん より:

    すみません。追記ですm(_ _)m
    この記事に書かれているように、だいぶ前からその人のことを無視しています。ただ、一方的にこちらから理由も言わずに無視してしまったので、おそらく相手はいつも通り、自分が悪いと反省することもなく人のせいにしてるはずなので、私がいきなり無視をした、あいつが悪い、私は何も悪いことなんてしてない、と思ってると思います。理由を言わなかった私も悪いのですが、それくらい理不尽なことをされたので、こちらも理由を説明する余裕なく、あぁ、もうこいつ傷つけてやろうと思ってしまいました。私は皆から好かれて人気者だと誰も人から話しかけられないのに、そういう妄想をしているような子で、しかもプライドが高く、自分の非は絶対に認めない、人間なんか信用できない、とかあの人間が嫌いだとかそういう強気なことを普段からずっと言いつつも、自分の嫌いな人に対して断ることができない小心者です。その中で、私のことはおそらくとても信用していたことでしょうが、その私が無視をするとは思ってはいなかったでしょう。そんな態度は普段にも現れていて、まあお前は私がどんなことしてもついてくるもんな笑みたいな態度を取ってきていました。今まで相手に理不尽なことは結構されてきたのですが、まあこういう人だしなーとあまり気にしてませんでした。ただ、だんだんそれが酷くなってきたのでこちらも我慢の限界になり、疲れてしまいました。ちょっとこんな発言はこういう場でするべきではないのですが…申し訳ありません。こうやって書いてみると私もだいぶナルシストのようなこと言ってますね…笑 人のこと言えないですね笑 一応相手のことを分析して真剣に何十日もかけて考え直しまくった結果ではあるのですが…

  2. いかんせん より:

    まさにこんな人がいます。勝手に自己都合で全て決めつけて正しいと主張する人です。そのせいで迷惑や自分勝手な言葉ばかり言われ、いい加減我慢の限界が来たので縁を切りました。でももとはとても仲が良くて、趣味やどこか意気投合するところもあり、3年くらいずっと友達付き合いしてました。そのせいか、なかなか情が切れないのか、しかも関わってはいけない人だとわかっているのに、なぜか関わりたいと思ってしまいます。自分も同じような人間だから同類を求めてるんでしょうか。どうしてだと思いますか?(これらの情報だけじゃ限界があるにも関わらず聞いてしまい申し訳ありません。)ずっと自分でもわからなくて人に意見を求めたいところです。

  3. クリス より:

    梅津さん、いつもありがとうございます
    記事を読んで、最初は外にいるあの嫌いな人をどう対処するか学ぼうと思っていましたが、読む内に記事に書いてある嫌いな人間は自分自身の事だと理解しました。

    外に映る物は自己の投影である為、嫌いな人の特徴は自身が持つ写鏡の様なもので、読む内に、『あー、結局嫌いなあの人の問題ではなく全て自分自身の問題なのだな』と気付き、相手を懲らしめる以前に自分ともっと向き合おうと思えました。

    いつも深淵にまで達する記事を書いてくださって感謝です。

    • 北斗 より:

      こちらこそありがとうございます。
      素敵な気づきがあって何よりです!

      物事の問題の核がわかれば、どんどん加速しそう。
      これからが楽しみですね。

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