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『なくならない大前提がカギ』執着がなくなる具体的方法10選

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【カタカムナ診断で自分を知る】

当ブログの運営をしている北斗です。
私自身が診断していただき、「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

カタカムナ使命診断
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※一人一人にある『氏名』を個別に診断し、独自の理解を含めて言語化してくれます

あまりに的確で、わかりやすく言語化してくださり、自分には何が大切かわかります。

さらに言霊・音・文字に含まれるエネルギーを強く意識でき、波動が明らかに上がったので、「これはぜひみなさんにも♪」と思った次第です。
そんな素敵な診断(結果が送られてくるのでLINE要です)。

※カタカムナ自己理解、興味のある方はぜひご活用ください

言葉としてはわかるものの、実施するのは難しく、一体何をすればいいのやら。

そのように思う方は多いと思います。

執着をなくす情報は数あれど、「手放したらいいことがあるんだ」と求めてしまえば本末転倒。

「ランニング後の一杯がたまんねぇ」と運動したら病気になったみたいなもの。

執着をなくすためには、執着心を増やさない前提ありきの行動が重要です。

ここでは、私自身の体験から理解している、執着をなくすための具体的な方法と狙いを言語化します。

  • 執着をなくす具体的な方法を知りたい
  • 執着をなくす本質的意味を考えたい

執着まみれだった私は、命への執着を手放すことで大事な普遍性に気づいた体験があります。

そこで知ったのはある一つのポイントでしたので、みなさまが精神を育むためのお役立ちとなれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

執着がなくなる具体的方法

執着がなくなる具体的方法10選

1,相手の幸せを願う

人への執着をなくす方法です。

大切な人でも嫌いな人でも、自分のためではなく“相手のため”を主体にすることで執着がなくなります。

「あの人といる自分の幸せ」や「自分に辛さを感じさせたくない」を願っている状態は執着が強く、囚われてしまいます。

相手の幸せを心から願うことができると、心の余裕ができ、寛大で大らかな気持ちになります。

大切な人であれば心が繋がるため、目の前にいなくても思い出したい時に思い出してニコッと穏やかな気分になります。

平和です。

 

2,旅に出る

不安をあえて味わう、予測できない状態に身を置くことで執着が減ります。

旅は知らない土地で知らない人々と知らない出来事と関わるので、予想・予測の範囲を超えて自己都合の認識世界から抜け出しやすくなります。

自分の思うようにいかないリアルを体験することで、思い込みや決め付けという情報や脳への執着をなくせます

私たちは日常的に安全を求め、不安と恐怖を避けるためにできる限りを管理し、情報化社会の歯車では脳を休息させ、“わかる範囲内”で事物を収めます。

旅はそれをバッコーンと壊してくれるので、意味のわからない所へフラッと行くのがおすすめです。

レビューを見て予約、行き場も何もかもスマホで調べてわかる、でなければ、旅でなくても新しい場所を探索するなども素敵です。

 

3,自然に触れる、感じる

感性を高めると“自分の”という所有や固執の執着が減ります。

「私の~」という幻想とまやかしは我(エゴ)の概念であり、「~しなければならない」「これはこういうものだ」といった思考のコリ、欲望、感情への執着を生みます。

自然に触れる、例えば木や土に触ると刺激が生まれ、感覚が発生し、感性を認知できます。

感性の自覚は“他との繋がり”の認知であり、自分への固執、固定観念の囚われが緩まります。

美術館で絵画を観て感性を磨くことも大切ですが、自分の頑張りによって起きていると思い込める情景だと自己への執着がより強まる可能性があるので、自然がおすすめです。

 

4,子供の頃にしていた遊びをする

子供は執着のない、比較のない世界を知っています。

「小指ピーン」と意識したらその通り小指がピーン、キャッキャッキャと楽しい人は“自己”への囚われがありません。

脳が過去の記憶を引き出して今感じているものを無視すれば、目の前のココアと昨日のココアの味の違いがわからなくなり、知らぬ間に脳に執着しています。

駄菓子屋で5円チョコを買えて大はしゃぎしていた頃、30円のビックチョコを買えずに残念がる前のあの頃を思い出し、当時していた遊びをします。

ルールのない遊び、自分たちで考えた創造、罰ゲームなんてない、負けたら嬉しくて、勝ったら嬉しくて、勝ち負けの意味なんてなかったあの頃。

何にもない、勝ったってなにもない、ジャングルジムで鬼ごっこしたら頭ぶつけて痛いだけ。

でもこれが楽しめたら執着はなくなっています。

たまに思いっきり追いかけっこしてみると楽しいですよ。

 

5,「当たり前」の撤廃

“自分だけ”に偏る認識の囚われがなくなります。

「当たり前」になっていると気づき、自分の思考と行動を見つめることは、自発的に脳内ごもりから抜け出す勇気を意味します。

「いただきます、ごちそうさま」に気持ちは入っているか。

「あっした~(ありがとうございました)」の中身はどうなっているのか。

目の前の木々は何年も辛い環境の中、生き抜いてここまで大きくなった。

鳥たちが毎朝ピーチクパーチク鳴いてることには意味があったのか。

自分の態度や行動を見直すだけでなく、物事の真意や意味に気づくこともでき、典型的な認識の執着である「良悪・勝負・正否」の決め付けが緩まります。

当たり前に気づいて撤廃することは認識の自由化です。

 

6,「してもらっている」を見つける

享受している恩恵に気づくことも認識の自由度を高め、見方や考え方のコリや縛りを解きます。

損得勘定なく、自分が貰っていることにフォーカスし、与えてくれている存在を知ります。

毎日頂いている食事は母親が作ってくれている、食材も買ってきてくれて、お金まで払ってくれている。

楽ちんに旅行できるのは車を作ってもらったから、電車を作ってもらったから。

犬は癒しを貰えてくれている、スマホは必要な情報を与えてくれている、スーパーは、ドライバーは、コーヒー屋さんは、友達は、川は、風は…。

感謝も大切ですが、執着をなくすにはお返しや反省したくなる気づきが重要です。

お返ししたい気、反省して自分を見つめる気、これらの気持ちとこれらを見出す行為が執着をなくします。

 

7,達成する(自己の乗り越え)

達成感は新境地に到達する方法、自己防衛への囚われをなくします。

メンタルブロックの破壊であり、自信の養い、新しい認識を作り、自責を育みます。

資格を取る、ダイエットする、ランニングの継続、目標設定したことの達成…。

継続は誰しも辛く苦しいものですが、逃げず誤魔化さず決めたゴールまで辿り着く経験は、自己の乗り越えであり自分で自分を作る責任の育みになります。

大きな目標は挫折しやすいので、小さな目標を達成していき、少しずつ大きくしていくのが得策です。

ただ、達成することにフォーカスするとそれが執着になってしまい、一つ達成して終わり、元に戻る可能性もあります。

自己を乗り越えた実感、その喜びや気持ちを味わい、また次に進んでいく繰り返しが大切です。

 

8,物を大事に使う

物への執着をなくします。

物を減らす、断捨離もナイスでして、少ない中で一つ一つを大事に使うと脳も心も整理整頓でき、これまでと認識や考え方は一変します。

「ヴィンテージ服だから使わない、汚れないようにしなきゃ」は執着を強めてしまう可能性があります。

使わないのではなく使い、如何に長く、大事にできるかがポイントです。

現実的に大事にする行動を要するため、「この服にとってどういう扱い方がいいか?」といった見方、物側への寄り添い、自分側から離れた思考、認識が生まれます。

「ボロボロでもいいや」と思えるようになったり、「たたみ方はこうだな」「破けたから縫おう、直そう」「いつもありがとね」

物は仲間になり、大切な仲間だからこそ誰かに引き継いだり、寿命が来たら感謝してさようなら。

 

9,許す、謝る

向き合いたくないこと、不安や恐怖による囚われといった手放しにくい執着をなくします。

心身に不浄のエネルギーが溜まることは、邪念と頑固を生み、自己愛と記憶に執着します。

「うん、もうあなたがしたことを許す」

「嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい」

許す、謝る行為はそれら固執のエネルギーを流し、不安と恐怖を嫌がり拒否するマインドを解放します。

“反省”も大事な方法でして、気持ち以上に自分が変わったという結果で、本当に反省したのか自分に証明すると執着がなくなります。

 

10,他者を認める、自分を認める

なんでも
なんでも
他者を認めることは自分を認めることを意味し、執着を生み出す大きな原因の一つを解き放ちます。

認めないことはエゴ(我)の元凶であり、納得できない、自己対処できない、責任を持てない、自分で自分を見つめられなくします。

例えば、親を認められないと自分を認められず、執着はあらゆることに派生していき、エゴを強めます。

親でなくても他者、社会、物事など認められることを増やすと、自然と自分で自分を認めるようになり、内部のあらゆる囚われ、固執、固着の縛りは緩和されていきます。

みんなが互いに認め合う集団、それは執着依存のない優しく穏やかな家族です。

以上、執着がなくなる具体的な方法でした。

 

執着をなくすための前置き

大前提:執着はなくならない

なんでも
なんでも
そもそもですが、執着はなくなりません。

何かに心を囚われることを執着と言いますが、私たちは“私”という自己に囚われ、自己を構成する“他(人やものや情報など)”に囚われます

何にも囚われなければ空気を欲しませんので死にます。

肉体は潜在的に活動してくれるので、「これは私の意思じゃない、勝手にやってるから自由にしとけばいい」と思えます。

しかし、意識できていないことはよくて、意識できていることはなんとかしたいという執着があり、まだ把握できていない領域の執着が大量に野放しです。

執着がなくなれば、私の理解では何も欲せず、食さず、眠らず、存在すら可視化されない超越、「あれ、どこにいるの?」

「ここだよ」
空間から聞こえる?!ということになります。

これをこの世の物理上に置き換えると、おそらく毛の生えた植物みたいな見た目で、「まさか、○○さん?!」

パピプペ

「茎と葉が小さな音を発したぞ(喋った)!」みたいなノリになります。

ずっとこういう問答が続きます。

こういったことに対してゴータマ・ブッダは、世俗的な執着のない状態(真理)と、超越的な執着のない状態(真理)があると分けました。

ここではそういったスピリチュアルは除き、お伝えしたいことがあります。

「執着をなくす目的は執着をなくすことではない」ということ。

 

執着をなくす際の注意点

なんでも
なんでも
執着をなくすための考え方があります。

例えば、他者承認欲求はわかりやすい執着の一つ

誰かに認めて欲しいからとSNSに投稿し、優越を感じたいからとブランド品を装飾、顔の造形に一本線を増やす人もいます。

他者承認欲求が強まることで自己承認できなくなる、すると自己防衛を強め、見栄が強まり、誤魔化しが増え、嘘をつくようになり…。

その内に肩書アイランドでキラキラネームという観覧車ができ、老人になっても料理が作れず家事のために恋人を求める…。

執着は無限に強くなっていきます。

仏教には無自性というナーガールジュナの考え方があります。

無自性:
それ自体の独立した実体(本質)や恒常的な存在はなく、全ては縁起によって互いに依存し合い、存在している。

無自性は空であり、執着のない“現実”があります。

“涅槃”があると頑張る人は“涅槃”という何かがあると固執するため、それは現実ではなく自分にとっての見方、世界観になり、執着が生まれます。

実際には涅槃があるもないもありません。

善があるもないもありません。

「執着をなくそう、手放そう」と行動することは執着を強めます。

ただ、その行動が自制や精神性を高めるので大切なことなのは変わりありません。

注意したいのは、決め付けと思い込みは執着を一生生み出し続けることです。

例えば、多様性は決め付けを緩和する素晴らしい考え方ですが、多様性が足りない状態を否定したら既に多様性ではなく、決め付けであり、執着です。

「執着をなくそう!」と頑張ると執着が強くなるので気を付けたいところです。

 

ポイント:執着をなくす本質

なんでも
なんでも
いろいろややこしい内容ですが、「執着をなくすとは一体何なのか?」

実行動するためにも私の体験理解がお役立ちになればと思います。

私は命への縛りをなくし、「死んでも生きても試す!」と決めて実行したアラスカでの森生活をしたことがあります。

さまざまな事柄への執着がなくなっていき、生存して町に戻った後、私の中で存在への執着が手放された瞬間がありました。

全ての風景、情景、光景が美しく輝きました。

本当にキラキラしていました。

感受機能が無限化したように、あらゆる色の付いた感受が巡り流れる海の中にいるようなイメージです。

道路の隅に咲いている花を見て涙が止まらなくなりました。

整備されたガーデンで花たちが色鮮やかに咲いているのを見て、嬉しくてたまらくなりました。

空気を吸えること、美味しい空気だと感じる肉体があること、人々が歩いていること、仕事していること、子供が転んだこと、空が青く見えること…。

全てに感動しました。

私はこの体験から執着という思い込み、決め付け、我の囚われ、心の囚われ、頭の囚われなど…“囚われ”のない心地、自由、寛大さの気持ちを体感しました。

内情を洞察すると明確なことがあります

利他の心。

囚われのない状態を体感した時、明確に利他でした。

執着がなくなるとは、“自分”という固執や囚われ、それに付随するルールや常識や文化など“他の情報”による思い込みと決め付けの囚われをなくすこと。

これは何かをなくす、捨てるのではなく、「知る・気づく・戻る・思い出す」と自然と手放されること。

初めはなかったものを、今、自分自身で、「あぁ、やっぱ今もなかったんだ」と気づくこと。

そこに「私」はおらず、大気、花、社会、自然、地球と、あらゆる“他”を主体に繋がる心が中心でした。

執着がなくなるとは、利他の心になること。

利他心を育み(=知り)、近付けるようになる行動が私たちのできること。

利他の心に寄るほどに、執着は何も意図せずとも自然になくなっていきます

しかし、「あの世界をまた見たい、ずっと見れる状態でいたい」となれば執着、利他の心から遠くなります。

いつでも寄れるのだから、執着にまみれてもいい、また戻ってくればいい。

利他の心も自己の心も、執着がない状態もある状態も大切、どちらも味わいどちらも深く体感し、切り替えられたらいい。

理解があればあるほど切り替えられるため、執着のある状態とない状態を共にたくさん知れたらいいものですね。

執着をなくすには、利他の心を育むことです。

 

最後に:執着がなくなる

精神のステップは常に一つ一つ上がっていきます。

ナーガールジュナの無自性の考え方は現実そのものであり、私の中ではこれを“愛”と呼びます。

現実に自己都合や偏りが入ると、それは自分にとっての現実という何か。

一瞬で独占にも支配にもなり、全て執着を意味します。

しかし、執着することに良いも悪いもありません。

執着するからこそ執着をなくせて、執着があるからこそ執着がない世界を味わい生きられます。

私の理解ではどちらも本当にかけがえのない世界であり、大切なのは切り替えです。

誰か人を、動物を、自然を、大切な何かを想う時、誰しもそこに無自性があり、愛があり、執着のない状態があります。

それを知れば知るほど、一瞬一瞬無意識に切り替わっていること、一人一人に執着する・しない両方の味わいがあるとわかります。

何かをなくすことではなく、知り、気づき、戻り、思い出すことに本質がある。

利他の心を育むご参考になれば幸いです。

それでは、ありがとうございました。

【カタカムナ診断で自分を知る】

当ブログの運営をしている北斗です。
私自身が診断していただき、「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

カタカムナ使命診断
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※一人一人にある『氏名』を個別に診断し、独自の理解を含めて言語化してくれます

あまりに的確で、わかりやすく言語化してくださり、自分には何が大切かわかります。

さらに言霊・音・文字に含まれるエネルギーを強く意識でき、波動が明らかに上がったので、「これはぜひみなさんにも♪」と思った次第です。
そんな素敵な診断(結果が送られてくるのでLINE要です)。

※カタカムナ自己理解、興味のある方はぜひご活用ください

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