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【因果応報なんてない?】報いを受ける人と受けない人の決定的な違い

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悪徳所業に報いを与える、天より響く雷光をそなたのへそにブチ当てたもう。これがバチである、ゴロゴロゴロ!

世の中にはさまざまな法則、自然の摂理、真理があります。

報いを受ける仕組みに当たるのが、等価性(質量とエネルギー)と因果応報です。

悪いことをした人間には相応の報いがあるのかなんなのか?

人に危害を与え、平気で嘘をつき、騙し傷つけながら、今日もゲラゲラと人の不幸を笑っているのが万人といるかもしれません。

報いなんて、ありそうでなさそう。

ここでは、報いを受ける人と受けない人にある、因果応報の仕組みの核に迫ります。

  • 報いは本当にあるの?ないの?
  • 報いを受ける人と受けない人の決定的な違いとは?
  • 報いを受ける・受けない仕組みとは?

これらを紐解き、「報いって自分自身が作って与えるものなんだ」と知っていただく内容となっております。

「どうして悪いことをしているのにバチが当たっていないの?」と思う疑問を解くための、一つの考え方となれば幸いです。

因果応報なんてないと思える理由

因果応報による報いの有無

善行には善の報いが、悪行には悪の報いがあり、与えたものは自らに周り回って返ってくる。

こんな仕組みを表す言葉に、因果応報(カルマの法則)があります。

因果応報、別名自業自得は、自然の摂理であり宇宙のバランスを保つ法則

神様のお遊び的な不思議話とは違い、私達一人一人の行為(カルマ)に対して責任を持たせるためのものです。

とても現実的な仕組みであり、「行為(カルマ)の責任は本人しか持てませんよ」というのを身を持って体感させてくれます。

因果応報による善悪の行いは、必ず自分によって作るのが条件であり、カルマ(業)は自らにしか作れない一品。

報いには善も悪も両方があり、必ず自分が原因となって作っているため、報いの有無も全ては自分次第になります。

このことから、報いの原因を作っておきながら何も起きない、「因果応報なんてないんじゃないの?」と思える節が出て来ます。

答えは本人が体感した時に正式にわかりますが、ここでお伝えできるのはこちらです。

因果応報はある。報いは受ける。
しかし、報いは自分で作るため、人によってある程度抑えられ、受けるまでの時間の差異がある

※因果応報の詳細は、因果応報とは何なのか?スピリチュアルには現実的な真理が潜む をご参照ください。

 

報いを受ける受けないには差異がある

「悪いことをしたのに報いを受けていない人がいる」という事実があると思います。

冤罪が典型例。謝って逮捕された人がいることは、実際に悪行に及んでおきながら罰を受けず、のうのうと社会を利用して生きている人がいる。

因果応報は行為の責任を持たせるための仕組み。あくまで本人のためであり、責任回収させる機会の与えです。

まるで、「牢屋に入って反省しなさい」と本人のためですが、「社会通念に則った悪という何かに対する罰を与えましょう」という法律ではないので、どんな報いになるかどうかは人それぞれであり、同じ報いを受ける人もいれば、多少異なる場合もあり、さらに時間差によっていつ裁きを受けるかの差もあります。

報いを受けるか受けないかには人それぞれの差異が出ます。

差異を作るのが等価性です。

ここでは等価性をわかりやすくするためにも、エネルギー概念である“波動”に基づいてお伝えします。

 

悪いことをすれば同じ波動が返ってくる

誰しも良いことでも悪いことでも、行為すると波動を作り発します。

この波動カルマになります

波動は行為の始まりにて作られ、終わりを持って終焉します。これが行為の原因と結果であるカルマの一連です。

しかし、始まりがあっても終わりがない場合、波動は行き場を探して彷徨い、作った本人に戻ります

終わりがないとは、行為の結果に対して責任を持たない意味。これが悪いことをした状態です。

  • 利用して結果を他者に作らせた
  • 他者を騙して自らの利益を他者に作らせた
  • 相手を偽り騙した
  • 相手が認められない危害を加えた
  • 相手が拒否したくなる損害を与えた
  • 責任を他に負わせるために擦り付けた

責任を持つとは、自らの思考と行動を認めて自覚する意味

持たない人は他を利用したり、一方的に関わり、自分の利益だけ得て、他を考慮しないなど、自らの行為が始まりであるにもかかわらず終わりの責任だけ他者に負わせ、作った波動は行き場をなくして彷徨います。

作った本人の元に同じ波動が戻るのが因果応報。

「ただいまー」と波動は言いながら、生み出したのと同じエネルギーが戻ってきて報いを受けます

しかし、報いを受けていないように思える人がいます。

本当にエネルギーが戻ってきているのでしょうか。

 

悪いことをして報いを受けない理由

他者を巻き込む行為の始まりを作っている場合、私達人間は二種類の波動を生み出します
※厳密には魂の波動を含めて三種類ですが割愛

例えば、私が高校生の時、原付バイクを盗まれました。

盗人は私を巻き込む行為を始め、二種類の波動を作りました。

  1. 自らがバイクを盗む行為の波動(自分の波動)
  2. バイクを盗まれた私が作らさせられた波動(私の波動)

自分のを作り、私に強引に波動を作らせるカルマが積まれました。

行為の始まりを作った盗人には責任を持って結果を作る必要があり、責任を持たない以上は行為が完結しないので、発した波動は一生戻り続けます。

自分の波動の責任を持つには、「バイクを盗んだぜ、最高だな」と行為を喜んで認め、自分が何をしたか見つめれば、完結します。

報いはありませんので因果応報はないように思えます。そして、報いを受けずにのうのうと生きていきます。

しかし、問題はもう一つの私の波動があることです。

盗人がどうこうしても何にもなりません。私が責任を持たない限り、一生かけて盗人に責任を持たせるために波動は元の住処に帰り続けます。

私がこの件で責任を持てるのは、「盗人を許すこと」です。

相手に無理矢理低い波動を生み出させた盗人は、私が許さない限り低い波動が付きまとい、盗人自身では何も解決ができません(唯一が私に許してもらえるように何かする)。

人を傷つけた低い波動はまるで浮遊霊のようです。

報いを受けていないように思える人は、戻って来るエネルギーと、戻って来ずに完結したエネルギーがあり、自らの波動の責任を持てていれば報いが一部抑えられます。

と言っても、私が作らされた強烈に低い波動があるので、報いがなくなるなんてことは到底ありません

 

報いを受ける人と受けない人の決定的な違いは「罪悪感」

悪行に対する自らの波動の責任を持てることには、決定的な違いを作る特徴があります。

[罪悪感がない]

罪悪感がないのは、自らが責任を既に持っているか、他者に負わせるのが当たり前の無責任かが考えられます。

「私は悪いことを喜んでしています」と自らの行為を認めている人は責任を持っていますので、因果応報では善行となります。

この場合は、同じ波動域が自らに善行として返ってくるので、嫌なことが起きるのを喜び楽しむ人間だとわかります。

本人にとっては嬉しい報いとなり、報いの善悪と質は本人のみが知るものです。

問題はこのような例外ではなく、他者に責任を負わせるのが当たり前で罪悪感を感じない人間です。

煎餅を食べながらお尻をボリボリ掻き、少し嫌なことがあれば誰かのせいにして、現実を誤魔化して豪勢にパーッとやってチャンチャンと忘れるご都合主義、自己中心、自惚れの自己愛者、認識力が限りなく低い動物性質、無責任な盲目自己信者。

このような人が、「因果応報なんてないんじゃないの?」と思えるさまを持ちます。

誤魔化しや逃避を繰り返す報いの回避は、現実を拒む在り方となり、今の時代ならではのものと考えます。

自分に目を向けず、現実を度外視した世界を生きる快楽、疑似、虚言しても責任逃れするアイテムに溢れ、食欲に物欲で騙し、お金や権利があれば人を支配し、自己顕示して承認欲求を得て、他から目隠ししてもらいながらフルーツポンチを食べてヘラヘラできます。

 

罪悪感がない無責任な人は報いを誤魔化して延期し続ける

報いを受けない人に思えるさまとなりますが、実際にしているのは現実逃避するための責任逃れ行為の連続

逃げれば逃げるほど更なる波動(カルマ)を作り続けます。

自らが発端の一番初めの悪行波動は、戻ろうと試みる度にさらなる責任を持たない波動を増やし、戻れない波動たちはアメリカ山脈のコヨーテのように、ワオーンワオーンと遠吠えを始めます。

波動には共鳴性という強い結託力があり、全ての家なき子たちはムニムニと魔人ブウのお腹のようにくっ付き、とんでもない化け物になり続けます。

無自覚ですが、悪いことをした本人が作り続けています。

これによって、報いを受ける人と受けない人の違いとして、時間差が発生します。

罪悪感のない無責任な人ほど、取り返しのつかない状態になるまで自ら報いを膨らませ、大きな悪行の見返しを食べる日がやってきます。

そこまで大きくできるのは、もはやエネルギーの強い表れでもあり、貪欲に逃避し続けられる人ほど報いを受けるまでの時間が長くなり、執念深い強欲な魔女のような人だったりします。

悪いことをしながらも報いを受けていない人は時限爆弾を持っていますので、関わらず巻き込まれない注意が必要です。

 

報いを受ける・受けないスピリチュアルな仕組み

報いを受けない人は因果応報がない訳ではない

因果応報を今一度整理しますと、行為に対する責任を持たない場合に、責任を持って自らが作った行為(カルマ)を終着させるために返ってきます。

この行為(カルマ)が波動です。

良いことでも悪いことでも行為の始まりは必ず本人です(他の影響によるきっかけはあっても行為する意志は本人以外にない)。

波動は振動数・振動幅・振動域・振動リズム・整然性を持った唯一無二のエネルギーとして、行為によって自らが作り発します。

波動は一度作れば、原因なくして終焉せず、漂い行き場を失います。見えないけれども大気中にウネウネとエネルギーが漂うイメージです。

無責任や罪悪感のなさによって時間差を作り、報いを受けるまでの逃避と拡大を続け、報いを受けない時間的猶予を誤魔化しにて見出せます。

因果応報がない訳ではなく、報いを受けていないと思える地獄の針を図太くする倒置法的自虐行為は、反省したい気持ちの裏腹でしょうか。

自ら発した波動だけでなく、傷つけられた側の人に強烈な波動を作らせているカルマがあるため、自分だけではなんともならない自然の摂理が因果応報。報いはないように見えてもこれから受ける(または既に受けている)もの、という考え方です。

 

報いを受けるとは責任を持つこと

「バチが当たる」という言葉もありますね。

実際に悪行の報いを受ける場合、白髭の神様がテイッと巨大BBQスコーンで鉄槌を食らわす、なんてことではありません。

自らが作った行為、他者に作らせた行為による波動に伴って、自らが報いを自らに与えます

罪悪感があればあるほど、他者から許されずに憎まれれば憎まれるほど、報いとなるカルマ(行為・波動)は返ってきます。

しかし、あくまで自分のためであり、報いを受ける目的は明確に一つ

自分が作った行為の責任を持つためです。

報いを受けるのは自分のためです。報いを受けないと誰のためにもなりません。

「あの人に傷つけられた、許せない」と思うのは人それぞれに理由があるので自由です。しかし、その行為も波動を作り、カルマを生み出していることを忘れてはなりません。

※責任側から見た因果応報は、【責任の哲学】責任の取り方は誰もわからないかもしれない をどうぞ。

 

報いやバチ(罰)は責任の絶対重要性を教えてくれる

責任がないと自らの思考も行動も認められず、自覚もできません。

自覚できないと現実は現実にならず、自己都合の空想や思い込み、決め付けや自己世界を押し付けることが起き、「自然に反する状態」になりかねません。

自然味がなければ人間はロボットになり、自覚できなければ動物になり、人間が人間ではなくなってしまいます。スライムだね。

自覚しないと、あらゆる日常に悪行が蔓延ると気づけなくなる可能性があり、報いやバチ(罰)を内包する因果応報は、私達の基本原理を集約して教えてくれるようです。

例えば、「不機嫌を周囲に伝える」のは気づきにくいですが波動とカルマ理解では、はっきりと悪行。報いは確実に受けることになります。

しかし、気づかずに責任を持たないと、報いを受けない人のように誤魔化して蓄積し続けかねません。

あらゆる行為に責任を持たせる因果応報は、他者に作らせてしまった波動があれば、反省して謝罪して、調和して協調するための、自分だけでなく他者も含めて物事を認識する学びになり、自他共のために繋がる一石二鳥の仕組みです。

反省するためには自ら行為を認める責任は絶対必須。自覚するからこそ自らを見つめ、知り、理解し、思考し、認識し、反省でき、謝罪でき、許されて解放、空を舞います。

責任を持つのがどれほど重要なことか、報いを受けさせるのは自らのためであり、それもまた責任を要する行為。

この世は常にカルマと因果応報で構成されています。

※エネルギーによるバチの連続当たりは、【負の連鎖を止める】次から次へと問題が起こるスピリチュアルな紐解き をどうぞ。

 

スピリチュアルでは来世に持ち越しの概念もあり

輪廻転生によってカルマを魂の記憶に刻み、来世に持ち越す人もいます。

この場合、報いを受けないでのうのうと生きるさまが表れ、「ちょっと不公平じゃないか?!」と思えるかもしれません。

実際には魂の理解上、これは耐え難い不毛不祥なことだったりします。

悪行を積み重ねながら来世持ち越し、だから今世の報いはなし、ではありません。

常に、本当に四六時中生み出したカルマである低い波動は、ツンツン戻ろうと付きまとっています。

来世に持ち越そうとも、生み出した波動は責任を持たない限り一生付いてまわるため、今世では悪行一つのために報いを誤魔化して逃げ続ける結果、自覚ないままに不変が伴います。

退化も向上もしない学びのない時間は不変のまま人生を終え、魂に空白の時間をポカンと作り、自らの意志ではなくカルマによって知らぬ間に作らされた空白となるため、今世でも来世でもそのまた来世でも、空白を作った行為の責任を持てなくなり、カルマの悪循環に入る可能性があります。

この場合、来世は同じようにカルマの悪循環に苛まれた人同士の関わりになり、抜け出すのに時間と多大な努力を要します。

これを現世地獄と言ったりします。

脅かしたい訳ではなく、報いを受けないことはそれだけ本人のためにならないのが因果応報であり、もはや報いを受けないのが不毛な報いになる、と知っていただければと思います。

※カルマ解消法は、自分のカルマを知る方法|知るだけか解消するかが分かれる意志がある をご覧ください。

 

報いを受ける人と受けない人 まとめ

ここでお伝えしたい考え方は、報いは遅かれ早かれ受けることであり、因果応報は自分のために責任を持つ機会を与えてくれる理解です。

報いを受けない人はおらず、報いを受けていないように思える人がおり、無責任、罪悪感のなさ、時間差が関わります。

私達は誰しも例外なく悪行を積み重ねています。

私なんかはあらゆる悪行を積みまくってきましたので、とにもかくにも責任を持つ重大さは実感しています。

このことで考え方を変えると、報いを受けることは他者を敬う学びになると考えます。

自らに対してのみ責任を持っても終わらないのが因果応報。重要なのは他者に作らせてしまったカルマの解消であり、バチを受けての責任回収。

他者を他者側の目線や思考で理解する尊重であり、他者の気持ちや価値観を知る努力をして、個を敬い、干渉せず、謝り、感謝し、学ぶ一連の成長行為となります。

バチも報いも全て自分が作ります。

それならばバチに当たって、報いを受けて、カルマを解消して、自他を知り、自然に戻す。

大切だと思います。

報いを受けない人がいれば、よく観察してみてください。深く知れば知るほど、本人や周囲が気づいていないだけで、実際には報いを受け続けている人生を垣間見ることと思います。

報いを受けないとは責任を持たない状態ですので、自覚のないさまは自分をよく捉えて周りを捉えません。それは一人一人の認知や認識を尊重せずに、思い込んで決め付けるさまです。

人の振り見て我が振り直せ。

他者との共存社会、大いに学んでいきましょう。

それでは、報いを受ける人と受けない人のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. しろきち より:

    報い、即リターンされました。周りの人は見ていたら色々な事をしてるように感じるのに、どうして自分は???と何度も考えた。記事に書いて頂いた事で救われた。ありがとうございます。他にも意識してないだけで悪いこと色々してるのかもしれないけど、来世頑張れって思います(笑)ありがとう。何度もブログ見に来て思うけど、貴方の書く記事をあいしてます。ありがとう。また見に来ますね!酔ってるな私。まだまだ沢山かいてほしい。

    • 北斗 より:

      お役立ちできて良かったです。
      愛してもらえる。なんと嬉しいことか。
      ありがとう。

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