『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
ある日、鏡で自分を見た。
美しさを最初に求めたのは小学生の頃。
何が「美」なのか、知っていたのだろうか?
注目を集めたい、自分を見て欲しい、みんなに喜んで欲しい、寂しい、さまざまに美を求める理由があります。
そんな中、スピリチュアルな理由もあります。
綺麗になりたいとふと思う時、美を求める魂の声として、ある重要な意味が潜みます。
ここでは、私自身が体験した「美しさ」の紐解きと共に、綺麗になりたいと思うことの真意を見ていかれてください。
- 綺麗になりたいと思うスピリチュアルな理由を知りたい
- 美を求める意識について考えたい
美意識を神秘的に哲学する、そんなこねくり回った内容となっております。
綺麗になりたい美意識を持つ自分を知る、そんな勉強会となれば幸いです。
Contents
綺麗になりたいと思う時のスピリチュアルな意味
綺麗になりたいと思うのは、美意識に気づいた時
「綺麗=美しさや整い」という捉え方とは別に、「綺麗=他者の目を引く、肯定してもらえる」と捉える人もいます。
ここでお伝えしたいのは、こういった承認欲求に基づくメンタル物語りとは別物。
美意識によって綺麗になりたいと思う状態、その内情を探索するお話です。
美意識が芽生える感覚、多くの人は子供の時に経験したかもしれません。
女の子ならお化粧、男の子ならイチローの打ち方の真似。
私の場合は、少林寺拳法の頭だけ付けた逆さ胡坐でした。
「綺麗になりたい、かっこよくなりたい、気高く、高貴でありたい」などと努力した時期が人それぞれにあると思います。
外界からどう見られ、思われているかに認識が向き、自らのパーツ造形、部位比率や体重、服装や装飾品、姿勢や立ち振る舞いを世話し始めます。
綺麗になりたいと思う時、美意識によって他者の目に映る自分を気にします。
他者の目でも自分でもなく、他者の目に映る自分を気にするのは、自分のためにも他者のためにも自分を価値あるものにしたいからです。
これは気づき。
自分に価値があると気づき、自らのためだけでなく他のためも含めて向上する意識が芽生えると、綺麗になりたいと思います。
典型例が、好きな人から褒められ、相手にも喜んでもらいたいと思った時。
自意識を他(自分以外の万物)の認識理解や、他との調和や調整に使おうとする意志や意欲がある状態です。
綺麗になりたいと思う時のスピリチュアルな理由
美意識の芽生えには前提条件があります。
集団社会の従属理解、個を主張する自我の強まり、愛の強まり。
いわゆる、集団の中で個を見出し、他も含めた自分をケアするために愛を用いる状態です。
自意識を消さずに高めながら、さらに他に合わせるための愛を見出すのが美意識の特徴です。
以上から、キーワードが三つあります。
- 自我(個の強まり)
- 他に合わせる(調整意思)
- 愛(自他の敬い、二極の一元化)
綺麗になりたいと思うのは、これら三つが組み合わさった状態。
自己中心的な状態から自力で離れようとする、さらにそれを自己と他の両方のためにしようとする意識。
これをスピリチュアルに捉えると、こう言えそうです。
綺麗になりたいと思うのは、自らを自他共のために向上成長させようとする愛の強まり。
※美意識の芽生え、または高まる状態
ポイント:精神性が高まるサイン
上述の状態、[集団社会の従属理解、個を主張する自我の強まり、愛の強まり]は捉え方を変えるとこうなります。
『孤独で、愛を欲する状態』
個という孤独を強め、愛にて他との調和を作る状態は、恐怖と愛という表裏一体を同時に内包しようとする意識。
二極化の一元論でして、陰陽思想で言う「中庸」を意味します。
真ん中取りは哲学思想で言う弁証法。
両方を理解する認識は、仏教の中道を行きます。
中道は自然の原理との同調であり、真理に近づく状態や在り方。綺麗になりたいと思うことは、精神性や人間性が高まっていると捉えられます。
・精神性の高まりは自責の高まり。
※自らの認識に責任を持ち、認めて思考や行動するさま(自分や現実を知る力)
・人間性の高まりは完璧への近づき。
※自然の原理や真理に近づく性質
花の規則性や循環、昆虫など他との完璧な調和。人間で言うと黄金比やフィボナッチ数列、あらゆる現象を受け入れるさまが例となります。
これらの高まりは精神の成長過程において必ず起こります。
人生のステージが変わる前兆であり、意識レベルが上がる前触れです。
一つの流れに乗っているサインにもなります。
綺麗になりたいと思うのは精神性や人間性が高まっている状態であり、ステージが変わる、またはレベルが上がるサイン。
認識の縛りが緩まった、自己内部の抵抗や抑圧が減った、向上心が高まったなど、精神を成長させる準備が整ったサインです。
※ステージが変わるサインについては、【ステージが変わった時のサイン】孤独と審美眼に人生のイロハ をご参照ください。
例外もある
スピリチュアルな意味をお伝えしてきましたが、心理的に捉えると一変します。
上述にある、「孤独で、愛を欲する状態」は、スピリチュアル的にはかなりプラスの意味合いですが、大衆観念では真逆に捉えることも可能です。
「ひとり寂しくて、どうしようもできない、欲求不満で愛欲が増える」
または、「ナルシシズムの過剰による自己愛性、他に合わせる意識喪失による自己愛の貫き」
家族がいる、同棲しているなどの形式は一切関係ありません。
一緒にいても寂しいなど、心の虚しさがあり、孤独に耐えられず、他に愛を求めるさま。
この場合、精神以上にメンタルが着目となり、綺麗になりたいと思う意味が変わります。
[綺麗になる=向上、成長、美意識、愛と恐怖の理解]
[綺麗になる=不満や不快への反発、他者承認欲求、自己愛の過剰(ナルシシズム)、エゴ、恐怖から逃亡]
スピリチュアルな捉え方は成長が中枢となりますが、「寂しいのは嫌だ、誰か愛して、ブスなんてダメ!」などは、現状の不快から逃避するための一時凌ぎ、全く別物です。
自己価値や承認を求めるメンタルという捉え方もできるため、精神を補おうとする成長活動なのか、エゴと寂しさと現実逃避の紛らわしなのか、綺麗になりたい意識が異なります。
※年々綺麗になっていく魔法については、【美しさは育める】どんどん綺麗になる人の特徴とスピリチュアルな仕組み をご覧ください。
綺麗になりたい人は美意識(精神)を追及する
ここからはかなり奇妙な内容に入っていきますので、お好きな方はぜひお楽しみください。
美しいとは何なの?
始めに、「美しい、綺麗」とは何なのかを考えたいと思います。
私たちはさまざまな表現をします。
- 味の美しさに中毒する
- 匂いの美しさに鼻から花が咲く
- 言葉の美しさに情緒を想い、月夜に酔う
- 絶景と美人に心を奪われ石になる
- 旋律の美しさに耳クソがポロ
数列の整いに美しさを見る、赤ちゃんの透明度に美しさを想う、ユーモアに美しさを抱くなど、人によって何に美しさを想うかさまざまです。
山頂で見る日の出が美しいのは、道中の苦しみや達成感も介入しており、さまざまな要因が絡み合って認識されます。
そんな美しさとはなんなのか?
夢を見させてくれる仕組みに美しさがあるのかもしれませんが、ここでお伝えしたいのはこちら。
美しいとは、「わかる」
言語化が難しいので私の体験談をご覧に入れ、一緒に理解を進めていきましょう。
エピソードは二つあります。
体験談①:アラスカの森で狼になった時、美しいを知った
大丈夫、正気です。
一つ目は私がアラスカの森に住んでいた際。
森の奥へ続く川沿いを14日間歩き続け、たしか12、13日目辺りでのこと。
バックパックを背負いながら、力なく無心でフラフラと砂利道を歩いていた際、左前方に小さな丘(たしか10~20ⅿほど)を見つけました。
この瞬間、私の中で閃光が走り、「登るぞ!」といきり立ちました。
疲労困憊だったのでこれ以上疲れを、しかも無駄な疲れを得たくない心境ですが、迷うことなく登り始める、そんな自分を俯瞰して驚きながら見ている状態でした。
丘は半分崩れて砂利だらけ、なんとか登り切って尖った先端に立つと、目の前に広がる景色は大きな森。
地平線まで続く大緑、絶景そのものでした。
しかし、私の心を奪ったのは他にありました。
丘の先端に立った瞬間、起こったのは雷が落ちたような衝撃。
「あぁあぁぁあ!わかった!!」
一瞬で全てが繋がった感覚。
正解や間違いなんて概念すらなく、これ以上ないというほどに伝わってきた、わかった感。
わかったのは、「これ(自分のこと)は狼だ」ということ。
自動的かつ鮮明に脳内ビジョンに現れたのは、子供の頃に何度も何度も読んでいた『三匹のヤギとガラガラドン』という絵本(たしかこんな感じのタイトル)の、三匹目のヤギ(勇敢なお兄さんヤギ)。
とても怖いので読みたくない、にもかかわらず何十回も読んだ絵本。
三匹目のあのヤギが脳裏に焼き付き、アラスカの丘の上、そこから見る景色、私の認識が融合し、「そうなんだよ!これは狼!」という謎のわかった感。
ワオワオーンとはなりませんでしたが、この「わかった感」はこれまでの人生で最もわかったと認識する体感です。
一体狼がなんなのか、どうしてあのヤギで、どうして丘の上なのか、理論もプロセスも、正解も間違いも知りません、と言うよりはありません。
ただ、「わかった」だけが明確にあるそこは、魂と原理が繋がる領域、人間の未開の地。
「これ(自分のこと)は狼だ」とわかった瞬間、私は絶景が比にならないほどの美しさを感じました。
この美しさは今でもよく覚えていますが、言語化できません。
一つ言えるのは、なんとか表現して形にしようとすれば、その美しさは瞬く間に醜く壊れ、私は純粋かつ強烈な不快感を覚え、一切表現なんかしたくなくなります。
例えば、「スピリチュアルな過去世で私は狼として生きていたのかもしれない」と思うのは自由です。
しかし、理由付けすると、あのわかった美しさが崩壊します。
美しさとは、見続けていたいほど魅了されるものではなく、それそのものが“完璧”であり、付け足して余計なことをしたら“わかる”が崩壊してしまう。
ずっと味わっていたいほどの貴重な現実、やっと現実として認識できたかけがえのない本物を、「はいはい、なかったことにしますね~、壊しちゃうガシャガシャン」とするようなものであり、無為にするだけでなく価値をも吐き捨てる禁忌、ご法度。
不可能を強引に可能にする醜さは、耐えがたい苦しみがあります。
わかるとは正解と間違いの定義概念や、他が見出した理論ではなく、感覚的知性でのみ認識できる他との合致、自己の統一。
この「わかる」が、「美しい、綺麗」だと知る体験です。
体験談②:恐怖はこの世で最も綺麗な音色
こちらも少し不思議な体験です。
「テンテンテテン、テンテンテテン」とマリオが無敵になった時のようなサウンドトラックが耳の奥から聴こえる時があり、旅をすると顕著になる私の耳。
自転車を濃いでお風呂に向かっていたある瞬間、そんな耳に聴いたことのない音色が数秒間ほど流れたことがあります。
今ではメロディーや諧調は覚えていないのですが、明確に覚えているのは、「この世で最も綺麗な音色だ」と感じたことです。
そして音色を聴いている際、怖くて仕方がなかったことも鮮明な記憶です。
怖ろしいのに、心地良くて安心を覚える。
まるで母体の中、不思議な感覚。
綺麗な音色はあまりに美しく、心を奪われるどころか、現実世界で自転車を漕いでいること、生きていることすら忘れていました。
聴いた直後の記憶で残っているのは、恐怖が美しさに必要不可欠だと強く感じたこと、「全人類が魅了される音だ」となんの違和感もなく共同体感覚を抱いたことです。
恐怖と愛の両方。
怖れる気持ちこそがアクセントであり、安心感がなければ聴くのは到底耐えられないので愛も必須。
恐怖と愛が同時にあるその世界は、一般的なメロディーやテンポやハーモニーとは違い、恐怖と愛のバランスをどう崩すかの工夫、知性と感性を加えて認識をどう変えるかに音楽という楽しみがあるように思います。
しかし、本質的には楽しむでも堪能するでもなく、そのものをそのまま聴くことに美しさがあり、その恐怖と愛の体感に美の入り口があると考えます。
以上が体験談でした。
綺麗になりたい人は美意識を追及する
体験談から考察するのは、「美しい、綺麗」とは完全にピュアな原物を基にしていることです。
まがい物も真似事も、概念も価値観も何もないそこには一つだけ。
ただ、私の体験が限られているように美の頻度は少なく、原物は認識するかしないかではなく、認識できるかできないか。
原物とは「ダイヤモンド彫りたてホカホカ」ということではなく、ダイヤモンドに対して「わかる」を体感することだと考えます。
太陽の一部しか感じられない私たち人間が、紫外線やそれ以外の認識できていないけどそこに在る現実を感じ取るように、
半月とは半分欠けているのではなく、ただ見えていないだけだと気づき、月の本当の姿を見れるように。
原物とは二極化が一元化された自然の原理であり、真理の近づき。
いわゆる二つの相反するものが集結されて一つに形を成しながら、実質一つではないために正解も間違いも、あれもそれもなく、あらゆるものが集まって合致したさまです。
言語化して、「美とは夢を見させてくれる魅惑のエネルギー」などと言うのは自由ですが、私たちが原物を見るのは極めて困難であり、思い込みや決め付けの幻想が認識を邪魔します。
このことから、綺麗になりたいと思うことの意味が見出されます。
綺麗になりたいと美意識を持つ人は、これまでは偏っていた認識のバランスに気づき、他との関りによって自分という原物(誤魔化しもまがい物もないピュア)を追及しようとしている。
恐怖と愛、陰と陽、強いと弱い、男と女のように二極化する物事の一側面を見ていた状態から、両面を捉えて現実や原物を知ろうとする(中道にイン)サイン。
両方を受け入れて先へ進もうとする魂の声であり、自分にとっての宝探しの始まり。
わかるをわかろうとする人、偏らずに本物を求める人。
美しいとはわかるであり、わかるに近づく意識に美しさがあるのだと思います。
※容姿のスピリチュアルな理解は、心が綺麗な人の特徴に美形もブスもない|自分で選んだ容姿にスピリチュアル をご覧ください。
まとめ:綺麗になりたいと思う時のスピリチュアル
奇妙なお話、最後までご苦労様でした。
日本における「綺麗な人」はとても象徴的です。
真ん中の真ん中、全員の顔の平均だと言われています。
平均とは何もない無でありながら、精神理解では空ですので、陰と陽、恐怖と愛の真ん中に美しさがあり、そこにわかるがあります。
が、わかるとは何なのかということでして、わかるをわかるために私たちは美しい意識を用いることができます。
美意識は私たちの精神を向上させ、真実をそのまま見る力を育ませてくれます。
真実を言語という共通認識(限定概念)で伝えるのは難しく、ましてや社会で決めた正否や良悪なんてルールはもってのほか。
一人一人の体感が必要となり、全体で生きる意識も個としての意識も両方重要だと魂が教えてくれます。
綺麗になりたいと思う時、二極化の偏りは緩和し、新しい世界を知る始まりが切られます。
進む先に精神性と人間性の高まりがあり、スピリチュアルな意味が見出される。
そんなサインとしてご活用していただければ何よりです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。