意味

【胡散臭さの謎解き】スピリチュアルは怪しいと思っていい

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このタラコ、怪しいな。

やっぱり、着色してる。

本来の姿を黙って偽ると違和感がある。

世の中には怪しくて胡散臭いものがたくさん。そんな中の一つに、スピリチュアルがあります。

どうして怪しいと思うのか?

この答えには、スピリチュアルを知る大切な理解が潜みます。

ここでは、スピリチュアルの怪しさと胡散臭さの謎解きにてわかる、スピリチュアルの存在意義を見ていかれてください。

  • スピリチュアルを怪しいと思う理由とは?
  • 怪しくないと思えるスピリチュアルとは?
  • スピリチュアルは意味がないの?

これらを紐解き、「スピリチュアルは胡散臭いと思った方がいいんだ」と知っていただく内容となっております。

私はスピリチュアルな世界が好きですが、「スピリチュアルっぽいくらいが丁度いい」と思っています。

スピリチュアルを信じる人、怪しいと思う人の両方にとって、自分の考えを明確にするためのご参考になれば幸いです。

それでは、胡散臭い内容へ入りましょう。

スピリチュアルは怪しい、胡散臭いもの

スピリチュアルが怪しい理由

早速ですが、一つの例え話をイメージしてみてください。

事故で不時着した飛行機は砂漠のど真ん中。無事に全員助かり、乗客は砂漠を彷徨いますが、その内の一人がこう言います。

「ここ知ってる。以前に小型飛行機でこの辺りを飛んだことがある。」

「そ、そうだ!この先にオアシスがあったんだ!」

「みんな、私はこの周囲にオアシスがあることを知っている!みんな助かるぞ!」

「そうか、それは良かった。それじゃあ、どの方向へどれくらい向かえばいいんだい?」

「‥‥。」

…(あるのは知っているのに、位置がわからない、どうしよう)

「知ってるんだ、位置はわからないけど、オアシスがあるって知ってるんだ、私は知ってるんだ!」

はい、ここで止めます。

オアシスを知っている人は知ったかぶりでも嘘でもありません。目的地があるのは知っているけれども、プロセスである道中を知りません。

知っているのは事実なので、その場にいる誰よりもわかった気になり、物事を解決するには自分が必要だと思えます。

この結果起きることがあります。

答えを知っていてもプロセス(中身)を知らない場合、自分にとっての正しさに自信を持ちながら、同じ事しか言わなくなる。

自信があって、答えだけを言う。しかし、その過程がゴソッと抜ける

「怪しい、胡散臭い、嘘だ、信じられん」と疑う理由になります。

「それ、知ってても意味ないじゃん」と思う理由にもなります。

この例え話は、スピリチュアルと同じです。

 

スピリチュアルな世界は答えだけ知れる

非常に奇妙な世界です。

霊、波動、エネルギー、意識、神、宇宙、思想など、見えないだけでも怪しいですが、スピリチュアルは物質概念ではないものが関わるために、物事のプロセスがポンポンっとぶっ飛びます。

[1+1=2]のはずなのに、[1+0=100]になる。

引き寄せの法則や思考の現実化が典型例かもしれません。これらは科学的に説明できますが、スピリチュアルに偏るとポジティブ最強的な、プロセスバビューン。

私の理解では、最も典型的なのがワンネス認知です。

ワンネスという、「全ては一つ、一体」の感覚を経験すると、かなりスピリチュアルに傾倒します。

なぜならば、自分にとってまぎれもない事実だからです。

感覚は信じるに値する最たるもの。ワンネス認知に始まり、霊能力、霊視、エネルギー認知、オーラ霊視、リーディング、ヒーリング、チャネリング…。

経験は口ほどに物を言います。

経験によって答えを知ると、自然と自信がもたらされ、正当化が強まり、自意識が強まります。全て無意識に。

無意識であるために、大切なことに気づきにくくなります

「自分にとっての答えでしかないこと」です。

 

他者に説明すればするほど胡散臭い

なにかしらスピリチュアル認知や能力を伴う経験をしている人はわかりやすいと思いますが、「自分にとっての答えでしかない」とは思いにくいのが経験者側の認識です。

例えば、霊が見える人にとっては紛れもない事実であるため、「他の人もいつか見えるんじゃないかな、そりゃ見えない人もいるよね」と、経験が増えて確証度が増せば自分を信じるのは当然です。

既に自分の経験を主体に正当化して、他に押し付けていると気づけません

「悪意はないのに…」と同じで、自覚がないと押し付けているつもりはなくても、経験を正当化するために自分を信じる念が強まり、副作用として他者に対する在り方が変わります。

スピリチュアルは答えを知れるため、はっきりと自分が主体になります。

とても大切なことですが、経験したスピリチュアル認知は自分にとっての答えでしかないため、他者に説明する時にある問題が起きます

経験は感覚的認知であるため、他者にわかるように説明できません。

「私が今見ている信号の緑を、あなたにもわかるように説明するね」が不可能であるように、感性や感覚的なものは他者にわかりようがありません。

説明ができないのに答えだけ知っていると、自信はありながら奇怪な説明になり、理論的な人ほど理解不能です。

にもかかわらず、自信は満々なので怪しくて胡散臭く思えてしまいます。

※ハマる人の詳細は、スピリチュアルにハマる人に知って欲しい│特徴と心理に心鷲掴まれる共通点 をどうぞ。

 

スピリチュアルな世界の怪しさが、傾倒する人の胡散臭さを作る

自分にとっての答えは誰しもにあり、日常的な些細な事柄に対して、または人生に大きな影響を与えない事柄であれば、おそらく気にはなりません。

しかし、スピリチュアルは思想や人生、自分という存在そのものに利益を与える大きな分野です。

利益を与える可能性があれば、不利益を与えるリスクもあります。

正確性や責任が重要になる大きな影響力がありながら、「自分にとっての答え」しかないと、影響を受ける側は怪しむのが普通です。

怪しまずにその人の意見として尊重する人もいれば、一切怪しまずに納得する人もいます

怪しまずに納得する場合は特徴的な受け入れ方となり、「なんとなくの思い込み」にて、理解した気分になります。

他者の感覚的なものを理解するには、自身で経験するしかありませんが、「なるほど、そういうものなんだ」と思い込んで空想を広げると、現実との向き合いがなくなります。

スピリチュアルとは物質概念ではなく、感覚認知という理論的に理解しにくい世界です。

ハマったり傾倒する人がいると、わからないものをさらにわかりにくくする関係性が成り立ち、怪しさや胡散臭さが増します。

※信じる・信じない心理は、スピリチュアルを信じる人と信じない人の心理│信じない私が変わった体験談 をどうぞ。

 

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怪しくない、胡散臭くないスピリチュアル

どんなスピリチュアルは怪しくないの?

私はスピリチュアルが好きです。しかし、相手がわかるように説明できなければ、語るのをはばかります。

自分のことしか見ていないのが明確だからです。

「そこに龍神様がいるよ。ほらほらなんか言ってる」

エンターテインメント性があればいいのですが、「…あのぉ、一人の時にやってくんない?」なんて具合です。

私は海外を旅して、へき地や奥地を多く訪ねまわりました。

その時にわかったのは、スピリチュアル能力が高い人ほど自分が主体ではないことです。

例えば、アマゾンのシャーマン一家。特にシャーマンの父は自然物のように自らを扱います。

主体が自然界。

アフリカの民族の首長は、宇宙の起源からあらゆることを知っていました。彼は周囲に自分を馴染ませ、大気のように漂います。

主体が自然界。

自然界であるかどうかは重要ではなく、自分以外の他に認識を置いた在り方は、スピリチュアルの本質を表していると考えます。
※自己犠牲とは全く異なります

スピリチュアルは自分にとっての答えを与えるため、如何に他者にわかるように説明するかの、“自他共々”の概念を作る学びです。

説明責任という意味ではなく、自他共々にある調和、共有、共同体意識。自他の理解に近づくための学び、必要であれば叱咤、激励し、行動や動機を見出し、一切の不干渉もあり。

自他共々の概念がある人は、スピリチュアルを相手に教えようとは一切しない、または学びであり学問にします。

 

安心して関われるスピリチュアルは学びの場

学びであるスピリチュアルは、自分の経験を相手に伝えて終わりではありません。

教える以上は説明が必須であり、相手が理解できなければなりません

説明するためには、スピリチュアル以外の知識理解が重要になり、自他共々の概念があれば、できる限りわかりやすく説明できるようにします。

典型的な方が、スピリチュアルの理解に長けている斎藤一人さん、小林正観さんだと思います。

説明できるようになるために、心理、量子力学、物理学、脳科学、経済学、人間学、科学、幾何学、占星学、自然学、哲学‥‥と、さまざまに社会的な理解を知り、全体的に捉えられるように認識力を高める努力をします。

私なんかはまだまだ勉強足らずですが、この先も一生学び続ける必要があると、自分にとっての答えを知っています。

 

スピリチュアルは基盤、だけど欠陥だらけ

ワンネス認知のように、いきなり人間・人生・この世・宇宙の答えを知った気分になっても、オアシスの存在を知りながらそこにいないのが現実であり、どれほど何も知らないかを知るためにスピリチュアルがあります

スピリチュアルの理解は精神基盤の構築になりますが、学として知り、経験を伴わなければ、周囲に怪しいと思わせる違和感を作ります。

スピリチュアルは傾倒などできる完璧な代物ではなく、実際に答えに辿り着くための現実に目を向けると、あくまで知識の一つでしかないとわかります。

単体では欠陥が多く、現実的に理解を広げるためには他の学問も含めて、多角的に捉える学びの一つにしかすぎません。

あくまでスピリチュアルは学問の一つであり、他との組み合わせによって考え方を深めて、物事を受け入れられるようにすると、本質的でありながら安心して関われるスピリチュアルになります。

※スピリチュアルの詳細を知りたい方は、【スピリチュアルの本当の意味とは?】簡単に言うと学び。深掘りすると宇宙。をどうぞ。

 

スピリチュアルの大切な意味を見出すために

スピリチュアルは意味がない?

スピリチュアルとは何なのかわかりにくいものですので、人によって捉え方があると思います。

私の理解では、スピリチュアルは大きく二つに区分けされ、両者は全く異なる概念です。

スピリチュアルのニ分け
  1. 利益を得るための資本主義縛り
  2. 学んで成長するための精神理解

[利益取得方法 or 学びの材料]

利益を得る魔法か、自らを成長して高める材料かの違いは、天と地の差を作ります。

学びとしてスピリチュアルを活用すると、自ら利益を作るための能力拡大、目的を持った思考や行動の達成力にも繋がり、より他を含めて認識する自他が深まり、人間としての力が付きます。

人間力を高める学びの道は、孤独の時間も有効活用することで意識が高まり、“自分”という小宇宙の深みへ入り、いずれチベットの山奥へ行くとかなんとか。

はたまたインドでヨガファイヤー。

そんなことは必要ありませんが、社会的に精神的に経済的に自立する基盤となります。

学びとして精神基盤になるのがスピリチュアルですので、意味の大きなものです。

しかし、資本主義に頭を縛られた利益取得の道は矛盾を作ります。

我の拡大はあっても人間としての成長は見込めません。それならば魔女になって森にこもった方が素敵です。

例えば、ポジティブにしていれば良いことばかりあるなどは、本人にとっては大切な経験ですが、その類のスピリチュアルは他者にとって意味はないかもしれませんし、怪しくて理解困難であり、思い込みや空想を推奨する夢物語の沼ハマりに陥る危険性があります。

占いなど先代の智慧と研究の積み重ねによる凄味は、執着や依存という言葉でいとも簡単にゴミ屑と化します。星屑ではありません。

理論的な人ほど意味がなく、スピリチュアルの本質が異形を極め、黒と白の模様をした馬を牛だと言うことが起きます。

そんな牛は、怪しくて胡散臭いんです。

スピリチュアルに意味を見出すためには、何を目的にしているかをはっきりさせて関わる必要があります。

目的がないと見えない世界に飲み込まれ、それを拒むためにも怪しみ、物事を否定するだけで何も理解していない沼にもハマってしまいます。

※スピリチュアルの危険性は、【見極めポイント】スピリチュアルの危険性は大切なことを教えてくれる をどうぞ。

 

番外編:スピリチュアルが好きな方へ

極端に怪しい内容を少々。

この内容はスピリチュアル批判ではなく、何が本質にあるかを知る一つの考え方です。

スピリチュアルは刺激的で不思議ですので、ゲームセンターのように夢中になる魅力があります。

私がそうだったのですが、いつのまにか現実を見ておらず、自分の世界しか見ていない。気づけばコイン落ちてないかなぁ~キョロキョロ、なんてことが平気で起きます。

物事の現実を理解せず、認識が狭ければ狭いほど起きます。

例えば、ワンネス認知は自分の世界しか見ていない、とは気づきにくいです

次元概念で言うと五次元。

ワンネス一体化によって光を感じ、エゴと分離し、「なんか知った感」がワンワンします。

答えを知りました。あくまで自分にとっての。

三次元状態で五次元を体感すると、それが答えだと思えてしまい、知ったような気になります。
※きっとそういうものなのだと思います

しかし、重要なのは認知したことではありません。ワンネスまでどれほど距離が遠いかの自己理解、道中までの中身です。

考えられないほど遠ーく離れています。

これが始まりだと思いたくない、思いもしないかもしれません。なぜならば、そこまでの道中を死に物狂いでやってきたから。

でも、始まりでしかありません。やっとスタートです。

利益主義は自分をとにかく主体にしますが、大前提に地球に生きていることを忘れてはなりません。

地球という他と組み合わさって存在できている以上、自分の利益だけではなく、自他共々である精神基盤が欠かせず、スピリチュアルを学びとして、他の学問も含めて理解すると、物語は始まることと思います。

そんな活用をされることをお祈りしたします。

 

スピリチュアルは怪しい、胡散臭い理由 まとめ

怪しさや胡散臭さの大きな理由は、スピリチュアルをよく知らないことだと思います。

私にとっての答えでは、スピリチュアルは理解するものではなく、存在に対する指標です。

学びと成長は欠かせません。光への道は物事の受け入れであり、如何に許容を広げていけるか。

自分から離れて他へ向かえるかであり、他者の立場や気持ちや思考で物事を認識できるかの敬い、自他共々です。

誰しもが携わる分野ではないスピリチュアルは、とにもかくにも影響力が大きいため、扱う人次第で利益も依存もカルトも作れます。

真にスピリチュアルを保ち、異形化したまがい物を量産しないためにも、スピリチュアルを怪しいと思うくらいがちょうどいいかもしれません。

必要な場合、本人から向かう。本人が行動するためにも一人一人の考えを尊重したい。

怪しくてもなんでも本質的に捉え、学びに活用する場合、人間には欠かせない基盤になります。

自他共々で生きていますので、怪しさも信じるも両方を大切にしていきましょう。

それでは、スピリチュアルの怪しいお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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