心理と特徴

物を大切にしない人とする人の人間味│「物」の価値を変える自の範囲

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「よーしよし、可愛い皿だぁ。それじゃあシュッ、パリーン、よーし割れたぞー」

これは物を大切にしているのか、していないのか。

両方に捉えられます。物を大切にしているかどうかの価値観は人それぞれの自己満足、いかようにも変わります。

物を大切にしている人は少し特徴的で、「物」に対する価値観があります。

物を「大切にする」への価値観ではなく、「物」を大切にする価値観。そんなお話をここではお伝えしたいと思います。

  • 物を大切にする人とは?
  • 物を大切にしない人とは?
  • 両者の違いとは?

物を大切にしない人の人間味、物を大切にする人の人間味、両者の決定的な違いがわかります。

物との関わり方に表れる人間味とは、物に対する認識模様。物の見方を変える、奇妙な話を読んでいかれてください。

物を大切にするための一つの考え方となれば幸いです。

物を大切にする人

物を大切にするとは?

「物を大切にする」とはどういう意味でしょうか?

小さな頃に、「物は大事に扱って、丁寧に長く使いましょーねー」と言われたかもしれません。

みんな揃って、「はーい」と手を挙げて喜んで賛同、ってなわけにはいきません。

私のようなひねくれものは、「はっ?なんで?どうして?なんのために?どういう意味で?」と思ってしまいます。

親や教師に言われると、何も知らない不利な立場の子供は純粋に従います。

ですが、おじいちゃんやおばあちゃんに言われると、なんだか説得力があって納得できます。

この違いは、「物を大切にする意味」を知っているかどうかだと思います。

偏見かもしれませんが、私のおじいちゃんやおばあちゃんなどの戦争体験者は物の大切さを知っているように思います。

それは、「物がなかったから物を大事にしましょう」という価値観とは全く別物。

「物を奪われる悲しみを知っているから、物の意味が何かを知っている」というものだと思います。

おじいちゃんおばあちゃんが教えてくれる、「物を大切にしよーねー」という教えは、[物=他]

「他を大切に、大事にしよう」です。

他とは、人、物、生物、社会、地球、環境…、自分以外。

「物」はそれら「他」の象徴であり、他の集結によって作られた結果。

人と人が協力し、地球を削って物資を集い、環境を活用した社会性の中で生物を犠牲にし、代償と対価と生活の上で人間としての育みや失敗の学びを生かした創作、そして目の前の椅子、おもちゃ、携帯、バッグ、あらゆる物として存在します。

あらゆる他の上で成り立ち、構成されて物体化し、お金を払ったり人から貰ったり、そのために仕事し、とんでもなく様々な労力と他々の関わりにて物が目の前にあります。

それを知っている人の、「物を大切にしようね」という言葉には力があります。

私は親や教師に言われても何にも感じませんでしたが、おじいちゃんやおばあちゃんに言われると、「はぁー大切にしよー」と訳もわからず思っていたのを思い出します。

物とは物体として目の前にある“それ”を指すのではなく、自分以外のあらゆるものが含まれる“他”。

他を大切にする意味です。

 

物を大切にする人

[物=他]という価値観がある、物を大切にする人には大きな特徴があります。

「他者認識力が高い」

他の目線で、思考で、立場で、物事を認識できる人。

おもちゃをブンブン投げて遊んでいる子供がいれば、それは物を大切にしているのかどうか。

「このおもちゃはロボット型で、開発者の意図とお願い書きにはこう書いてあるよ」

「どれどれ、この子を投げないでください、この子の遊び方は右足をウィーンと発言しながら10㎝前方に動かし、その後に左腕をバミーンと発言しながら後方斜め58℃3㎝、そこで手首をピュミーンと発言しながら5℃北東方面に傾け、その後に左脚を」

うるせーテイッ、ガシャンガシャン、キャキャキャキャキャ。

おもちゃの遊び方は本人が考えます。

ぶん投げようと何だろうと、本人の意思次第で大切にしているかどうかが分かれます。

物を大切にする人は、他を配慮しながら物と関わります。

おもちゃを投げ、それが人にぶつかったり、家に当てて家が傷んだり、おもちゃが壊れたりすれば物を大切にしていないかもしれませんが、人にぶつかったことを反省し、傷んだ家に住む人を配慮して直し、おもちゃを直す意思があれば話は変わります。

子供は物を大切にする意味を自分自身で理解していないので、従う状態になりがちですが、成育と共に物を大切にする様が構築されていくと、他者への配慮や社会性への考慮があり、自分だけでなく他の認識を重要視する人間味が表れます。

お店に行った時にそれがはっきり表れます。

元あった場所に戻す。

物を大切にする人は、飲食店での机を使用し、汚したら元あったように綺麗にします。

椅子を使えば、最後に元あったように机の中にスーっと戻します。

それは店だけでなく家でも同じ。

皿を使えば、表面だけ洗うのではなく裏面も洗います。

お店の人や次のお客さんや家族の他者、その場の雰囲気や環境を認識し、自然と行為します。

物を大切にする人は、「物を粗末にしない、壊さないようにする、慎重に扱う」という行為、物に対する自らの姿勢にフォーカスするのとは違い、「他を含めて自分の在り方を作る」という認識ができる人です。

物と関わる結果、粗末にしない、壊さない、壊しても直し、慎重に扱います。

自然と物持ちが良くなる、そんな人です。

 

物を大切にしない人

物を大切にしないとは?

反対に物を大切にしない場合、「物」の概念に特徴があります。

物の中身がない。

物が目の前にやって来た段階で、既に物としての歴史を含み、中身はギュウギュウです。

物体としての役割や機能もあり、あらゆる経過があり、人と人の関わりや設計や材料集め、命に地球の資源利用に犠牲、労力に作業、思考に協力、感情に価値観…キリがないほど中身があります。

物を大切にしない場合、そういった前提は認識しません。

すると物の認識は、自分の目から見える“それ”。

それをポイッと放り投げ、それをドンッと机に置き、それをバンッと閉じ、それを粗末に、それを乱雑に使用します。

思い入れる理由も動機も意味もない状態です。

壊れればゴミ。
修理するより新しい方。
汚いそれに価値はない。
それはそれとして扱う。

物の中身を認識しないと利用物、利用価値がなければゴミに。

これが物の中身がない状態です。

ぬいぐるみがわかりやすいですが、中身がなくても関わりの中で自ら付け加えることができ、ぬいぐるみに話しかけるくらいにもなり、仕舞には勝手に髪が生えてくるなんてホラー、ヒェーひげもー。

物を大切にしないとは、「物」に対する認識が空、想像力の話です。

想像力があると認識に価値を加えられます。

そこに他者認識力があると無限の想像が加わり、物を大切にする認識が自然に恒常化します。

他者認識力がなくとも自らの想像性を生かして中身を付け加え、生み出すことができます。

本人が目の前の物にどれだけの価値を付け加えられるかの創造力によって、中身のない“それ”になるか、“価値ある物”になるかが変わります。

価値があれば粗末にはせず、壊れれば修理し、大切に扱おうとする動機が見出されます。

物を大切にしないとは想像力がなく、物に価値を見出せない状態と考えられます。

物に対する認識、想像性、価値の見出し、創造性も加わります。

これらの認識基盤に関わるのが、認識力。

物を大切にするかしないかには認識力が大きく関わります。

※大切にする力とも言える認識力の詳細は、【決定的に違う】気がつく人と気がつかない人の特徴と能力│認識力が起こすこと をご覧ください。

 

物を大切にしない人の執着

「物を大切にする人は他者認識力が高い」というのは、自己認識力が高いことも意味します。

自分のことを見れていなければ他者を見ることは困難。自分を知った上で他者を知ろうとする余裕が出て来ます。

他者の認識は知り得ないため、如何に真実に似せて近付けるかにて他者認識力が高まり、認識する基盤となる自分を知っている大前提があります。

物を大切にする人はいわば自も他も両方を見て知れる状態。

物を大切にしない人は自己認識力が乏しいということでもあり、自己認識できていると決め込む状態でもあります。

認識力とは物を見て感じて、考えて思って、判断して評価してなどの、材料を多く集められる能力と言えると思います。

材料に対する自覚が多ければ多いほど認識力が高まり、タバコの吸い殻一つにも価値を見出すことができるため、認識力とは物事の見方に制限や執着を作らない状態です。

固定観念が少なく、固執や頑固がなく、寛容に物事を認められる状態。

これができないと、
「これはこういうもの」
「汚ければ捨てるものだ」
「新しい物の方が良いに決まっている」
「修理している時間が勿体ない」

ルールや常識や規律による制限、抑圧、固執があります。

これらに正否、良否を付けることを、「認識に対する執着」と言いたいと思います。

認識に執着があると、想像性も創造性も制限してしまい、本来の自分の能力を発揮できなくなります。

固執や執着をなくすことにより、物を大切にする認識の幅広さへ向かいます。

認識がルール従順、またはそのルールに反発するという従順の場合、物を大切にする捉え方には特徴的な様が表れ、物を大切にしない人ならではの価値観が見られます。

「物の中身は自分で決める」

物の認識も、物を大切にする意味も、全て自分で決め付けます。

[物=他]とは認識しない価値観。お金を払えば自分のものという私物化、支配、利用概念が加わってきます。

お金を払って購入していればそれは当たり前かもしれませんが、物を大切にする人はその概念がありません。

物とは他と他の集結結果、既に中身に他が加わっているため、自分だけの物にする概念がありません。

物を大切にしない人は、物を自分だけの“それ”にします。

ここに良いも悪いもありません。

ただ、物を大切にしないというお話です。

 

物を大切にしない人の物との関わり方

物を大切にしない人は、自分にとってのそれとの向き合い方、それに対する価値観、それの使い方、それの捉え方を決め、それと関わる自分を常にフォーカスします。

この場合、起きる特徴的な様がこちら。

所持する物の中身がなくなる。

手にした物は自分が使いたいように使い方を決めて、自らが思うように関わり、物の価値創出はせず、物との関わりにある自らの価値や、自分にとっての利用価値を見ます。

他と他の組み合わせ、あらゆる経過を踏んで目の前にやってきた“他の集結”という中身ギュウギュウ状態は、「私がこの物の意味も使い方も全部決める」となることで、中身がスカーン。

物を大切にしない人は、他を大切にしない人。

自分を大切にする自己中心な人かもしれませんし、自分も大切にしない人や、自分を大切にしていると決め込む人かもしれません。

物との関わり方から、その人の状態がわかります。

物を大切にしない人は、自己認識に余裕がないと考えられます。

自らを見出し、自らの価値や存在意義を求めることに追力、他者や物の意味や関わり方を考える認識の余白がないかもしれません。

物との関わり方を見ると、その人の価値観以上に人間味、認識の執着模様、そして自己の存在に対する余裕がわかります。

※価値については、価値がないと言われた機会を逃さない【価値ある人間になるには】をどうぞ。

 

物を大切にする人としない人の決定的な違い

最後に、両者の決定的な違いとして、最もはっきりと表れる様をお伝えしたいと思います。

物を大切にする人としない人は何もかもが違いますが、決定的なのはこちら。

「自分」という存在の認識範囲です。

  • 物を大切にする人は[自分=自分+他]
  • 物を大切にしない人は[自分=自分-他]

自分±他

大切にする人は、他も含めて自分が成り立ち、物である他を自分と同じように扱い、関わります。

大切にしない人は、他の反応や評価など、他によって自分を成り立たせようとします。

そんな状態に抵抗があり、他を自分の一部にしないように支配や利用することで、自分は自分で成り立っていると認識しようとします。

両者は自分という存在認知が著しく違います。

私がおじいちゃんやおばあちゃんに物を大切にするように言われた時には、このような理解は全くありませんでした。

おじいちゃんおばあちゃんの他を思いやる様や配慮、それは自分+他を自分だと認識していた様からの説得力、言葉の重みを感じていたのだと思っています。

物という他に自を含めると、自分を大切にすればするほどに物を大切にしていきます。

物体としての「物」はもちろん、幅広い奥深さや物が作られるまでの過程や経過、物の歴史を鑑みます。

こうなると、物は生きていると認識する人もいるのではないかと思います。

 

物を大切にしない人 まとめ

私達は常に自分が主体。自分をないがしろにすると何かを敬うのは困難です。

他へ認識を向けても、自分のための体裁、偽善、取り繕い、誤魔化しと、自覚しないように自らを他によって成り立たせようとする企みが露呈します。

そんな人間の基本原理があり、主体の自に他を含めるのが物を大切にする人、含めないのが物を大切にしない人です。

無人島や森などでの独り生活であれば話は別ですが、社会で生きているために既に他が含まれています。

そのように認識すると、24時間営業しているコンビニが当たり前ではないという事実に、有り難いと思うかもしれません。

物を大切にしない人を紐解くと、その人を知る以上に人間味を育む認識を知れる、そんな内容が物を大切にしない人のお話です。

物を大切にしようがしなかろうが個人の自由。根底には物との関わり以上に、自分との関わりを教えてくれる心理や状態があります。

物を大切にしない人の理解によって、物の認識を深める考え方となれば幸いです。

物を大切にすると、物は本当に長持ちしてくれるように思います。

我が家の30年以上前の洗濯機、50年以上前の電化製品、100年以上前の家、どれほどこれからも使用させてくれるのかわかりませんが、大切に使用していきたいと思います。

ぜひ大切な物との関わりを、これからも進めていきましょう。

それでは、物を大切にする意味と人間味のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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