心理

言っても無駄な時は言われても無駄│心理と対処法は人間の美しい哲学

何を言っても変わらない、わからない。もはや無駄。

言っても聞かないとなれば、「言う意味なんてない」とすら思ってしまう。

そんな言っても無駄な人や状況や状態がある一方、反対側があります。

言われる側。

言われても変わらない、わからない、無駄。

何の意味もないことを言われれば、「聞く意味なんてない」とすら思ってしまう。

そんな言われても無駄なことや状況や状態があります。

言っても無駄な人、言われても無駄なこと、人間関係の合致は難しいものですね。

そこで、言っても無駄、言われても無駄という状態にある心理を紐解きたいと思います。

私自身、今は言う側ですが、子供の時は言われる側。何を言われても聞かないひねくれ者でした。

そんな経験から、聞かないことにはちゃんと理由があり、言う側と言われる側の反発には明確な心理が潜むと理解しています。

私自身や周囲の人の言っても無駄な状況を洞察すると、お互いのためになる素敵な道が見えます。

「言っても無駄」に潜む感情や思考、気持ちや行為の理解が、人と人の営みの向上となることを願い、心理の哲学による紐解きと対処法をお楽しみください。

言っても無駄だと思う心理

言っても無駄な人とは

初めに、言っても無駄な人とは何者かを見ていきましょう。

何かを伝え、教え、助言し、助け、変化を促し…

さまざまな目的を持って何かを他者に対して言う。

  • よかれと思って
  • 相手のためになると思って
  • この人を助けたいから
  • これをすれば絶対良くなる
  • 変わって欲しい
  • このままでは私が我慢できないの
  • 変わってもらわないと嫌だから
  • ‥‥

親、パートナー、子供、恋人、友人、知人、同僚など、何かを言いたくなる状況や状態があります。

仕事など周りが迷惑する状況があればしっかり教えたい。
親であれば言いたい気持ちを分かって欲しい。
夫婦だからお互いのためにも変わって欲しい。
子供には成長して物事を理解して欲しい。

だけど変わらない、わからない、なんでやねんと。

言っても無駄な人は、言う側の目線から見るとこう↓写っているかもしれません。

理解力がない、頑固者、こっちの気持ちを知ろうとしてくれない、変化する気がない、成長意志がない、聞く気がない(自分に興味がない)、他者への敬いがない。

このような人を一言にまとめると、こういう具合かと思います。

言っても無駄な人=自分の力が作用しない人。

他からの影響を受けない人には、自己認知の高さによる自律、自立、自責がある人と、それらがあり過ぎて自分勝手で他が見えない人、そして不安や恐怖に駆られて受け入れられない人に分かれます。

 

言っても無駄だと思う側の心理

言う側の心理、力が作用しない側の心理には明確なものがあります。

影響力が及ばないことに対して、憤りや心地悪さを感じます。

率直に言うと、自分の行為に意味がない状態を見たくない、認めたくない。

これは誰しも嫌だと思います。せっかく良かれと思って、会社のためになると思って、目の前の人のためになると思って言っているのに、教えているのに、理解してもらおうと頑張っているのに、その行為に意味が見出せない、トホホです。

しかし、言うことで相手が影響すればどうなるでしょうか?

言ったら理解しようと頑張ってくれる、勉強している、メモして毎日確認している、成長しようとしている、努力して変わろうとしている…。

自分が言ったことのレスポンスがあり、影響力の認知ができ、言ったことに対する意味がガンガン掘り起こされるようで、嬉しいと思います。

そんな相手の行動や変化への気持ちを知れば、「言っても無駄」とは思いません。

このことからも、言っても無駄だと思う心理には、自分の内側で渦巻くものがあるかもしれません。

それは、自分の行為に対する意味を他から求めている。他責とも言います。

他責とは、自分の行動の結果を他に任せる(または求める)こと。

言っても無駄な心理は、他責により自らの行為を自ら認めないことでの己の葛藤。

そんな考えが一つ。

 

言う目的の焦点にある心理

「お金くれればエクストラサービス、先輩が教えない仕事のスゴ技教えてあげる」となれば、自らの利益のためなので状況も心理も一変します。

仕事で教えなければならない、家族として躾したい、などと自らの利益のためが先行して、その後に他者のためが付随する場合、「言っても無駄」と思うのは、「言っても自分の利益にならない」という意味になりかねません。

これらは、「相手のため」が二の次なので、言ったところで聞かれないのは当然かと思います。

私のようなひねくれものであれば、おそらく何があっても聞かないです。なぜならば、見方を変えると利用されているからです。

そういうものではなく、相手のために自分の時間も労力も思考も使って言い、教え、変化を促す。それで影響が見出せなければ、「言っても無駄だ」と思うのは当然ですし、自然です。

「あんたのために自分を労費させてんだから、言って変わらないならもう言うことないよ、継続したいなら金でも払いな」という感じですね。

この場合、「言ってもわからない、だから?」と、言っても影響がないことを気にする必要も理由もありません。

気楽にさようならで終わり、二度と言う必要もありません。

ここでわかるポイントは、自分のために他者に言うのか、他者のために言うのか。行動の目的の焦点が己か他か、両方か、どちらに配分が多いか。

  • 他のために言っているのであれば、他が変わらない時は自らの意志を持って終わり、または自らの在り方や関わり方を変えて継続
  • 己のために言っているのであれば、他が変わらないと憤りやストレスを作り頭をかきむしる

まるで不良を相手にする教師のようなイメージかと思います。

あれはテレビの中の話、「教師って大変ね」と思いきや、実は日常的に起きていたりします。

何を言っても聞かない時、他を変えようとするか、己を変えて関わり方を変えながら言い続けるか。

この違いには自責か他責があり、自らを変えて他者に影響を与えられるか、他を変えようとする一辺倒で自らに着眼が向かないかの違いがあります。

このことからわかる心理は、言っても無駄だと諦める場合、自分が変わる認識がない可能性があります。

いわゆる、相手を変えることのみにフォーカスしている状態で、押し付けや干渉や他者認識の欠如に繋がり得ます。

 

言われても無駄だと思う心理

言われても無駄だと思う側の心理

次は言われる側の目線にて心理を見ていきます。

言ってくれる人の影響をどれほど受けるかによって、変化や向上、または退化や低下が起きます。

人が人に何かを教えるのはとても難しいことだと思います。なぜならば、その人に必要で大切で重要なものかは本人にしかわからないからです。

ですが、そこに常識や規律を正として教育・躾などする場合、人が人に何かを教える意味が希薄になります。

いわゆる人間味がないので、誰が教えても同じ状態で、ロボットが教えた方が干渉や押し付けや支配の可能性がなくなっていいかもしれません。

人が人に影響を与える場合には、どれほど他者の立場や視線に立つ他者認識があるか、そして人間味があるかが重要なポイントだと考えられます。

影響がない場合には、それらが欠如している可能性があり、「言われても無駄」と言われる側は思います。

「それじゃあ、言う側に全ての責任があるのか?」と思えそうですが、全くそんなことはありません。

全ての主導権は言う側が握っています。いつでもどこでも、好き勝手に切り上げ、やめ、二度と言わないことだってできるのが言う側。

このことを大なり小なり、言われる側は認識しています。

すると、抱くのが不安や恐怖です。

主導権を握られている状態に私達人間は不安や危険、防衛意識が働きやすくなります。

すると身構えます。

そして人それぞれの人間性や性格によって、「言われても無駄」「変える理由がない」などと思う状態が作られます。

これらをまとめると、心理が判明します。

言われても無駄だと思う心理
  1. 人間味がないと聞く耳を持たない
  2. 利用されることへの嫌悪に反発する
  3. 自分の立場や目線で言われないと、全くの他人事に聞こえて内容が入って来ない
  4. 主導権を握られる、不安と恐怖心で抵抗がある
  5. 防衛意識が強く、受け入れられない
  6. 防衛意識にて支配や攻撃性に拒否がある

これら全てに共通しているのは、言ってくる人を受け入れられない抵抗です。

拒否しているわけではなく、不安や恐怖を増長するような、マウントをとられて支配されるような、コントロールされて利用されるような様子が少しでもあると身構えます。

すると硬直(緊張)します。

わからないから、理解がないから、変化がないから、成長がないから周囲の人々が教えてきます。

ですが、硬直していれば心地悪さもあり、さらに相手が己のために利用してくる場合には、一切受け入れず拒否することすら起きます。

すると、言っても無駄だと思われると同時に、言われても無駄と思っています。

ここで起きるのは、両者の矛先の完全なる不合致、「お互いにどこ見てんのー?」となっています。

 

言われても無駄だと思ってしまう理由

言われても無駄だと思ってしまう理由には、言ってくる人を受け入れられない抵抗があると考えられます。

その根底には、相手に主導権を握られる状況に対しての不安と恐怖が潜みます。

極端な例としては、私物化してマウントをとり、支配してコントロールして相手を変えさせようとする場合。

とんでもなく極端な状況ですが、親と子、生徒と教師間、部下と上司間では起こり得るシチュエーションです。

ここで不安と恐怖に対処する方法は人それぞれです。

  • 人によっては自らを隠して見栄を強めて偽ります
  • 人によっては怒りによって自己防衛し、本心を守ります
  • 人によっては無視して、知りたくない事実を抑制して自らの内側を鎮めます
  • 人によっては蔑みや文句を言い、自らの弱味や恐れを誤魔化します
  • ‥‥

人それぞれにさまざまな対処法があり、言ってくる人に主導権を取らせないようにします。

それが自己防衛であり、自らを苦しめずに守る在り方をします。

この状態があると頑固になり、聞く耳を持たず、「言ってくれる」ではなく「言ってきやがる」的なことにもなりかねません。

ここで明確にわかるのは他者認識力の乏しさ、言ってくれる人の立場や目線で物事を認識することができず、見ている焦点は自分の保身や安泰になります。

不安や恐怖への対処法が、立ち向かったり受け入れたり、さらに恐怖を理解したり自らを高めたりではなくなり、受け入れない、見ない、逃げるなどになります。

「言っても無駄」と諦められる在り方となりますが、それを受け入れないためにも、「言われても無駄」と自ら跳ねのけたように思おうとすることも起きます。

 

言っても無駄な時の対処法

言っても無駄、言われても無駄のキーワード

「言っても無駄」だと思う場合、「言われても無駄」だと思われているかもしれません。

その状態は、「自分のために言う」と、「自分のために受け入れない」の関係性で反発し合います。

これを末端として、ここから少しずつお互いの距離を近づけていくことで、無駄だとお互いに思うことがなくなります。

そこには人と人の関係性による哲学が見られますので、少し人間の内側を探って見ていきたいと思います。

「無駄だ」と思う諦めや落胆、意味がないと判断された状態には、言った影響力のなさがあり、受け入れられていない様があります。

言う側と言われる側は相互に向き合っていれば最高ですが、そうでなくてもどちらか一方が相手を見ていれば、無駄ということはなくなるかもしれません。

そこで大切になるキーワードは、「影響」と「受け入れ」です。

言う側は影響、言われる側は受け入れ。

ロボットのように影響力がない、誰からも評価されて影響力がある。
自己防衛にて受け入れ態勢がない、自信と自尊があり他者認識力があって他を受け入れられる。

影響力があれば、受け入れがあれば、どちらか一方でもあれば影響する、または影響されようとすることが起きます。

ここには、人間関係にある大事な核が見られます。

それは、自分を持つこと。そして、そのままを尊重すること。

これらが対処法の核となるので、詳細を見ていきましょう。

 

言っても無駄な時の対処法

対処法のキーワードは、「自分を持つ」「尊重する」です。

言う側は自分を持つと、自らの行動や思考を自ら認識することで自責となり、同時に自律も養える特典付き。

自分として生きているので自分を持っていると思いますが、より自己認識力を高めて己を知れるというものです。

すると、ロボットにならないのはもちろん、主導権を握ろうとしたり、干渉や押し付けなど、相手の不安や恐怖が刺激されることがなくなり、受け入れてもらいやすくなります。

親や教師や上司など、社会的な武装(アドバンテージ)を貰っている場合、無自覚の内に主導権を握ろうとしているかもしれません。

「教えてあげてる」「変わって欲しい」「成長して欲しい」…

これらの認識には相手を自分のテリトリーに入れ込もうとする状態があり、意識せずとも自然に起きることがあります。

他者を見ていない。

目の前の人の人格や性格、価値観や信念や観念を把握せずに影響を与えることは困難です。

自分がある人ほどひねくれます、というのは冗談ですが、相手を見ます。すると、受け入れない選択が容易になってしまうので、如何に相手を見て・感じて・考えて・想って伝えるかが重要になります。

そこにあるのは、如何に相手に合わせて自分を変えられるか。

言っても無駄な時の対処法は、自分を変えることです。

 

人を変えるとは自分を変えること

私達は他者を変えることができません。

言い方を変えると、他者が変わっても変わったと認識できません。

他から影響をもらって変わったように思えても、実際にはその影響を自らが自らのために使用して自らが変えています。

このことから、「他者を変える、変わって欲しいなど」と思う場合、影響させるのではなく、影響の材料をあげることを意味します。

いわば、「変える」ではなく、「変わってもらう」

相手を変えるのではなく自分の意識を変えることが、人を変える意味です。

そこにあるのは尊重
相手への敬いです。

言う対象を敬うことができれば、そのままを尊重して受け入れられます。

すると、干渉や押し付けは起き得ず、自らを変えて相手との関わりを見出し、影響の材料を与えて変わってもらう意識が起きます。

一つの方法では理解されなくとも、別の見方や方法などを見出すことができ、影響を与えるために継続して言うことができます。

それは諦めないとか頑張るとかではなく、自己成長であり他者認識力を高める機会であり、意識だけでなく自分の認識幅や能力や才能も変化していくサービス付。

相手のためにしていたら自分のためにもなってる、そんな美しい人と人の関わりにある哲学。

「言っても無駄」と諦めるのはとってももったいないかも。そんな話です。

※人が変わる、そして変わらない詳細は、人は変わらないことに意味がある│変わる人と変わらない人の明確な違い をご覧ください。

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言っても無駄な人の体験話

私は言っても無駄な人でしたので、そんな時の小話を一つ、対処法がわかりやすくなればと思うので、最後にご覧ください。

私が中学生の時、先生がどれだけ時間をかけて、特別にマンツーマンで教えても、数学ができない男の子が同じクラスにいました。

その子はとんでもなく頭の悪い子で、特に数学はお手上げ状態。

私は勉強は一切できない子で、国語の教科書なんてほとんど開いた記憶もありませんが、数学は好きで一人で教科書を勝手に進めて、授業はそっちのけで自分で授業をしていました。

そのため、先生に何を言われても無駄な子でした。

二人の言っても無駄な子は、先生の指示によって窓側端っこに移動させられ、数学の時間は常に私達二人は隣合わせで放っておかれました。

私は暇なのでその子に教えようと思ったのですが、とんでもなく馬鹿な子で、笑いがおさまらないほど笑いました。

メチャクチャキレてましたが、私達は仲良くなり、数学の授業だけ私が教師になって教える日々に。

発想や着眼が私にはない間違え方だらけなので面白くてしょうがなく、その子は怒っていましたが、なんだかんだみるみる理解していきました。

そして最終的にはみんなと同じようになり、成績は1から3へ。その段階で私達は席を元に戻されて終了。

先生良い所取りー、って話。

 

言っても無駄の心理 まとめ

言っても無駄だなと思ってしまう人はいますね。ですが、同時に言われても無駄だよと思っている人もいます。

言う側は自らを高い位置に置こうとするかもしれません。すると、いつまでも両者の合致は起きず、階層を作ればお互いに見ているのは壁かもしれません。

言っても無駄な心理には人と人の関係性にある哲学が潜むと考えます。

それは、人間関係の相互理解、言う時の内側の無自覚な意識、教える際のアドバンテージ認識、教えることの意味に着眼に目的の理解。

それは自己理解であり、他者を変えるのは自分を変えるという人間の在り方です。

言う内容、思考、知識としての影響もありますが、感情、気持ち、意識としての影響が大きくなるのが、人に教え、伝え、変える行為。

言っても無駄だと思う際の対処として、役立つ人間理解があれば幸いです。

人に影響を与える際には、人の何を見て、自分の何を見るかが重要かもしれませんね。

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