人生哲学

悟りを開くとは自分を知る光明│全員悟ってる仕組みに方法とポイント

悟りを開くことで人生を自分のものとして認識し、人生の始まりとなります。

生命を宿した肉体を持ちながら自分の人生の時間が流れ、自分の空間である世界を持ちながら悟りを開いて生きる環境は、全員に分け隔てなく与えられています。

実は全員、悟りを開いている説がここにあります。

悟りを開くために必要なことは想い出すことです。
そして、大切なことは認識であり、その後に覚醒が促されることで悟りの段階を踏んでいきます。

覚醒は全員に必要なことではなく、一人一人が持つ認識による自由な意志があります。

悟りを開いているご自身に気付くきっかけとなることを願い、私の知っている“悟りを開くとは”の意味を共有します。

あくまで私の体感と経験からの知恵によるものですので乏しい内容かもしれませんが、宗教と哲学とスピリチュアルの認識での悟りを開く意味と共にお伝えし、読まれる方の悟りを開く理解に役立つことを願います。

それでは、全員ブッダ説と、悟りを開く道をご覧ください。

悟りを開くとは

悟りを開くとは

悟りを開くことには、「目覚める」「真理を解く」「自我を解く」「覚醒する」「内なる存在との統合」「創造主と一体となる」などの言葉がありますが、これらは同じ意味です。

悟るには宗教的な意味合いや、哲学としての真理や、心理からの理解と言語があり、スピリチュアルな認識もあります。

それら全てに共通した、”悟りを開く”の意味があります。

悟りを開くとは、自分を認識し、自分という存在に気付くことです。

悟りを開くには、“自分”という主観の存在が前提にあります。

自分には生命があり、意識があり、肉体があり、データバンクがあり、思考があり、エゴがあり、認識があります。

言い方を変えると、自我意識、潜在意識、顕在意識、ワンネス意識があります。

それらの“自分”が組み合わさって一つの身体に納まって存在していますが、それぞれが個々に活動し、それらを統括する機能や器官があり、全てが共存して共有することで成り立ちます。

それは社会環境や、動物や植物や自然、物や機械などと同じ仕組みです。

主観は自分のみであり、生まれた際の人格や気質があり、その後に肉体と脳と心の経験による情報を駆使して思考を作り、感情を作り、想いを生み出し、それらを組み合わせて認識する考え方、生き方、人間性を彩ります。

 

悟りを開くとは自分を知るために気付くこと

他者を理解しようとすることや、人間の集合意識や統合意識、全体の意見や思考は、ルールや行動規範の材料として作る外観であり、本質的に理解して認識することはありません。

認識をする対象は自分のみこの世にはあり、全ての主観は自分です。

そんな自分に気付き、自分を知ることが悟りです。

悟りを開くとは : 自分を認識して気付き、目を覚ます
※自分に気付くことで自分を知る

悟りとは自分として目を覚ますことでして、悟りを開くためには悟りを閉じている状態が必要です。

今現在、「私は悟っていない」と思う場合は、悟りを閉じている状態にあります。

目を覚ますことで悟りを開くので、目を覚ますための目覚ましアラームが必要です。

そのアラームとして、『自分を知る気付き』が悟りのポイントになります。

 

宗教、哲学、スピリチュアルの悟りを開くとは

悟りを開く意味には、宗教や哲学やスピリチュアルにそれぞれの認識や見解がありますので、それぞれを見ていきましょう。

・哲学 悟りを開くとは 引用 Wikipedia

: 迷いの世界を超え、真理を体得すること
※真理とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。

・仏教 悟りを開くとは 引用 Wikipedia
:「空」であり、全ての存在には実体を称すべきものがない空しいものと悟ること。悟りの五十二位にて段階がある。

・ジャイナ教 悟りを開くとは
:修行によって業の束縛が滅せられ、微細な物質が霊魂から払い落とされることを「止滅」(ニルジャラー)と称する。その止滅の結果、罪悪や汚れを滅し去って完全な悟りの智慧を得た人は、「完全者」(ケーヴァリン)となり、「生をも望まず、死をも欲せず」という境地に至り、さらに「現世をも来世をも願うことなし」という境地に到達する。この境地に達すると、生死を超越し、また現世をも来世をも超越する。

・ヒンドゥー教(バラモン教) 悟りを開くとは
:意識の状態で、人が到達することの出来る最高の状態のいくつかを言う。サンスクリットのニルヴァーナ(涅槃)に相当する。光明または大悟と呼ばれることもある。悟りを得る時に強烈な光に包まれる場合があることから、光明と呼ばれる。

・キリスト教 悟りを開くとは
:三位一体の神の位格の一つ聖霊との交流を意味する、神を知る体験を伴う。

・スピリチュアル 悟りを開くとは
:内なる存在との統合による目覚め、創造主との一体化。ワンネスの認識と愛の知覚。第一~第六チャクラが開く。

上記の内容にある、仏教の「空」の概念と、ジャイナ教の「生をも望まず、死をも欲せず」は同じことを言っています。

「空」の概念は、実体がないことを認識することを意味しており、苦しみも楽しみも人それぞれの認識によって良きものにも悪いものにも変わり、陰も陽は認識次第で共に常に存在することを意味します。

陰と陽と真ん中があり、それらが常にあるのですが見え方や捉え方で違いが生まれます。

ヒンドゥー教(バラモン教)のニルヴァーナ状態は光に包まれる体験を伴い、それはキリスト教の神を知る体験にも同様のものがあります。

スピリチュアルの悟りである内なる存在との統合や、創造主との一体化は認識のことであり、全ては一つに繋がっていることを知ることです。

全てに共通しているのは、自分を認識して知ることであり、自分に気付く瞬間に神秘的な光に包まれる体験を伴い、自分を認識することが「空」の理解となり、命への執着を手放し、受け入れの意味を認識し、自分の本質の存在に気付くことを伝えている。

※スピリチュアル的な悟りを開く話は、スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり をご覧ください。

スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり目覚めることには光りを見たり、涅槃となる光明となったり、創造主との一体による愛の認知があったりと、この世のものとは思えないスピリチュアル...

 

悟りを開く方法

悟りとは自分を知ることですので、悟りを開く方法はそのまま”自分を知る”です。

自分を知ることの詳細を紐解き、話がわかりやすくなればと思いますので、ご覧ください。

悟りを開くために自分を知る

悟りを開く方法となる”自分を知ること”の意味をご覧ください。

自分を知るとは
  • 自分を知るとは、自分を理解すること
  • 自分を理解するとは、自分の行為を認識すること
  • 自分の行為を認識するとは、行為をしている時の感覚と想いを感じること
  • 行為をしている時の感覚と想いを感じるとは、身体と心を知ること
  • 身体と心を知るとは、エゴと愛を認識すること
  • エゴと愛を認識するとは、自分を知ること

エゴと愛を認識することは、自分なりのエゴと愛を理解する意味です。

言い方を変えると闇と光を自分の見方で知ることでして、物事を認識する際には”自分”しか主観がいないことが大前提になります。

そして、闇と光を知ることは自分の中に二人いることを知ることでもあり、その二人を共に理解することで悟りを開くことになります。

悟りを開くためには、エゴと愛の自分を共に理解する

理解するためには認めて受け入れる

受け入れるためには認識する

認識するためには自分を知る

このようにどうどう巡りになりますので、「何を持って自分なのか?」ということを知ることが大切になります。

すると、物事を認識して感受して意見を作り、良い悪いを作ったり思ったりするのは、今この瞬間にしかないことを知ります。

“今、生きていることを感じる”が自分を知ることです。

いろいろ回りくどくなっていますが、仕組みや詳細を理解しないと”自分を知ったと思い込む”状態になるという、ひっかけが悟りにはあります。

 

今を感じて悟りを開く解説

  • 今この瞬間に肉体が五感を変換して、感覚を感じています。
  • 五感を感じることで、今この瞬間に自我の思考が何かを考え感情を発します。
  • 五感を感じることで、今この瞬間に心が想いを感じます。

風が吹いている今を感じます。

体に冷たい空気が触れて、その冷たさから背骨や足腰がブルブルして、「ゾクゾクする」や、「微電流が体内を流れるみたい」などの感覚を感じます。

その時に、「あ~、冷たい」と過去の脳の記憶から引き出して、その感覚に当てはめて感情を感じます。

背骨や足腰が感じた感覚から、「生きている」「体が反応している」と心温まる感謝や豊かさ、平和な気持ちなどを心が感じます。

上記の例からわかることは、生きていることを感じるのは感覚と感情と心の気持ちであり、思考ではないことです。

「あ~、冷たい」という反応は過去の記憶と情報の組み合わせでして、今という瞬間に過去と脳内の記憶を引き出しに行く状態で、その瞬間に現実で起きていることを見逃します。

脳の思考は記憶と考え方による未来への組み立て計算作業をしており、観察はできますが認識は今ではなくなります。

今を感じることで、起きていることと自分が感じている”現実”を認識します。

※今を生きる話は、今を生きるとはどういうこと?│以外に知られていない意味と目的 をご覧ください。

今を生きるとはどういうこと?│以外に知られていない意味と目的今を生きなければいつを生きるのか。 過去と未来? “今”の概念とは時間のことなのでしょうか? 「今を生きる」の意味を自...

 

悟りを開くための自分の理解

自分を認識して自分を知ることが悟りを開くことで、私の経験ではヒンドゥー教やキリスト教が言うように光に包まれる体験をします。

悟りを開くと光を体感する

視覚的なものではなく、自分の内側での体感として光に包まれます。

悟りを開くことは”目覚める”とも言います。光に包まれる感覚にて目覚める合図があり、悟りを開いたかどうかは本人が明確に認知します。

ですが、あくまで自分としての人生を始める合図ですので、何か凄いことや偉大なことでは全くありません。

本当にビックリするくらい凄いことではなく、「始まりました」という合図で、そこから覚醒の道を歩むことで人間としての成熟度が上がっていきます。

悟りを開く時のような光りに包まれる体感は何度でもすることができます。

それは、自分を知ることでの体感だけではなく、ひらめきをもらう瞬間にも似たような光を見ます。

その際には、高揚感や活力がみなぎるポジティブな感覚を伴い、スピリチュアルの認識では、第七チャクラが開いたことによって第一~第七までが繋がった瞬間です。

スピリチュアルなチャクラの認識ですと、悟りを開くのは第一~第六チャクラが開いた状態です。

 

自分を知ることを邪魔する存在を知る

悟りを開くとは自分を認識することですが、普段から自分として生活をしているので自分であるはずなのですが、社会環境での人との共存によって自分を認識しなくなる可能性があります。

自分を取り繕い演技しながら、周囲の反応や自分の体裁を気に掛け、人と比較して差を見出すことで、優越感と劣等感を味わい生きる環境があり、そこにはエゴの思考が“自分”という存在に大きく影響します。

エゴの思考があることで、作られた別の自分が生まれ、自分を認識することを容易にしません。

エゴによって、自分の認識に矛盾を入れ込みます。

矛盾によって認識したいように認識しなくなり、色眼鏡を掛けたように物事の認識を変え、脳の思考を基にした周囲の影響や反応、集合意識としての常識やルールを重要視します。

そこにあるのは自分の存在価値を見出し、存在価値を見失わないように対処する自分の姿です。

エゴの自分は悟りを閉じる行為を続けて自分を見失いますが、それが悟りを開く道を導く糧にもなります。

エゴがなければ社会性の中で人と共存しながら生活することはできないため、自然に作られた自分を主体として生活し、アラームの必要な眠っている状態となっていきます。

悟りを開くためには自分を知ることを邪魔するエゴを知ることが大切になります。

※自分を知る話は、自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分はここにいる をご覧ください。

自分を失う。自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分を失う、彷徨う、わからない。 とはどういう意味か…。 見失う感覚とは? 彷徨う気持ちとは? わからないとは何がわからない...

 

悟りを閉じるエゴ

エゴである作られた自分は社会性の中で人と共存するために、さまざまな常識やルールの考え方を学び、脳内にプログラミングにて自分ルールを作り、社会の常識として思考の材料とします。

社会では人と比較することで自分という固有名詞を認識します。
その為、自分を認識する必要がある時は人と比較する方法を取ります。

社会性の中で生きている以上は、人を比較して生きる人生に自然となっていきます。

人と比較することで対象物同士の間に差を見出し、その差に優越感や劣等感という名前が付いています。

その際に自然と生まれるのがエゴでして、エゴがなければ、「悟り、何それ?」と考えることもありません。

エゴとは:他者と区別することで自分を見出して認識する意識
※脳内思考の中で生きられるもう一人の自分

思考にて目の前の物事を感じるのではなく考えることで、起きている現実や“今”の認識以上に過去と未来に生きることを優先し、自分を認識しなくなります。

エゴの思考によって今を認識しなくなり、過去と未来を考慮しながら生き方を作り、心の想いにフォーカスしない。
自分に当てはめたルールや自分が認めた考え方を物事の基準にして、上下への差を付け、良い悪いや正否判断をして、思い込みと決め付けをして、自分ではなく他人が主観になる。

悟りを開くとは自分を認識することであり、全ての主観は自分にしかありません。

そのために、良い悪いの判断は自分の中で自分に対してのみ適応されます。

そんなエゴがあることで悟りを閉じる状態を作り、悟りを開くことを求めることができます。

悟りを閉じ、悟りを開く動機をもたらすのがエゴ。

すると、悟りってエゴの遊びのようにも思えます。
実際にエゴを知り、エゴと分離した時に自分を知って悟ることになります。

※エゴの詳細は、エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法 をご覧ください。

エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法私達は常に二人の自分を持ち、使い分けたり、使われたりと共存や利用の関係性を持ちます。 そんな二人の内の一人をエゴと言います。 ...

 

全員悟っている話

これまで、悟りを開くための話をしてきましたが、最後に、「実は全員悟っていますよ」という話をして終わります。

悟りの意味がわかりやすくなると思うので、ぜひご覧ください。

全員悟りを開いている説

私の考えでは全員ブッダです。
いえ、ブッダでした

私達は生まれた時に、“人生”という死ぬまでの制限時間を与えられます。

人生という時間を過ごすための場所が、“空間”である自分の世界です。

さらに、“自分”という生命を宿した肉体と脳と心が一心同体となった意識体が主人公として存在し、この世の生活環境を使用して自由に育って、学び、経験し、生き延びたり、朽ちたりしていきます。

生まれたばかりの時はありのままの自分がおり、人生を与えられ、地球の生活環境を活用して生存していきます。

そこにはエゴがありません。

純粋に目の前のことを認識しなければ空気を吸いませんので、目の前のことを生きるために認識して、自分のできることを全力で活動して生存維持を図ります。

全てを受け入れることが前提であり、空気と同じで目の前にあるのだからこそ、受け入れるも受け入れないの概念も存在せず、ありのままの自分として目の前のことを認識して、その認識に対しての反応をするのみです。

その反応が“自分”であり、悟りを開いている自分です。

良いも悪いもなく、自分のできる限りのことをあるがままに行為し、生きようが朽ちようがそれをそれとして認識します。

それが仏教の「空」であり、悟りを開くとはの意味となる赤ん坊の姿です。

悟りを開くとは:全員、赤ちゃんの時は悟りを開いている。
※エゴによって悟りを閉じ、そこから再度悟りを開くための人生が今

実は、全員ブッダでした。
日本には1億3千万のブッダがおり、悟り率100%。

悟りを開くことで自分の人生が始まり、自分を認識して目覚めます。

生まれてから成育と共に自我が生まれ、周囲のネガティブな思いから自分を守るためにエゴを作ります。

エゴを作ることを控えると心に傷を負い、不安感と恐怖心の対処として生きるエゴをより拡大して作り出しますので、とても大切なものです。

そんな説があり、悟りを開くとは想い出すことであり気付きの話です。

※悟るための参考になる大事な話は、人は変わらない。でもそれで良いよね│変わるとは自分を取り戻す意味 をご覧ください。

人は変わらない。でもそれで良いよね│変わるとは自分を取り戻す意味人は変わるのかどうか。 「変える意志と行動によって人は変わる」と聞くことがあると思います。私もそうだと思います。 しかし、変...

 

悟りを開いている人達

私の認識ですが赤ん坊は全員悟りを開いており、それ以外にも発達障害の一部の方や知的障害やダウン症の方々は悟りを開いています。

私は個人的にそれぞれの方々と関わることが多いのですが、悟っています。

関わるとわかるのですがエゴを持っていません。目の前のことや“今”を認識して生きることをします。

社会環境からの押し付けや強制にて、強引にエゴを作り出そうとする周囲の影響を見ることもありますが、それでも苦しみと闘い、心の自我のみを駆使して生き抜こうとする、精神レベルの極めて高い方々だと認識しています。

※精神レベルの話は、精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性?をご覧ください。

精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性?「なんだかこの人はレベルが高いな」と感じることがあるかもしれません。 なんとも崇高で誇り高い、立ち居振る舞いから違う。 実は...

 

悟りを開く方法とポイント

最後にこれまでの話のポイントをお伝えして終了です。

悟りを開く方法はエゴを区分けすることです。

エゴをなくすためには自我を知ることが大切で、自分とエゴの自分を区分けすることが大切です。

悟りを開く方法 : エゴとの分離(または認識した上での共存)

私達には悟りを開いていた前提があることを踏まえると、過去の自分を想い出すことが悟りを開くポイントとなります。

悟りを開くためには、瞑想をすることが最も効果的だと思います。

瞑想をすることで自身を俯瞰する段階があるので、エゴの自分を区別して見やすくします。

瞑想とは、「今を感じ、認識すること」のマインドフルネスから始まりますので、呼吸をしていることを認識し、細胞が生きていることを感じ、全てが常に変わり動き続けていることを知り、自分を知ることに繋がっていきます。

しかし、悟るために瞑想がなければならない訳ではなく、あくまで今を認識する方法であり自分を知る方法に効果的なのが瞑想という話です。

 

悟りを開くには受け入れる

悟りを開く方法と同時に悟りを開くためのポイントがあり、それは”受け入れる”ことにあります。

目の前のことを認識することは、目の前のことや自分自身に対して、“疑い”、“拒否”、“嘘や誤魔化し”という概念はありません。

そのため、本来は物事を認識する際に受け入れるも受け入れないもなく、あるがままに認めて受け入れるのみの状態が何の抵抗もない自然な在り方です。

受け入れようとする自分は、“受け入れない前提の思考”があるか、“自分ルールで判断をする思考”があることを表しており、受け入れるも受け入れないも考えない、受け入れることが当たり前の自然な状態が悟りを開くポイントとなります。

それは、体がエネルギーを欲すると、「お腹がすいた」と認識することと同じです。

赤ちゃん状態です。

悟りを開くには全てを受け入れる前提の認識があり、それが当たり前の自分がいます。

※瞑想についての話は、ご飯を食べる認識が悟りを開く方法に。マインドフルネスと瞑想の方法 をご参照ください。

悟りを開く方法はご飯を食べる認識|マインドフルネスと瞑想で目覚める悟りを開くことは、人生の始まりを意味します。 生命と意識を宿した身体を“自分”とし、時間を人生とし、空間を世界とし、自分の物語が始...

 

悟りを開くとは まとめ

悟りを開くとは始まりの合図であり、目を覚ますアラームです。

仏教では、悟りに五十二の段階が定められています。
悟りを開くことで自分を主観にして自分に気付きますが、エゴをなくして悟りを開いていた自分を想い出すことで、悟りを開くことにもなります。

一人一人に自分があり、人生があり、世界があります。
悟りを開くことで、ありのままの自分を取り戻し、さらに心による自我を使用して、脳を活用して生きる時間が始まりますので、そこには自己の成長としての喜びが溢れます。

あくまで私の認識ですが、悟りを開いても欲望がなくなることはありません。
欲望がなくなることは生きている意味を見失い、ニヒリズムの基となるエゴの思考です。

スピリチュアルの認識では、悟りを開くことで全ての存在は一つであり、ワンネスとの一体を認知して完全なる愛を自覚します。

全てが一体の集合意識を育み、より認識幅を広げることで全てが一体である意味を成します。

そのために、一つ一つの意識体としての自我を持つことに意味があり、それぞれの自己の成長が大切な役割となります。

自己の成長があることで欲望を持つことができます。
「生をも望まず、死をも欲せず」の意味には、自己の成長のためのあるがままの認識があり、それは赤ん坊の時に認識している行動の基となります。

そこに生への執着は受け入れが前提の悟りには存在せず、あるがままの自身の状態と環境と行方を敬い受け入れます。

それが「空」の概念であり、ワンネスとの一体から一時的な自我による肉体分離の意味となります。

この記事の内容は、全てを含めて理解されること以上に、ご自身にとって必要な部分をメッセージや役立つ情報として受け取られることを願います。

読んで頂いたあなたの何かに役立ってもらえれば幸いで嬉しいです。

それでは、悟りを開くとはの意味についての話を終了します。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

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