『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
異様に見てくる…額に角でも生えたかな?
そう思ったことがあるかもしれません。
知らない人にジロジロ見られる、あの人はどうして見てくるのか。
見られる側は不愉快でストレスになってしまうので、見てくる理由を知りたいものです。
私自身ジロジロ見られる人間でして、ある時にピラッと見られなくなり、違いを洞察するとあることに気づきました。
ジロジロ見られるからには必ず理由があります。しかしこの理由、無意識であるためわかりにくいです。
ここでは、見られる理由を明確にして、ストレスを溜めない対処法をお伝えします。
- どうしてジロジロ見られるのか知りたい
- 見られないための対処法を知りたい
見られる真意に潜むのは、意識というスピリチュアルだったりします。
少しおかしな内容ですが、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
知らない人にジロジロ見られる理由
ジロジロ見てくる人のメンタル7種類
電車、職場、街中、カフェの店内ですら見てくるあの人。
私たち人間はパーソナルスペースを持ち、周囲と共存しながら社会的に生きていますので、多かれ少なかれ周囲を把握するために見るのは当然です。
しかし、ジロジロはやり過ぎ。
そんなジロジロ、見る理由があります。
- 価値に対する好奇心
- 比較対象としての認識
- 無言の抵抗を意思表示
- 優越感を感じるためのマウント
- 劣等感を感じた作用、反応
- 忘失、ぼーっとする
- 不安、危険回避の存在認知
人それぞれの心理、一つずつさらっとご覧ください。
①価値に対する好奇心
美しい人や珍しいものなどの価値に目が行きます。
魅力的、目が青いなど、価値を認めたものに対する好奇心によって、喜びや満足感を得るために見ます。
②比較対象としての認識
一般的ではない人と自分を比べる固定観念によって目が行きます。
段ボールが歩いている、髪がレインボーカラーな人に、「あ、普通じゃない」という感覚で自然と、悪意なく、常識との違いから見ます。
③無言の抵抗を意思表示
迷惑行為などに対して、直接言わずに抵抗する策として凝視します。
ゴホッ、ンンッと咳払いするだけでなく、凝視することで「それはやめてくれよ」「あなたは敵だ」と無言で訴えます。
④優越感を感じるためのマウント
劣っているものを利用するエゴ意識によってあえて見続けます。
「この人は私よりブスだ」などと評価し、優越を得たり相手を見下すために見ます。
⑤劣等感を感じた作用、反応
他者を優れていると認めた、または自らが劣っていると認めるエゴ意識の反応で見ます。
嫉妬を抱いた反応や、自己否定したい際に優れているものを見続けて、自らに戒めさせます。
⑥忘失、ぼーっとする
独りをぼーっと凝視・観察するタイプ。
少し忘失で自分の世界に入り、人を見ることに集中して周囲が見えなくなります。
警戒心が薄れたり、自分の世界に入り込む人は、自然としてしまう行為で悪意はなく、実際にはその人を見ている訳ではなく、自らの認識を見ています。
⑦不安、危険回避の存在認知
防衛本能や自己防衛意識によって、本人も無自覚の内に周囲を把握するために見ます。
危険や損害を被らないように事前に注意を配ったり、相手が何者か把握するために情報をなるべく多く欲しがり、わかりにくい対象をよく見て情報収集します。
以上が、ジロジロ見てくる人のメンタルでした。
どうしようもなくジロジロ見てくる人(特におじさん、おばさん)
どうしようもなくジロジロ見てくる人には、共通して認識力の低さが目立ちます。
まるで子供のように周りを配慮せず、「見たいから見る」とシンプル。
スーパーマーケットでギャーと走り回っているのと同じようなものです。
自分のことしか考えず、他者や社会性を鑑みない状態があり、他者認識力の低さ、他者の立場で物事を見たり考えたりする認識が乏しく、そんな概念すらない人もいます。
典型となるのがおじさんおばさん、他者からの反応や評価を気にしなくなった年頃にて緊張感や危機感が緩み、他者への敬いや社会への従順意識も同時に緩みます。
そんな人は、自分のために他者を利用しています。
ジロジロ見る人とは、集団帰属意識に浸かりきった安泰状態にて、公共場の他者との関わりを自分の満足と納得のために利用する人と言えるかもしれません。
集団の中で自分が構成されている意識が強い人でして、公共場などの他者が存在する場所に身を浸からせることで、自責や他者への敬いがなくなります。
※おじさんに狙われている場合は、【職場の危険人物】気持ち悪いおじさんに好かれる原因と対処法 をご覧ください。
知らない人にジロジロ見られる人とは?
ジロジロ見てくる人のメンタルや目的がわかれば、見られる理由が判明します。
例えば、自分がどちらかというと綺麗な方であれば、「またいつものか」という具合に納得し、見られても対処しやすくなります。
上述のメンタルで言うと、①~⑥は「またいつものか」と理解できます。
しかし、①~⑥に該当しない場合、どうして見られるのかとってもわかりにくいです。
残された理由は⑦不安、危険回避の存在認知。
見られる理由は、危険だと思われている可能性があります。
※この内容の主旨
知らない人にジロジロ見られる理由:不安を与えている
「私は美人でもブスでもなく、人から比較されるようなタイプでも、マウントや嫉妬されている感じもなく、ぼーっとされてもいない、おじさんやおばさんから利用されている気もしない」という方。
ジロジロ見られるのは、知らぬ間に不安を与えている可能性があります。
これは私がそうだったのですが、「この人何者だ?」と思せた場合、知らぬ間に不安要素になります。
電車や街中や店内など知らない人ばかりの公共場では、周囲に対する警戒心は自然と強まります。
特に日本は不安国家として知られるほどですので、損害回避するために事前の調査、スケジューリング、失敗を恐れ、恥を嫌がり、とにかく周囲を気にします。
周囲の目を気にしながら、評価されていると気にしながら、それを気にしないように見せながら気にします。
そんな民族間では、わかりにくい(読みにくい、存在を特定しにくい)人ほど潜在的に警戒され、詮索され、気にされます。
周囲からすると、顕在的には何も思っていませんが、潜在的に違和感を感じる不安要素になります。
例えば、変人。
普通じゃない、一般的ではない、大衆的ではない人。
変人は直ぐに「変わり者」として認識されるため、もし何をするかわからなくても事前に距離を取ったり、利き足が無意識に前に出ていたり、対象を把握すればそれ以上ジロジロ見る必要がありません。
評価判断したくてもできない人です。
変人以上にわかりにくい対象の典型となるのが、「え、そっち系、あっちタイプ、違うな、読めない、掴めない、何者ぉ?」
わからなければわからないほど不安が煽られ、存在認知できなければできないほどとにかく情報を欲します。
極端に言うと、「完全に人間だけど尻尾出てない?」「んなわけないか、え、あれは、ん、なんだ、わかんねぇ」
そんなジロジロ見られる人、正体があります。
※何もせずとも目立っている心理は、目立つ人の特徴は嫌でも浮く秘密の在り方|理由は心理とスピリチュアル をご覧ください。
正体
知らない人にジロジロ見られる人の正体とは、真逆の意識を内包し、自己内部で反発が起こっている人と考えられます。
内部に二人の自分、二人は真逆で反発し、矛盾を作り、抗っている状態。
わかりにくいと思いますので、特徴をご覧ください。
- 本当はエネルギーが強いのに隠している
- 本当はオーラが大きいのに抑えている
- 自信はないけど、潜在的には自信満々
- 大人しいのに気が強い、芯が強い
- 社交的なのに心を開かない
- 気配を消しているけど本当は消したくない
- 我慢強いけど完璧に我慢していないように振舞う
- 個人主義だけど隠している
- 謙虚
気配が強いのに抑えていたり、気配は薄いけれども自信が溢れていたり、人によって事情が見られます。
特徴で着目したいのは、嫌々抑えていることです。
※謙虚は別
例えば、オーラが大きいのに抑えている人。
好んで自制している場合は周囲に違和感を与えず、ただ静かな人として無意識に認知され、見てくる人に何も不安を抱かせません。
しかし、嫌々抑えている場合は外面と内面のギャップが生まれ、強いのに弱い、静かなのに騒がしいような、まるで九尾の獣が心で暴れているのを素知らぬふりして振舞っているような状態になります。
「あの人、なにか起こっている…よね?(でも見た目は静かで何も起きてない、なぜだ、何者だ?)」
自己内部に矛盾や葛藤を掲げている場合、気や気配は潜在的に、知らぬ間に、散らかります。
大衆的で、集団帰属意識が強く、損害回避傾向のある人ほど、このような気を発する人には無意識に警戒心が強くなり、とにかく何か一つでも把握したくなります。
外国人に慣れていない人が、「どこ出身か」を知ると少し安心するように、一つでも情報を欲しがる結果、無意識にジロジロ見ます。
見る側は見ていることを自覚しておらず、見られる側は見られる理由を自ら発していると気づきにくいので、「なんだかすごくジロジロ見られる」となります。
重点:根本原因
上述の自己内部で二人が反発する状態は、自分が在りたいようになれていないことを意味します。
思考と心が真逆を向いているように、やりたいこととやらなければならないことが真逆であるように、自分が一致しません。
これによって気が強いのに嫌々抑えたり、抑えなければならないのに納得していなかったりが発生。
内部で矛盾を抱えながら、無視や誤魔化しをするようになります。
すると決定的なことが起こります。
自分で自分のことが特定しずらく、曖昧になります。
自己喪失とは全く違い、能力や才能が最大限発揮されない抵抗や縛りの多さ、知らぬ間に抑圧しているさまです。
本領発揮できないので潜在的に損害回避や自己防衛が働きやすく、知らぬ間に自らも周囲を気にします。
周囲を気にした結果、「人をジロジロ見てはいけない、公共場では特にダメ、徹底しよう」と強く見ないように自らを縛ります。
が、無意識領域は全体の95%。
無自覚の内に周囲を気にします。
周囲に同様に損害回避傾向の強い人がいると、その人は気にされている感じを抱くので、より不安を感じないように情報詮索したくなります。
何度もキョロキョロ振り返るなど、見ても何もわからないので結局何度も見ることとなり、ジロジロされます。
これをされている時には、「人をジロジロ見てはいけない」というルールの自覚が促され、「私は見ていないのに」が自然と付け足され、「この人はなんなんだ?」となります。
もしこの内容に心当たりがある場合は、ジロジロ見られないように対処できますので、先をご覧ください。
※知らない人に話しかけられる場合は、【実はオーラ出てる!】知らない人に話しかけられる見えざる影響力 をご覧ください。
ジロジロ見られる不愉快とストレスの対処法
体験談:ドイツ人にジロジロ見られる
対処法をわかりやすくするために、ジロジロ見られていた私の体験談をご覧に入れます。
不安や損害回避傾向があるといえば、ドイツも該当します。
私は30人以上のドイツの人々と一緒に住んでいたことがあるのですが、とにかくジロジロ見られました。
※入れ替わりが激しいバックパッカーズホステル、共存ではなく知らない人同士が近くにいるだけの環境
見てくる理由は明確です。
「私というジャパニーズが何者なのかわからない」からでした。
私は英語も話せず、友達は一人もいない、独りぼっち、にもかかわらず共有スペースのど真ん中、一番目立つ席にいつも居る。
この見られようは、ジロジロを通り越してジュロジュロでした。
中には私のことを本気で危険人物だと思った人もいたほどで、ほとんど誰からも話しかけられずただ見られ続けました。
後からわかったのですが、ドイツには私のような人間はいないようです。
私のようなとは、明らかに周囲を気にするべき(または嫌でも気になる状況)なのに、堂々としているさま。
「ドイツでは一人なら一人で静かに過ごし、わざわざ一番目立つところにはいかないし、目立つことはあまりしたがらない」とのこと。
「そりゃそうだ、私だって目立ちたくない」と思いましたが、英語を勉強するためにとにかく話しかけられる状況を欲していたので、嫌で恥ずかしいけどあえて目立つ場所にいました。
ほとんど話しかけてくれなかったというのはどうでもいいですが、自分の中で気を出すのか抑えるのかどっちつかずの状態(自分を曖昧にする矛盾)を作っていたため、「こ、こいつ、何者や?!」と思われまくっていました。
あまりにジロジロ見られるので本当に煩わしく、不愉快で、ストレスだらけだった私ですが、見られなくなったのはすごく簡単なことでした。
ドイツ人の友達が一人できた途端、同じ場所に居ても全く見られなくなりました。
何者かわからない不安要素ではなくなったからです。
不愉快やストレス対処法:周囲を不安にさせない
※日本ではジロジロ見られても、他の国などメンタル環境が変われば全く見られなくなります
日本にいる場合でお伝えしたいのは、周囲を不安にさせないことが対処法になります。
「この人は何者だ?」と顕在的にも潜在的にも、とにかく思わせないように自らの在り方を調整します。
具体的には、気配を出すか出さないかはっきり認めます。
自分の中ではっきりさせることで、周囲への無意識の伝播や違和感の伝わりがなくなりますので、方法は自覚して認めることです。
認めるのは、自分で自分のことが曖昧、または周囲を気にしていること。
自己内部で真逆の自分二人が反発している(嫌々我慢したり、縛りが強い)状態です。
このために、上述の内容が該当した方のみが対象です。
相反する自己が内在すると、強烈かつ無意識な我慢が行使され、人前や公共場で、「これをしなければいけない」と無自覚になっている状態です。
「なんか我慢しているかも」
「いつの間にか縛り付けていたかも」
「なんでもかんでも~しなければいけないと思っていた」
などと気づくことで自然と認められ、何者なのかわかりにくいと潜在的に思わせる不安要素がなくなります。
極端に言えば、みんなと同じになれば見られることはなくなりますが、私と同様であれば個人の在り方に重きを置く信念体系が奥底にありますので、「私は私だ」といった自意識や軸や信念が大衆化することを邪魔します。
わざわざ同化する必要はありませんので、より自らの在り方をはっきりさせると、情報詮索の荒立てをさせずに事が収まります。
ジロジロ見られる時のスピリチュアルな対処法:自意識の自覚
スピリチュアルな概念になりますが、精神としての意識理解もお役立ちできるかもしれません。
ジロジロ見られてストレスになる場合、自意識が高い特徴があります。
自意識とは自分と他を区分けする能力であり、自分のことを自分で気づき、認識することです。
「ジロジロ見られるのが嫌」と思う場合には、嫌な理由や意味を見出すことで、自己納得して気にならなくなります。
そんな自分が良いも悪いも本人が決めるのが自意識の高い人の特徴ですので、自らの意識状態を自覚するのが対処法です。
「私は自意識が高いんだ」で終わりです。
※ジロジロされない秘策は、目立たない人になる存在感を消す方法│何もしないのに目立つ?もちろん訳がある をどうぞ。
知らない人にジロジロ見られる まとめ
以上がジロジロ理解についてのお話でした。
ジロジロ見られる際、それを気にするかしないか、気になるかならないか。
ストレスになる場合には、自らの中に不調和や抵抗があることを教えてくれているため、自らを見直す合図になります。
自らを正当化しようとする在り方が出て来る場合、縛られていることへの叫びや、嫌々我慢している不調和があるかもしれません。
本当は他人に興味ないかもしれません。
集団意識なんて微塵もないかもしれません。
常識なんてクソくらえと思っているかもしれません。
それでいいと思います。
ぜひ、ジロジロ見られる機会を自分のために活用してみてください。
気が楽になる内容であれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。