人は変わるのかどうか。
「変える意志と行動によって人は変わる」と聞くことがあると思います。私もそうだと思います。
しかし、変わる人と変わらない人がいて、実際に変わる人とは変わったわけではなく、取り戻したのかもしれません。
実際に変わっているかどうかを考えると、外見は年齢と共に嫌でも変わっていき、肉体や健康状態が変わることで表現方法も変わるために、価値観や認識や観念は表現として自然と変わっていきます。
しかし、本質的な奥地で人として変わっているのかというと、変わっていない。そんな理解があります。
人は変わらない理由と仕組み、そして、そこからわかる変わることの意味と仕組みがありますので、ご覧ください。
Contents
人は変わらない

人が変わるとは?
外見が変わる、内面が変わらない。性格が変わる、本質が変わらない。
変わる変わらないの焦点は曖昧なものですので、明確にしたいと思います。
「人が変わる」の主観は変わる本人ですので、自分で自分が変わったと認識することで、「私は変わった」と思い、感じます。
そのため、自分で認められるかどうかにて変わったかどうかが決まります。
言い方を変えると、他者が変わったかどうかを決めることはできません。外観から変わったように思うことはできますが、本当に変わったかどうかは本人のみがわかります。
変わる際には衰退や低下ではなく、向上や成長など、現状よりも良い状態を目的にすることが多いので、「以前の自分とは違う」と認められる(受け入れられる)ことを意味します。
認められる状態を作るためには、変化を認識する必要がありますが、それよりなにより新しい自分になれるかどうかが物を言います。
このことからわかるのは、創造力の養い有無によって変化の認知が起きることです。
新しい自分になれた(変わったか)は、自分の喜びを得られたか=得るための向上や成長や変化をしたか=自分の意志で喜びを作れたか、ということが考えられます。
どうして変化の認知が“喜びを作る”なのかといいますと、変化は自分にしかわからない成長であり、新しい自分になるには模倣ではなく創造という作り出しが必要になり、何が喜びかは千差万別で自らしかわからないためです。
人が変わるとは、過去の自分と比較して、より喜びを作る自分になること、と考えられます。
人は変わらないとは
自分で喜びを作ることで良き変化を認識します。
外部や他者から喜びを与えてもらい、自らの行動や意志がない“待ち”、“受け身”の状態では変わることは困難です。
変わる意志がなければ変わらないのは当然ですが、それ以外にも、人は変わらないものである理解がありますので、詳細を見ていきます。
現状以上の喜びの記憶がなければ人は変わらない
私達は目の前の利益を求めます。
「未だ見ぬ未来のすっごい自分になるぞ」という空想(思考)の中にある期待やワクワクなどの喜びがある。
この際、目の前に現実としての期待やワクワクなどの喜びがあれば、私達人間は迷わず目の前の方を手に入れます。
空想はあくまで空想ですので、現実があれば比較対象にならないほどに目の前の利益を優先します。空想と現実では比になりません。
しかし、空想の喜びを既に体験していて、リアルな体感としての記憶があれば話は変わります。
例としては、ダイエットをしている時がわかりやすいかと思います。
痩せていた時を過去に経験していれば、少しダイエットに辛くなった時に目の前にショートケーキがあっても、「ちょっと待って」と食べるかどうかを考えることができます。
しかし、痩せていた時を経験しておらず、痩せた状態になることでの喜び(利益)がリアルにイメージできなければ、苦しみor満たし?の選択肢で迷うことなく“満たし”を選ぶことが起き、ダイエット終了となりかねません。
私達は自分の喜びのために生きており、より喜びのリアリティ=確実な利益を選択します。
実際に経験していなければ、行動を継続する意志と動機が生まれないので、その際には変わるのは困難です。
もちろん、過去に痩せた時の喜びに対する記憶などを持っていれば、目の前の利益と天秤にかけるバトルが起きて、行動を継続する動機を持って目の前の利益に飲み込まれずにできます。
しかし頑張って目先の利益に負けなかったとしても、実際に人が変わっているのかというと、変わっていないと言えます。
上述のダイエットの話では、ダイエットに成功した際には、肉体の造作が変わり、価値観や観念などが変わることも起きます。
しかし、それは新しい自分の創造ではなく、過去に既に持っていた価値観や観念を思い出している状態が考えられます。
そのため、変わるとは結構とんでもないことでして、真新しい創造による完全なる成長といいますか、何とも大それたものだったりします。
※生まれ変わりの仕組みにある変化は、生まれ変わる意味と方法│自分を変える今世の輪廻転生がある をご覧ください。
人は変わらない理由
経験していない以上は喜びを求める姿は空想となり、未来に大きな喜びが待っていても、未来という不確実性から行動継続が難しくなります。
ですが行動継続できる人はできます。
大切なのは、“どこまでも喜ばせようとする欲望”です。
欲とは行動動機にも勇気にも覚悟にもなる活力の源ですので、欲が強ければ途中で止まることをせずに一心不乱、まっしぐら。
ここで少し考えてみたいことがあります。
その先に求めているのがあくまで空想であれば、求める道中で彷徨い不安になり、恐怖になります。
恐怖に対処するために協力者を求めたり、周囲を見ないようにすることができますが、求めている喜びは別の評価や価値を周囲から得る結果となり、他者の介入があると本当に変わったかを自分で認められません。
人が変わることは過去以上の喜びを作る自分ですので、未体験の未知であり謎の自分です。
例えば、誰もしたことがない宇宙開発にて、新しい星を見つけ、実際に星にも到達したとします。
その道中では考えれないほど多くの未知や、苦難を超えたことでのあらゆる成長があったとして、自分が変わったと認識できるのか?
過去の自分以上に喜びを作り出せる基盤となったかどうかは、“新しい星を見つけた”という結果や周囲の評価や反応では何もわかりません。
ですが、宇宙から戻ってきて日常生活をする際に、周囲の人によって変化に気づく機会があります。
周囲に、「あなたは変わったね」と言われる。
実際に変わったかどうかは本人にしかわからないので、他者の認識はその他者が知っている“あなた”との比較であり、外側から見た“あなた”です。
考え方や物事の認識が変われば、「なんだか平気で愛しているって人に言えるようになったなぁ」「見える視界もこれまでと全く違う、これも宇宙に行ったおかげかな」などと思うかもしれませんが、それは喜びに満たされていることでありのままの自分が出ている状態かもしれません。
言い方を変えると、忘れていた自分が戻ってきた状態。
もし過去の自分をくまなく思い出せれば、変わったと思っている自分は新しいわけではないことがわかります。
しかし、赤ん坊や幼少期のことなど憶えていないとなればそれまでです。
どうしてこんなひねくれたことを言っているのかと申しますと、私は自分が明確に変わったと思える経験をしたのですが、それによって過去のあらゆる記憶を思い出した時があります。
それは赤ん坊のお腹の中の時や幼少期も含めたものでした。
そこで明確にわかったのは、変わったのではなく、思い出している=取り戻したということ。
忘れてしまったので、まるで真新しい自分になったような新鮮味があったのですが、実際には既に知っている状態、またはありのままの自分に戻った状態という気づきがありました。
人が変わったのかどうかは誰もわからない
この世に自分しかいなければ“私”と思うこともないように、過去の自分と比較、照合し、変わったかどうかを認知できるのは自分しかいません。
しかし、変わったかどうかは評価や判断するものではなく、完全なる新鮮味として真新しい認知となる思考も感情も感覚も何もかもの体感感受を含めた認識ではないかと思います。
なんともジレンマものですが、過去の自分以上の喜びを作っているのかどうかは他者が見かけから判断できますが、それが事実かどうかは本人にしかわかりません。
にもかかわらず、本人だけでは新しい自分という未知と比較も何もできないため、他の情報を使用して思い込むような解釈しかできなくなります。
自分が変わっているかどうかは、自分自身を客観的に別人のように捉える視線がなければ解釈はできず、それは死んだ時なのではないかと思います。
イメージとしては、死後に自分の記憶を全て見せてもらうことで、その時に初めて、「あぁ、けっこう成長してたね」みたいな理解です。
類まれな俯瞰性を得た暁には、変わったかどうかがわかるのかもしれません。
人は変わらない理由は、変わっているかどうかを誰も理解できない、というものです。
人の内面や本質の部分は変わったかどうかが誰も知らないという不思議な状態です。
※言っても変わらない心理は、言っても無駄な時は言われても無駄│心理と対処法は人間の美しい哲学 をご覧ください。
人は変わらないことの意味 まとめ
これまでの内容を一旦まとめてわかりやすくします。
人が変わったかどうかを理解していなくても、「私は変わったな、うん」と思うことはたくさんあります。
それは、自分を取り戻した状態かなという話です。
過去の自分を憶えていなければ、「変わった」と認識しますが、実際は忘れていたことを思い出したり、潜在的な無意識の領域で、既にあるけどこれまでは気づかなかったことを認知、理解した状態が考えられます。
要約すると、こう。
人は変わるとは、過去の自分を取り戻すこと。
過去に取り戻したい自分や、今以上の喜びを作っていた記憶があることで現状は変わります。
記憶を憶えているかどうかは重要ではなく、憶えていなくても無自覚で行動や思考をする潜在意識からの影響があります。
※自分を取り戻す話は、自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分はここにいる をご覧ください
変わる人と変わらない人の特徴
変わる人と変わらない人の違い
これまでの変わる変わらないは認識の話なので、実際には自分が変わったと思えばそれで良いと思います。
それは、現状を変えることはできる意味ですが、その際に、「変わるではなく、取り戻す」と理解していることで、目的を明確にし、現状を変えやすくなります。
このように、実際には変わっているわけではないので、どのように認識するかにて変わる変わらないの差が著しくなり、変わる人と変わらない人の違いが明確になります。
現状を変えようとする際、記憶のどこかに今よりも喜びがあり、喜びを自ら作っていた時を知っているために現状との無意識な比較があり、「このままではおかしい」「なんとかしないと」と感じ、それは違和感として苦しみになります。
苦しみを払拭する目的でも、変化を求める目的でもどちらでも、「変わらないとダメだ」「変わるのが当たり前で今が何かおかしい」という強い気持ちになります。
それが意志です。
意志があるかないかにて、変わる人と変わらない人の違いが明確に表れます。
詳しく見ていきましょう。
変わらない人の特徴
自分を取り戻す人、または現状を変える人は、「変わらないと」「やらないと」と思います。
ここには意志があります。
意志がなければ、「今より幸せそうだから変わりたい」「変わった方がなんか良さげ」「今の苦労が嫌だから変わりたい」という他者との比較による思考や空想の喜び、現状否定の願望などとなり、他者や外見を変えることで納得したり、夢を追う状態となります。
意志がないことで変わらない人の特徴がいくつか表れますので、一覧でご覧ください。
- 意志がない
- 変わりたいと思っている
- 他(人、規範、常識)が主観
- 目的が明確に自分のためではない
- 外見を変えることに着目する
- 喜びを作るためではない
- 苦痛(恐怖や危険)回避が目的
変わる人の特徴もありますので、ご覧ください。
- 意志を持つ
- 変わらないと、こんな自分はおかしいと違和感を感じている
- 自己認識への着眼があり、自分を客観視する
- 目的が明確で行動動機がある
- 自らが喜ぶために変わろうとする
- 過去の自分との比較をしている(無意識の場合もあり)
大きな違いとなるのは、目的の矛先です。
変わらない人は目的が少し曖昧な特徴があり、明確な場合でも他の目や反応、評価のための自己防衛、または苦痛回避としてのネガティブをなくすことの傾向があります。
何も悪いことはないのですが、変わる人は自らの喜びが目的であるために自然とブレない動機となります。
そこには欲が深く関わり、行動動機があるために行動を途中で投げ出すこともなくなります。
全て“意志”に基づき、変わる人と変わらない人の明確な違いとして、意志の有無が関わります。
人は変わらない理由
変わりたい理由は悲しみや辛さをなくすためではなく、現状改善による自分の喜びのためです。
ネガティブな状態をなくすのはとても大切なことですのが、変わるためには、初めにネガティブな状態=苦痛回避を望む意志の軽薄さを改善することが大切で、その後に喜びを作る段階へ向かうことを意味します。
言い方を変えると、自分を知ってから、現状を変え、自分を取り戻していくという具合です。
「変わらなければ」と意志を持つ場合には、「自分にはもっと喜びがあるのに、何をしているんだ」と心のどこかで違和感や不調和を感じていることを表し、自分のために行動して目的を掴み取るまで継続します。
そのため、変わる意志があるかどうかは、辛く厳しい意見や出来事が起きても、自分のために活用するか終わるかで決まります。
変わる人は自分のためにできる人です。
変わる意志を持つ人は“喜びを作る自分”になろうとします。
変えなければならない状況でなければ、変わることよりも現状や環境、または自分を認め、許し、受け入れることや、自分を大切にすることが大切です。
人は外見を変えても内面を変える気はない
私達は自分の喜びを求めて生きているので、自分の内面を変えることに喜びがあるのかどうかは人によってさまざまです。
社会的に、「常に変化していかないと人間は朽ちていく」と言われたから変化を求めるならば、現状を変えることは困難です。
人は変わりませんし、そんなに変えることに意味や喜びはなかったりします。
しかし、違和感や現状に耐え難い苦しみがある場合は、「おかしい」「本来の自分ではない」という状態なので、意志を持って自分を取り戻すことへ向かいます。
耐え難いのは本当に耐え難いので、「現状をなんとかしなければ!」と強い意志と動機を抱きます。
ですが、そのようなことがなければ意志を持つことはなく、現状の対処にて“納得”します。
現状に不満があってもどこかに納得がある場合、意志を持って行動や動機を持てず、継続できないことで変わらない。
変わらないのは自然なことなので、わざわざ変えようとせずとも現状に満足し、今を受け入れることの方が遥かに大切だったりします。
受け入れている人はとても幸せだと思います。
わざわざ自分を変えようとする必要などどこにもありません。辛くても耐えられる余裕があれば脳は納得して目の前の喜びを掴みます。
それはとても良いことで、変わったとしても変わったと認識できないことに意味があり、それは、“今を生きることがとにかく大切”と教えてくれます。
いつの時代にもさまざまな考え方と生き方が作られるので、変わらなければならない時もあり、変わらないで良い時もあり、変わっても変わらないでもどちらでも良い時があります。
今は自分の幸せは自分で決める社会や時代ですので、変わっても変わらなくてもどちらでも良い状態ではないかなと思います。
※人は変わらずとも人生は変わる話は、人生を変える経験は誰もいない森生活|おすすめはしない最高の幸福 をご覧ください。
https://nandemoii.com/experience-of-changing-a-live/
人は変わらない まとめ

現実として存在するのは“今この瞬間にどう思い、どう感じ、どう想うかの自分”です。
変化する際には今以外の影響と記憶が必要で、同時に変化の行動のために意志が必要になります。
自らの意志は全ての責任を持ち、行動を促し、自己認識を深める基盤となるので、向上と成長を求めて自分を取り戻すことで、変わったと認識できます。
それが変わっているかどうか、実際には変わっていないことが考えられますが、リアルな生活ではどちらでもいいことかもしれません。
変わる人は自分に気付き、自分を取り戻すために行動して意志を持ちます。そして、変化した経験が記憶となり自分を構成するので、変わり続けることができます。
その際には、自分を知る成長として、人それぞれに人生の目的や使命を果たすようなことが起きます。
そこで変わっていることを理解はできませんが、今を生きることに集中することを促す意味があります。
変わっても変わらなくても喜びを求めて生きていますので、現状の自分で如何に幸せになるかが大切だと思います。
そんな中で、どこに成長を求めるかを考える必要はなく、生きていることが既に変わっている道中だったりします。
なので、「変わっても変わらなくてもどちらでもいいね」という話です。
そんな仕組みと理解にて、変わることの意味と理解が深まれば幸いです。