『DNAシフトセラピスト養成講座』
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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ジャパニーズカルチャーとも言える「曖昧性」を利用した生き方の一つに、馴れ合いがあります。
馴れ合いを好まずに嫌い、気持ち悪いとさえ思ってしまうことがあるかもしれません。
馴れ合いが嫌いだと仲間外れのターゲットとして、集団維持のエサになりやすく、なるべく馴れ合いたいものですが難しい。
そんなことでは日本では生きづらい、と思いきやそうでもなかったりします。
ここでは、下記の内容にて馴れ合いが嫌いで気持ち悪いと思う心理と大切さをお伝えします。
- 馴れ合いが嫌いになるのは仕方ない?
- 馴れ合いに反吐が出る理由とは?
- 馴れ合いが嫌いな人に大切な理解とは?
馴れ合いの理解が深まると、馴れ合わないために大切なことがわかります。
嫌いなものは嫌いだとはっきりさせ、馴れ合いの必要有無が人それぞれにあると知っていただく考え方となれば幸いです。
Contents
馴れ合いが嫌いで気持ち悪い理由
馴れ合いは好き嫌いが極端に分かれる
暗黙のルール従順、同調に同情、集団維持、不安恐怖回避、人間関係構築、見栄え良好、承認欲求満たし。
人によって大切な利益となるこれら全てをゲットできる方法が、馴れ合いです。
馴れ合いには曖昧性があります。
日本と言えばようかんと緑茶と曖昧好きであるように、大切な価値観であり人間関係を作る方法です。
そんな馴れ合いの意味には特徴があります。
馴れ合いとは暗黙の意思決定を合意し合う利害関係
馴れ合いにはベタベタと関わり、親しいのか何なのかわからない必要以上の近さがイメージとしてあるかもしれません。
言葉の定義ではこのようになっております。
・互いに親しむ。共謀して悪事をたくらむ。ぐるになって他をあざむく。コトバンク 引用
・利害を共にする同士が結託して、通常取るべきとされる手続きを踏まず、暗黙の合意の元に意思決定を行うことを指す。Wikipedia 引用
利害関係があり、結託して利益を求めるさまがあります。
暗黙でも合意し合うために、なあなあで曖昧な関わりになりやすく、責任の所在が追及しにくい特徴があります。
言わば責任がなくても関われる親しみ、「ルールとかなんとかは要らないよ、お互いの目的は共通しているんだから」というものです。
不安や恐怖が先行している人にとっては責任がないと気楽な関わりができ、一緒にいる目的が明確に利害の上で成り立つので集団を維持し、意識を統一しやすくなります。
馴れ合いは個を殺し、集団を維持する
個は厳禁。馴れ合いの中で個があると全部ぶち壊しです。
みんなが笑えば笑うんです。怒れば怒り、悲しめば悲しみ、旅行は清水寺。
目的を同じくして、お互いが利害で結ばれ、一緒にいるからこそ利益を得ます。
「みんなで同じ太陽の方を向いて笑おうね」と言って、実際にそれをみんなでするから利益になるので、「ねぇ見て綺麗だよ、太陽は眩しいからお花を見ようよ」なんてなったら、集団に変化が起きてしまいます。
「あ、本当だ」なんて人が出てしまえば崩壊。二人して追い出されます、ポーンと。
馴れ合いは集団維持になり、個は邪魔です。
個か集団か。どちらも大切なのが私達人間ですが、馴れ合いの特徴は、「集団によって利益を得られるので維持する」ことであり、そのために「個が邪魔」になることです。
好き嫌いは極端に分かれます。
馴れ合いが嫌いな理由
馴れ合いが嫌いになるのは、個を持っている人であり尊重する人。または集団で結託して利益を得ようとするさまに、嫌悪や反発があるためと考えられます。
馴れ合いは複数や集団の維持によって得る利益がたくさんあり、個という独りによって起きる不利益をなくせます。
実際に馴れ合う場合には、「集団でいることで利益を得ている」とは認識しません。
個がないので自覚することはなく、利害関係で結ばれているので利害がなくなれば柱のない家のようにバラバラと崩れます。
利益を得るために個をなくし、集団で統率を図りながら維持し、馴れ合わない人がいれば排他して内輪で固まるので、エゴの仲良しごっこという印象を与えもします。
個をなくすために自らの意思や責任がなく、緊張感や能動性や主体性がなくなるので、仕事で馴れ合いがあれば業務量も成果もガタンと落ちるのが容易に予測されます。
責任がないと好き勝手に何を言っても構わなくなり、相手のプライベートもゴシップのように根掘り葉掘り聞くことをいとわなくなり、集団の中でしか理解できない内輪ネタで独自の笑いや楽しみを見出し、集団の孤立が際立ちやすくなります。
集団意識を強めれば強めるほど利益になるので、まるで家族のような関係の方が結託感が強まり、馴れ合いの中では根掘り葉掘りが善になり、答えなければ悪になる不穏なさまを作ります。
馴れ合いが嫌いな理由はこれら全てへの嫌悪や反発やヘドロです。
馴れ合いのさまを表し、嫌いで気持ち悪くなる理由のキーワードをまとめるとこうなります。
「責任がない」「意思がない」「個がない」「執着過多」「無変化」「成長なし」
馴れ合いの利益(メリット)は嫌いになる材料そのもの
馴れ合いは共通認識にて利益を求める集団です。
得る利益にはこのようなものがあります。
- 責任を持たずに済む
- 集団による不安・恐怖解消
- 曖昧性にて誤魔化しが容易
- 仲間がいるという安心感
- 集団維持によるバックアップと自信擬装
- 承認欲求を互いに満たし合う不満足の解消
- 執着と甘えの正当化がしやすい
- 結束を強める統一意識
- 集団の独自世界に身を漬けて変化せずに済む
馴れ合いの利益はメリットとしてたくさんあります。
特に不安と恐怖を解消できるので、危険や苦痛や拒否したくなるさまをなくし、知りたくない、味わいたくない、認めたくないと思う状態をなくせます。
もしあっても集団で誤魔化せるので正当化と思い込みを思う存分にして、なかったことにもできますし、誰かを否定して責め立てることで容易に事実から目を背けられます。
集団から外れて排他される心配がなく、自尊を傷つけられることもなく、集団に身を委ねて気楽になれます。
とても好まれる馴れ合う利益のナンバーワンです。
メリットがたくさんありながらもデメリットが多い
馴れ合いの好き嫌いは利害のどちらを見るかによって変わります。
良さげなナンバーワンがあるにもかかわらず、損害であるデメリットに目を向ける人は自然と嫌いになります。
メリットも多ければデメリットも多く、デメリットに目が行く人はメリットがメリットに思えないために、馴れ合いとは全てが嫌悪の基になるかもしれません。
利益を見る人は安泰という絶対的なものを持ち、責任すら放棄できます。その対価として個が死にます。
個が初めからなければいいのですが、個がある人は自ら殺す必要があり、自ら個を滅するか否かの選択が起きます。
常に天秤です。自らを滅さない、またはデメリットに目が行く人は馴れ合いに反吐が出て、「気持ち悪い」という反発や拒否の最大限の表現となります。
※集団行動に対する気持ち悪さは、【集団行動への反吐感に意味アリ】気持ち悪いと思う人は真に協調できる をどうぞ。
馴れ合いが嫌いな人の心理
もう一度おらさいします。
「責任がない」「意思がない」「個がない」「執着過多」「無変化」「成長なし」
「責任がない方が良い」か、「責任は自分で持ちたい」と思うかは人それぞれです。
責任を持つ、意思を持つ、個を尊重する、執着しないようにする、変化する、成長する。このように思う人、または一部でも思う人は馴れ合いにネガティブな印象が付きます。
「誰もが欲する安泰なのに、どうして要らないのでしょうか?」
自分で作りたいからですね。
貰うのではなく自ら成長してもたらす意識は、自責であり個の尊重です。
不安と恐怖を解消して嫌なことは認めずに済む。これを自ら成長してできるようになろうとする人は、自然と馴れ合いに気持ち悪さを抱くと考えられます。
この心理は自責であり成長を求める人間味、自らを滅した人への理解不能さによる憤りです。
自責がある人は個を大切に敬う
自責とは、自らの思考と行動を自ら認めて自覚することです。
他ではなく自の意識は個を敬い、自らの意思を重んじ、変化や成長していく基盤となります。
馴れ合いは人によって大切ですが自分に合うかどうかであり、合わない場合には個を主張するでも集団を排他するでもなく、自らを自らで殺さない意思が表れます。
個を敬う人は、馴れ合いに頑張って馴染もうとしても、「辛い、苦しい、疲れる、イライラする、ストレス、気持ち悪い」と心身が反発と憤りを表して合図を出します。
「自分を押し潰して消さないで」と。
自意識があればあるほど、自らと他の区分け意識があればあるほど、反発の気持ちが強く表れます。
この心理は、無理矢理に馴れ合おうとして自らを苦しめる場合の気づきになりますので、もし思い当たる場合には、「馴れ合いが嫌いで気持ち悪い」と明確に認識することがご自身のためになります。
※人に興味がない馴れ合わない人になる気づきは、他人に興味がないと言われるのは気づきの機会|人の見方が違う心の在り方 をどうぞ。
馴れ合いが嫌いな人に大切なこと
馴れ合いは悪ではない
馴れ合いが好きも嫌いも人それぞれに自分をどのように捉えているかによって変わります。
どちらが良いも悪いも善も悪もありません。
馴れ合いが嫌いなら嫌い、それだけです。
嫌いとは自分の中に反発がある意味ですので、馴れ合っている人々ではなく馴れ合いが合っていない自分を知るための感情です。
自意識がある人も知らない人もおり、個人で生きる人がいれば集団で生きる人もいます。
[自分=自分]の人もいれば、[自分+他=自分]の人もいます。
私達は個体として肉体があるので個だと思えますが、個が存在する前提が地球や社会に生かされているため、集団の中で個が成り立つとも思えます。
どちらが正しいも間違っているもなく、馴れ合いが合うかどうかだけです。
馴れ合いは悪ではなく、嫌いな場合には合わないという理解が大切ですので、「嫌い」「気持ち悪い」という反応にてわかる自分自身の理解が自責そのものとなります。
「馴れ合わない人はダメだ」「馴れ合っている人達はダメだ」と思うことは、自責がない人が集団に入ったか、個人でいるかの違いですので、嫌いな理由と心理を明確にすることがここでお伝えしたい主旨です。
馴れ合いが合わなければ馴れ合う必要はない
「嫌い」と明確に認識するのは、無理矢理に自らを死なせる必要はないと知っていただくためです。
私がそうでしたが、一生懸命に馴れ合いを頑張ると起きるのが抑制・抑圧による自己撲滅活動です。
病みます。
馴れ合いが嫌いというサインを見逃さず、合わなければやめましょう。
馴れ合わないならば馴れ合わない責任がある
「馴れ合わないと排他されてしまうのでは?」と不安や恐怖があるかもしれません。
馴れ合う人々に狙われ、排他の的にされ、攻撃され、変な人に寄り付かれ、絡まれます。
害の中の害です。
これは、馴れ合わないといけないと思いながら馴れ合わない場合に起きると考えられます。
「馴れ合い集団の一員でありながら、私は違う」と主張する状態ですので、相手からすれば集団維持を邪魔する個になり、排他の対象です。
この状態となる最たる例が、「気を使う」「自分のことしか考えない」です。
他者への配慮や心配りであれば相手を心から想っているので、排他されず喜ばれます。しかし、自らが否定されたくない、仲間外れにされたくない、一人になりたくない、見栄えが欲しいと、不安や恐怖解消のために気を使うと、自分のために他者を利用する行為なので反発を食らってしまいます。
例えば、ママさん同士の集まりで排他や孤独を怖れ、不安や恐怖解消の目的を持って集団に入って気を使います。
途中から、「もう無理、馴れ合いは嫌い」となれば、自ら入ったにもかかわらずまるで相手が悪のように自らを正当化。相手が嫌な思いをさせられる側だったりします。
自らの思考と行動には責任を持つのが、馴れ合わない人です。
馴れ合いが嫌いな人は馴れ合わない人になった方がいい
馴れ合いが嫌いな人は、馴れ合わない人になる基盤があります。
嫌いで留まらず、自己理解を深めて馴れ合わない人になると、とても生きやすくなります。
責任があり、集団と結託した同じ目的がなければ、相手は自然と離れます。集団の一員でなければ個であっても邪魔にはなりません。
馴れ合いとは責任を持たずに同じ目的を持つ結託集団です。利害関係で成り立つため、同じような利益を求めていれば同じ馴れ合い仲間だと認識されます。
自責と意思がなければ仲間になり、そこで個を主張するように馴れ合いを否定したりすれば、馴れ合いを排他する行為になりますので、相手と同じことをしています。
馴れ合わないならば責任を要します。嫌いな理由と心理の明確化、自分自身を今一度はっきり認識させることが重要です。
※職場で馴れ合わないと起きる件は、職場で必要以上に話さないと起きる不思議│静かなのに目立つってどういうことー をご覧ください。
馴れ合いが嫌いで気持ち悪い まとめ
自らをはっきりさせ、馴れ合いが嫌いで合わないと認識し、馴れ合いを排他せず否定せず、その人達はその人達としてそのままに捉え、自分は自分として馴れ合わない人になる。
着目は自分自身です。
自らの思考と行動には意思があり自責があり、何より自意識があります。
「私は私」とこれだけです。
「あなたはあなた」「あなたが介入してくると私が見出せない」という認識は要りません。他を介入させると知らぬ間に干渉して執着します。自分のことだけにフォーカスです。
自分は馴れ合いたいのか、誰と関わるのか、何のために関わるのか、目的は何で何を欲しているのか、どうして人間関係が欲しいのか。あらゆる意思があります。
馴れ合わない人であれば、自らの喜びも楽しみも自ら作ります。
子供の頃を思い出してみてください。
友達を作るのはとても勇気が要ります。自分から声をかけるのが馴れ合わない心理であり責任のさまです。
怖いけど、緊張するけど、何を言われるかわからないけど、声をかけるために自らを成長させ、思考し、行動します。
日本では馴れ合いが多いかもしれません。しかし馴れ合わなければ馴れ合わない人々で溢れています。
馴れ合う場合には馴れ合う人々で溢れます。
一歩出てみると全く違う人達が大勢います。
大丈夫です。馴れ合わなくても、それが日本でも、生きづらさはありません。
大切なことは馴れ合わない人だと自覚して、自責と意思を持つこと。そのために自らを成長させます。
成長の一歩目となるのが気づきであり理解です。理由を知り、心理を知ります。自分を知ることはあらゆる本来の状態を表す行動となり、心理という内側を内側だけに留めるのではなく、外側の行為や表現として表す時となります。
そのためには自己理解を深める知恵を要し、行動を要します。それが自責と意思のある人の在り方だと思います。
相手の否定ではなく、自分自身を知るために馴れ合いが嫌いであることを今一度明確にし、馴れ合わない人になられてください。
その一助となれば幸いです。
よりご自身を知るためにも心理、精神、潜在意識の理解がありますので、下記のセッションやセラピストになる機会をご活用されてください。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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