人生哲学

大人になるって何なんだ?│子供の時を思い出すとわかる大きな人

大人への憧れ。

「大人になるとはとても大きなことだ」と思っていたのを、今でもよく思い出します。

子供から大人になる時がいつかわからなかった最中、20歳になった時に、「もう大人だよ」というルールを与えられました。

今、大人になって思う「大人とは?」の理解は、子供の頃に思い描いていたものとは全く違います。

自分が子供の頃のことを思い出し、今大きくなった自分として当時の子供と大人の違いを比べると、「何も変わっていない」と心から思います。

そんな両者の意見と気持ちを基に、大人になることの意味と、大人とは何なのかについての意見をここに残しておきたいと思います。

私事ですが一人の意見として、何かに役立つことがあれば幸いです。

大人とは

大人とは何なのか?

大人とは何なのかを考えても、答えは一人一人にあるはずです。

辞書にある定義では、“大人とは考え方や態度が十分に成熟していること”とあり、子供との比較を基にした概念です。

大人とは:

成長して一人前になった人。
一人前の年齢に達した人。
一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。

※コトバンク引用

大人という言葉には、“大人しい”という用語もあり、「聞き分けがよく、おとなしいさま」を表現します。

以上から、社会的な定義としての大人には、成長責任自立のキーワードが挙げられます。

成長は外見が紛らわします。
裸の王様、スーツを着ていれば大人のような。自分がまるで大きくなったかのように勘違いし、歩き方まで意識していた会社員時代を思い出します。

責任はお金が紛らわします。
紙切れを渡すのが責任を負うことなのか。海外を旅している時、自ら喜びを生み出せない人は、お金にて他者から喜びを見出してもらう姿をよく見かけました。

自立はエゴと他者への依存が紛らわします。
自分を見出さずとも、他者の存在によって見出す優越感と自己肯定にて恐怖への逃避を図れます。すると自立の意味は、自ら立つのか他者に依存して立っているように思い込むことなのかわからなくなります。

  • 何をもって成長なのかは、“人間性”にあると思います。
  • 何をもって責任なのかは、“生き方への自覚”にあると思います。
  • 何をもって自立なのかは、“自分の確立意識”にあると思います。

それでは、私の思う大人についてをご覧あれ。

 

大人とは生きる道を示す材料

大人とは何かを考える上で重要なのが、「大人をどういう風に見たいか?」という認識だと思います。

子供の頃にはさまざまに洗脳があり、嫌でも大きくなっていくことから、未来に落胆ではなく楽観や積極的な望みを持とうとする意識があります。

社会や周りの大人をそのまま捉えてしまっては、「マジかよ、絶対嫌じゃん」と言わざるを得ません。私はそうでした。

しかし、過去の小さな自分を思い出すと、大人のそういった存在は、「絶対こうはならん」「ちゃんとした大人になってやる」というモチベーションにもなっていました。

子供ながらに見たくない大人の例があったからこその恩恵でして、生きる動機にも成長する基盤にもなります。

前述のとおり、社会的な大人の定義は、「ふーん」以外の何ものでもありません。

一人一人に大人になることの意味があり、「一人前」「成長」「成熟」という言葉の中身を埋めていきます。

その際の大人像に対する理解と、視線の向け方から、「大人を崇めたいのか、馬鹿にしたいのか、何にも思わないのか、中立なのか」などの自分の認識が、大人とは何なのかの理解に一人一人の意味を付け加えます。

 

大人の活用法

大人になることの意味が一人一人相対的であるため、「大人だ」と一つに括ると訳わからなくなります。

しかし、大人という総括として、「こんなんが大人」という見方をして、自分のために活用することができます。

大人達の行動や思考は、子供にとってはどんなものでも影響があるので、生きる希望やりたいことを見つける材料なりたくない生き方を知る機会にもなります。

私の場合は大人への落胆がありましたが、「絶対子供を守り、幸せな環境を与えられるようになる」という意志を持つことができました。

それは後世への意識として、自分と同じ年代と、それ以下の子供を含めた思想を持つための材料となり、「なんて素敵な大人達だらけなんだ」と思っていれば、後世への意識なんて一切持たなかったと思います。

大人への見方と存在の活用によって、大人とは何なのかの意味が分かりやすくなります。

 

大人とは自分の意志を教える存在

過去を思い出すと、私は大人達をいっつも観察していました。

子供は嘘をついているかどうかを理解しています。感覚感受が強いために、気持ちで明確に物事の認識をし、良い悪いの選別を思考とは別で持っています。

その気持ちがあるために、自分の意見として良し悪しの認識がはっきりしているのですが、あとは環境次第で表現するかしないかは人それぞれです。

 

大人の生き方と生き様を見ることで自分の意志を自覚する

私は恐怖家庭といいますか、とにかく自分の存在を消すことを心掛ける環境でしたので、自分の意見はほとんど言わずに育ちましたが、常にどうしたいかは明確です。

大人の存在を見て、「これじゃダメだ」「ああはなりたくない」「こんな大人になる」「こんな大人になれるように頑張ろう」などと思います。

それは、「自分はどういう人になりたいのか?」を示すのではなく、「自分はこういう人なんだ」という自覚を与えます。

憧れや落胆をそのまま認識していても自分のためにはなりません。それは、自分を見失い、「こうなりたい」という期待や願望を膨らませて現実を忘れさせます。

「こうはなりたくない」という喪失や欠乏に繋げると、社会性や大人への反発を糧に生きる世界を狭めます。

人それぞれの生き方なので悪いことは何もないのですが、子供である以上は大人の影響が強くあり、どうせなら自分のために活用するのが大人としても影響を与えられ、子供としても影響を貰い、共に共存する形になります。

子供は自分の認識が明確にあることから、自分の意志や意見を明確にする材料として、大人を見ることができます。

すると、大人とは何なのかの意味が少し出て来ます。

「大人は、子供に道を与える」というものです。

大人が子供に自分自身の生き方や生き様を披露することで、自分がどういう人で、どういう人間になる意志があり、どういうことをしていくかをはっきり自覚させてくれる。

 

大人の生き様に責任と自立がある

生き方や生き様をはっきりと示すことは、「自分の人生への責任と自立」があると示します。

しかし、大人が生き様を曖昧にして文句や愚痴を言い、責任転嫁や自暴自棄になると、子供は大人の影響を鵜呑みにして、「こうはなりたくない」「こうなりたい」と思います。

責任を負う際にも、お金を使用して解決を図ろうとする意図や企みしかなければ、責任と自立ではなく、「社会性の常識や抜け道を憶えました」と、一人の大人としての生き様はなく、教科書をランドセルに入れて背負ったまま生きている人になります。

大人の影響はネガティブだけではなくポジティブもあります。

生き様を明確に持つ人は子供に自覚を与え、曖昧に持つ人は影響だけ与えます。

  • 生き様に自己理解がある大人は子供に自覚を与え、子供自身の人生を生きる意志を与える
  • 生き様に自己理解がない人は子供に影響を与え、子供自身の人生に願望や期待を与える

自覚か影響かは天と地の差を作り、「こうなる」なのか、「こうなりたい」なのかの意志を明確に分けます。

このことから、大人とは自己理解のある人間性として、自立と成長があるとわかります。

自分を確立するための成長があり、人間性を理解することで、自分として生きる確固たる姿になります。

大人とは自分を知り、人間を知る存在で、人間とは何かを考える際に現れる、肉体と脳と心を理解しています。

自分を知るためには経験があり、学びがあり、成長意志があり、恐怖を知ることでのエゴの理解があり、愛を知ることでの人の理解があります。

ですが、自立があろうとなかろうと、本人が大人と思うかどうかの話では大きな問題も意味もなく、意味があるのはその姿を見る子供です。

影響が明確でも曖昧でも、子供に成長やエゴを教える機会になり、「自分を見失う可能性を与える」という見方もできます。

その際には、子供自身でエゴを増殖させる生き方となり、いつの日か自分でエゴを理解して克服することでの成長基盤作りになります。

ネガティブもポジティブも生き様に自分を自覚させる意味があり、人間性の確立があることで、子供に意志を与える存在が大人だと思います。

※子供の世界についての話は、子供の気持ちがわからない理由と親│誰もが子供だった身近で遠い世界を知る をご覧ください。

 

大人になるとは

大人になるとは何かを知った経験

私は、「大人になった」と明確に認識する時がありましたので、大人になるまでの軌跡を簡単に見ていきたいと思います。少しお付き合いください。

私は幼少期の環境にて自分を見失うための材料と、コンプレックスをできるだけ増殖する生き方をしました。

自分の意見や認識を明確に持っていても、それを自覚させない環境にて、自分がわからなくなります。

「20歳になったら大人」というルールを14歳の時に聞き、「20歳になったら死ぬ」と本気で思っていました。

それは、大人になりたくない症候群でして、大人への嫌悪と憎悪からの血反吐意識で決め込んでいました。

そして、20歳になった時に、「生きているじゃんか、チャンチャン」と完全なる落胆を味わい、命を軽く見るようになります。

何度人生を終えようとしたかわかりません。

ですが、勇気も恐怖に打ち勝つ意志もなく、生きる目的をお金にシフトして、「生きているのであればお金をたくさん頂こう」と、大人になった自覚など皆無の状態で就職をして、都内で働きました。

とにかく働き、大きな昇給を貰いますが、自分の欲しいものではないと気づいて退職し、海外で旅を始め、途中から絵描きとして絵の販売をしながら海外を周りました。

そして五年後に帰国し、田舎の古民家を一人で改装していたのですが病気になって死にかけたので、改装途中のまま神社のある森の中で完全に好きなことをして暮らしています。

そんな軌跡の途中で、「これが大人だ」と勝手に認識する時がありました。

 

大人になった瞬間は自分を理解した時だった

私は大人という意識は本当になく、お酒飲めるとか、18禁みたいなロゴを見る時に、「えっ、私はいい…のか」という感じでした。

「大人かどうかなんてどうでもいい」という状態です。

子供の頃には、「大人になるのか」「大人ってどんな感じかな」と純粋に思っていた時期もあり、その後も自分を見失っても、「あんなふうにはならないぞ」「クソくらえ」という具合に大人への意識がありました。

しかし、お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、仕事をしたり、世間的には大人というものになってからは、一切意識もしなくなっていました。

そんな私がもう一度、「大人になるってどういうことだろう?」と思った時があります。

それは、海外を旅していたある時でして、自分を明確に理解した瞬間でした。

見失い、自分に嘘をつき、優越感を求め、「認めて、褒めて、愛して、理解して」と自分で自分の存在を見出せずに他者の反応を生き血のように求めていた自分をはっきりと捉えた瞬間。

「今、大人になった」と心から想いました。そこに思考はなく、心から感じる理解でした。

 

大人になるとは自分で自分を認識すること

自分を理解することで、「大人とか子供とかなんでもいい」と思っていた自分がいなくなりました。

それは、「わからないから考えたくない」「卑下していた大人像になっている自分を見たくない」という思いからの逃げで、恐怖を味わいたくないための行為でした。

しかし自分を理解した時、認識と意見を明確に持ち、受け入れて敬い、自分を愛していることに気づき、「私は大人だ」と思いました。

子供の頃に思っていた、「私はこういう人間になる」という意志そのものになった瞬間でした。

小さな私は大人達を見て、落胆にも喪失にも捉えていましたが、もっと小さな私は、「子供達を守れるような人になる!」「大切な人を守れるようになる!」という意志を明確に持っていました。

子供の頃の決意が叶った瞬間、私は自分のことを大人だと認めることができました。

大人になるとは、「大人をどういう風に見たいか?」の子供の頃の認識を含めて、認められるか否かと考えられます。

言い方を変えると、過去の子供だった時の自分の記憶が、今の自分を大人だと認めてくれるか否か。

それが、自分を自分で認識すること。子供の自分が必要不可欠な大人になる道です。

 

大人になるとは子供に戻ること

小さな頃の決意が現実として現れ、明確な自覚として、「私は大人になった」と感じた時、大人になることの意味がわかりました。

それは、自分が子供だった時のようになることでした。

「子供に戻る、子供になる」という言い方もできます。

子供のように自分を明確に持ち、感情も気持ちも隠さずに発散し、自分の意見や認識を持つことで、「自分に嘘をつかない」意味です。

自分に嘘をつかない生き方が大人。

心に傷をつけられないように隠し、他者から排他と攻撃をされないように周囲に合わせ、愚痴を言い、否定的になり、攻撃的になる。

否定されることを恐れ、恐怖心と対峙する以上に、逃げる策として苦痛や危険や拒否を嫌がり、自らを自ら認識しなくなり、他者によって自らを見出そうとするエゴが出て来ます。

すると、他者にも自分にも嘘をつく偽る生き方になり得ます。

嘘をつかないことは自分をありのままに表現し、恐怖を抱えません。嫌なものは嫌、良いものは良いんです。周囲に迷惑をかける概念はありません。

あるのは、自分が納得するか不納得か。

不納得であれば嘘をついて納得するようにします。周囲から嫌な目で見られないとか、馬鹿にされないとか、恥ずかしい思いをしないようにとか。

自分に嘘をつかなければ、意見も生き方も生き様も隠す必要はなくなり、堂々とします。

すると、自信と自尊を抱き、心からの自分への信頼を持ちます。

その生き様が大人ではないかと思います。

 

大人になることは、「大人になるって何なのか?」を考えること

子供に戻るには、子供の自分を忘れたり見失う過程があります。

その際に、「大人になるって何なの?どういうこと?」と疑問に思わなければ、大人がどうとか言いません。

大人が何なのか疑問に思うことは、子供時代の自分という人間性を知る意志、自分として人生を生きる意志、自分を確立して自己表現する意志を一旦見失っています。

そして、生育した大きな人として他者との共存や縛られた常識やルールの中で、再度自分の成長、責任、自立に対する認識を自覚すると、大人になることを自分自身が認めます。

大人になることへの疑問は大人になる意志を表し、あとは、「自分で大人だと認められる生き様があれば大人になる」と、私は理解しています。

※大人になると考える人生の話は、人生の目的とは何か│生きている意味からわかるシンプルな事実 をご覧ください。

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本当は大人も子供もない

正直、大人なのか子供なのかを考える意味はそんなにないと思います。

ただがむしゃらに生きて、本気で一生懸命に生きている人は、大人とか子供とかの線引きや差別をすることに違和感を感じるのだと思います。

そこには、「自分が頑張っているのに」という意識や、幼少期の記憶や出来事が強く引っかかっていたり、周囲を認めたくない意識や、現状の自分に違和感があるのかもしれません。

大人への強い印象があり、今の自分との違和感がある。それは、小さな頃に認識していた将来の自分とのギャップが大きければ大きいほど感じます。

言い方を変えると、「明確にこうなりたい」という自分を小さな頃に待ったまま、自分の中に居るということです。

小さな時を思い出すと、そんな自分が表れるかもしれません。

おそらく大人を見て、「私はこういう人になる」「ぼくはこういう人になるぞ」という自覚が明確にあったと思います。

その自分になった時、貴方は大人になります。

「大人とは何か?」「大人になることの意味とは何か?」を考える人は、小さな自分を今も忘れていない証拠です。

※精神的に大人になるための話は、精神的に大人な人の特徴と生き様│大人になるには要「自立と恐怖」をご覧ください。

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大人になるとは まとめ

大人になることには大きな責任が伴うと思います。

それは、自分として生きることの責任(自分の行動と認識を明確に持つこと)、子供に考え方と生き方の生き様を見せる影響への責任です。

責任とは何か失敗や迷惑をかけた時の後処理ではありません。自分の意識と認識を認めることです。

子供にどんな生き様を見せようと、子供が勝手に見て認識するものですので自由。そこには自分の生き様を自覚している自分がいます。

ただそれだけです。

子供のまま育てばそれを大人というのかどうかはわかりません。ただ、子供の時の意志を一度見失うと、大人への理解を促進させることは確かだと思います。

大人になることは自分を確立し、自信と自尊を持ち、生きている今に責任がある自覚から、好きなことをするのも何をするのも生き生きと本気になります。

本気でムシャムシャとご飯を食べて、本気でご飯がなくならない前におかわりします。

子供もおかわりしたくても、そうは問屋が卸しません。でも、どうしても欲しかったら、半分あげる。

大人ってそういうものかもしれません。

大人への理解になるかはわかりませんが、大人になることの意味を知るきっかけになれば幸いです。

子供の頃の自分を含めて、今大人になると認められるかどうか。

長い年月をかけて大人になる軌跡は、過去と今を認め合う記憶の合致、そんな話です。

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