ネガティブなどうでもいい、ポジティブなどうでもいい。
悩みすぎ、考えすぎにて、悩みがどうでもよくなる。
ここには、どうでもいい状態へ向かう道中の心理があり、精神があります。
これら心理と精神を理解すると、「どうでもいい」の意味がわかります。
どうでもいいを悪い意味で捉える場合には、心理と精神を知ると、使い方を変えることができるかもしれません。
「どうでもいい」とは心の内側、奥深くから感じる体感感受の言語化認識でして、流れと順序があります。
そんな理解には、「あれ、どうでもいいって何かいいかも」と思う話がありますので、一つの考え方としてご覧ください。
それでは、どうでもいいの深掘り、どうでもいい話を進めてまいります。
あ、えっと、どうでもよくはないんですが、どうでもいい話で、どうでもいいの詳細としてどうでもいい話で…。
よくわかりませんね、気楽にご覧ください。
Contents
どうでもいい心理と精神

どうでもいい心理
自暴自棄、脱力、やる気や興味の喪失により、力なく、「なんかもう、どうでもいいや、へろへろ~」
無感情、どうでもいいことがどうでもいい、「ガチで何もかもがどうでもいいな、うん」とネガティブでもポジティブでもない。
両者は全く違うことがわかると思います。
言うのか思うのか感じるのかで、心理は変わります。
「どうでもいい」と- どうでもいいと言う場合、どうでもいいとは思っていないかもしれません
- どうでもいいと思う場合、どうでもよくないと思っているかもしれません
- どうでもいいと感じる場合、本当にどうでもいいかもしれません
三つの心理の違いは一体なんでしょうか?
認識です。
認識の違いは、人それぞれのどうでもいい状態の心理を表します。
一つずつ見ていきましょう。
1,どうでもいいと言う心理
発言する心理として考えられるのは、「私は空虚で喪失(または寛容で柔軟)なので、何も気にしませんよ」という思い込みの自己表現。
ネガティブな価値観であれば、自己価値や存在意義となる自尊を汚される周囲からの影響を危惧して、「気にしない自分」を作ることで自己防衛の方法とします。
ポジティブな価値観であれば、自尊の確証を他者から求めるために、「気にしない自分」を作ることで肯定される材料とします。
どうでもいいとは真に思っていないと考えられ、言語として自分のためになる価値を見て、アイテム的に使用します。
2,どうでもいいと思う心理
思う心理として考えられるのは、実際にはどうでもよくないと思っていること。
「どうでもよくない」と思えば思うほど、そしてその状態に改善の余地が作れなければ作れないほどに、「どうでもいい」と思うようにします。
現実逃避や、自己否定回避の自己防衛となり、自らの保身、価値、能力、才能、存在自体を保守・維持するために思い、心を護ろうとします。
心を護る心理には、恐怖となる否定や苦痛や危険を嫌がる状態、自己評価の低さや、自尊や自信のなさ、自己肯定や受容の低さがあると考えられます。
この状態は、ネガティブな意味でのどうでもいいの使い方となり、本当にどうでもよくなることを恐れるがために、どうでもいいと思考的に認識し、空虚や喪失を主張するようにする傾向があります。
3,どうでもいいと感じる心理
感じる心理として考えられるのは、本当にどうでもいい境地に辿り着いた状態。
思考的にあえて見出し、作り、思うことはなく、自然と現状に対して認識する体感として、「ああ、これはマジでどうでもいいね」と無感情、悲しくも嬉しくも虚しくもありません。
どうでもいいことがどうでもいい、まさにどうでもいい状態。
ここにあるのは、どうでもいい精神。
言い方を変えると意識。
肉体の感覚でも脳の思考でもなく、あえて感じたり思わずとも体感感受する、精神としての状態認識。
どうでもいいと喪失的な虚無に陥った際の、逆転満塁ホームランになる自己理解を切り開く道でして、辛ければ辛いほどに新しい境地へ向かえる人間の可能性を物語る状態です。
どうでもいい精神
どうでもいい心理からわかるポイントは二つです。
思うか感じるか。
言い方を変えると、あえて認識しようとするか、自然と認識されるか。作ろうと意図するか否かです。
ここでの主旨は感じる状態。それがどうでもいい精神を垣間見せます。
「どうでもいい」と言語だけを汲み取ると、興味、関心、意志、意思、熱意、動機、動力、やる気、活力‥‥と、自らの動き出しの力がないネガティブな様に思えます。
が、実際にどうでもいい状態とは、思考的な欲がない様だったりします。
もう、本当にどうでもいい感じ。道端をボーッと歩いていたら、突然唾をペッとかけられる。
反応は?
「ふーん」ではありません、「このやろー」です。
歩き続け、目の前で交通事故キキー、ドーン。
「ふーん」ではありませんが、「まぁ、人は死ぬよね」という感じですかね、人それぞれに欲がない状態が表現されます。
目の前に一億円落ちている!
「ふーん」と札束をドカドカ踏んずけてそのまま進む。
自由ですね。
喪失によるどうでもいいとは違うので、ふーんと無関心、認識虚無、自己防衛による機能停止、シャットダウン状態とは別物。
欲がない、煩悩がない、我欲がない、自らを喜ばす欲も、納得いかない不納得の欲も、嫌がる欲も、思い通りに支配したい欲も、他者から植え付けられた固定観念も、あらゆる後天的欲求はなし。
あるのは、自然発生的な先天的欲求、本能や性質に従うことで自然と肉体が、知能が、心がする行為、感受、認識。
この状態、ネガティブでもポジティブでもありません。
どうでもいいとは、顕在的な欲がなくなる精神状態。
思うか感じるか、作るか自然に起きるか、人工的か自然発生的か。
どうでもいい精神状態は、無自覚(潜在意識)の様。感じる自然な状態は、どうでもいい心理をドバーンと解放します。
どうでもいいとも、どうでもよくないとも、どちらでもない。
これを精神が認識すると、「どうでもいい」になります。
どうでもいいとは本当にどうでもいい。
良くも悪くもどうでもいいので、良いとか悪いとか、これがいいとか、あっちがいいとか考えません。
拒否しない様を意味します。
まさに自然、あるものをそのままに見て、感じて、思い、想い、判断し、評価し、認識します。
そのままなので拒否する抵抗がなく、「起きたのなら起きた、以上」とシンプルになります。
これらをまとめると、どうでもいい精神がわかります。
どうでもいい精神とは、拒否しない自分の境地に辿り着いた状態。
どうでもいいとは手放し
上述の内容は少しわかりにくいかもしれませんので、どうでもいいの意味を私なりに解説したいと思います。
どうでもいい精神とは、思考と欲求を手放した状態です。
そこには、固定観念も既存の価値観主義も、善も悪も、正解も間違いもありません。
あるのは自然、ありのままで、物事を拒否せず、誤魔化さない自分。
この状態になると、悩みも喜びもなし、揺さぶりも翻弄もなければ、楽しみも幸せもない。
あるのは自分のみなので、陰も陽も善も悪も自分で作るだけです。
悩みたければ自らの意志を持って悩み、楽しみたければ自らの意志を持って楽しむ。これだけのシンプル。
生きたければ生きる。
「ん???」
ちょっと疑問に思われたかもしれません。
「それって普通のことじゃない?」と。
どうでもいい意味とは、自分の本来の状態に気付くことと考えられます。
悩みがあれば、苦しみがあれば、自ら悩みを作って苦しんでいるとはなかなか思いません。
なぜならば、悩みを思うからです。
生きているのは、生きていたいからという潜在意識があり、内臓器官を自らの意志を持って働かせ、生きる選択をし続けているとは認識しにくくなります。
これら現実を見にくくさせているのが思考であり欲求、これらを手放して残ったのが精神、自分という意識そのものです。
どうでもいいとは自分を見にくくしている抵抗を手放す意味。
この状態になるために、ネガティブが重要ポイントであり、材料となります。
言い方を変えると、ネガティブなどうでもいい状態を自ら作っていると思えた時、どうでもいいと感じることができます。
※人生がどうでもいい話は、人生どうでもいいと思った時の対処法│それは大切な合図だった をご覧ください。
悩みすぎてどうでもよくなる
悩みすぎるとどうでもいいの意味がわかる
どうでもいい精神の重要性は、どうでもいいの本来の意味から、使い方が見出されることにあります。
どうでもいいの使い方をネガティブにすると、「私は今、興味もやる気もない、何もかもの動力も意志もない状態だ」とあえて自らを落としてしまうかもしれません。
それは、自ら落としている(自ら作っている)認識を放棄する可能性があり、自分が見えなくなりかねません。
すると自ら問題解決するのが遠のき、自暴自棄で戦意喪失、空虚で拒否過多、悩み=苦しみの認識になり得ます。
どうでもいいを有効的に活用するために、悩みすぎるのは悪いことではない捉え方があります。
これがネガティブを材料にして、どうでもいいを得る方法。
上述でお伝えしたように、どうでもいいと感じられれば明確な自己認知が起き、自らの意志を持って良いも悪いも作れるようになります。
喜びが欲しければ作る、悲しみが欲しければ作る。ポジティブを好む場合には、楽しく幸せを作る優先ができます。
この状態に持っていくためのヒントとなるのが、悩みすぎてどうでもよくなる状態です。
悩むとは、自らの欲求を最大限に引き出して、「苦しみを解きたい」「現状を嫌がりたい」「望む形にしたい」「なんとか改善したい」などと現状への不納得や不満足の思考に欲求を注ぎます。
これが激化すると、思考と欲求がどこまでも膨れ、ある時に起きます、パンッ。
風船破裂。
手放しです。
諦め、受け入れ、思考と欲求をこれでもかと引き出しても解決できない悩みに対して、「OK、OK、もうお手上げ」
これによって、「悩みって何?」の現物を目の当たりにします。
手を上げて、「もうわかったよ、勘弁して」という具合になると、「どれどれ、私を苦しめていた悩みとは何だったのかな?」と少し客観的に、まるで自分の問題ではないかのように見れます。
そこにいるのが悩みの正体、思考と欲求で自分以外の他に問題解決の糸口を見ていた何か。
自分を見にくくしていた抵抗です。
そこで気付くのは、その抵抗を見ている人そのものが自然な自分。
悩みすぎによる諦めや受け入れは、自分に戻っている状態です。
言い方を変えると、悩みすぎたことで思考と欲求を手放して自分に戻っている。
ですが、悩みすぎると別の道を選択する場合もあります。
詳細を見ていきましょう。
※悩みすぎると起きる境地の話は、絶望って何?正体に秘める哲学とスピリチュアル│希望は常にある。をどうぞ。
悩みすぎると起きる二択
悩みすぎる時に起きる可能性は二つ考えられます。
一つは上述の、諦めや受け入れによる手放し、「あ、あなたが悩みだったのね」と客観的に見る状態。
もう一つは、許容オーバーにて自暴自棄、悩みすぎて思考と欲求を膨らませて、パンッ。
風船破裂、ですが、パンッの音で目を瞑る。
目が開けると未だ解決していない悩みがあり、悩みを客観的に見れず、解決できない自分にフォーカスしネガティブに向かいます。
- 悩み解決の諦めによる、悩みの受け入れ
- 悩み解決を諦めず、許容オーバーで自己防衛シャットダウン
悩みすぎて諦め、「もうこの悩みって一体なんやねーん」と正体を見るか、「絶対悩み解決してやるー」と悩みサイドには立ち入らない断固戦う姿勢による、強制シャットダウンか。
悩みや考えすぎなど、問題解決や改善のために勤しむ際、「一体なにが問題なのか?」の悩みの種や形を明確にする必要があります。
悩んでいるのは本人のみ、一人だけですので共通理解があります。
「自分の中に悩みの問題と答えがある」
悩みとは自分の中にある自分のことであるため、自分を見るか外側を見るかにて、悩みすぎると起きる結果が変わります。
思考と欲求を膨らませてネガティブになるところまでなった時、「あれ、この悩み作ってるの自分じゃない?!」と気付く場合、諦めか受け入れ(現実に拒否しない様)が起きます。
すると、「悩みすぎてもはやどうでもいいー」とネガティブもポジティブもない、まさにどうでもいい境地に至ります。
悩みたければ悩みを作り、悩みたくなければ悩みを作らない(現実に拒否しない)とそのままにする選択ができます。
悩みすぎる状態=ネガティブは、重要などうでもいい境地へ向かう材料でして、ネガティブに留まるか、その先のネガティブもポジティブもない状態へ向かうかが人によって分かれ、どうでもいいと思うか感じるかの使い方が変わってきます。
※悩みの詳細は、悩みがあるから良い。スピリチュアルな悩み相談に大事なこと をご覧ください。

どうでもいい心理と精神 まとめ

良いも悪いも共に理解があり、使い方があるどうでもいい。
ここでお伝えしたい核は、ネガティブとはとても重要なものという理解です。
あまり良いイメージや印象を持ちにくいネガティブですが、凄みがあり、下がるところまで下がると、上も下もない境地に辿り着き、その後は自由に上でも下でも行けるようになります。
それは、自分を上にするか下にするか、動かせる意味です。
下げるだけ下げちゃう。落とすだけ落としちゃう。苦しむだけ苦しんじゃう。
「最悪やー」という感じですが、それによってどうでもいいと思うところまで行ければ、残すところは、思考と欲求の手放しです。
「これだけ悩みを作ったのは私の思考、現実ではなく思い。そして欲求、現実を拒否する私」
「はは、なんか本当にどうでもいいや」と体から力が抜けてゆく、重みが取れていく、解放による手放しは自らの縛りを解く気付きとスー。
良いも悪いもないスーは、解放と言う名の軽さの体感。
ネガティブは自分を知るためのステップです。
ネガティブを得るためにはポジティブも重要です。富も名声も権利も安全も保障もあり、好き勝手に何もかもをやり、良いことしか起きない。
何も悩みがなくなると起きるのは、「なにこれ、くっそつまんねぇ、飽きた」とこれは私の意見ですが、ポジティブだけが続くとそれが悩みになったりします。
出ました、どうでもいい境地へ向かうチャンス。
下に行っても上に行っても突然現れるのはネガティブ。
あるのは順序、ネガティブの後はポジティブ、ポジティブの後はネガティブ、そしてネガティブの蓄積が見せる道が、どうでもいい境地。
どうでもいいと思う状態は辛く苦しいものですが、ネガティブを蓄積した経験を自らのために活用する考え方が、悩みすぎた人や、辛さを味わった人ならではの大きな飛躍に繫がります。
あとは、「どうでもいい」と思う状態が合図となり、二択。
ネガティブキープか、どうでもいいと感じる陰も陽もない新世界か。
ネガティブは新世界への橋渡しをしてくれるとっても大切な認識であり、悩みがどれほど重要なのかを知っていただける内容であれば幸いです。
「どうでもいい心理と精神」
心理は精神を見せるための前段階。心理を表す思考と欲求を手放した時、どうでもいいの真の姿が現れ、本当に世の中はどうでもいいことを知るのかもしれません。
それは、自らがこの世を作り、自らの世界を創り、認識をつくること。
創作と創造意識が加わると結果に執着しなくなり、「何もかもどうでもいい、なんせ自らつくるから」と認識することと思います。
どうでもいい精神をぜひ活用され、ご自身の内側をより切り開くように素敵な人生を歩まれてください。
それでは、どうでもいいタイミングですので、どうでもいい話はどうでもいいので終了します。
終わるのもどうでもいいので、終わらないようにしようと思いましたがそれもどうでもよく、この考えもどうでもいいから、この時間もどうでもいいですね。
もう、よくわかんない。
わかんないのもどうでもいいですね。
もうやめてー。