異様に見てくる…額に角でも生えているのかな?
そんな疑問を持って額を触った経験があるかもしれません。
ここでは、ジロジロ見られることに潜む人間理解を読んでいかれてください。
物体認知としての着目があり、容姿端麗で目立つ造形や、他者との違いによる明確な目立ちがあれば、周囲は動物本能的にジーロー。
しかし、これとは全く別の理解があります。
ジロジロ見られる理由が不明確でストレスになる方を対象、理由と意味と対処法をお伝えします。
無礼で失礼なおじさん・おばさんをビンタせずに対処する大切な理解が役立つことを願います。
少しおかしな内容ですので、一つの考え方としてお楽しみください。
Contents
ジロジロ見られる

ジロジロ見てくる人
電車でも職場でも街中でも、「なんでジロジロ見てくんの?いや見過ぎじゃない?喧嘩売ってんの?」
少し奇怪で不愉快になる、いえ、不愉快を通り越してヘドロもの、イライラしてどつきたくなる、気持ち悪い、唾でも吐いてやろうか、くそ、我慢できない、くー、バチバチバチと往復ビンタ30回、往復や!
と頭の中では既に行使、武力行使に入っている。
はっと気づいた時には現実に戻り、目の前を見ると知らないおじさんがジー。
「まだ見てるー」
どうしようもなくジロジロ見てくる人がいます。
人間である以上、自己防衛意識が働きます。人が多ければ多いほど、集団帰属から離れた環境(本人にとってのアウェイ状態)であればあるほどに周囲をキョロキョロと見ることが起きます。
しかし、独りをジーッと凝視・観察するタイプは別。少し忘失で自分の世界に入り、人を見ることに集中して周囲が見えなくなります。
警戒心が薄れたり、自分の世界に入り込む人は、自然としてしまう行為で悪意はありません。
ジロジロ見てくる人は子供のように自分の世界に入り込む
子供は自分の世界に入り込み、自らの認知を理解して広げようとするために、人をよく見て、観て、視ます。
ジロジロ見る人とは子供のような人でして、自分のことしか考えず、他者や社会性を鑑みない状態があり、他者認識力の低さ、他者の立場で物事を見たり考えたりする理解が乏しく、そんな概念すらない人もいます。
典型となるのが、おじさん・おばさん、他者からの反応や評価を気にしなくなった年頃にて緊張感や危機感が緩み、他者への敬いや社会への従順意識も同時に緩みます。
ジロジロ見る人は他者を自分のために利用している
ジロジロ見る人とは、集団帰属意識に浸かりきった安泰状態にて、公共場の他者との関わりを自分の満足と納得のために利用する人です。
集団の中で自分が構成されている意識が強い人でして、公共場などの他者が存在する場所に身を浸からせることで、自責や他者への敬いがなくなります。
ジロジロ見られる人とは?
「ジロ見」「ジロジロ見る」は大きく分けたいと思います。
見る度合が両者は違い、イライラやストレス影響は雲泥の差があります。
ひと時のジロ見であればおそらく許容内、「なんか見てんな、まぁいいや、気にしないようにしよう」で終わると思います。
しかし、ジロではなくジロジロになると、「自分のため」の行為が、「自分のために他者を利用する」に進展してしまいます。
ジロ見は利用概念ではないのでおそらく一般的です。人がすれ違ったり、近くにいれば認知するために見るのは当然です。
ジロジロ見るのは利用概念があるので、ターゲットは利用できる人、自らを納得や満足させるための利用価値がある人です。
価値となるジロジロ見られる人の典型が、容姿端麗、または周囲とは逸脱した特異な様を持つ人です。
外的な認知情報(視覚的で物理的な見栄えや造形)が価値となる人でして、綺麗な人を見て喜んだり、特殊な服装を見て面白がったり、顔が友人と似ていると想像して楽しんだり、造形を否定して自らを肯定して納得したり。
同時にターゲットになるのが、外的な情報以外で目立つ人。
オーラや存在感があり、居るだけで他者の目を惹き、魅了し、困惑させるなどの影響力を持つ人でして、「なんか気になる」という具合にジロジロ見られることが起きます。
見ている人自身にとって、価値や影響を認識させる相手はジロジロ見られます。
これらのジロジロ見られる人とは別概念があります。
ジロジロ見られる人とは違和感を与える人
ここでの主旨です。
違和感を与える人。
違和感をジロジロ見る人に与えます。
=公共場で自分のために他者を利用する人に、違和感を与える。
=集団帰属意識が強く気が緩んだ人に、違和感を与える。
違和感とは居る場所で変わりますが、電車やお店や公共場など、知らない人同士が集結する場所では共通しています。
他者との関わりに違和感を感じている人です。
違和感を与える人は、集団帰属意識の中に浸かり、安泰を得ている人からすると異様に目立ちます。
危険性や苦痛のない安泰を重要視すればするほどに、ほんの少しでも集団帰属しない人が居ると、動物のように本能的に見つめる対象になります。
※話しかけるなオーラが出ている詳細は、話しかけにくいと言われる人の無意識【話しかけるなオーラの出し方と消し方】をどうぞ。
ジロジロ見られることがストレス
ジロジロ見られるとストレスになる理由
私の場合、外に出ればジロジロと見られる人間でした。
特に公共場では異様に見られているような気がして仕方ありませんでしたが、ある時ピタッとその状態がなくなりました。
その差を洞察して気づいたのが自分の変化。以前は違和感を無意識に与えていたことでした。
違和感を与えると言っても、潜在領域(90%以上の無自覚)の行為なので、とてもわかりにくいですが、深掘りするとある特徴が判明します。
他者との関わりに違和感を抱えるのは、「人を利用してはいけない」という自責の念が理由として考えられます。
公共場に居る以上(特に公共施設やお店などの空間)は、多少は異なれど自然と人同士は利用し合いが起き、持ちつ持たれつの意識を持ちます。
それが集団帰属。他者との関わりによって自分が構成されている人の在り方です。
ジロジロ見られる人は、集団帰属以上に個の認識が強く、公共場にて個人としての在り方を無自覚に持っています。
この状態にプラスして、集団の在り方を自らに強要していると違和感を無意識に作ります。
違和感を強めるのは、自責の念を主張する様です。
自責の念(ジロジロ見てはいけないルール)に起因する
「人を利用してはいけない(ジロジロ見てはいけない)」というルールがあると、「他人にもされたくない」という認識が作られます。
ここに自責の念を主張するとこうなります。
「本当はしたくないルールを守っているんだから、あんたも守ってくれよ」
他者と関わる公共場の集団帰属に抵抗があり、さらにその場にいる自分自身に抵抗のあるルール設定をして過ごしていると、ジロジロ見られます。
- 個の認識が強いにもかかわらず、集団意識を強めて属す
- 自分の在り方に自責が強すぎる(本当は守りたくないルールで他人に迷惑をかけないように頑張っている)
共通しているのが、公共での自分の在り方に対する抵抗です。
抵抗が強いながらもルールを我慢して貫くと、他者に強要するように主張することが起き、「自分は他人をジロジロ見て迷惑をかけないようにしているから、あなたも同じようにするべきだ」と言葉に出さずとも認識が作られます。
その状態に違和感を感じる集団帰属のど真ん中の人々の、動物的本能を駆り立てるというものです。
ジロジロ見られる原因
理由を深掘りすると原因が表れます。
見る側と見られる側には合致があり、反発があることでストレスになります。
「利用させろよ(集団に属せてないにおいがするぞクンクン)」vs「利用すんじゃね(こいつマジでぶっ飛ばすぞコノコノ)」
初めの合致となるのが、お互いの自己の正当化意識です。
ジロジロ見る人は、他者を利用するのが当たり前だと認識。その原因となるのが集団帰属意識の強さ、個の認識のなさ。
集団という他者との関わりにて自分という存在を見出して生きるのが当たり前のルール設定があり、他力、他責、他律の象徴です。
ジロジロ見られる人は、他者を利用しないのが当たり前だと認識。その原因となるのが集団意識のなさ、個の認識の強さ。
自らが責任を持ち、自らの認識を主体にして自らが存在認知して生きるのが当たり前のルール設定があり、自力、自責、自律の象徴です。
明らかに合わない人間性であるために反発します。
自らを縛るルールがジロジロされる原因
自らの公共での在り方に抵抗があるジロジロ見られる人は、ジロジロ見る行為もそうですが、それ以上にその行為をする人間性にイライラや嫌悪を抱きます。
個や自を持つ在り方なので、自分で納得できる理由や意味が判明すればストレスにはなりにくく、実際はジロジロ見てくる人が何してようと全く興味ないのかもしれません。
にもかかわらず、「公共場では他者に迷惑をかけてはいけない」とインプットされている場合、興味がない人に対して配慮や気使いをしているので、自らの在り方への抵抗が強まり、違和感ブワンブワンになります。
ジロジロ見られる原因は、「人に迷惑をかけてはいけない」と他者から強要されたことでの、公共場での自らの縛りです。
親や兄弟姉妹や教師などに強く言われ続けたことで、自責の念が強い人間性にもかかわらず自己理解がないルールのインプットとなり、潜在的に反発が起きます。
「ルールに従わなければならない、本当は嫌だけど(小声)」
自らの在り方やルールは自らが理解して従う人間性があるために、自らに対する反発となります。
集団帰属への抵抗+自分への在り方への抵抗がギュッと表現され、集団帰属のど真ん中に巣食う人からすると、もう七色の人間に見えちゃう。
「なんだこの人ー、宇宙人か?!」と本能的(または潜在的)に凝視、目が離せない。恐怖や不安など特例が起きないことを望む意識が強いため、違和感があると気になって凝視する。そんな仕組みです。
ジロジロ見られる ストレス対処
ジロジロ見られる対処ポイント
ジロジロ見られたとしても迷惑と思うか否かは、「見る、ダメ、絶対」という飲酒運転禁止ポスター的なルールがなければ認識されません。
気持ち悪い、イライラ、ストレスになる場合の対処は、如何にジロジロがストレスになるかの自己ルールの紐解きがポイントです。
どうして迷惑になるのでしょうか?
どうして?何が?どのように?どういう意味で?
「嫌だから」という答えの場合には自己理解がありませんので、誰かにインプットされたものだとわかります。
自己ルールではないにもかかわらず自己ルールになっている状態をなくすことが対処です。
「見られる行為」
「あのー、悪意あるんですか?」と聞いても、見る側は悪意はなく本能的にジーっとし、自己防衛なので自覚なく何も考えていません。
この行為の何に迷惑があるのかを考えると、「そう教わったから」が答えになると思います。
この答えは自責がある人に最も似合わないものだと、本人が最も理解していると思います。
対処は明確です。
自らの縛りを解きましょう。
ジロジロ見られる対処①:自意識の自覚(スピリチュアル)
スピリチュアルな概念になりますが、精神としての意識理解が役立ちます。
ジロジロ見られてストレスになる場合、自意識が高い特徴があります。
自意識とは自分と他を区分けする能力であり、自分のことを自分で気づき、認識することです。
個の尊重でも主張でもあり、どれほど自分という存在を自分自身で構成して確立して、育んでいくのかの意識です。
「ジロジロ見られるのが嫌」と思う場合には、嫌な理由や意味を見出すことで、自己納得して気にならなくなります。
そんな自分が良いも悪いも本人が決めるのが自意識の高い人の特徴ですので、自らの意識状態を自覚するのが対処法です。
これに該当すれば、思い当たると思うので自覚して終了です。
思い当たらなければ戯言ですので、スルーしてください。
ジロジロ見られる対処②:公共場での自分ルールを見直す
二つ目の対処は、公共場での自分の在り方の確認です。
知人や友人や同僚など、知っている人であればこうなり、知らない人であればこうなり、公共場ではこうなりと、場所場所で在り方を変えている場合には必ず自分ルールがあります。
自らの納得や理解があった上でルール設定されているかを見直すため、「他人に迷惑をかけてはいけない」というルールの詳細を今一度確認しましょう。
自らの理解があれば他者に強要することはなく、ルールを守れない人を俯瞰して見たり、見守ることができます。
「興味ねぇ」と存在を消すように認識して終了。見られていると思った瞬間にその場から何事もなく離れることもできます。
いかに自らの理解を持ってルール設定しているかが大事ですので、「ルールだから守らなければ」から一歩踏み込んで、「どうして他人に迷惑(ジロジロ見る)はいけないのか?」の答えを自分で出し、自分でルール設定し直すと、ストレスは作られなくなります。
「ジロジロする人は集団でのみ生きられる人なので、ジロジロOK」と優しさルール?
「ジロジロ=関わる必要のない人間なので、即座に離れる」と興味なしルール?
いろいろ作れます。
※目立っているからジロジロされる詳細は、目立たない人になる存在感を消す方法│何もしないのに目立つ?もちろん訳がある をどうぞ。
ジロジロ見られる対処③:他人に興味がないと自覚する
最後の対処法は、該当する方のみです。
「本当は他人に興味など全くないのでは?」
そんな疑問を投げかけます。
Yes,that’s right!
という方は、もうそれでいきましょう。
他人に興味がある人はある、ない人はない。興味がなければ自覚して認めましょう。
私なんかは全く興味ありませんので、ジロジロ見られても何にも気になりません。
なんせ興味がないから。とシンプルな答えです。
興味がある人は人間不信になってしまうので、やらないでくださいね。
※人に興味がない可能性は、他人に興味がない人の特徴はとても普通|正体は冷たいか優しいか?でご確認ください。

ジロジロ見られる まとめ
以上がジロジロ理解についてのお話でした。
ジロジロ見られる際、それを気にするかしないか、気になるかならないか。
ストレスになる場合には、自らの中に不調和や抵抗があることを教えてくれているため、「コノヤロー」と見られて思う場合には、自らを見直す合図になります。
自らを正当化しようとする在り方が出て来る場合、縛られていることへの叫びや、嫌々我慢している不調和があるかもしれません。
本当は他人に興味ないかもしれません。集団意識なんて微塵もないかもしれません。常識なんてクソくらえと思っているかもしれません。
そして、それでいいのではないかと思います。
ぜひ、ジロジロ見られる機会を自分のために活用してみてください。
「あ、おっちゃんに見られてるー」
「よっしゃ、イライラするってことはルールの縛りがある」
「ありがとう、おっちゃん」と思えれば、おそらくビンタは往復8回でストップ。
次は3回を目指しましょう。
気づけば、「おばさん、ジロジロ見て面白いですか?」と肩に手でも置いて、優しく問いかけていることでしょう。
あの人達に注意する人は少ないので自覚する機会がありません。
自覚を促すのも優しさとしての集団意識、他人に迷惑をかけない自己理解が広がっていくことと思います。
ビンタは他への無関心か優しさか。
どっちでもいいですね。
何か気が楽になる内容であれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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