スピリチュアル

人生の目的はスピリチュアルがおすすめ│終わらない魂に生涯の遊び方

何をするために生きているのか?
するべきことがある人生なのか?

達成やしたいことを目的として人生を過ごす。

そんな人生の目的は誰しもにあるのかどうか。

人生の目的を考える上で、人生を今世のみに限定したものか、前世や来世も含めたものかの違いがあります。

それは、今世にて生まれてから今日この瞬間までの自分を対象にするのか、過去世も来世も含めた意識としての自分を対象にするのかということで、人生の目的を知る上で全く異なる話になります。

ここでは、魂である意識としての自分を対象にした、スピリチュアルな人生の目的をお伝えします。

スピリチュアルな理解を含めることで、人生の目的に誰しも共通のものがあり、後はそれを目的にするかどうかの本人の選択のみが残ります。

目的がなければならないことはありませんので、目的を知る際の一助として、参考程度にご覧ください。

人生の目的

初めに、今世の生まれてから今日までの人生を対象にして、人生の目的とは何かについて見ていきましょう。

人生の目的とは

人生に目的があるのかどうか。

目的とは達成したいと思い、狙いを定めて行動するための動機です。

そのため、目的がある場合には、自分の意志として「~したい」「~するぞ」という気持ちがあります。

その意志からの気持ちは、自分を喜ばそうとする動機となり、行動する意欲を駆り立てて自ら目的を達成しようとします。

そんな目的を”人生”という自分の生きている認識に定めるとは、何とも大それたもののような気もします。

しかし、人生への認識は千差万別で一人一人に人生があり、本人以外に本人の人生を認識することはできないので、あくまで自分のみを主観にした人生には大それたも小それたも、評価や判断は存在しません。

そんな人生の目的が必要かどうかは人それぞれで、あろうがなかろうが自分自身にしかわかり得ません。

アフリカの民族で生まれて育ち、他の世界を知らなければ自分がアフリカ人だと思うこともないように、自分の人生として生きていれば人生についてを意識的に認識することはありません。

しかし、今の時代では他の情報はいくらでも入ってきますので、自分を客観的に見る視点と同時に、自分と他者を比べようとする認識が作られ、人生や自分や目的を考えることになります。

以上から、人生の目的について初めにわかることはこちらです。

人生を自分のものではないと一度でも思うことで、人生の目的を考える認識が作られる
※自分を主観にしなくなる経験=人生の主人公が自分ではなくなる経験が必要

自分を見失うことで人生や自分や目的を考えることができ、自分を確立して常に主人公として生きていれば、考えることもありません。

 

人生の目的は自分を取り戻すこと

「見失う?!主観じゃなくなる?!」とは大惨事かと思いきや、おそらく誰しもにあるのではないかと思います。

学校に行けば、「あなたはGOOD」「あなたはBAD」と言われて他と区分けや評価されるので、その時に、「なんで?」「あぁ、他の生徒と比べて私は良いんだ、悪いんだ」と理解して、自分を見出すために他者を利用して、主観が自分ではなくなります。

それを続けることで自分を見失いますが、見失っていると思い込まないように脳を働かせて思考的に思い込みや決め付けをして、「これが私なの」と主張したりもします。

認めているかどうかの違いが人それぞれにありますが、学校や他者との競争社会に居れば自分が主観ではなくなるので、人生の目的を見出す前提条件を得ます。

自分が主観で主人公であれば人生の目的を考えることはなく、言い方を変えると、自分を見失っていなければ人生の目的は常に持っている、または認識する必要がない状態です。

生まれた時にオギャーオギャーと言いながら、「隣の分娩室から聞こえたオギャーは私より声の張りがあったなぁ、私は声が小さいんだな」と自分を他者と比べたり区別して認識する変人ベイビーはなかなかいないと思うので、みんな生まれた時には自分が主人公で自分を全ての中心として明確に確定しています。

すると、生まれる生育過程で自分が主観ではなくなる経験があり、そんな自分を選択して今に至るため、自分を明確に主観にすることで人生の目的を常に持つ、または目的を認識する必要がない状態になります。

自分を取り戻し、人生の主観を自分にすることで人生の目的を認識する(または目的を認識する必要がなくなる)

※人生の目的の詳細は、人生の目的とは何か│生きている意味からわかるシンプルな事実 をご覧ください。

人生の目的とは何か│生きている意味からわかるシンプルな事実人生には、生きている意味があることで目的を持つことができます。 そのため、意味と目的は全くの別物です。 ここでは、人生の目的...

 

人生の目的 スピリチュアル

ここから、過去世や来世も含めた”意識”としての自分を対象にして話をすすめていきます。

意識として、または魂としての理解となるため、”輪廻転生”と”カルマ”が人生の目的に大きく関わります。

人生の目的を知る上で大切なこと

初めに、人生の目的をわかりやすく理解するために、「目的ってそもそも何ですか?」という話をご覧ください。

目的とは、「達成したい」「~する」という意志によって抱く狙いであり、的であり、行動動機です。

“したい、する”と意志が含まれるために、自分にとっての喜びがあることに大きな特徴があり、自分を喜ばしたい気持ちや願望がなければ目的を持つことはないとわかります。

そのため、人生の目的は今世でもスピリチュアル的にでもどちらも”自分にとっての喜びを求める行動動機”のことで、必ず喜びのためのものです。

人生の目的は必ず自分にとって喜びになること
※喜びのための行動動機

目的を明確にすることで行動することができる指標となり、喜びをゲットするためにまっしぐらという行動動機となるのが目的です。

これを踏まえた上で、スピリチュアルな人生の目的を知っていきましょう。

 

スピリチュアルな人生の目的とは

輪廻転生があることから”人生”に過去世の記憶が加わり、来世も存在する前提での理解となり、人生として存在する”認識”と”空間”と”時間”が今世に限ったものとは大きく異なります。

人生の目的というと使命や役割や宿命などを考えるかもしれませんが、あくまで目的なので、「達成したい」「これをする」と意志を持つものは全て目的になります。

そのため、やりたいこと、やりがい、生きがいなど、何かしら自分のためになり、自分にとっての喜びを求める行動動機なので、動機を持つ根底に自分を喜ばさせようとする”自分”がいます。

その自分を取り戻すことで人生の目的を認識したり、目的を認識する必要のない状態になることを前述しました。

そこに、過去世があることでカルマの認識が追加されます。

さらに、来世があることで肉体は朽ちても魂は死なない認識が追加されます。

過去世と来世を追加した認識での人生の目的には、“カルマ解消”と、“終わらない人生”がキーワードになります。

そこには、それぞれを活用して人生に喜びを生み出すための目的が生まれます。

スピリチュアルな人生の目的とは
  1. 自己の成長…受け入れ、循環による喜び作り
  2. 目的を持つこと…終わらない人生の遊び方

二つある人生の目的、詳細を見ていきましょう。

 

人生の目的は受け入れ

輪廻転生による今世には過去世に作ったカルマが存在します。

カルマとは生み出しに対する責任のことで、自分で蒔いた種が芽を出した時に責任を負うこと。

因果応報とも言い、自分の行いにより意志を生み出し、その意志を自分で責任を負う自然の摂理。

カルマがあることで、嫌でもカルマを解消すべく自分の振りまいた意志が返ってきます。

唾を吐いたら、唾を自分に吐かれるという見返りではなく、自分の意志を生み出して葬る責任のことで、意志によって生み出された”おもい”を自分が浴びます。

それは、唾を吐いた時の意志にある思いや想いを自分で受け入れることが責任です。

カルマは恐れるものではなく成長させてくれるもので、自らの意志と行動によってカルマを生み出すので、カルマを受け入れられることで解消され、同時に自己の成長が促されます。

作り出したカルマの解消によって、自己の成長が自然に促される
※受け入れることで成長してカルマも解消される

カルマによる自己の成長、受け入れる自分になる機会は全員共通に存在します。

 

カルマの解消は人生の目的なのか?

受け入れとは認めて迎え入れることです。

自分の生み出したカルマを受け入れることでカルマを解消します。

それが人生の目的なのか?

違います。

カルマによって自然発生的に自分が生み出したものは返ってくるため、カルマ解消を目的にするかどうかは人それぞれです。

人生の目的にしても良いと思いますが、カルマを解消できなければ起きる出来事にてただ苦しみます。

カルマ解消の例

誰かを傷つけ、その際の自分の意志によって相手に与えた”おもい”が自分に返ってくることで、自分が同じように傷を負って”おもい”を与えられます。それは相手に与えられたのではなく、自分の発した意志が返ってきたカルマです。

あくまでわかりやすくする一例ですが、人を殴ることでカルマを作ります。因果応報として人から殴られ、それを受け入れられれば人を殴ったカルマの責任となり解消されます。

しかし、受け入れられなければボコどころではなく、ボコボコボコと殴られ続け、その際に殴り返せばさらにカルマを作るという無限ループ。

与えたおもいが返ってきた際に受け入れられなければ受け入れる許容がないことを意味し、受け入れられればカルマは解消されます。

受け入れられなくても成長材料となり糧となり、受け入れられればそれもまた成長機会となる。

そんな試練的なものを、目的である”自分にとっての喜びのある行動動機”にしたいかどうか?

私なら嫌です。私のような怠け者はできれば避けて通りたいところです、カルマなんて。

しかし、カルマを解消する際の受け入れができることは大いなる喜びになります。

 

人生の目的はカルマ解消を活用した受け入れの成長

カルマでもそうでなくても、起きる出来事や待ち受ける経験を認めて迎え入れられる”受け入れ許容”を持つ人は余裕があります。

それはお金を持っている安泰による恐怖のない様からの余裕ではなく、人間として恐怖に打ち勝つ意志の強さであり、人間力として物事を受け入れられる精神性です。

裸でどこでも生きられる恐怖のなさや、どんな嫌なことでも受け入れられる寛大さには必ず経験と成長が必要で、その育みにカルマが大切な材料になります。

成長して受け入れられる人には柔軟性や寛容性があり、受け入れる許容としての人間性や在り方を持ちます。

そんな自分になることは喜びとなり、心からの真意であり意志として受け入れられるようになる成長は喜びを求める行動動機となるため、受け入れられる自分になることが人生の目的になります。

スピリチュアルな人生の目的 : 受け入れられるようになること
※受け入れる許容を広げる
※カルマ解消を活用して自己の成長をもたらす

受け入れる許容を持つ自分になることで、辛いことを喜びに変えてしまう自分になります。

認めて迎え入れる受け入れには、「辛いけど認めました、ウエーン」「これでどうだ、こんちくしょう」と我慢や忍耐や頑張りにて血反吐を吐きながら認めるなんてことはありません。

自分や他者や出来事への敬いにて迎え入れたい意志を持ち、迎え入れられる認識を無理矢理ではなく自然に持てる自分になる成長。

それは、殿様のような食生活をしていたのが、突然麦飯とみそ汁具なしになっても、喜んで頂ける自分に自然となれることです。

  • 受け入れるかどうかではなく、受け入れられるかどうかの話なので、成長によってもたらされる喜びの基盤作りとなる目的。
  • 自己の成長はカルマがなくてもできるため、カルマをあくまで解消と成長機会として活用する。
  • 受け入れることが自己の成長となり、カルマ有無は関係なく、普段の生活にていくらでも成長できる機会がある。

※受け入れるための詳細と口癖は、なんでもいいの本当の意味│これが言えれば全てが何でも良くなる法則 をご覧ください。

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人生の目的は循環

もう一つの人生の目的は、来世を含めた認識です。

来世があることで今世にて経験する出来事の意味付けが容易になります。

物事一つ一つの意味を自分なりに認識することで、無駄なことは何もないと思え、より俯瞰的で客観的な視点から喜びの認識を増やすことが可能です。

カルマ解消がままならずとも、受け入れができずとも、できなかったことに経験があり意味があります。

起きたことの意味を見出すことで、より喜びの認識を自然と作り出す”循環”が生まれます。

それは、自分だけではなく、関わる周囲の人や影響力による他者の人生の目的への追力となり、物事の意味を作って流す川です。

起きたことをそのままに認識することで常に変化を促す動機を持ち、その認識は個人から全体としての見方となり、他者への影響や地球全体としての意識に繋がっていきます。

ここでお伝えしたいのは、来世がある認識にて今の自分を限定的な自分としないことから俯瞰性が生まれ、自分や他者を含めた認識が作られることです。

例えば、自分の失敗談を情報として提供することで、他者の行動のやる気となり喪失となり、何かしらの影響を与えます。

良い悪いは影響を受ける本人にしかわかりませんが、自分だけでなく他者との関わりや共存を意識することで、何かしら行動や意志を持つことへの変化が加わり、物事を流す循環が生まれます。

そして、自分の寿命が近くなる際に後世に引き継いだり、若い人に自分の知恵や能力や選択幅や行動動機を与えることで、より循環を加速させて全体としての目的を持つことに繋がります。

来世を含めることでの俯瞰性にて、出来事の意味を見出すことができます。

さらに、自分の行動が他者に影響を与えることで、他者の行動動機や意味付けに助力し、他者を含めて喜びを増大することができます。

 

循環によって喜びを増大する

循環によって流れを作り、同時に途切れさせない効果があります。

それは、来世の自分に対するものでもあり、関わる周囲の他者に対するものでもあります。

循環によって他者との共存を促す効果にもなり、関わりにポジティブなものが生まれ、共感や共有や調和や協調という敬いの気持ちを育みます。

そして、他者への影響による感謝や経験があり、他者も含めた視点や認識にもなり、自分の世界を広げることができます。

来世があるかどうかは頭で考えても現実としては存在しないのでわかり得ません。そのため、未来の自分を自然と別人物として捉える認識になり、まるで自分ではない他者の自分への影響として行動したり経験する動機が作られ、より今世を楽しんで行動する目的意欲がもたらされます。

自分だけの視点から範囲を広げることで、自分の喜びを増大する意識を持つことが循環となり、さまざまな喜びを増やす効果があるために人生の目的になります。

自分の喜びを主観にしないことで、他者に依存や執着をして、自分勝手やわがままになり、見失っている自分を見出すために他者を利用する利己的で排他的なエゴの行動になります。
自分を見失い、思い込みや決め付けが多い場合には、循環への意識を持つことは困難なので、自己の成長を目的にすることが大切です。

自分の喜びを主観にすることで、他者への感謝や影響の意味を考えることができ、他者への敬いや愛に繋がります。

※わかりにくいかもしれないのでスラーと読み流して、先をご覧ください。

 

人生の目的とは何か

目的とはあくまで自分にとっての喜びを求める行動動機です。

そのため、自分を主観にして自分の喜びを求める意識があることで目的を持ちます。

そこに来世も含めた自分を認識することで、まだ先がある…。これを良いと思うか辛いと思うかは人それぞれですが、輪廻転生がある以上は魂は死ねません。

そのため、今がどれだけハッピーハッピーで、目的のことなんか考えたことがなく、考える必要も認識もないとしても来世もある、その先もある、さらに先も、また…と続き、初めは良くてもその内、「もう要らなくね…とほほ」となります。

飽きちゃうんですね、ハッピーハッピーに。

そのため、初めにお伝えした人生の目的のように、自分を確立していれば人生の目的なんて考えることもないほど充実して満足して幸せで、今が良ければそれで良い。

もうその通りだと思いますが、それが続くといつか来ます、気付く日が、「なんかずっと同じ、あ・き・た」と。

ですが、当然今が良ければそれで良いと思います。

人生の目的が必要ない人には必要ありません。

人生の目的を考える人には本人にとって目的は大切になり、この内容を読んでいることに意味があります。

そのため、これを読んでいることには、過去世も含めたカルマを活用することで”自己の成長”として精神性や人間力を上げる喜びをもたらし、終わることのない喜びを自ら作る段階や準備ができていることを意味します。

さらに、来世の認識も活用することで”循環”を目的にした自分の喜びを広げることができます。

※循環の方法となる”仕事”については、スピリチュアル的な仕事の意味│命がけの暇つぶしは良いこと尽くし をご覧ください。

スピリチュアル的な仕事の意味│命がけの暇つぶしは良いこと尽くし仕事最高かよ、楽しい、会社を家にしたい。 仕事つまらない、辛い、会社行きたくない。 賛否両論です。 仕事って何なんでしょう...

 

人生の目的とは目的を探すこと

最後に、これまでの内容を全て含めて、スピリチュアルな人生の目的をご覧ください。

使命や役割や宿命や生きがい。これらは全て、自分にとっての喜びです。

生きていてするべきことがあるのか、やらなければならないことがあるのか。

ありません。

生きていればその内に死にます。その間をどのように生きようが好き勝手です。

そのため、人生の目的が必要な人は必要で、必要ない人は必要なく、一生考えることもなく、全ては意志に基づく選択です。

これを読まれているからには意味があるので、人生の目的を持つことをおすすめします。

それは、これまでの内容を全て含めた”自分を喜ばす道”。

これです。

人生の目的は目的を探すこと
※自己の成長と循環による終わらない人生の遊び方

常に喜びを求め続けるために最適な”自己の成長”と”循環”があります。

そして、魂が死なないなら、生涯が終わらないなら、一生喜びのある道が良い。

そんな風に私は思います。

それはもう遊びであり、終わらない人生の遊び方は、目的を探す目的を持つことです。

ずっとジャングルジムで遊ぶのではなく、遊び方を考えたり、ジャングルジムを作ったり、ジャングルジムの見方や認識の基となる自分を変えたり、俯瞰的に捉えて他者を含めたりすることで、終わることのない遊び方を作る方法となる、目的を探すことを目的にした人生が始まります。

そんな素敵な人生をもたらすのが、人生の目的です。

目的とはあくまで自分の意志に基づく喜びを求めるためのものですので、終わることのない魂があるのなら、終わることのない喜びを作る目的を持つことがスピリチュアルな人生の目的です。

※成長となる精神性の話は、波動とはスピリチュアルな精神性│波動が高いも低いも自分次第 をご覧ください。

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スピリチュアルな人生の目的 まとめ

スピリチュアルな過去世も今世も来世も含めた、魂としての意識を基にすることで人生の目的には明確なものがあり、誰しもに共通です。

しかし、人生の目的は自分が持つか持たないかの話ですので、あくまで目的があってもそれを認識するか否かは完全に個人の自由であり、それが今現在のリアルとしての選択です。

目的とは、自分の喜びを求めるためのものなので、喜びがなければ目的など要りません。

そのため、過去世のカルマ活用にて成長機会として、受け入れ許容を広げることは潜在意識を持つ自分を喜びに繋げる“今を生きる生き方”になります。

さらに、来世も含めた”循環”を作る生き方にて、来世の自分と今の自分を俯瞰するきっかけになり、客観的に捉えることができます。

同時に他者への影響や繋がりを意識した在り方や人間性への育みとなり、他者との共存や調和の中でより喜びを生み出すための“今を生きる生き方”になります。

そして、終わることのない魂としての人生を認識することで、終わることのない喜びを見出すために、成長と循環を意識した自分となり、“今を生きる生き方”となります。

全ては今を生きる生き方への構築に繋がり、スピリチュアルな認識を活用することで、過去世と来世による恩恵として喜びをより求める行動動機となり、今をより強く認識することになります。

目的は自分の喜びとなるために、あるならあった方が自分のためになります。

喜びは体感して初めて認識するために”今”のみに存在します。
過去世も来世も含めた長い人生スパンは遠い過去であり、遠い未来ですので、あるかどうかはわかりませんし、どちらでもいいと思います。

あろうがなかろうが、認識できる現実は今のみであることから、過去も未来も活用して今の認識を強化するのがスピリチュアルな人生の目的であり、今感じる喜びを増大できる一生遊ぶ方法です。

そんな人生の目的、あった方が楽しそうじゃないですか?

おすすめな人生の目的スピリチュアル編、という具合で参考になれば幸いです。

それでは、スピリチュアルな人生の目的の話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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