方法

人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった

人生がどうでもよくないことがあるのでしょうか?

人生は紛れもなくどうでもいいものだと思います。

それはお好み焼きにマヨネーズをかけるように、マヨネーズとソースの味がしていれば“おいしい”ということと同じようにどうでもいいことで、そんな話もどうでもいいことです。

人生に疲れ果て、自暴自棄として、「人生どうでもいい」と思う場合には、少しここで休息していかれてください。

ここでは、人生は本当にどうでもいい考えを真意としてお伝えして、人生への考え方をご自身で観る機会にされてください。

人生がどうでもいいと思う理由があり、原因があります。

それらを知ることで対処法や改善方法が見えてきますので、対処するかどうかは人それぞれですが、自分の考えを見つめる機会になれば幸いです。

人生どうでもいいと思った経験と、本当にどうでもいい事実を私の自論ですが、暇つぶしにご覧ください。

全部読むと10分ほどかかりますので、コーヒーの準備をどうぞ。

人生どうでもいいと思う理由と原因

人生どうでもいいと思う理由

「人生どうでもよくない」と思うことで、「人生どうでもいい」と思う状態が作られます。

人生どうでもいいと思う人には共通した特徴があります。私がそうだったので私も含めた共通点です。

 

真面目

糞真面目という意味です。

真面目とは自分の意志と選択に誠実で真っすぐであることですが、糞真面目は社会性や常識やルールに対して、ピッタリ当てはめて一切ずらさない頑固な様のことです。

社会のレールやみんなが言うこと、テレビが言うことを“正しい”として、そこから逸脱しないように努力を一生懸命にする人で、忍耐と苦労を伴う生き方をします。

すると、ある日気付いてしまいます、“自分がないことに”

 

自分を見失った

自分がいないことに気付いた時、“喪失感”“虚無感”を感じます。空っぽです、何もなかったんです。

これまであると思っていましたが、それは全て社会性にて作られたもので、何一つ自分のものはなかったことを自覚すると、人生どうでもいいと思います。

 

何もかもが自分の思い通りにならない

何をしても自分の思うようにならない時、人生どうでもいいと思います。

それは、何もかもを自分の言いなりにしたいという願望があり、欲望が強いことを意味します。

「あれはこうなるべきだ」「これはこういうものだ」と全てを自分ルールで決め付けて、思い込みの固定観念で塗り固めることで、他者との共存社会では思い通りにならない現実が起きます。

 

完璧主義

思い込みや固定観念を持つのは、完璧主義であるためです。

完璧主義は自分の思う通りにならないと気が済まず、他者に自分の意見を押し付けます。

それは社会の常識ではなく、あくまで自分が社会の常識だと思い込んだ自分ルールを平然と押し付けて、自分の思うようにならないことで不満足と不納得になり、ストレスを作ります。

 

エゴイズム

自暴自棄になる場合、エゴに苛まれていて、思考的にしか物事を考えることができなくなり、心の気持ちがなく、存在すらも憶えていません。

エゴとはネガティブな思いのことで、脳内でのみ生きられるもう一人の自分である“意識”です。

エゴがあることで攻撃性と排他性を持ち、否定や文句、批判、非難をするようになり、人生どうでもいいという投げやりな気持ちを作ります。

 

人生どうでもいいと思う原因

人生どうでもいいと思う理由を挙げると、全てネガティブな理由です。

それらの理由を作る根底の“原因”がありまして、それは“自分を見失った”最たる理由となり、エゴを作る初めの要因となる、“存在否定をされた経験”です。

 

存在否定される経験にて人生どうでもいいと思う

人生どうでもいいと思うまでには人それぞれに過程や軌跡があります。

最終地点を“人生どうでもいい”と思う状態にすると、一番初めの人生どうでもいいと思う原因がエゴを作る時にあり、自分を見失う時間の始まりとなる幼少期に遡ります。

小さな私達の経験には、“否定”となる、“押し付け”“強制”“強要”“決め付け”をされた記憶があります。

押し付けや決め付けの強制・強要には、統一的に、「あなたの意見は聞きません、興味もありません、言われたことをしていなさい」という存在意義を喪失させる否定行為があります。

言い方を変えると、自分の愛を無視され、愛を受け取らず、愛を与えもしないという試練です。

「クソくらえ」と思ったかもしれませんが、人生どうでもいいと思う場合、されたことと同じことをしています、周囲に、他者に。

 

否定された経験を持ちながら周囲を否定している自分が、違和感を作り虚無感を作り、人生はどうでもいいと思う

自分が否定をされた記憶がある人は、人のことを想う気持ちを抱き、優しくなります。

否定をされた時の悲しい気持ちは絶対に忘れません。どこかに潜んで保持されており、自分がされたことをしている自分を自分で観て、その時の情動や心情や感情を感じて認識しています。

しかし、これらは無意識です。

無意識に自分のしていることと思っていることの差であり矛盾を感じて、違和感を感じ、その違和感を正面から見ないように逃避することで、違和感は広がっていき虚無感、空虚感となり、それを感じた時に自分がいないことに気付きます。

 

人生どうでもいいと思う原因は全て自分

人生どうでもいいと思う際には、思い通りにいかないことや悲しい現実を突きつけられたり、周囲での出来事や影響の外的な要因が考えられます。

それは、最愛の人を亡くしたり、騙されたり、裏切られたり、さまざまに衝撃や落胆や喪失があります。

自分の期待や思い込みや決め付けの結果を考えていればいるほどに、起きる現実との差が生まれ、落胆度や喪失度が高まります。

自分の思考であり、自分のエゴが衝撃や落胆や喪失を作り、人生どうでもいいと思う原因を作る。

例えば最愛の人を亡くした場合です。私がそうだったのですが、亡くなった時に何が悲しいかというと、依存と執着をしていた自分にこれ以上喜びがなくなることが一つです。

そして、自分に非があり、自己否定をする怒りを持って自暴自棄になりますが、それはあくまで自分を納得させるための行動です。

亡くなった人のことを想うならば、供養したり、安心して逝けるように自分を保ち、心配をかけるようなことをしません。

私はそんな自分に気付かず、なかなか立ち直れない時間を過ごしましたが、自分のことしか考えていないことに気付いた時、エゴの自分しかおらず、本来の自分がいないことを実感しました。

 

依存と執着と恐怖への逃避が自分を失い続ける

人やものに依存や執着をするのは、自分の利益のみを考えて優先しているからです。

そこには愛はなく、エゴのみのエゴイズムです。

その根底には否定をされた過去の傷からの恐怖心があります。これは心理になりますが、恐怖心を克服するか、逃げ続けて現実を見ないようにするかにて未来は真逆へ向かいます。

その際にエゴの思考があることで逃げていないように思い込むことができますが、その真相は本人が正直になった時に、本人のみぞ知ります。

自分を見失うことでネガティブな意味として、“人生なんてどうでもいい”と思います。

それは感覚にて感じるものではなく、頭にて思考することで思います。なぜならば、自分のエゴが思っているからです。

依存と執着の根底も辿ると恐怖です。全てを紐解くと、幼少期の否定をされた記憶から始まり、否定されて自分の存在意義を見出せなくなることと、存在価値を見失うことを恐れる自分がいます。

※生まれ変わる際の話は、生まれ変わる意味と方法│自分を変える今世の輪廻転生がある をご覧ください。

生まれ変わる意味と方法│自分を変える今世の輪廻転生がある今までの自分を変える。 今日から、今年からと、新しい自分として生まれ変わることを望む。 生まれ変わるとはセミが脱皮すること?蛇?...

 

本当に人生はどうでもいい事実

これまでは人生がどうでもいいとネガティブに思う場合をお伝えしたので、受け入れ難いことがたくさんあったかもしれません。

ここからは、人生の見方を広げられることを目的に、本当に人生とはどうでもいいものであることをお伝えしたいと思います。

冷えたコーヒーはお茶に変えてくださいね。

 

人生がどうでもよくないのは何故か?

人生がどうでもいいと思う際には、人生がどうでもよくないという考えが前提に必要です。

何もない真っ新な状態では、「人生は良くも悪くも何でも良くて、どうでもいい」となるのは自然なことで、そこに“認識”があることで、人生の良し悪しや善悪の判断基準や評価が生まれます。

単純に何も考えない人は幸せであるように、思い込みも決め付けもなければ、人生はどんなものでも受け入れます。

例えば、「コロナの菌は危険だ、何とかしなければ」となった時、何とかできるのは自分自身だけです。

そこで、「あなた、私が危険な目に合うかもしれないんだからなんとかしなさい!」となれば自然に、「おまえ、滅れ」と思います。

自分で免疫力を高めたり、食生活を改善したり、運動をしたりとできることをします。

認識を作る際に必要なことは自分を主観にするかどうかで、物事の良し悪しは自分にしかわからず、他人が自分の人生の良し悪しを決めることはできません。

「あなたの人生は大学に行って、就職して65歳まで働きなさい」と言われれば、
「シー、はい、お静かにねぇ」となるのは当然の反応です。

 

社会の常識やルールに従っていると自分の意見がなくなり人生の答えが決まる

人生どうでもよくないと思うのは、社会性としての常識にそう書いてあるからです。

戦国時代が終わり、経済を作る思考を持ち始めた頃に誰かが言い始めたのかもしれません。

社会性を持って生きているので法律は大切なものですが、常識やルールは自分で受け入れるかどうかを判断して選択します。

そのため、一人一人に物事の判断や評価が生まれ、人生や人がみんな違う特色や性格があり、顔も言語も違い、生きてきた環境も食べるものも量も、何もかもが違う面白いものになります。

それは保育園や幼稚園ではみんながみんな自分の人生の主人公として生きているので、クラスには千差万別のタイプがいて、個性を主張しながらお互いに尊重したり喧嘩したりする楽しさがあることと同じです。

保育園に行くとさまざまな子供が居て、生き生きと、「うんちー!」と言いながらはしゃいでいたり、静かに過ごしていたりたくさんのことが起きています。

 

人生の答えが決まると人生はつまらなくてどうでもいいものになる

社会性や他者の意見を自分の主観にすることで人生の答えが決まります。すると、生きている意味を見出すのが、その日の刺激的なことやテレビの非日常の出来事になります。

知恵の輪の答えを見てから解いて、楽しいと思える人はおそらくいません。しかし、それを隠して他者にできたことを披露して、思考を満足させることで喜ぶ人はいます。

それは自分の人生ではなく、他の反応が自分の人生を決める状態を自らが作っているので、同じことを三度ほどすれば、嫌でもつまらないことをしていると気付きます。

※思い込みと決め付けの話は、価値観を押し付ける人の特徴と仕組み│同じ人間になる法則を打破 をご覧ください。

 

人生に変化と成長がなくなると人生はどうでもいいものになる

人生の答えが決まり、自分の人生の主観が自分ではなく“他”になることで、人生はどうでもいいと思うと同時に人生に変化がなくなります。

それは決められた人生となるので、自ら人生を作って切り開く意志はもうありません。

すると、自分を成長させようとする意志もなくなり、新しいことへの挑戦や学び、積極的に行動する気もなく、恥ずかしいことや困ることがなければいいと思い、終了します。

※人生が辛いことの話は、人生が辛い理由に大きな意志|辛さの糧は全てを良きことに変える をご覧ください。

 

人生は実にどうでもいい事実

人生はどうでもよくない思いを見てみると、全ては“思考で人生の見える範囲を抑制している”ことに気付きます。

これは、“思い込み”“決め付け”です。結局ここに辿り戻ります。

思考にて自分の目をふさぐ状態を作り、「人生はどうでもよくない」と思い込むことで、「人生はどうでもいい」と思う機会作りとなります。

 

思い込みや決め付けの思考をなくすと、なんだかどうでもいい気持ちになる

本当に、何でもいい、どうでもいいと思うようになります。

思考がないと、残るのは脳の感情と肉体の感覚と心の気持ちのみです。肉体の感覚からの“痛い”とか“冷たい”とか“暖かい”にネガティブとポジティブを付けているのは脳の感情です。

思考がなくなると残るのは”感じる”もののみです。感情による喜怒哀楽と肉体感覚と心の気持ちがあり、心があることで物事に対して自分の意見としての認識が生まれます。

それは、愛とエゴを基にした認識です。

エゴは自分で自分を認識できず、他者と自分を区別することで自分を認識する意識でして、脳の思考にて作られます。

そんな思考をなくし、エゴもいなくなるとどうなるか?

心地良い愛のみを基にして生きることとなり、心地良さしか求めなくなります。

この状態、おそらく3ヶ月すれば飽きます。恐怖もなく、嫌な気持ちはないのですが、「なんだか心地良いことしかないからどうでもいいな」という気持ちになり、悪い気分はありません。

しかし、成長や変化を求めなくなり、「このままでいいのかな」という疑問が生まれます。

※人生どうでもいい時は人生をやめちゃうと良いと思いますので、人生どうでもいいならやめちゃうと楽。全部放り投げてやめる方法 をご覧ください。

どうでもいい人生はやめると楽。全部放り投げてやめる方法全員が全員生きている必要はあるのでしょうか? 生きている人の中には、人生が楽しいと感じる人もいれば、人生どうでもいいと思う人もいま...

 

思考がなくても人生どうでもいいと思う

天国に行ってみるとわかりますが、飽きます。その為、天国にいる人は必ず“自己の成長”を求める意志を持ちます。

思考があれば、「人生はどうでもいい」とネガティブに思い、思考がなければ、「人生はどうでもいい」とポジティブに思います。

それならば、「本当に人生はどうでもいいのではないか」という考えがあり、ここでお伝えしたい核です。

しかし、心地悪い気持ちよりは心地良い気持ちにてポジティブに、「なんでもどうでもいい方が良い」と思うかもしれません。私は確実にそうです。

それでは、実際に思考を全てぶん投げてみるとどうなるか。

恐怖です。完全なる恐れに苛まれます。

思考にて予測や予想をして、不安要素を排除するのが脳機能の一つです。自分でわからない未知のことをする際には必ず恐怖が襲い掛かるので、勇気にて行動動機を作れるか作れないかが分かれます。

人生どうでもいいと思う場合にはエゴに覆われた恐怖だらけで、思考をなくしても恐れに飲み込まれてしまいます。

結局八方塞がりかと思いきや上が開いています。

“自分を見つける”ことが残っています。

 

自分を見つけることで成長と変化を求め続ける

思考を取り外しても心があることで自分の意見を持つことができ、自分の人生の主観は自分になります。

しかし、自分がない状態のままでは恐怖に苛まれて、自分を主観にすることはできません。どれだけ気合が入っていても数日後にはブルブル震えています。

そのために、まずは自分を探すことが大切になります。

自分を探すことで、人生どうでもいいと思っても思わなくても良い状態になります。なぜならば、自分で人生を作ることになるので、ポジティブでもネガティブでも全ては自分次第の認識で決まります。

その際に社会の常識やルールに従うのではなく“活用”することとなり、自分の目と頭と心で物事を見て、認識して、自分の意見を持ちます。

それは変化と成長を求める生き方となり、自分を探す行為自体が既に変化と成長を求めることになります。

そして、自分を探し出すとわかりますが一生終わりません。ブッダやキリストのようになれば別かもしれませんが、どこまでも成長することができるほど私達人間は未熟者です。

 

自己の成長のためには愛もエゴも大切になり、人生は本当にどうでもよくなる

自己の変化や成長を求めることは、自然と自分を見つけることになります。

その際には思考の思い込みや決め付けをなくすことで自分を見出すことができますので、楽しいことや喜びのあることをして、とにかく自分を主観にして、自分の心に従って生きることで自分を取り戻して見つけ出し、愛とエゴを理解することが伴います。

愛がなければエゴは生まれず、エゴがなければ愛を認識することができない関係性があり、自己の成長をする際には愛もエゴも共に必要なものです。

それは、熱いお風呂に入ることで水風呂の心地良さがわかるように、活用次第で共に心地良さに変わるものが愛とエゴで表裏の関係で、実は同じものを指しています。

それは、「何だかどうでもいい」とポジティブにもネガティブにも思うことと同じで、同じ”自分”という存在の中で起きています。

※自分を探すと気付く話は、人は変わらない。でもそれで良いよね│変わるとは自分を取り戻す意味 をご覧ください。

人は変わらない。でもそれで良いよね│変わるとは自分を取り戻す意味人は変わるのかどうか。 「変える意志と行動によって人は変わる」と聞くことがあると思います。私もそうだと思います。 しかし、変...

 

人生がどうでもいいと思えるのは大切な合図

最後に、人生がどうでもいいと思えることには、実は大切な合図があるかもしれない話を私の経験からお伝えします。

私は家庭環境のユニークさから、自分を見失い続けて、中学生の頃には喪失感と空虚感がおぞましくなっていました。

しかし、学校の友人がいたことで自分を保ち、お金がなくて食べ物がないことから映画のような日々を送って変人としての経歴を作らざるを得ませんでした。

そして、高校生まで何とか生きておりましたが、完全なる家庭事情の崩壊と共に私は解放されて喜びました。しかし、そんな日々は長く続かず、全てに興味関心がなくなってしまい、たこ焼きにはマヨネーズなしでは食べられない状態でした。

「人生どうでもいいな」と確信のように思い込みました。

その後、人生の年月を重ねますが結局命を終える勇気を出せず、生きることも終えることもできないために膝から崩れ落ちる状態が続きました。

しかしその後、自分を見つけることができた時に気付いたことは、高校生の時に、「人生どうでもいい」と思ったのは自分からの合図だったことです。

 

どうでもよくなれるのは本来の自分との不調和を教えている

どうでもいいと思えるというのは一つの合図で、それは見つけ出す対象である“自分”が、「今の自分は自分じゃないよ」と教えてくれているかもしれません。

私が自分を見つけた時に過去を振り返ってみたのですが、「何もかもどうでもいい」と思っている時の行動や言動、全てのことは自分の意志に反することをしていました。

当時は気付いていませんでしたが、それは、自分が苦しくなることをあえてしている状態で、全て不幸で苦しみがあり、自分は可哀そうで、ダメなやつで、しょうもないんだと思えるように、見るものも聞くものも何もかもの認識を制限していました。

本当は直ぐ横を見れば幸せで楽しくて喜びのあるものは置いてあったのに、それを見ようとしない自分がいます。

ですが、そんな自分がいることによって、違和感として“人生どうでもいい感”を自分ではない自分として教えてくれています。

そのように思えることはチャンスかもしれません。自分の行動一つ一つを観察してみてください、本意ではないと思います。

そして、何が本意なのかを見つめてみてください。その際の答え合わせは“感覚”にて“違和感”があれば不幸になろうとしている自分で、「人生どうでもいい」と言いたい自分です。

“心地良さ”があれば幸せになろうとしている自分で、見つける対象の自分です。

人生はどうでもいいものです。ポジティブもネガティブも全てが自分のためになると考えると、人生どうでもいいと思える時間は幸せになるための前座の意味があり、エゴがあるからこそ裏返した時の愛をより強く認識できます。

※人生どうでもいいことの意味は、人生どうでもいいのは自然な思い。人生の意味はない気楽な捉え方 をご覧ください。

人生どうでもいいことの真意│人生の意味から見える本当の捉え方「人生どうでもいい」と思う経験があることで、人生の意味や生きている意味を考えることになります。 臨死体験や死にかけたことがある方は...

 

人生どうでもいい話 まとめ

以上が、人生への考え方を見つめるどうでもいいことへの見方でした。

人生どうでもいいと思えることは現状がエゴの末端を表します。それ以上は下に行けませんので、あとは上に行くだけです。

ですが、今開放的になると恐怖に苛まれて苦しくなるので、思考をしっかり持ち、現状の自分の行動や言動を一つ一つ観察してみてください。

きっとおもしろいことに気付きます。

「なんでこんなことしているんだろう?」と思うかもしれませんが、文句を言うための材料作りで自分を観察するわけではありませんので、何にも納得したり不満になったりする必要はありません。

大切なことは自分を知ることですので、心の気持ちを感じられるように自分を大切にする必要があります。

糞真面目をボッと燃やし尽くし、ふざけるを追加します。会社での挨拶は今日から一週間は、「ナマステー」です、手も合わせます。

自分を知るためには自分に喜びを与えることです。それは、自分が嬉しいことや楽しいことや癒されることをすると、とても効果的に自分の心の気持ちを見出します。

手始めに、東南アジアに行って休息でもいいかもしれません。家の中でお菓子食べまくりましょう。マンガを大量に買って読み漁りましょう。

自分が心地良いと思えることをする時間を少しずつ増やしていくことで、物事は変わっていき、成長と共に自分を見つける作業が進んでいきます。

そして、その内に、「あー、なんだか本当に人生どうでもいい」と言っていますよ。

それでは、人生はどうでもいいことへの考え方についての話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です