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達観している人の正体と過去【思考レベルが高い秘密は“こもり”】

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達観、それは高みからの見物ではなく、とんでもなく眼をクリアにした在り方。

着眼の正確さ、洞察力、現実の直視、誤魔化しなし、一貫性。

これらの根底にあるのが、淀みなく物事の姿を捉える理解力。

真実や真理を説く人にもなります。

そんな達観している人、一体何者なのか?

思考レベルが高い人と言えるかもしれません。

思考レベルの高さには、思考を司る自我と経験を積み重ねる過去があり、アイデンティティを確立して自己理解を深めた経緯があります。

ここでは、達観している人の過去を掘り下げ、正体に迫ります。

  • どうして達観できるのか知りたい
  • 達観する要因となる過去を把握したい

過去の掘り下げによってわかるのは、達観とはなんなのかの真相。

一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。

達観している人の正体

達観している人とは、“絶対的自分”

初めに、達観の意味をご覧ください。

達観とは、

 広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと。「時勢を達観する」
 目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること。俗事を超越し、さとりの境地で物事にのぞむこと。
※コトバンク引用

達観とは見通し、迷わず、気づくこと。

『俯瞰』という似た言葉がありますが、両方には主観的か客観的かの違いがあります。

  • 達観…主観的視点
  • 俯瞰…客観的視点

達観とは主観的に見通し、迷わず、気づくことを意味します。

達観している人の核となるのは、物事を真に知るための理解力の高さです。

理解力が高いと物事を観る際の解像度が高く、細部まではっきり把握できます。

落ち着いており、冷静な判断ができ、欲が少なく、執着が少なく、物事の道理を持って、現実を洞察して、理解する特徴があります。

いわゆる、無知が少ない

仏教では、無知とは恐怖に惑わされる心と知られており、本質的には自己内部で向き合えない拒否心を意味します。

無知が少ないことは自分との向き合いができており恐怖に対する抗いや拒否が少ないさま。

物事を理解するための媒体がクリアであり、かつ理解を邪魔するものが少ない。

このことから、理解力の基となるのがアイデンティティの確立です。

周囲の目が気にならず、他からの影響に翻弄されにくく、自らの在り方を一貫する軸や信念の強さ。

達観している人とは、アイデンティティを確立した“絶対的自分”を持つ人です。

 

達観している人の大きな特徴

“絶対的自分”がある人は、とにかく自分に一貫しています

自己認識や創作、夢や熱意に対する姿勢を始め、行動や性格、在り方や未来すら一貫しています。

他が押し付けたルールや、他が決めた価値観や固定観念の一貫ではなく、“自分が自分を認めるためのアイデンティティ”の一貫

例えば、名前なんてどうでもいい、けど貴族家系の血は大切。貧乏になっても家系が滅びてもどうでもいいけど、貴族意識である高貴なさまは貫く、なんてイメージ。

「人気者になって他からもてはやされたい」なんてのはどうでもいいけれど、人気者になることが「まさに私たることだ」となれば徹底的に人気者になろうとします。

そのさまは何をどう蹴散らそうがなろうとしますので、人によっては冷酷で、平気で人を見捨てる怖ろしい人間にもなります。

そんな達観者の大きな特徴は、とにかく自分であることを認めています。

「私が私である」
「この自分が自分である」

これでもかというくらい認めており、ブレない、動じない、変わらない。

自分という存在に対する疑いや不信がなく、迷いや困惑がなく、はっきり捉えられる人。

徹底的に、自分は自分である、それを知っているのが達観している人。

そこに理由はいらない、名前なんてもっといらない、必要なのは、「私がこれを私だと認めること」

このさまは堂々たるものです。

 

達観している人の正体:先行きが決まっている人

自分であることを認めている人は、物事の理解が深く、現実に真っ向から向かいます。

どうして自分を認めていれば、物事の理解が深いのか?

物事(現実)とは自分だからです。

例えば、電車内で他者を観察する人がいます。

観察者には二つのタイプ、①他者を観察する人、②他者を通して自分を観察する人がいます。

達観している人は②、他者を通して自分を観察する、いわゆる洞察です。

実際に他者を観察したところで、できあがるのは思い込み。

観察して本当に知れるのは他者の何を見て、考えて、感じて、どう判断したのかといった自らの認識、リアル(正確にはリアルを見るための材料)です。
※認識とは自らの思考、感覚、感情、欲、執着、波動(エネルギー)との向き合い

他者を知ることは他者自身にしかできず、自らの見る世界を見れるのは自分だけです。

ややこしいですが、他を通すことで自らの片鱗を知り、リアルを学べます

このことを理解する達観している人は、物事を捉える際に他を通した自らの認識に着眼します。

[物事の着眼=他を媒介した自分の認識(他+自の組み合わせ)]

認識は物事を理解するための全てです。

自らを認める人は認識の在り方が一貫しており、人生を生きる指標や道などの先行きが決定します。

自分として生きるドドン

シンプルです。

 

先行きが決まると達観しているさまが溢れ出す

「はいみんな、将来の夢を考えてきましたかぁ?」
「はーい」
「それじゃあ、初めに達観くん発表して」

「はい、私の夢は自分として生きることです!です!!です!!!」

「た、達観してるぅ」

先行きが決まると未来に不安や焦りがなくなり、冷静に物事を見極め、見通し、判断して対処でき、なにより自分のしたいことを本気で全うできます

これは人生だけでなく、仕事の問題でも同様です。

「はい、私は自分としてお客様のクレームを解決します!方法は無視!!」

人によって、「私は金で丸め込んできます!」なんて人や、「この機会に事業自体を変えます!」なんてことも。

「誠心誠意謝って、理解してもらいます」なんてことにはなりにくいです。

達観している人は先行きが自分の認識であり、主観的視点によって決まっているため、他に干渉して変えようとはしません。

個の尊重でもあり、冷静に他を見つめるさまは自他の線引きであり、アドラー心理学でいう課題の分離。

先行きが決まっている在り方は、あらゆる面で達観しているさまが溢れます。

そんな人をもっと深掘りするために過去が重要になりますので、見ていきましょう。

 

達観している人の過去

達観している人の過去:徹底的な自己との向き合い

「自分として生きる」と言うのは誰でもできますが、達観者において着目したいのは、その発言に迷いがないこと。

感謝とはなんたるかを理解して有難く思うのか否かと同様に、真に理解していれば心から迷いなく、発言と行動が一貫します。

真に理解する上で、アイデンティティを確立してきた過去が存在します。

人それぞれにさまざまな経験があり、経験数が多ければ多いほど達観する可能性は高まりますが、お伝えしたい核はこちら

自己世界にこもって外界に興味を持ち続け、認識を深め続けた経験が多ければ多いほど達観する、という考え方。

例えば、子供の頃から一人ぼーっと過ごすことの多い人。

沈黙ながら周りの人々や出来事によく着目しており、見ているのは他者そのものだけでなく、自らの認識(その出来事によってどう感じ、何を思い、どうしてそう想うかの自覚)。

親が喧嘩をする時、初めは怖くて泣きじゃくっていたが、そんな自らを認識する人は次回から泣きません。

次劇が開幕すれば、静かに二人を見つめながら、より自らの認識を知っていき、その内に親にアドバイスすら言い始めます。

「そんなんじゃママには効いてないよ」

事あるごとに自らの認識に着眼する人には、このような過去の傾向が見られます。

達観している人の過去の傾向
  1. 大人しい
  2. ぼーっとする
  3. よく人を見て、聞いている
  4. 昔のことをよく憶えている
  5. 熱中するとそればかりになる
  6. 過酷な出来事を我慢し続けた
  7. 嫌なことから目をそらさない
  8. 一人でしなければならないことが多い
  9. 子供の頃から考え続けている
  10. 自分の世界にこもる
  11. 自由を求める

過去の傾向には、内部から外界を捉える興味や好奇心の高さしっかり捉えるための策や環境が伺えます。

動物的に好き勝手ギャーギャーして、自分の思うようにならないと騒ぐのではなく、一貫して自らと向き合う在り方とそれに適した環境があり、小さいながらに大人しく冷静に物事をジーっと見ます。

ぼーっとするのは潜在的に認識を整理したり、直感するための瞑静であり、何も考えない時間を設けることで“今ここ”を感じる向き合いを深められます。

これらは全て、本質的な理解を育むための環境作りと言えるかもしれません。

自己との向き合いを続ける過去があり、幼い頃からの経験によってアイデンティティはより自覚した確立になっていき、達観道を登り続けます。

 

達観する条件:幼い頃からの孤独

達観が自分との向き合いによって熟練される考え方では、自己世界にこもる行為は必須です。

なぜならば、[自己世界のこもり=孤独]だからです。

完全なる一人環境を持つ、またはそれを持ちたいと思うメンタルによって、認識は研ぎ澄まされていきます。

「外は嫌だ」とこもるのではなく、研ぎ澄ましてから外界を捉える興味や好奇心をフルに発揮することで、真実や現実の解像度は高まります。

このことから、達観している人とは子供の頃から孤独を欲し、活かしてきた人と言えるかもしれません。

 

ポイント:思考レベルを高める過去

ここでお伝えする思考レベルとはシンプルなものでして、理解度の高さを物語ります

私のような旅をする目線では、旅人のある点に着目すると、思考レベルの高低は直ぐにはっきりします。

思考レベルが高い人は、自分とは違う境遇、環境、価値観、生活など、合わない物事や人々と関わろうとします。

知識だけでなく情動と経験、心や魂を含めて理解を深めるためです。

達観者の思考レベルを高める過去として考えられるのが、「合わない人々」と関わる経験の多さです

性格のギャップ、意識の違い、波長の不合致が多い人々との関わり、または意図的に求め、対処解決する行動。

親の知り合いである社長や貴族と会うなど、幼い頃から年齢の離れた人々や、分野の違う人々と関わる過去。

似たような人、同じレベルや波長同士と関わることは、楽しくて喜ばしいものですが、悩みや問題が生まれにくいです。

合わない人々や環境では嫌でも悩みが起こり、思考レベルを高める重要材料になります

例えば、親と明らかに合わない場合、お互いの欲を主張し続ければ紛争が起こります。

達観している人は争いを通じて親を、そして自らを捉えた結果、「子供じゃ大人には勝てん」と認め、「絶対負けないぞ」ではなく、「苦しいから違う方法で関わろう」にシフトします。

現実を受け入れ、自らと向き合い、一貫性を用いて現実を変化させるために調整し、工夫します。

経験によって他を通して自分を見る認識理解があり、そんな自分と向き合えることは感情のコントロールができているさまをも意味します。

合わない人々との関りでは自らの認識把握が難しくなるため、そんな環境で自分と向き合えれば向き合えるほど思考レベルは高まり、達観していきます

 

達観の極め

達観と聞くと、なんだか悟っている高宗な人に思えるかもしれませんが、そんなことはありません。

達観者にはレベルがあり、人によって天と地の違いがあります。
※レベルの高低に良悪はなく、バロメーターや位置の指標になる

レベル要因をわかりやすくするのが、インド哲学の教えにある、『梵我一如(ぼんがいちにょ)』という思想です。

梵我一如とは、

ブラフマン(梵:宇宙の原理)とアートマン(我:個人の原理)が同一であること。

ブラフマンという大宇宙と、アートマンという小宇宙は合一し、一元化。永遠の至福である悟りに到達する。

達観は主観的視点に重きが置かれている捉え方なので、アートマン(個人の原理)が主体です。

「ミクロから理解してマクロに合一する」とも捉えられ、達観とはミクロから物事の理解を深めて、俯瞰してマクロに入って悟るという流れができます。

達観⇒俯瞰(メタ認知)⇒悟り

表現を変えると、量子力学のミクロ目線で科学して、宗教のマクロ目線で合一し、この世の原理を理解する。

達観している人でも俯瞰したマクロ目線があるかどうかにて、真理に近いかどうか、いわゆる理解力が変わります。

 

達観は退化する

達観とは主観的視点が中枢にあるので、方向を間違えるとコロコロと自惚れや自己中に落ちてしまう状況にいます。

簡単に退化しやすく、知的好奇心や思考レベルを高め続けなければ、気づけば半分溶けた怠け者や、思考を無駄使いする自己満足者になります。

達観している感じは冷静で先見性があれば見出せるので、今の世の中ではお金と名声があれば誰でもそんな風にはなれます。

しかし、本物は退化せずに進化し続け知ることを追及し続け細部を解きながら全体を見渡します

例えば、木は朽ちると土に還り、野菜の養分にも、大気のプラーナにも、宇宙のエネルギーにもなります。

まるで全体にフワァと広がるように、地中を旅して、大気中を旅して、海中にも向かい、クジラに挨拶しているかもしれません。

さぁ、木は死んだのでしょうか?

細部を捉えれば個々に捉えられますが、粒子の基を辿れば一つであるため、本質的にはみな同じ。

達観レベルは高くなればなるほど、先行きが見え、本質がわかります

何より、焦り迷う理由がなくなり、悩むことは楽しみ遊ぶ材料になり、認識を深めるために学び続け、孤独を愛します。

順序としては主観的視点に客観的視点が加わり、自分だけではなく家族、コミュニティ、社会、国、世界、地球と規模を広げた認識理解へ向かいます。

すると現実作りの内訳、社会の構成、この世の仕組み、宇宙の原理と言った全体としての本質や構造理解へ進んでいきます。

達観している人は今日も外界を見つめ続け、レベルが高まる毎にその自分は消えていなくなるというお話です。

 

まとめ:達観している人の過去

  • 達観とは主観的に見通し、迷わず、気づくこと
  • 達観している人は物事の着眼が他を通した自分の認識である
  • アイデンティティを確立して絶対的自分を認めており、自分が自分であることをとにかく知っている
  • 自分として生きる人生が決まっているため、先行きへの不安や焦りはなく、好きなことを本気で全うする
  • 自己世界にこもって外界に興味を持ち続け、認識を深め続けた経験が多ければ多いほど達観する
  • 自己世界のこもりとは孤独であり、幼い頃から孤独を好み、活かしてきた過去がある
  • 過去の生育環境には合わない人々との関りが多く、自己認識が難しい上で向き合い続けてきた
  • 知識だけでなく情動も経験も、心も魂も含めて物事を理解するため、思考レベルが高い
  • 主観的視点が象徴であり、俯瞰して客観的視点を組み込めることで悟りへ向かう
  • 主観的視点が激化すると、達観しているからこそ自惚れるという後退が起こる
  • 本物の達観者は知ることを追及し続け、仕組みや原理の構造理解を深め、自他共のために理解力を発揮していく

達する観の内情は、まるでバラモン教の在り方と言えるかもしれません。

理を重んじ、証を重んじ、認識の持ち主を主体にする考え方。

そのため、達観は主観的視点が基盤となり、自らの思考、感情、感覚、心、魂である認識を中点に、自己への愛、絶対性があります。

そんな視点には悩みや孤独と言ったネガティブに思われる事が重要になり、愛とネガティブの繋がりをうたい、物事の本質へ向かいます。

視点をどこに置くかは捉え方を一変する重要な価値観ですので、達観の紐解きが考え方としてお役立ちとなれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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