悩み

余計なことを言ってしまう時に知りたい【自覚者の直し方は一つ】

「キャンプ楽しそうだね、川沿いがいいんじゃない」
ワイワイガヤガヤ。

「楽しみだね、まぁ今の時期に行くなんて非常識だけど、ね?」
シーン。

余計なことを言ってしまった。なんてことがあると思います。

余計なことを言ってしまうのはなぜでしょうか?

ここでは、直すための理解を見ていかれてください。

  • どうして余計なことを言ってしまうの?
  • 余計なことを言う心理とは?
  • 心理を知る体験談とは?
  • 直すにはどうすれば?

これらを紐解き、余計なことを言う心理と直し方を知っていただく内容となっております。

心理を紐解くと余計なことを言う原因がわかり、ある一つの直し方が見出されます。

私自身の体験も含めて、改善の考え方としてご参考になれば幸いです。

余計なことを言ってしまう心理

どうして余計なことを言ってしまう?

余計とは必要ない、または必要以上ですので、場違いな発言など、その場にいる人や空間に合わないものです。

映画館でポップコーンを食べていたら隣の人が、「この主人公、あと10分したら死ぬよ、はは」

追悼でしんみりしている時に、「暗いねぇ、この世の終わりですか?」

やっと会議が終わると思った瞬間に、「ところで前回曖昧にしたあの議題はどうなっているんですか?」

状況や環境や人次第で何が余計なのかは変わり、余計かどうかは言ってみないとわからない所がありますが、ここは日本。

空気を読み、暗黙のルールを図る見えないサングラスは、余計かどうかの判断をシュシュッと事前にします。

空気や暗黙のルールなど、自分以外の他(人や情報やルール)を把握できないと、余計なことを言ってしまいます。

自分へのフォーカスが強過ぎると捉えることもできるかもしれません。

「どうして他を把握できないほどに自分へのフォーカスが強くなるの?」の疑問に、心理の理解があります。

 

余計なことを言ってしまう心理

ここでお伝えしている内容は、「言ってしまう」と思う心理です。

余計なことを言うのは、自分を見過ぎて周囲が見えていない状態ですが、余計なことを言ってしまう場合には、自分を見過ぎて周囲が見えていないことに後悔や罪悪感を抱く気持ちがあります。

「言ってしまう」と思うか否かにて心理が全く変わるため、明確に区分けしたいと思います。

余計なことを言う人のタイプ
  1. 意識的に余計なことを言う人
  2. 無意識に余計なことを言う人
  3. 無意識に余計なことを言ってしまう人

ここでの主旨は③です。

余計なことを無意識に言い、さらに言ったことに後悔や罪悪感などの違和感がある状態です。

 

無意識に余計なことを言ってしまう理由

「黙っていればいいのに」と思いながらも言ってしまう。
「これは余計な一言だったのかぁ」と周囲の沈黙で気づく。

無意識に余計なことを言ってしまう人には故意や悪意がなく、純粋に周囲が把握できていないさまがあります。

自分以外の他を把握する際には、認識力という物事を捉える能力を要し、「あ、これは余計なことだったんだ」と何度か経験することで認識力を育んで、余計なことを言わなくなっていきます。

しかし、余計なことを言ってしまう場合に考えられるのは、経験が経験になっていないことです。

原因が潜みます。

 

余計なことを言ってしまう原因

原因は自分を許せていないことだと考えます。

自分への執念です。

執念があると自分自身にとらわれて離れられなくなります。

自分の殻の中にこもって外界を小窓から見るイメージです。

他の情報を吸収しにくくなり、認識を変えることができず、嫌な思いをしても他者に不利益を与えても、「余計なことを言ってしまった」と後悔することで物事を終着させてしまい、経験を経験にできず同じ事を繰り返します。

 

自分を許せなくする自己矛盾と抑圧

許せなくなるのは自らが自らに対して矛盾を作ることに起因すると考えられます。

自らの現状の在り方に、自らが納得いかない状態です。

上述のように、余計なことを言ってしまった経験がありながらも同じことをしてしまうなど、自らに不納得が多いと許せなくなります。

真意をどこかで把握しておきながら、その通りに行動しないなど、自らの内側にギャップとジレンマを作る心理によって、知らぬ間に自己抑圧が起きます。

抑圧していると思わないためにも、「私は好き勝手やっている」「自由にしている」と思えるように振舞ったり演じる人もおり、取り繕えば取り繕うほど自らの真意に反して矛盾を作ります。

自己愛の強さと、自分を誤魔化したくない正直で素敵な人間性があざとなり、利点が空回りしてしまっている状態です。

自らを律する意志が強いのに、それがまかり通らない現状があり、「もうなんなんだ!」と自分を許さなくなります。

 

「余計なことを言ってしまう」と思う心理

「言ってしまう」という後ろめたい気持ちの表れには、後悔や罪悪感や自己否定があります。

特に着目したいのは、自分を認めていない表れです。

余計なことを言って周囲を凍り付かせても、何にも思わない人もいます。やってやったぜという人もいるかもしれません。

どんな形でも自らを認めている人は、「やってしまった」と自らの行為を認めないさまがありません。

「余計なことを言ってしまった」と思う場合、自分を認めていないことから、自信と自尊のなさが見られます。

 

自信と自尊がない心理

自信とは自らを信じること。
自尊とは自らを尊重すること。

自らを認めないと自信と自尊のないさまが表れます。

このことから、余計なことを言った時に、それが余計かどうかに直ぐ気づくようになります。

自信と自尊がないと周囲からの反応や評価、体裁や見られ方が気になり、他者との比較やルールから外れていないかどうかの照合調整をしますので、自らの行動に対する周囲の反応に気づくようにフォーカスします。

否定されることを怖れ、恐怖心を味わわない優先度が高くなると、無口になって自己表現しないことで身を護ろうとします。

しかし、余計なことを言う人は恐怖心を味わわない以上に、別のことを優先していると考えられます。

黙ることに納得いかない自意識と、自己愛の主張です。

 

黙ることに納得いかない自己内部の戦い

必要以上なのに言ってしまう「余計」は、洗剤が既にあるのに予備でもう二つ買ってくるような状態です。

必要ないなら何も言わない(何も買わない)で、黙ることができます。

しかし、黙るとは言いたいことがあっても言わない抑制。買いたいのに買えない抑制。

言いたいのに言えないと、「言いたい」と欲する目的遂行ができないので嫌な状態になり、黙ることに納得いかなくなります。

黙りたくないのに黙るとより自分を許せなくなり、根底には常に自己愛があるために自分を許そうと行動し、許したいからこそ黙ることに納得いかない気持ちが強くなります。

黙ることに納得いかない心理は、「言う」ことで目的を果たせるという、目の前に手に入れたいものがあると思える状態を作り、どうしても言いたい欲求を貫かせます。

「言う」ことで果たせる目的には、自己主張や自己顕示、独自性の見出しや支配、肯定取得や存在認知、自己価値を見出すことでの納得や満足があります。

納得や満足の利益が多ければ多いほど、余計なことをあえて言う人もおり、意図的に言う人もいます。

しかし、ここでお伝えしているのは「言ってしまった」と、周囲を巻き込んで自らの利益を得るさまに違和感や罪悪感を感じている人であり、少し心理が変わります。

「余計なことを言う」場合には上述の欲求満たしがあり、言うことで自らの存在や価値を誇示し、他者の反応や評価によって利益を見出す目的です。

「余計なことを言ってしまう」場合は、言うことで自らを誇示するのではなく、不納得を解消する(自分を許すために抑圧しない)目的があり、言いたいと思ったら歯止めしないようにします。

自己抑圧しないために自分へのフォーカスが強くなり、周囲を把握する以上に目的遂行を優先する結果、周囲を把握しない余計な発言になります。

  1. 自分を許すために言いたいことを言いたい
  2. 周囲には迷惑になっているのを知っているのでやめたい

二つは反発し、やめたくてもやまられないジレンマを作ります。

ジレンマによる自己内部での戦い。
正直で誤魔化さないさまは、あらゆる内情をジーッと観察しているので、自分をコントロールできないことに憤りを持つようになり、自己支配を強く求め、矛盾と許せない循環を作る可能性があります。

※余計なことを言う心理の詳細は、余計なことを言う人の特徴と心理と対処法│かっぱえびせん的内情を知る をどうぞ。

 

余計なことを言ってしまう直し方

余計なことを言わなくなる体験理解

これまでの心理がわかりやすくなればと思いますので、私自身の体験理解をご覧ください。

私は完璧主義で自己支配をとにかく強くする在り方をしていました。

自己支配下では思うように自らをコントロールしたいので、満たされなくなると支配欲は他へ向かい、他者を支配しようとあえて余計なことを言うようにもなります。

この状態は他者が見えていない訳ではないのですが、自らの抑圧をなくす優先度が圧倒的に高いので、言いたいことがあれば止めようとしません。

根底には自分を許したい欲求がありましたが当時は気づいておらず、「不納得を作らない=自分をこれ以上我慢させない」という思いがありました。

このさまを洞察して理解したのは、「許せない気持ち」があればあるほどに、余計なことを言います。

  • 自分を許せない場合、無意識に余計なことを言う
  • 相手を許せない場合、意識的に余計なことを言う
  • 許せないことを認めていない場合、余計なことを言ってしまう。

自分を認めていない(自信と自尊がない)と、許せない気持ちや、余計なことを言う自分を認めなくなるために、「言ってしまう」と思おうとします。

「言ってしまう」と思えることには認識力があります。

自分の発言が余計かどうか気づかない人は、「言ってしまう」という自らや他者を認識した思いを持てません。

認識力がある人は自覚できるので、何度か経験すれば、「これが余計か」と把握し、余計なことを言わないように直せます。

なのに直せない私は、真意を掘り下げれば掘り下げるほどにあるものを見ます。

「許せない」という執念の強さです。

執念深いと思ったことも、そうであろうと想像したことすらなかった私は驚きましたが、自己愛と自意識があればあるほど、我慢や自己抑圧、他者からの支配や不納得によって、潜在的に執念を持つ在り方になると考えます。

 

直し方は一つ

私は自分の許せない執念を認め、許すことで余計なことを言わなくなりました。

直していく過程では、潜在的に許せない念を抱いているか否かわかります。

許せない気持ちが強い人がいると、その人にだけ余計なことをたくさん言う傾向があります。

自覚していないとサプライズになり、「この人を許していないんだ?!」という新しい発見があったりします。

直すための許す対象は自分と他者の両方です。

極端に言うと、全員を許せれば全く余計なことを言わなくなります。

直し方は非常にシンプルです。

許せない執念が自分の中にあると知り、許せない対象を許します。

 

許す方法は自分の固執を手放す

「はい、あなたを許します」と言えば許せるものではありません。

許せない場合、執念を持って記憶にとらわれている自分がいると思います。

アプローチは記憶です。

過去を思い出してみて、許せない念がある場合には記憶に固執しているため、直ぐにわかります。
※良い記憶ではないのによく憶えているなど、人それぞれの傾向がある

固執できるのは自分しかいないので、他者を許せないとしても実際に許す対象は自分であり、記憶に固執する自分を手放すことが許す意味です。

[記憶を起きたこととして受け入れる=許す]

できることとできないことがあると思うので、少しずつ過去の記憶を整理して固執を手放していくと、執念が薄まっていきます。

この時の体感は手放せば手放すほど心が軽くなり、肩の荷が降りていく気楽な感覚です。

 

直す際のポイント

記憶にアプローチする場合、こちらが許す仕組みになります。

  • 自分を許すとは他者を許すこと
  • 他者を許すとは自分を許すこと

許す時の着目は記憶であるために、自らが記憶を受け入れて許せるかどうかがポイントです。

「自分を許す」という気持ちも大切なのですが、「あの人を許す」「この人を許す」と他者に目を向ける大切さがあります。

例えば、親を許せない気持ちがあるかもしれません。

小さい頃に我慢させられた、抑圧させられたなど、親のことを好きだとしても余計なことを言ってしまう場合には記憶に固執している可能性があります。

この記憶の真相は、親を許せない気持ちによって自分を許せない心理状態を作ります。

記憶を一つずつ思い出して、「こんなことされたけど、もう許すよ」と記憶をふぁ~っとするイメージです。

 

「許します」と発言する

許すことを目的設定すると、自動思考にて思いが巡り、許しやすくなります。

私達の頭は常に何かしら考え、潜在的に恒常化された思念は何回も繰り返されるように、頭の中でつぶやかれています。

例えば、「あの人は嫌いだ」と思う機会が多いと、気づかぬ内に無自覚の領域では、「あの人嫌い、あの人嫌い‥‥」と何回も呪文のように唱えています。

これを活用して、「私は自分を許す」「あの人を許す」「許すよ」「もう許しちゃう」と、何度も唱えることで自動思考にインプットできます。

朝起きた時に、「今日も自分を許すぞ」と目的設定すると自動思考になりやすいため、自分のしたいことにして楽しみながらも改善できます。

「難事はお主を許したもう、下がれ!」とこういう偉そうなことではないので、「あぁ、もう許しちゃう、逆にありがとね」というノリです。

記憶への固執が着目点であるため、潜在領域も含めて自分を知ることが大切になり、自分との向き合いを真正面から捉える正直な人間性がここで活きてきます。

 

余計なことを言ってしまう直し方 まとめ

心理を探ると全く想像もしない所に辿り着いたりします。

余計なことを言ってしまう根底にあるのは、許せない執念です。

自意識や自己愛の強さは人によってさまざまですので、人間性や性質として強い場合には、他者や自らとの関わり次第で自然と執念を抱きます。

抑圧や支配など不納得の記憶が多ければ多いほどに、自己愛は主張するように否抑圧を強く優先し、実際に自覚していることとは別の行動を作ります。

余計なことを言ってしまう場合、自己理解を深める大きなチャンスだと思います。

私自身、余計なことを言ってしまう改善の際にはたくさん学ぶことができ、自分を知る重要な時でした。

学ぶ際には必ず意思を持って行動を要します。

実際に許せるかどうかのカギは、「本当に許したいか?自分を認めたいか?」の真意との向き合いです。

後悔しても罪悪感を感じても、余計なことを言ってしまった経験に着目し、見過ごさないと自分のためになります。

あらゆる気持ちは自己内部の表れとなる合図ですので、「言ってしまう」と思える認識から自分を知り、直す行動へ向かう一助となれば幸いです。

それでは、余計なことを言ってしまう直し方のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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