どうしてあなたは待てるの?
私の長年の疑問は、待てる人の人間性を知った時に答えがわかりました。
誰かを待つ、行列で並んで待つ、返事を待つ。そこには未来という未確定なことに対して自分の時間を消費するような気がして仕方ありませんでした。
しかし、待てる人は実は待っていないという。
待てる人を知ることで、待てない人はどうして待てないのかがわかり、同時に待てない人の特徴も明確に見出されます。
待てない人、そこには二つの大きな分類があり、全く異なる人間性があります。
待てる人と待てない人の紐解きは何だか奥深く、恍惚を見せ、その先に真実を見せます。
そんな私達の楽しい人間模様を見ていきましょう。
待てる人

待てる人はなぜ待てるのか
「いや、実は待っていないんですー」
そんな待てる人の特徴を一言でお伝えするとこうなります。
待てる人は時間の概念がない。
時間の概念がないことで“今この瞬間”にしかフォーカスがありません。そのために、過去にも未来にも執着せず、人を待っている時は待っているという認識ではなく、その瞬間をどう生きるかという認識をします。
行列に並んでいる際、「早く餃子食べたいな」とは思わず、待ち人数が残り1、2名の時にそのモードに入ります。その前は全く違うことを考えていたり、もはや行列に居る目的を忘れていたりします。
しかし、これは最強のパターンでして、ほとんどの方はこれに該当しません。最終形態という具合に思ってください。
今に集中して過去と未来に執着しないことはとても難しいことで、待つという行為は未来に対する期待や願望達成があり、“自分の喜び”を求めるが故に待つという目的があります。
恋人を待つのは再度一緒になれるという期待、その際の自らの喜びがあるので、利益を得る対価として待つことができます。
しかし、利益を得られる確証がないのが“未来”という、現実ではない先の空想妄想物語。
確証がない利益にどれほど着目しているかどうかにて、待てる人と待てない人の明確な違いが表れます。
待てる人は自らの喜び以外に、相手の喜びも求めている
時間の概念がない最終形態は、自分の利益への執着がないことを意味します。
これは悟り系ですので若干別概念です。置いておきましょう。
私達一般的には、“自分の利益に執着しながらどれだけ相手の利益も配慮するか”。ここに待てるかどうかの人間性があります。
待てる人は自分の利益を考えながら、待たせる相手の利益も考えます。
※利益とは人それぞれに、喜びであり満足であり納得のこと
自分の喜びと同時に相手の喜びを求める、この割合によって待てる時間が変わります。
- 相手の喜びを多く求める場合、待てる時間が長くなります
- 自分の喜びを多く求める場合、待てる時間が短くなります
天秤にかける状態で、「どっちが大事かな」と。
ですが、まざまざと現実を目の当たりにするような認識をあまり私達は好みませんので、無意識や一瞬の判断で天秤の偏りを把握してシュッと終わります。
待てる人の大きな特徴となるのは、天秤にかけていようが割合が何だろうが、“自分と他者の両方の喜びを忘れない”ことです。
待てる人は自分へと他者への愛がある
例えば彼氏を待つ人がいます。
海外転勤3年間。でも待つと。
そこには、転勤が決まった彼の仕事としての現実をそのまま受け入れ、彼が3年後にどうなっているかわからない未来(=他者から与えられる利益)ではなく、転勤が終わった時も彼を好きでいる自信(=自分で見出す利益)があり、己だけでなく彼の利益も見る敬いがあります。
3年後に再開する時の自分の喜びを忘れない認識があり、そこには相手のそのままを認めて受け入れる敬いがあり、それが自他共に向かう敬いの愛になります。
自分も相手も忘れずに共に大切にする認識があることで、待てる人になります。
それは、自分も相手もそのままを認める勇気を表します。
待てる人の強さと恋愛事情
男性でも女性でも待てる人とは、そのままを認められる強さを持つ人です。
言い方を変えると、現実にあらがわず、リアルに直面して目を逸らさない人。
そんな強さとは意志と信念の強さであり、誰しもに嫌なものである“恐怖”に打ち負けないことです。
勝つことではなく、あくまで打ち負けないことに強さがあり、このような人は男女拘わらずモテます。
強さを持つ人間性には“内向的”という特徴があり、自分の内側に興味・関心が強い傾向があります。
内向的とは…心の認識が内面に向かい、自分の内側に興味があること。
※刺激よりもリラックスを求める特徴があり、自分以外の他から喜びを与えてもらうのではなく、自らが喜びを作り見出す性質がある
認識が内側に向きやすい特徴ですが、シャイや内気とは全く違うため、行動力や決断力がないということではありません。
そんな強さであり内向的な特徴を持つ待てる人、現実をそのまま認める強さを持つために勇気もあり、モテる要素を多く持ちます。
待てる人はモテるけど恋愛に興味がない
内向性と強さを兼ね備えることで喜びをありのままに表現し、自らを大切にする意識を持ち、他者を敬い愛を持ちます。
なのでモテるのですが、好き嫌いの恋事に興味がないという大きな特徴があります。
待てる人は恋愛をすればお祭り騒ぎでワンサカワンサカ金魚もピョンピョンですが、好きよ嫌いよ私利私欲、己の利益に他を利用する人間模様に興味なし、ズバッと切り裂きどっか行け。
「急にキツメな口調?!」という感じですが、おしとやかにお伝えするとこうです。
待てる人は恋ではなく愛に興味がある。
恋と愛は何が違うのでしょう?
- 恋とは好き嫌いの一方通行による娯楽、遊び
- 愛とは双方が共に自他を敬う本気の関わり
愛が本気の関わりなのは、自らの一生をかけても良いと思えるからです。そして、自他を敬う関わりは共に成長を求め合う関係性になるため、酸いも甘いも恋とは比べ物にならないほど大きく発生するからです。
待てる人は人間を見極める力があり、愛を持つ人かどうかを無意識に理解しています。
そのため、待てると言って、「やっぱ無理だったー」という別概念とは意識も認識も愛も強さも人間性も何もかもに天と地の差があります。
待てる人はどんな状況でも待つ余裕があります。それは認識が深く、一つ一つをしっかり捉え、自分を理解し相手を理解し、自分を敬い相手を敬いと、柔軟で俯瞰した人間性があります。
少し上から全体を観ているような人で、目の前のことしか見えないような忙しなさがなく、要領がよく、「ゆっくり作業しているようなのに仕事早い、裏技あんの?!」と思われます。
待つ時間は“苦”のネガティブではないと認識できるフラットな見方は俯瞰性から、思い込みや決め付けのない人間性は自分をよく理解している内向性から育まれます。
内向的なので外側から見た自分を知らず、謙虚で自己否定する傾向がありますが、待てる人とはとても精神性の高い素敵な人です。
そんな待てる人を一言で表現すると、待っているけど待っていない人。
待てる余裕の人間性は愛、という具合です。
※強さの詳細は、本当に強い人の特徴はシンプル。肉体もメンタルも超越した地球の姿 をご覧ください。

待てない人の特徴と心理

待てる人の人間性から、待てない人がわかりやすくなります。
待てない人の分類
待てない人と一言で言っても、大きく二つに分かれます。
この二つは同じ待てない人とは思えないほどに全く違う人間性を持ちます。
そんな分類はこちらです。
- 他者を巻き込む癖がある待てない人
- 自分が大切過ぎて待てない人
順番に人間模様を紐解いていきましょう。
①他者を巻き込む癖がある待てない人
自らの認識に常に他者を入れ込む人。
何かを待つ状況になると、「待たされている」と認識します。
これは、「自分の時間を使われている」になります。
「別に他者を巻き込んでなくない?むしろ巻き込まれてない?」と一見思えますが、時間を私物化してルールに縛られている特徴があります。
時間とは誰しもに平等に与えられているものですが、「待たされる」と解釈することで他者からまるで奪われているかのようになり、その時間を別のことに使う認識になかなか変わりません。
それは自分のために生きているのではなく他者のため、または常識や世間体などのルールのために生きている状態があり、待つという状態を自分一人のものとは思わず、相手がいることで待つという状況を作られている=他によって自分という存在、または状態や状況の存在たらしめる意義を見出されています。
この認識の場合、他者によって何もかもを見出してもらうことになり、喜びも怒りも悲しみも楽しみも、あらゆることが他の存在に起因します。
すると、待たされることであることが起きます。
イライラする、怒る。
他によってイライラ、怒りが作られます。すると、鎮めるのも他に何かしてもらったり、納得や喜びを与えてもらうことで成し得ます。
わかりにくいかもしれませんが、待つことを“待たされる”と思うか、“待っている時間”と捉えるか、“時間をもらった”と捉えるかは自由な中で、“待たされる”を選ぶタイプということです。
②自分が大切過ぎて待てない人
二つ目のタイプは、待てないからといってイライラしたり怒ることはありません。
自分を敬い愛する人間性を持ち、待つ時間があればその場から居なくなっちゃいます。
友人と待ち合わせをして、約束の時間を5分超えても来ないし連絡もない。
もう、自分の時間としてどこか行ってしまいます。人によっては他の友人に連絡を取り、遊びに行っちゃいます。
事前に連絡があり、「10分ほど遅れそう」となれば、「それじゃあ10分後にどこどこに来て」と別の集合場所を作ったり、待っている時間は待たされる時間ではなく自らの時間として認識する自由時間になります。
待たされることに嫌な気持ちはせず、自分の利益を尊重し自らの理解と認識にて生きて、他を巻き込むことも他に生かされることもありません。
自らが喜びを作り生きるため自立しており、他を巻き込むこともなければ他に巻き込まれることもない意志の確立度を持ちます。
このタイプ、自己責任の概念が強くあまり他に干渉しません。そのため、押し付けや決め付けもなく、柔軟で俯瞰して物事を見るのですが、他を敬い愛すること以上に自分への愛が強い傾向があります。
大きな特徴として、待てないのですが人を待たせることもあります。
待たされることにイライラも何の否定も批判もしないため、同じように待たせても、「自分の時間にしててね」という具合です。
南米の人のように気楽で、待たせる待たされるという概念がなく、「待つ」=来るまでの自分の時間となります。
待てない人の特徴
そんな待てない人の特徴一覧を作ってみました。
- 自分のことしか考えていない
- その自分が他者によって見出されている“他”となり自分を大切にできない
- 刺激や娯楽を求め、ストレス過多、生活習慣に乱れ有
- 考えることが多く、思考過多で悩みを抱える
- 待たされると被害者意識を持ち、イライラする
- 完璧主義で自分の正当化に忙しない
- 他者を否定・批判して責める
- 損得勘定が激しい
- 他を支配しようとすることで心配性になる
- 人を待たせない
- 待たされたことを何もなかったかのようにできない
- 沖縄ルールが嫌い、南米の人なんてまず合わない
もう沖縄タイムなんてやってられません。我慢できません。都心バンザイです。
南米なんて行ったら大変です。待たせる概念のない南米諸国、特にチリなんかではストレスで頭が暴発する可能性があります。危険です。
もう一つのタイプの特徴一覧はこちらです。
- 現実にあらがわず、起きることをそのままにして自分のために活用する
- せっかちで同じ場所に留まれず、直ぐに行動していたい
- 頭の回転が速く、思考と現実とのギャップに差があり過ぎて待てない
- 他へのこだわりや執着がなく、他から喜びを貰うことを求めない
- 己へのこだわりや執着が強く、自ら喜びを作ることを考える
- 意志と信念を持ち、貫く強さを持つ
- 常識やルールに囚われず、柔軟で切り替えが俊敏
- 他への愛を持つが、それ以上に自己愛が強い
- 結論を先に欲し、自らへの支配がある
- 内向的でリラックスや一人の時間が好き
- 人を待たせることもある
- 沖縄や南米が合う
自分が大切過ぎる待てない人の大きな特徴は自己愛です。
同じ待てない人でも、こちらは沖縄や南米が合います。最高です。
他者を主観にした他人軸ではなく自らが主軸であり、さらに内向的な面もあり、意志と信念からの強さも持つため、待てる人と少し似ているところがあります。
しかし明確な違いとして、自己への愛があっても他者への愛を忘れてしまうところがあり、自己愛は何が合っても最優先で天秤が他者側になかなか傾きません。
待てない人の心理
タイプごとに心理が表れます。
他者を巻き込む待てない人の心理
待つことを良いことだとする理解がありません。
待たされる自分の状態にフォーカスしているので、「待たせるという悪行をさせるとは何たるろうぜきか、この時間にどれほどの価値と利益が生み出せたと思っている!」とお代官様風に責め立てます。
私がそうでした。周りが全く見えていません。被害者意識を持ち、自らを正当化して否定されない生き方をするため、「自分は正」と思い込んでやまない。
「あ~れ~、お許しを~」
「だまらっしゃい!見てらっしゃい!」と。
待つ人のことを考えることはなく、待てない人は人を待たせることもないためになおさら相手の立場になる機会がありません。
待てない人の心理は待つことを良しと思わない前提理解が変わらない、思い込みと決め付けです。
自分のことしか見ない特徴には、内側からの理解ではなく外側からの見られ方の理解があるため、失態や失敗にて他に醜態を見せず自己評価を守ろうとする心理があります。
この根っこには恐怖を恐れる心理から、他者の目や反応が何より大切で評価を気に掛ける価値観があり、他を考える余裕はありません。
自分が大切過ぎる待てない人の心理
このタイプは、実際に待ってもらう人がいることで気付きを得ます。
気付きは、待てることの恍惚さと、精神性の高さ。
自己愛を持つことには、人生を良きものに加速させ成長を求めて行動する力強さがあります。
他人軸でなく他から喜びを見出されることを求めないため、他を含めて自らの利益を求める自己中心性としてわがままや自分勝手になることはなく、あくまで自らが自らのために利益を作ります。
人を待てない、返事を待てない、反応を待てない、結果を待てないというのはネガティブなことではなく、せっかちな人間性を表す材料としてありのままの自分が表れる時です。
そこに何も悪いことも苦しみもなく、ただ素の自分が出て、「待ってる時間があるなら何か自分のためにしよう」というせっかちさんが出現します。
この心理には、“待てない状況”によって自らをコントロールできないことが露呈し、反射的に何かをしようとします。
それは自らをコントロールして、自らを支配する心理の表れです。
何か満たされていないということです。
しかし、これは待てる人と比べた状態ですので、一般的には自分をどこまでも喜ばせる人間性から満たされています。
待てる人と待てない人の違いは俯瞰性であり、自らを支配しない執着のなさです。
待てる人になるために
最後に、私のわかる少しばかしですが、待てる人になるために必要なことをお伝えして終了します。
待てる人が時間の概念を超越することで、3年も20年も何年でも同じになりますが、そこまでなることは人としての精神性が物を言いますので、おそらく困難です。
時間の概念を超えずとも、人との関わりを本気に捉える“認識”があれば、待てる人になります。
その際は、損得勘定や私利私欲の我にまみれた人生はなくなりますので、快楽や刺激を外的に求めるパーティー的欲求満たしや、他によって生かされ認めてもらう生き方がなくなってしまうことを覚悟しなければなりません。
そんなの嫌。待てる人になるかどうかは考えようです。
「そんなもん必要ない」と思う場合には、人との関わりを本気にするために、あらゆることを認める強さが大切になります。
私の理解でしかありませんが、待てる人を知ることで物事は少しずつ変わっていきます。
待てる人を知ることで気付いたのは自らの認識には希薄さがあり、物事を見て知って考えて想ってと、理解しているようでしていないことでした。
それは人や物を本気で捉えて理解しようとしていない自分がおり、行列に並ぶ際には時間が消費されているような思い込み、それは自らの認識でしか物事を見ようとしない自分。
待てる人になるためには、現実を現実として見るために自分の認識は後回しにします。
自分の目、鼻、口、耳、肌、頭で捉えてしまうとフィルターを通した見方となり、過去の記憶にて作ったルールの中で見る現実になってしまいます。
しかし、物事を認識する以上は少なからず自分ルールが入ります(無意識な潜在意識があるため自覚なく現実を自らの解釈で創ります)。
そのため、自らの認識がなくなることはないのでとにかく後回し、もはや最後か、要らないところまで追いやります。
待つという状況でそれをする。
「やだー」ですよね。嫌ですよそんなもんは。
そうなれば待てない人でいきましょう。別に何も悪いことではないので。
待てる人になることは精神性を高めて他者をより敬えるようにすること
もう一度お伝えしますが、待てる人になるかどうかは考えものです。
なんせ、「自分より他者を大切にしよう」という話ですので、物好きな方に対するお話です。
それでも待てる人になりたいという方は精神性を高めることが必要です。
待てる人になるための精神性とは我慢や忍耐ではありません。瞑想を極めることでも欲を無くすことでもありません。
常識や線引き、物事の見方を作るフィルターやルール設定や脳内プログラミングを如何にフラットにするかです。
固定観念をゼロにすることでして、自らを手放し滅す。いえ、死ぬ、何度でも死にましょう。
言葉がおかしいかもしれませんが、物事の見方を作るルール設定を何もかもなくせるようのするということです。
それが俯瞰性であり柔軟性、支配のない自由。
沖縄の小さな島にプロがたくさんいます。南米にもたくさんいます。
夕方時が狙い目です。道沿い、畑の中、海の砂浜、じじばばが練習しています。
( ゚ ρ ゚ )ボー
ほえー
スーン………
たそがれ。。。
待つという概念はなくなります。しかし、あの人達まで行かずとも、自らの認識を押し付けず、現実をそのままスーン。
「おじいちゃん、もう夜ごはんにしよう、帰りましょう」
「ほえっ、アメリカとの運動会は終わったのか?あいつは帰ってきたかなぁ」
「おじいちゃん、それは80年前のことでしょ」
※待てる人になるための成長理解は、人として成長するために必要なことは知ること|事実は常に裸を見せる をご覧ください。

待てる人と待てない人 まとめ

待てる人と待てない人の大きな違いは、自分と他者をどれほどの割合で敬うかです。
自分100%、他も100%。
そこから限界突破はどちらが先か。
他が増えることでいつまでも待てる人間性へとなっていきます。
待っていようが待てなかろうが人それぞれです。そこから見える特徴と心理から自分を知り、何を求めているかを理解することでより現状にプラスとなる気付きがあるかもしれません。
待てる人になることは我慢や忍耐ではありません。我慢を良しとし、我慢を悪とするルールや固執がなくなることに待てる強さがあり、その根底には自らを愛することを忘れず、他者も愛する信念があります。
自他を忘れず大切にする心には社会性の本当の意味があり、人と人が共存して調和することでの平和の真意が見られます。
過去の歴史から見える社会の礎は、先代の価値観と生き様の継承により、大切な知恵と幸せの源として、待てる人を育む理解を教えてくれると信じます。
沖縄と南米に居た時に気付いたこと、そして私の経験を基に待てる人についての話をお伝えしました。
待てない人からの一歩一歩を歩む一助であれば幸いです。私は待って待って待ち続けられるように、これからも一歩一歩見習って生きてまいります。貴方もぜひ。
それでは、最後までありがとうございました。