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【心の開き方がわからない時の重要理解】誰にも心を開けない原因と改善方法

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ピッと押したらパカッと開く。そんな無邪気な本心は、成育と共に強固な鎖でグルグルガッシャン。

誰にも心を開けなくなり、家族や友達や恋愛や職場での人間関係は、体裁と仮面にて取り繕う頭の開き。

親密な関係にならず、なっても特定の人にしか心を開けない状態となり、気づけば心の開き方がわからなくなります。

そんな時は、大前提を理解する大切さがあります。

山や森に入る時には、ルールの核である熊を知って自然の摂理に従うように、「心を開くってどういうこと?」を知る大切さがあります。

ここでは、誰にも心を開けない際に欠かせない、心を開く方法を見ていかれてください。

  • どうして誰にも心を開けないの?
  • 心の開き方がわからない状態とは?
  • 心を開く方法を知った体験談とは?
  • どうすれば心を開けるの?

これらを紐解き、「心の開き方は唯一本人のみが理解できるんだ」と知っていただく内容となっております。

心を閉じるからには原因がありますが、それ以上に意味の把握が着目点になります。

私の体験談と共に、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

誰にも心を開けない閉ざし

誰にも心を開けない原因

心を開けない原因と考えられるのは、恐怖心です。

不安や恐怖など、嫌で危険で苦痛で拒否したくなるさまや状態に“恐怖心”があり、拒否を意味する意志表示として心を閉じます

嫌な人との関わりであれば、恐怖心による拒否があり、心をバボンと閉じる。

信頼できない人との関わりであれば、恐怖心による拒否があり、心をドヒュン。

安心感のない心理状態での関わりであれば、恐怖心による拒否があり、心をギュイン。

嫌なのは、信頼できないのは、安心感がないのは、他者ではなく自分であるのが心の閉じです。

恐怖心を抱く理由となるのが、心に傷を負った経験やトラウマなどの認めていない記憶。

いわゆる、心を開いたことで発生した不利益取得の記憶です。

心を開くことに利益がなくなり、不利益だった記憶が多ければ多いほど、価値観や観念が構成されて心を開く動機がなくなります。

ここで一つわかるのは、嫌な人か、信頼できない人か、安心できない外部環境かは重要ではなく、拒否したい自分自身の欲求や自己防衛(本能活動)に従う状態です。

「この友達は信頼できない」と相手にフォーカスしているのではなく、「拒否したい気持ちがある私」にフォーカスしているイメージです。

着目が自分になり、恐怖心による拒否したい気持ちがあると、心を閉じたくなります。

嫌なことを自分の中で起こさないために、心を閉じて殻にこもることが心身を護る術となる」

心を開けない原因には、自分を護るための欲求があると考えられます。

 

自分と向き合いたくない欲求が心を閉じる

上述の、「嫌なことを自分の中で起こさないために」のフレーズは、受動的に起きないで欲しいと殻にこもって逃げるのではなく、不利益を得ないための能動的な行動です。

自分のことは自分で理解、対処、改善する心理があり、自責のある人間性が表れます。

この自責。ネガティブをなくす活動に使うとトラップがあります。

嫌なことである拒否したい欲求が出た時、自分の中に現れる恐怖心を排他しようとします。

どでがいモンスターが発生。
「殻!」と言って身の回りに強力シールドを張り、そのまま過ごす状態。

シールド使いは防御レベルがかなり高め。しかし、モンスターをそのままにしながら、自分の世界から自分を追い出すような殻ごもり手法になります。

恐怖心(モンスター)を排他したと思い込み、実際には自らを排他しながら、そう思わないように認識を誤魔化します。

ここにあると考えられるのが、自分(自分にとっての現実)と向き合いたくない欲求への忠誠です。

過去の嫌な記憶によって作られている可能性があります。

「二度とあんな嫌な思いはしたくないから、もうしないと決めた!」という自責の使い方となり、嫌なことが起きるかどうかは自分だけでは決められませんが、強引に決めて認識を誤魔化す疑似現実の創作が盛んになります。

現実の湾曲化は自己世界の中に恐怖モンスターを増殖しますが、殻にこもっているのでどれだけ増えても見ずに済み、ますます心を開く動機がなくなります。

心を閉じて、嫌なことが起きない世界の創作活動に没頭します。

[自責+拒否したい記憶+自分と向き合いたくない欲求=防御力アップの在り方]
※引き換えに心を開けなくなる

 

心を開くとどうなるかわかったものではない

殻を開けて出てみると、これまで蓄積してきた恐怖モンスターがいるかもしれない。

自責があるからこそ自らがしてきた行為をしっかり把握するため、開いたらどうなるかわからない未知が認識され、自らが自らを保持・対処できない懸念に強い拒否感を抱きます。

現実を湾曲化させる認識癖、現実と向き合えば身が持たなかった過去の記憶があると、不利益をなくせる反面、現実がどうなっているかわからない未知への恐怖が増大されます。

心を開くとどうなるかわかったものではありませんので、開きたくありませんし、開けなくなります。

恐怖心と向き合えなくなり、自分との向き合いに対する拒否が強まり、妄想や空想による誤魔化しが増え、自分への無意識の嘘が癖になります

作る疑似現実から抜けられなくなると、心の開閉コントロールができなくなります。

人によっては絶対的に安心できると決定した特定の人にだけ心を開けますが、それ以外は開閉コントロールが効かなくなります。

心は誰しもに開くものではありませんが、心の開閉コントロールができないと、心の開き方がわからなくなります。

 

心の開き方がわからない状態

これまでの内容にてお伝えしたいポイントは、他者など他の影響は心を開けない原因ではなく、実際には全て自分の中で起きて進んで事が運ばれていることです。

しかし、自分の中で全て起きているとは思えないかもしれません。

過去に受けた心の傷やトラウマとなる記憶は他者の影響に起因するため、他者によって恐怖心を嫌がる自分が構成されている考え方もあります。

ここで着目したいのは、「誰にも心を開けない」「特定の人にしか心を開けない」「心の開き方がわからない」と自覚していること。

自責(思考や行動を認めて自覚する)の表れです。

自覚していない場合は別の心理や人間性となりますが、自覚している場合には他の影響によって心が開けないのではなく、他の影響によって自分の殻にこもる動機がもたらされる、までを作られます。

それ以降は自ら選択して殻にこもったり、恐怖心と向き合わずに防御力を高めるなどの選択をします。

実際には自分を主体に心を開けなくなっている、という考え方です。

が、「自分が主体的に心を開けなくしている」とは思いにくいです。

この思いにくい点が、心の開き方をわからなくします。

 

心を開けなくしていると認めない自分がいると、心の開き方がわからなくなる

自責についてお伝えしましたが、心には自責も他責もありません。

脳は他者でも理解できますが、心は本人以外に理解できず、心を閉じるのも開くのも本人以外にはできません。

恐怖心を見ずに自分との向き合いを拒否するさまは、心という唯一無二でありながら本人にしか認識できないものの扱いに、「他(人や物やルールや社会性)」を組み込めます。

他の干渉や関わりによって起きる嫌なことへのフォーカスが強まり、「他によってこうなった、他がこうだから自分はこうする、他がああだから別のことをする」となります。

無意識に他の思考や行動を含めた自分の在り方となり、心を開く意味が湾曲します

「心を開くとは、恥ずかしいことも知られたくない自分もさらけ出す、心を閉じた原因の解消」

これは心を開くのではなく、心を開けない原因の恐怖心を打ち負かすという、自分の中だけの物事です。

思考や行動は常に自分が主体でありながら、そうではなく他が介入していると思う認識を無意識に作ることで、心を開けなくしているのは自分自身だと認め難くなり、心の開き方がわからなくなります。

※社交的なのに心を開けない人の詳細は、【人見知りに見えない人見知り】社交的なのに心を開かない人の秘密 をどうぞ。

 

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誰にも心を開けない改善方法

心を開く方法を知った体験談

心を開く方法がわかりやすくなればと思いますので、先に体験談をご覧に入れます。

私が個人的にアラスカの森で暮らしていた際、とにかく熊が多くて毎日がビクビクでした。

ある日、大きな熊と小熊の親子二頭が私の暮らすテントの真横を通りました。

その時、自分中心の認識から離れる不思議体験がありました。

「襲われて終わる」と思っていた当時の私はガリガリガリクソン。戦う気力など到底ない瀕死の骨瓦となった人間(仮)状態。

自分の認識から離れた時、真に現実を捉える目線がもたらされます。

まるで意識が抜けたようにフーっと浮上。二頭と一人を俯瞰する状態に。

過去に熊に襲われた記憶が鮮明に脳内に残っていたので、熊に対する恐怖心が暴挙なまでに頭を埋め尽くしていた私でしたが、認識から離れたそこには何の固定観念もありませんでした

過去の記憶によって構成された自分ではなく、今目の前のリアリティに真っ直ぐ向き合う私がチョン。

熊は私を襲わず、何もせずに離れていきました。

「はぁ、良かったぁ」と安堵し、冷静になった時に私の認識は一変していました。

「熊は怖い存在ではないのかもしれない」

過去の記憶から勝手に決め込んだ自己ルールは通用せず、ただの思い込みでしかない。

記憶による先入観や価値観の自己ルールは、生きるのを楽にするための枠決め対処であり、今起きている現実と向き合わず、物事を新しく考えずに済む恐怖心の誤魔化しでもある、と考えるきっかけでした。

恐怖心がなくなったのではなく、しっかり熊に対しては恐怖があり、その後もビクビクです。

しかし、森には森のルールがあると認め、そこで知らなければならないことがあり、現実とは今この瞬間にしか存在しないと知ります。

自らのルールを押し切っている自覚がないことに気づき、自分自身に拒否を作る無意識の在り方を精査し、調整するようになりました。

森での過ごし方は一変し、より動物や植物に目をやり、森でのルールや自然の摂理を学び、自分のエゴを押し付けなくなりました。

私はこの件で、「心を開くとは現実に対する抵抗となる思い込みをなくすことなんだ」と体感しました。

めでたく珍獣としての野生化を進めましたとさ。

 

心を開く重要ポイント:心の持ち主にフォーカス

心を開けない際に最も重要なのが、「心を開くとは?」を知ることです。

山や森に入る時に最も重要なのは、人間が作ったルールに従うのではなく、山や森の主であり、ルールを管理し、守っている存在など、核を知ることです。

例えば、山や森の核と考えられるのは熊です。熊を知ることで山や植物を知る基盤を理解でき、自然の摂理やルールを知れます。

心に入る時の基盤は、心の主である自分を知ることです。

極端ですが、他は一切不要です。
※心を開いた後に必要になりますが、一旦置いておきましょう

自分を知るとは他を知ることですが、そんなややこしいお話は抜きです。

心を開くポイントは、心の持ち主である自分のみにフォーカスです。

 

心を開くとは自分との一体化

心を開けない状態では、心を開く意味が自己開示や秘密主義の撤廃など、恐怖心によって露わにしなかった自分をさらけ出すことになりやすいですが、実際の心を開く意味は全く別です。

自らの考え方や心理を把握するために、自分と一体になることです。

「自分に自分を合わせる」という感覚です。

ここでわかるのは、心を閉じる原因をなくせば心が開く訳ではないことです。

心を閉じるのと心を開く工程は全く別物。

  • 心を閉じるのは恐怖の役目
  • 心を開くのは愛の役目

開くための一体化とは愛の認知を意味しており、相手との一体ではなく自分との一体。他を入れずに自分のみに集中して自らを愛する状態です。
※その後に他との一体へ向かいます

自分を愛すると言ってもわかりにくいと思いますので、重要なのは自らに合わせる一体化です。

合わせるために必要なのが、自らに合わせていないことの自覚。

このために自分を知る必要があります。

※本心を出さない意味は、【本音を言わない男と女】本心を表さない心理に意味と目的がある をどうぞ。

 

心を開く方法は一つ

誰にも心を開けない、特定の人にしか心を開けない場合、他者によって自らの心を開いてもらうことはできません。

皆無だと思ってください。

もし周囲に心を開いてあげたいという人がいても、エゴにしかなりません。安心感だけもらって心を開いたように思い込む自分ができ、利用される可能性もあります。
※別の心理の方には大切な関わり方

ここでお伝えしている自責者の場合、心を開く方法は一つだと考えます。

現実を知る。

このために、自分の認識(価値観や観念など自己ルール)から離れるのが、心を開く方法です。

 

自己ルールを自覚して手放す

認識の誤魔化しは自己ルールの主張や押し付け、決め付けや思い込みをしているのにしていないようにします。

わかりにくくても相当多く自己ルールを持って貫いているのが、誰にも心を開けない人や、特定の人にしか心を開けない人など、心の開き方がわからない人です。

自分を知るためには考え方を知ります。

価値観、先入観、観念、信念にはさまざまな自己ルールがあり、潜在意識の理解が重要になります。

自らを自らが捉える目線が大切になり、心理や精神理解がものを言います。

自らを俯瞰することが改善の最たる材料となりますので、自分を知るために心理や精神を学ぶと心の開き方がわかり、開閉コントロールができるようになります。

※心を満たす方法は、心を満たす方法は心の仕組みを知ること|満たされない理由は愛の喪失 をどうぞ。

 

心を開く際の注意点

心を開く意味を間違えて他者と関われば、純粋な押し付けや支配となり、無自覚の攻撃になって嫌われかねませんのでご注意ください。

重要なのは心を開くことではなく、開閉コントロールです。

心を開けない場合、明確に自分が中心の認識をして、多くの自己ルールに則って世の中を見ています。

そうしていないと思い込む認識の誤魔化しも多用していますので、現実を知るとは難しいもの。一歩ずつ進みましょう。

心の開閉における現実は、心を閉じるのも開くのも両方が同じくらい大切であることです。

恐怖の反対にあるのが愛であり、恐怖がなければ愛は存在しない表裏一体。恐怖があるから心を必要に応じて閉じられ、愛があるから必要に応じて開けます。

常に閉じる、常に開くのがバランスの逸脱となります。

心が閉じたからには閉じ方を知る意味がありました。

世の中は共存社会。関わってはならない人もいますので、心を閉じるこれまでは防御力を高める重要経験です。

後は如何に心を開く意味を自己ルールを紐解きながら知り、開閉コントロールしていくかです。

心を開くこれからは、受け入れ許容を高める経験となっていくことと思います。

 

誰にも心を開けない原因と心を開く方法 まとめ

心を閉じるのが陰、心を開くのが陽。

陰と陽は両方が組み合わさって初めて一つになります。

熊を知り、自分を知って初めて、森で過ごす自分の心との調和があり、自然との一体化があります。

森から出て街へ行けば、知る対象は熊ではなくなり、その街の人々やルールや考え方です。

心を開かなければ自己ルールを知らぬ間に押し付けてしまい、一方的に心を開けばこれまた自己ルールを押し付けてしまいます。

私達は常に自分と合わせる調整を要し、その場その場で変わる自分が存在します。

新しい町へ移住した時、最も重要なのは町の考え方の理解であり、そこの自分と合わせる心の開きの調整です。

認識の固着は変わりゆく人間性の抵抗です。自分の認識から離れ、時に手放し、時に吸収し。そんな繰り返しに心の開閉コントロールがあります。

いくら過去の記憶で心を閉ざして鎖でグルグルに縛っても、心を開く時は一瞬です。

なぜならば、心は常にパカパカと開閉する自由だからです。

閉じたから開けるのが大変なんてことはありません。

閉じてきた経験は全て強味となり、意味をもたらします。お次は開く経験を強味にする番です。

長い人生は気づけばあっという間に過ぎていきます。その内の少しの時間だけでも、徹底的に自己ルールの把握と精査と手放し、心を開くために活用されてみてください。

そのためのご参考となれば幸いです。

それでは、誰にも心を開けない時の理解を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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