心理

【本気になれないのは当たり前】心理にて安泰環境と自分を要確認

誰しもが本気で生きていた赤ちゃんの頃から随分と月日が経ちました。

気づくと本気になれなくなっているかもしれません。

本気で物事に取り組めないと、自らの意見や気持ちや能力が発揮されず、不完全に終わることが多くなってしまいます。

「本気とは何なのか?」の詳細を知っておきたいものです。

ここでは、本気になれない心理と、根底にある正体の紐解きをお伝えします。

  • 本気になれないのは当たり前?
  • どうして本気になれないのか?
  • 本気とは一体なに?
  • 本気になる方法は?

これらの答えを知っていただき、本気とは創造性という理解へ向かう内容となっております。

本気になれない仕組みから、本気になれないのは環境による影響の可能性があるとわかりますので、本気に含まれる人間理解をご覧ください。

本気を知り、本気を創作する一助として、一つの考え方になれば幸いです。

本気になれない心理

本気になれない「死」と離れた環境

赤ちゃんを見ていただくとわかるのが、全力。

本気で一生懸命に今の繰り返しを生き続けるさまがあります。

まるで動物を食べるために殺す時の、本気で暴れる牛の顔を見ているような気持ちです。

全力で泣き、叫び、笑い、喜び、愛を与え、表現します。

私達人間の基本原理に振り返ると、生存にある「死」に関わると自然と本気になります。

生きるのも、死ぬのも、死なないのも本気です。

ここに一切触れない環境で生きていると、本気になる必要がなくなる可能性が出ます。

日本という環境です。

日本にて安泰を得ている環境で生きている場合、本気になれないのは当たり前かもしれません。

 

本気になる必要のない安泰環境は天国か地獄か?

動物や赤ちゃんのように本能的に生存を図り、欲する場合、おそらく誰しもが本気になると思います。

お金によって安泰を得る、お金が無くなれば本気になります。
社会制度にて守られる安泰を得る、国から守られなければ本気になります。

安泰は恐怖無+安心有の安全領域ですので、本気になる動機、意味も理由もなくなるのは自然だと思います。

動機がなくなり安泰に身を委ねると、国が「もう守りませんよ」と言ったとしても本気にならない人がいるかもしれません。

安泰環境にはストレスがないと同時に自力や主体性を欠き、与えるだけのボランティアを一方的にするように、本人の動力や行動や欲を失わせる怠惰の種にもなります。

生活環境に「生死」との関わりがなく、「安泰」があると、本気になるのは困難と考えるのが容易です。

日本という絶対的な安泰を与えられる環境で生きている場合、本気になる必要がない価値観が作られ、安泰という防衛状態に身を浸けることが起きます。

これが天国なのか地獄なのかは人それぞれの価値観に起因します。

 

余裕があればあるほど、目的がなければないほど本気になる必要がない

私自身を観察すると、「本気になる」概念すらない時が幾度とあり、全ての時に共通点があります。

生活的余裕があり、行動目的がない状態です。

海外を旅していた際には、約五年の内でお金がたくさんある時もあれば、完全にゼロの時もありました。

お金があればあるほど、驚くほどに本気になる気がありませんでした。

生活に余裕があると焦りがなく、選択肢が多いので思考にゆとりがあり、行動目的がなくなる可能性があります。

お金は大切ですが、お金によって得た安泰に身を委ねると自力や主体性がなくなり、自らの行動に責任を持つ意味がなくなる経験でした。

意味がないので責任を持つ気はなく、行動動機も生まれず行動する目的を生み出せず、生み出せないことに違和感すら感じなくなっていきます。

「死」を考えずに危険への意識がなくなると同時に、行動目的がない状態には欲を見出す動機がなく、明確に自力と自責と主体性(自主性)がありません。

本能的に本気になれず、思考的にも本気になる欲が見出せない状態です。

 

本気になれない心理

行動する目的とは動機であり欲を意味します。

欲があることで行動へ向かえ、欲がないと何もかもの動きと力を見出すことは困難になります。

さらに生死、特に死に関わる本能的な活動動機がないと、潜在的な力を出すこともできません。

この状態は、別荘のプールで脱力してプカプカしているさまです。

これが海のど真ん中であれば、猛烈な本気が出ることでしょう。

私がニュージーランドにいた際、25m以上泳いだことがなかったのですが、海の前に住んでいたことで興奮し、沖に出たら流されてしまい、気づけば海のど真ん中でパニックという経験をしました。

浜が見えない距離になり、波が強くて戻れなくなり、体力がなくなり、海の中に顔を入れると深過ぎて真っ暗、当たりが暗くなってきた時には泣く余裕もないほどに本気でした。

結局右脚、左脚、右腕が攣ってしまい、火事場の馬鹿力で戻り、傷だらけのウミガメのように浜に打ち上げられ、今も生きています。

「死ぬ気でやる」とはこれかと実感しました。

こんなことからわかるのは、本気になるかどうかは目的があるかどうかです。

本気になる目的が見つけられるか否かに、本気になれるかなれないかの境目があります。

 

本気になる理由が見つけられないと本気になれない

何かしら本気になる目的があるからこそ本気になります。

目的を持つ際には人それぞれに意味や理由を必要とする人もいれば、必要としない人もいます。

本気になれない場合、目的に意味や理由を欲している可能性があり、思考にて納得できる理由が見つからないと本気になる目的がないので行動へ向かえなくなります。

この原因に考えられるのが、主体性の抑圧(または放棄)です。

幼少期に遡る長い過去の中で、主体性を抑圧する他の影響、干渉、制限、支配、恐怖による自粛、傍観癖、甘やかし、指示、表現を控える原因があるかもしれません。

抑圧されると主体的に行動する動機がなくなり、受動的で受け身の待ちスタンスが構築されます。

自らが自らを納得させるのではなく、誰かや周囲から納得できる材料を貰えるか否かを見つける癖ができ、本気になる理由を欲しながらも見つからず、本気になれなくなります。

 

主体性の抑圧は生活環境に飲み込まれやすい

主体性を抑えると、テレビの字幕テロップの大きさや色合い、笑い声の効果音によって感情を左右されることを疑問に思わないように、他の影響に飲み込まれやすくなります。

飲み込まれて何も悪いことはないのですが、自分の耳で音を聞き、頭で認識し、自らが笑うかどうかを判断しなくなり、意志がなくなる可能性があります。

無意識に日本の絶対的安泰領域に身を浸からせることが起き、本気になりにくい性格が恒常化していきます。

ぜひ一度インドにでも行ってみてください。このことがわかると思います。

 

主体性の抑圧は思考過多になる

私自身そうなのですが、幼い頃の生活環境にて主体性を抑圧されると、不安や恐怖をとにかく嫌がる自分が作られます。

ポジティブで良いことがあった=利益
ネガティブな不安や恐怖がない=利益

物事の認識がマイナススタートになります。

不安や恐怖に対する抵抗や反発が強く、自らを抑制することで対処し、自らを周囲に同調させ、同情を重んじて周囲に合わせる癖が付きます。

物事の見方は、「如何に不利益をなくすか」という観察目線ができ、周囲を把握しながら自らを納得させようとする思考を多用します。

自己納得させるための思考と周囲に合わせることが得意になり、自ら発信したり能動的に行動するさまが減退します。

 

本気になるための方法

本気になるための観念

思考過多による自己納得の上手さは他者のサポート能力になります。

しかし、自ら行動動機や動力を生み出すことができず、常に二歩後を歩く状態が必須になり、前を歩く人がいれば能力発揮できるという条件が付きます。

イメージは部活動で自分より強い人がいると強くなれるけど、いない(または責任を要する)と急に弱くなる状態です。

「本気になる動機を周囲に求める観念」という自分の中で基準となるルールが構築され、「自ら本気になる動機を見出すのが苦手=自分にとっての正常」になります。

この観念があると本気になりたいと思ってもなれないジレンマを抱えます。

本気になれないのは、本気になる動機がないことであり、観念によって自ら見出せないためだと考えられます。

 

本気になれないことを良しとする観念

主体性の抑圧は国の価値観に飲み込まれやすいと同時に、本気になれないことに抵抗を抱かない観念を作ります。

「本気になりたい」と思うことがなくても違和感を感じなくなり、周囲との比較や誰かに言われることで、「本気にならないといけない」というのが唯一の違和感を認識する状態です。

他が動機になると自ら本気になる意志ではないために、解決へは向かわない迷いを作ってしまいます。

観念は長い年月によって作られた自分の価値観や在り方を決める基盤です。頭ではなんとかしなければと思っていても真意は別にあると、覚悟を持って行動したくてもできません。

観念が邪魔していると覚悟や決意が決められなくなり、ここに意志の有無が関わります。

 

意志がないと本気でやる覚悟や決意ができない

意志とは、自分のことを自分で喜ばすことであり覚悟です。

少しわかりにくいかもしれませんが、覚悟するためには意志という覚悟が事前に必要というものです。

意志は覚悟によって持つものではありません。自分を喜ばしたい真意であり、心からの気持ちです。

「自分で自分を喜ばしたい」と思えれば意志があり、心を認識している状態になります。

心を捉えて、喜びたいと欲を持つ時、既に本気になっています。

このことから、本気とは一体なにかの正体が判明します。

 

本気とは創造

意志には必ず主体性があり、自らが自らを認識する状態によって、自らを喜ばしたい欲を持ちます。

「自らに喜びを与えたい欲」は自らが自らを認め、責任という思考と行動の自覚がある意味です。

シンプルに、「私は私を喜ばせたいんだ」という思考を持ち、その思考を自覚する状態です。

ここにあるのは自らが自らのことを客観的に捉える目線であり、自らを使用して生きる状態です。

ロボット操縦するイメージで、肉体・脳・心を使用して生きる状態が主体性そのものであり、意志の塊りです。

客観視と使用概念は、自らが人生の主人公であり、自らが人生を創っている認識を持たせ、ここに創造性があることに気づけます。

創造性とは主体性・軸・意思・意志・客観・感覚(肉体)・知性(脳)・感性(心)の集結であり、どれほど自己理解の上で自分を組み合わせ、能力と才能を混ぜ込めて使用するか次第で高まる自己認識の結晶です。

創造性のある状態に本気があります。

 

自らが創ることに本気の種がある

本気になるか否かは自らが創るか否かだと考えます。

主体的に創るからには一からの創作です。

誰もいない中で粘土と面々に向かい合う勝負。

「この粘土、どれほど私を喜ばすために使ってくれようか!」と舌なめずりしたらゴングがなります。

カーンと同時にグニャグニャにして、地面に投げつけてやりましょう。土が混ざれば色が変わるので良し、引き延ばしてドンッ、引き延ばしてズンッ。

この時間に集中します。

集中する理由は一つだけ。
「私が私を喜ばすため」

創造性は自分を愛していればいるほど、主体性があり、欲があればあるほどに高まります。

本気とは自らの創造性の見出しであり、自らをどれほど喜ばせたいかの真意です。

※普通じゃなくなると本気になる詳細は、普通じゃない人ならではの特徴と生き方│新しい世界の創造者は変人必須 をご覧ください。

 

本気になる方法

本気の正体を知っていただきました。

ここでわかるのは、「別に本気にならなくてもいいよね」ということです。

本気になりたい人はなります。なりたくない人はなりません。なりたいと思わなければなりません。

無理矢理本気にさせずとも、自分を知り、自分を愛し、自分を喜ばしたいと思った時に自然と表れるものが本気です。
※無理矢理辛い状況に追い込み、恐怖を克服して自分を知ることで本気になりやすい人もいますが、ここでは平和的にお伝えしたいと思います

 

本気になりたい場合には、本気になれるものを探すことが得策

今は本気でなくても、自分が自分を喜ばしたいと思える何かが見つかった時には、自然と本気になります。

自分が自分を喜ばしたい状態とは、一言で言うと「楽しい」と感じる状態です。

これは他の影響ではなく、自分が楽しいことです。

本気になりたい場合には、楽しいと心から感じる何かを探すことが方法です。

探す場合は必ず自分が主体です。自ら行動して、試して、学んで、楽しいと感じるかどうかです。

誰かの二歩後を歩くかどうかはどうでもいいことです。誰かの真似でも、憧れの人のフォローでも良く、自分が行動の主体かどうかのみが重要です。

※楽しいことの見つけ方は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。

 

観念を知ると本気になれない抵抗を撤廃できる

楽しいことをするのは、探す時の思考、実際に試す行動、それらの自覚と、主体性を引き出す方法そのものです。

このような行動によって本気になれる方法とは別に、自分の内部を理解することで本気になれない抵抗を撤廃する方法もあります。

観念を知り、「自分を知る」という方法です。

今日までの過去の記憶によって作られ、他者からの影響によって構成されるのが私達人間。過去を知り、他を知ることも自分を知る材料となり、心理や精神を深掘りすると本気になれない自分がわかり、悩みや迷いはもとより、能力や才能発揮にも、本気ややる気の見出しにも繋がる根本的な方法です。

そのための理解が、ここでお伝えしている内容です。

※本気になるために欠かせない理解は、やる気が出ない時「自分」がいなくなる│消える意識のスピリチュアル をご覧ください。

やる気が出ない時「自分」がいなくなる│消える意識のスピリチュアルやる気が湧かない、だるい、動きたいのに動こうとしない。 行動したい気持ちはあっても実際に行動へ向かわないジレンマ。 このよう...

 

本気、一生懸命になれない心理 まとめ

本気になれない時は自らを外側から捉える目線を持たれてみてください。

主体性の抑圧は誰しもに起きる可能性があり、毒親と言われる言葉があると明確ですが、毒親でなくても知らずの内に脅しや恐怖や洗脳を使用した教育や躾をされている可能性もあります。

どんな教育や躾をされていようと、最終的には自らが主体性を持って物事を認識し、思考し、行動するかで、「自分」という存在が見出されます。

国の安泰環境はとても重要ですが、知らずの内に浅漬けができるかのごとく大衆的な価値観に浸かっているかもしれませんので、自らの客観視はとても重要です。

あらゆる他の干渉と影響と情報の中で生きるのが今の時代ですが、社会的価値観を活用するか飲み込まれるかは全て自分次第です。

主体性は抑圧されてもなくなったわけではなく、常に心のどこかに意志と共に潜んでいます。

自ら見出すのを待つ彼らのために気づきとなる考え方が重要になり、主体性という自分の認識がものを言います。

本気になれないのは環境だけでなく、健康も心理も精神も含めた状態が関わりますので、自らを健康に保ち、心理を知り、精神を育む認識があると、既に意志そのものであり本気で生きる日常が生まれます。

「自らを喜ばせたい欲」は常に生死への欲へ続き、生きたい気持ちを見出します。

死生観は本気になるための鍵です。生死から距離を取らずに考えることは人間の本能も思考も心も含めた重要な基盤になります。

死体を見ず、うんちを見ず、食べる命の理解をせず、動植物の殺生を認めず、人間の理解をせず。

この価値観をどう捉えるかのご自身を一度知られてみてください。

自己理解を深める本気の意味を知る内容となれば幸いです。

それでは、本気になれない心理のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. Pikopiko より:

    ここに書いてあるのは私です!

    ずーっと、自分が望むことにだけ腰が重く出来ない、他律による義務や人の世話などは腰が軽いという事があり。おそらくやりたいことに限って却下され続けて来た過去から、主体性がなく、欲が薄い認識があります。死を意識する場面ですら抵抗がなく、身体の本能的反射や、家族を思い出し水上に浮上するくらいで、欲とはなんなのかとまさにブッダなど考察してみたりし。なかなか変われず、衝撃的動機が必要なんだろうなと思っていましたが、近頃は出来るだけ創作や遊びで主体性を見出したいとあれこれ試作中でした。作っては飽きてしまい、何かに役に立つか?お金になるかな、など創造すら人からの評価を念頭に置いている様で、自分を喜ばせるのとは何なのでしょうか。ともかく、続けてみようと思います^ – ^

    いつもくもりを言葉にしてくださり安心しています、ありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”拝み

    • 北斗 より:

      それは良かったです。どういたしまして。
      おそらくですが、自分を知ることを遊ばれるのが合うように思います。
      私がそうですが、人体実験などで試しながら感情を引き出したり、欲を観察します。
      創作は外にも内にもあるので、楽しまれてください。

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