執着には種類があるために、執着を手放すために知っておきたい理解がここにあります。
執着を見極め、必要なければ手放して流し、必要あれば大切に自分の中で流す。
どちらにしろ流すことが大切になる“執着”とは一体何なのでしょうか?
ここでは、執着の意味を心理とスピリチュアルの両方の見方にてお伝えします。
執着の正体がわかることで、手放す理解や方法が見えてきます。
執着とは結構邪魔です。しかし、人生を始めるためにとても重要なものでもあります。
そんな執着を手放して自分のために活用する話が役立つことを願います。
最後に、スピリチュアルな解決に重要な方法もお伝えしていますので、そのための一助としてぜひご覧ください。
Contents
執着を手放す:特徴と理由と心理

執着とは
執着は苦しみや辛さを作るため、手放したいものです。
執着の意味や理由を知ることがとても大切になりますので、執着の意味から見ていきたいと思います。
何か心をとらわれるものに心臓を鷲掴まれるような。
片思いで相手に執着、復縁に対する執着、仕事や名誉や評価への執着、親や子への執着など、さまざまに執着が作られます。
そして、執着心を基に自分の在り方や行為として依存心や依存症という形で表現されます。
執着と依存は連携して一つの形になっていますが、個々には別々のものとして違いがあります。
その連携を作る基が“執着”である、心をとらわれて離れられないことです。
執着とは自分の認識をコントロールされること
心をとらわれることで、自分のコントロール下を外れます。
恋人への執着であれば、恋人との関係性にコントロールされます。
名誉への執着であれば、名誉との関係性にコントロールされます。
お金への執着であれば、お金との関係性にコントロールされます。
これは自分がいなくなることを意味します。
パッと消えます。
在るのは、執着する対象との関係性にとらわれて離れられない“何か”
“記憶”です。
自分がいなくなることは、記憶にコントロールされることを意味します。
執着する対象との関係性とは、記憶にある“蜜”のことを意味します。
執着とは、蜜を吸っている記憶にコントロールされて自分がいなくなることです。
執着とは過去の記憶による思考と感情の蜜から離れられないこと
心がとらわれるのは、過去に味わった満足や納得の蜜の味です。
恋人との甘い思い出。
人から賞賛される満足と納得感の記憶の構成による期待。
経済的余裕や安泰による喜びや恐怖のなさを得続けられる快楽欲求。
記憶を基にそのまま過去の喜びを見出します。
記憶を構成して未来に期待する思考を作り、欲します。
思考と感情を組み合わせて作り、欲します。
あらゆる過去の“良き記憶”をこねて、混ぜて、叩いて、揉んで、パンのようにこねくり回してドンッ。
記憶という蜜にとらわれ、目の前にあるだろう喜びの確証たらしめた思考と感情の構成記憶から離れられなくなります。
執着とは、喜びを求める我欲に支配されたことを意味します。
執着が強い人の特徴
執着心の強い人の特徴から理由と心理が見出されますので、一覧をご覧ください。
- 自分の感覚がわからない
- 自分を信じていない
- 喜びを作れないので、喜びをもらうとはまりやすい
- 自分の意見がない
- 他の人や世間や社会の情報を鵜呑みにする
- 信用度を重んじ、猜疑心が強い
- 人が離れていくことが怖い
- 未来のことで思考過多
- 過去にとらわれて記憶が消えない
- 怒りや悲しみが常に横に居る
- 不安と恐怖心が強い
- 周囲の目が気になる
- 他と比較する癖がやめられない
- 嘘をつく
執着が強い人の特に大きな特徴は、自分がわからないこと、喜びが作れないこと、恐怖心が常にあること、未来のことで思考過多、嘘をつき自分も他も信じられないことです。
執着を持つ理由と心理
執着する理由は、喜びを求める強い我欲を持つことです。
その上で自ら喜びを作れないために他者に執着します。
ですが、実際には他者に執着しているわけではなく、“喜びをもらうことに執着”します。
「喜びを得るために他者を利用する自分に執着する」というものです。
片思いの相手に執着する場合には、人を好きになることでドキドキしたりワクワクしたりの“刺激”という蜜が得られます。
そのため、片思いの状態にも、相手が存在することにも執着し、全ては喜びが貰えることに繋がります。
喜びという満足や納得、快楽や刺激や癒しを得ることを強く求めることで、喜びを与えてくれる人や優しい人にはまりやすく、人と関わることで相手に自分を支配してもらおうとする心理があります。
支配されることで自分がいないことや、わからないことを自覚する必要性がなくなる利益があり、恐怖を味わわない+喜びがもらえる安泰ゲットの我欲です。
執着の心理は、恐怖を味わわない+喜び、この二つの満たしをもらおうとする様です。
その根底には、自分の価値や存在意義を自らでは見出せない恐怖があります。
恐怖を剥き出しにして人と関わるため、恐怖を鷲掴む人次第で、良いも悪いも結果が起きます。
その最たる例をサイコパスが教えてくれます。
執着が強いと人を利用する人にコントロールされる
執着が強いことではまりやすくなる特徴があります。
はまるものは共通して快楽の強いものです。
お金、名誉、肯定、支配、過食、性行為、刺激に癒し。
褒められる、必要とされる、認められる、愛していると言われること。
はまります。
執着を持つ人は執着を持たない人から見ると恐怖が剥き出しです。
そのため、客観的に人を利用するサイコパス的な人には利用されてしまいます。
サイコパスは執着がある人だと冷酷なイメージを持つ傾向がありますが、執着がなければそのようには思えない全く別人格として接します。
執着することに何も悪いことはありませんが、「恐怖を抱えています」と宣言するように人に委ね、喜びをもらうために人と関わることはギャンブルのようになります。
波動が低ければ低いほどに関わる人を引き寄せて必然的な結果が起きますので、執着を持って人と関わることには注意が必要です。
※恐怖については、恐怖との関わり方が重要|正体を知るとわかる恐怖必要説 をご覧ください。
執着を手放す スピリチュアル
これまでは執着についての理解をお伝えしましたが、ここからは執着を手放すためのスピリチュアルな話をご覧ください。
執着の種類
自分がいない、記憶の蜜にとらわれ、コントロールされ、我欲に支配される。
全く良い印象のない執着ですが、種類があるために見方が両面からになります。
執着の種類
- 他から貰った喜びを求める我欲・・・他に執着する
- 自分で喜びを作る自我欲・・・自分に執着する
他から蜜を貰った記憶を基に執着して欲を持つか、自分で蜜を作った記憶を基に執着して欲を持つかの違いがあります。
我欲か自我欲かが分かれ、自分以外に執着するか自分に執着するかです。
両者の違いを、順番に見ていきましょう。
他に執着する我欲
執着とは欲のことでもあります。
心がとらわれて離れられない理由は大きく二つです。
恐怖がないこと、喜ぶこと。
執着はこれらの二つを得られます。そのために、私達人間は簡単に欲に支配されます。
他に執着する特徴は、“恐怖がないこと”を喜びと捉えて欲することです。これを我欲とも言います。
我とは、自分を他と比べたり区別することで見出す自分のことで、自分以外の他者や情報や常識などにて自分という存在を存在たらしめることを欲する我欲を持ちます。
わかりやすく言うと、他と比較したり差別化を図ることで、承認欲求や自己顕示欲、独自性欲求に優越感、支配・占有感を得て、自らの価値や存在意義として恐怖のない様からの安泰を欲します。
この執着がここでお伝えしている手放したいものです。
自分に執着する自我欲
もう一つの執着は自分へのものです。
自我欲は恐怖ではなく、喜ぶことを求めます。
喜びとは、満足や満たし、楽しみや嬉しいことです。
自分に執着する特徴は、自ら喜びを作った記憶から喜びを欲して楽しもうとすることです。これを自我欲とも言います。
自我とは、自分のことを自分で認識する自分。他者を含めずに認識します。
単純に、「自分で絵を描いたら楽しかったなぁ」という記憶を基に、「また絵を描こう」と欲する欲のことで、喜びを自ら作りたいと欲し、生きる源にもなる幸せになろうとする執着です。
何も指示されず紙を渡されれば、好き勝手に折り紙したり、落書きしたり、グシャグシャにしてキャッチボールを始めるようなイメージで、幸せや歓喜のために大切な欲となる執着です。
※我と自我の詳細は、我が強いとはスピリチュアルな悟り?我の意味を知るとわかる特徴と改善 をご覧ください。
執着とは スピリチュアル
魂や精神性の理解を含めることで、“執着”の捉え方が少し変わります。
それは、“流れがない”という捉え方です。
エネルギーとして気が流れていない、または、血やリンパ液の流れに停滞があるという物理的な認識も含めた“心身の循環停滞”です。
エネルギーも気も血もリンパも流れによって循環され、自分らしく存在する源の肉体を維持・活動させ、認識の材料となる思考を整理整頓して綺麗に掃除し、さらに認識の基である心の気持ちにて今を生きて、喜びを作ることにフォーカスします。
流れはとても大切な心身の源で、流れがなくなることで自分がわからなくなり、執着という停滞を作ります。
執着とはエネルギーの流れを邪魔する停滞です。
※わかりやすくするために、エネルギーも気も血もリンパもここでは統一して“エネルギー”とします
執着を手放すスピリチュアル
執着を手放すとはエネルギーを流すことです。
執着という停滞を心身から流し、自分を思い出すように理解することを意味します。
執着を手放すために初めに大切なことは、これまでお伝えした執着が作られる理由の理解です。
そして、執着を実際に手放すために必要なことがありますので見ていきましょう。
執着を手放すためには我欲を知る
執着が作られるのは我欲があるためです。
ですが、我欲が悪いわけではありません。
執着とは、心をとらわれる=我欲から離れられないことで自分をわからなくさせます。そのため、我欲を知ることで自分を思い出す、または取り戻すことができます。
実際、幼少期の生育過程にて必然的に我が生まれ、我欲を持って生きるのは誰しも同じことです。
そのため、それが当たり前となり不自然に思わなくなります。それは炊飯器でお米を炊くのが当たり前であるように。
木を組んで火を焚いて鍋で炊いたことがなければ、お米を炊くことの意味はスイッチピッ、以上。
我欲を知ることは自分の行動を一つ一つ理解することです。物事の意味を考えることで自分の頭を使い、感覚を感じ、感情を発し、心があることを体感します。
当たり前となれば不思議に思うこともないので考える機会すらありません。ですが、執着にて苦しんだり辛くなることで気付く機会が与えられます。
執着は不要なものではなく大切な気付きを与えます。
執着をなくすのではなく、手放すことが大切だと知ることに意味があります。
エネルギーを流すために自分の感覚を知る
我欲を知ることで物事を自分なりに考える気付きを得ることができます。
それによって執着を手放す時間が始まります。
執着を手放す方法は、自分の感覚を知ることです。
感覚です。
感覚はリアルな体感として今起きていることを示します。最もわかりやすいのは痛みです。
自分のほっぺをつねってみると、おそらく数秒で「痛いっ」となります。ですが、痛いと思っているのは思考です。
体ではなく頭が思っているなんておかしなもんです。
思考は過去の記憶から痛い時の嫌な感覚を使用して思考を構成し、さらに、「なんでつねるんだよ!」などの怒りの感情などを付け加えます。
実際に自分の感覚を知るには、「どうして痛いと思ったのか?」の答えがわかった時です。
少しややこしくなってきましたが、ここで知ってもらいたいのは、思考は何でも作れるということです。我欲も思考で作ります、執着もです。
自分の感覚を知るということは思考を知ることであり、それは意見を持つことであり、それは経験することを意味します。
執着を手放すためには、自分の意見と感覚を知るために行動して経験を増やすことです。
意見を持ち、感覚を知ることで停滞が解かれ、エネルギーが流れ始めます。身体も心も自分として生き始めたことを認識して稼働する状態です。
炊飯器ピッでもいいんです。ですが、ピッとした時の感覚はありますか?意見はありますか?
行動しなくなると考えることがなくなります。
「スイッチがあるから押しただけ」と意見はなくなります。
さっそく、川へ行ってキャンプですね。
執着を手放すポイント
執着を手放すためのエネルギー循環にはいくつかのポイントがありますので、それらを順番にご覧ください。
1、自分がわからないことを認める
認めないと本人にとって現実にならないため、先に進まなくなります。
これを邪魔するのが“嘘”です。自分への嘘、他への嘘は誤魔化しとなり、見栄の上塗りとなり、演技による隠ぺいとなり…。
自分の意見がない、感覚がわからない、物事を理解していない、喜びを作れない、他者からもらおうとしている、などなど。
何か自分の中で思い当たることがあれば、拒否せず誤魔化さないことで執着を手放すスタート地点に向かえます。
2、我慢しないで放出
常に放出します。
エネルギーを出すように、感情を吐き出すように、オーラを放つように、何もかもを出す。
出そうと意図する必要はありません。
「出さないように」という我慢や抑制や制限や縛り、全て自分が自分を支配する欲ですので、それをせずにそのままドバドバ、またはチョロチョロとあるがままに放出することで、エネルギーは循環されます。
3、新しいエネルギーを得る
新鮮な空気を吸い込むように、心身に新しい風を送り込みます。
それが行動です。
身体を動かす、知識を深める、人と出会う、仕事する、転職する、悩み相談する、専門家と話す、グッズを購入して試す。
筋トレ、勉強、試験を受ける、恋をする、面接を受ける、カウンセリングを受ける、人と話す、何か購入して試す。
何でもいいのですが大切なことは、「自分のために行動する」ための動きです。
必ず行動スタートです。それによってよりエネルギーを欲し、栄養素を蓄え、自分にとって必要なものを感覚として感じるようになり、我欲や自分への理解が深まり、循環は加速されます。
まずは早朝のジョギングからでしょうか、断食もおすすめ。
5、感情を観察する
感覚を知り、意見を持ち、次に感情を知ります。
執着は恐怖を味わわないことと喜びを貰うことをとにかく欲するため、嫌なことや認めたくないことをなかったことにしようとします。
そのため、嫌なことがあった際の感情を抑制して己の支配を強めます。
エネルギーを流すためには我慢や抑制は本当に邪魔ですので、感情はあるがままに放出します。
ですが、これまでの生き方や人間性は突然なくならないため、いきなり感情を吐き出すことは困難です。
そのために行動が大切で、感覚から知ることが重要です。
※快楽にはまるのはご注意ください(あくまで他ではなく、自分が自分を知るための行動が大切)
観察できるようになります。それがとても重要です。
感覚を知るに連れて、感情を放出できずとも「私は今こう思っているんだ、こう感じているんだ、こう想っているんだ」という感情や気持ちを自分なりでいいので認識してジーと観察です。
表現しないだけで、誤魔化して抑制しているわけではないので、エネルギーは流れて執着が作られなくなっていきます。
そしてその内に放出できる時が来ればドバンッといきましょう。
感情の爆発は自分のために、「うるせぇ、コノヤロー!」ですかね?
※悩み解決のスピリチュアルな理解は、悩みがあるから良い。スピリチュアルな悩み相談に大事なこと をご覧ください。

執着を手放す着眼は自分を知ること
最後に、「執着の手放しとは何か?」という理解を一緒に考える機会となれば幸いです。
私は中学生からの生活環境にて執着モリモリとなり、そこから10年以上長らく続いたエネルギー停滞期。
この間、私は執着の意味をはき違えていました。
執着とは他者に頼って、委ねて、甘えて。社会の常識やルールや仕組みや制度に乗っかって、欲まみれになって、支配して、と。
実際に執着を手放せた時にわかったことは、自分で自分を支配することが執着でした。
それが我欲でして、仏教用語では煩悩と言います。
我欲と自我欲は全く違い、自分には我と自我があることを知れたための理解でした。
執着とはさまざまなものが含まれ混在し、わかりにくいものです。
- 自分がわからないことを認めない我
- 過去の蜜を組み合わせて作る未来への我欲
- 恐怖がないことを喜びという名の一時凌ぎにする思考
- 欲を満たすために他者に執着し、着眼を己ではなく他にする誤魔化し
執着とはこれらを一緒くたにした“自分がわからない様”です。
実際には他者に執着しているわけではなく、他者から得られる蜜である自分の記憶に執着しています。
執着は欲を満たし、事実を隠して嫌なことを見ず、現状に変化せず行動しないで済む安泰を得る、という我欲の利益に溢れます。
これで満たされる人はそのまま変化も気付きもありません。
執着した相手から利益を得られなければ、相手を批判して非難して自分のことは見ずに対処して終わり。
とんでもない本性は一生見ずに終われるかもしれません。人それぞれです。
執着の手放しは完全に自分の意志次第だと思います。着眼は他ではなく自分であるために、見たくないことも知りたくないこともあります。
それをどう受け止めて改善に繋げるかは、恐怖を味わわないことか喜ぶことか、どちらを欲するか次第です。
それが、我欲による執着か、自我欲による執着か。どちらも執着、どちらも自分。
片方を手放すと自然ともう片方に集約されていく、そんな仕組みがあると理解しています。
まとめ:スピリチュアルな解決方法はこちら

我欲の執着を手放す一助であれば幸いです。
執着は停滞です。
エネルギーを流すことで手放されるため、自分を知るために感覚、意見、そして感情をバンッと。
現状のご自身を認めることから始まります。その後は行動が何より大切です。
当たり前のことですが行動しなければ何も変わりません。その際に恐怖からの逃避か喜びかを選ぶ意志が見えます。
ですが無理はしないでください。
独りでわからなければ誰かに相談されてください。何を行動すればいいかわからなければ、他の意見やヒントを得ることができます。
私がお伝えできることはここまでですが、占いや鑑定にてプロに悩み相談する方法がありますので、興味がある場合には一度試されると良いと思います。
スピリチュアルな理解による鑑定であれば、今の自分にとって大切なヒントやメッセージを与えてくれるため、気付きや行動の架け橋となり、より執着を手放す動力になります。
私が知るのは二つですので、お好きな方をご覧いただいて、ご自身に合えば活用されてみてください。
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それでは、最後までありがとうございました。