スピリチュアル

「人を許す、自分を許すとは?」本質はスピリチュアル【三つの受容と愛】

バンバン、静粛に。

「そなたの罪をこれにて許そう」
「はは~、ありがたき~」

司法の場では、許す許さないをルールに則り決め計らいます。

パブリックな日常生活では、人と人の関わりでの問題発生、トラブル、傷つけ合い、攻撃や辛さの与えがあります。

ルールうんぬんのない一人一人の認識に基づき、許す許せない気持ちが作られます。

人によって、誰かを許すことができれば、許すことができない人もいます。

許すための許容、何に基づいているか気になるところです。

そこで、「人を許すとは何なのか?」。本質の紐解きを執り行います。

  • 人を許す本質的な意味を知りたい
  • スピリチュアルな理解による許しという愛を把握したい

人を許す意味に潜む愛、愛の基となる強さ。

許すことの根源理解を深めたい方のために、一つの考え方となれば幸いです。

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人を許す、自分を許すスピリチュアルな意味

人を許すのはとても難しい

「許せない」と思うからには理由があります。

他者から辛さを与えられ、無理強いされ、苦しく悲しい思いをさせられる。

怒りや憎しみを抱き、「許せない、ムムム」

同時に、「許せない」と思うからには原因があります。

理由が許せない気持ちを作る調理器具であれば、原因は材料。

原因と考えられるのは、辛い経験や記憶に対する執着、固執、頑固。

この執着を手放したくない核となるのが、恐怖心。

嫌だ、怖い、不安、見たくない、認めたくない気持ちです。

誰しも拒否したくなり、認めたくないものが恐怖。

向き合いたくない現実に恐怖がたくさんあればあるほど、許せない気持ちが増え、人を許すことから遠ざかります。

おそらくこれは当たり前のことです。

私なんかは許せない気持ちすら認めたくなかったので、「相手を懲らしめてやる、ただじゃ済まさない」と攻撃的に責任を押し付け、自己内部の恐怖心と向き合わないで事なかれするために、思い込みや言い訳を作っていました。

誤魔化しや逃避策です。

人を許すのはとても難しいと思います。

どうして難しいか考えると、恐怖心と向き合えないことが浮き彫りになりますが、それ以上に重要なことがありそうです。

強さが育まれていないからです。

 

人を許すとは強さを育んだ結果

精神的な強さ。

自ら責任を持ち、事実から目をそらさず、現実と向き合い、本質を知り、物事の理解を深め、人生を全うする力。

強さは優しさの基であり、現実を知るための材料

私達が生まれた時は誰しも弱く、肉体的にも社会的にも弱い存在です。

成育と共に荒波に揉まれ、特に失敗や苦労のネガティブな経験をしっかり経験にすることで、少しずつ強くなっていきます。

どれだけ強くなってもまだまだ未熟で弱い存在が人間だからこそ、少しでも強くなるために一生懸命に命を全うし続け、行動して経験を増やし、努力して力を育みます。

強さがなければ人を許す以前に、恐怖心と向き合うことができません。

強さが大前提となるため、人を許すとは誰しもがどうこうできるものには思えません。

「いつか、人を許せるくらいの人間になろう」という具合かもしれません。

強さが関わる許し。

インド独立の父と呼ばれる、マハトマ・ガンジーの残した言葉にこのようなものがあります。

「弱い者ほど相手を許すことができない、許すということは強さの証である」

「敵を許すことは、敵を憎むより気高いことである」

by マハトマ・ガンジー

 

人を許すには、自分を許すことから始まる

強さがないと人を許せないのであれば、強くならなければ先へ進めません。

先へ進めない典型が、攻撃性であり怒り、執着であり不変、誤魔化しであり逃避。

強くなるためにも恐怖心と向き合い、執着を手放せるように私達は一人一人頑張ります。

強さを得るためにも、「許す」行為が大切になり、人を許せなくても自分を許すことで成長していきます。

自分を許すことは、記憶への執着である過去の手放し

「許せない」という強い怒りや憎悪、執念や怨念があるからこそ、努力次第で許せます。

「どうして許せないのか?」と自らにフォーカスし、自分の課題に集中して解決すると、許せない気持ちを知りながら、許す行為を深く知れます。

この過程に強さの育みが常にあり、自分を許せれば許せるほど、「人を許すとは何か?」がわかっていきます。

それでは一体何なのか、詳細へ入りましょう。

 

スピリチュアルな意味:「人を許す、自分を許すとは?」

スピリチュアルな理解には本質があると考えます。

「許す」とは何なのか?

一般的には、責めない、とがめない、希望を聞き入れ、要求を受け入れる、自由にさせる、緩めるなどの意味合いがあります。

スピリチュアルを含めるとこうなります。

スピリチュアルな許す意味とは、

自分(またはその人)がこの世と繋がる存在であることの受容

創造主や光や神など名前はなんでもいいのですが、この世が一つの何かに基づいて、一つ一つの意識が繋がり合って構成されている考えをワンネスと言います。

ワンネスを前提にすると、人を許すのはワンネスそのもののみです。

他人に苦しみを与え、罰する力があり、同時に成長を与えられる存在が他人を許せると考えます。

私達人間は成長を必要とする未熟な生命体ですので、ほとんどは成長を与えてもらう側。

誰しも許される側であり、許すとは誰か他者ではなく、自らが許される存在だと知り、その事実を受け入れること。

許される側である認知は、この世の必要な存在だと理解し、全体の大切な一部だと受け入れること。

本質的には人を許すことはワンネス以外にできませんが、誰か他者と関わる際に、その人が許される存在だと知り、自分や全体と繋がる存在だと知り、必要な全体の一部だと受け入れた時、私達はワンネスに繋がります

関わるその人が自分と繋がっており、この世の大切な一部だと受け入れた時、ワンネスを通じて、「人を許す体感」が伴います。

スピリチュアルな人を許す意味とは、自分を許すさまであり、自分や他者がこの世と繋がる存在だと受け入れることを表します。

 

身近な解釈:コミュニティの繋がりを受け入れることが許し

上述の「この世」という表現はなんだか壮大すぎます

私達は社会性によって個別のコミュニティを持ちますので、ワンネスや宇宙どうのこうの以上に、身近な国、地域、グループ、家族、職場、友人、パートナーなどとの繋がりが現実的かと思います。

小さくてもなんでも、個々に所属するコミュニティには成長を与える存在、例えば親や上司やリーダーがおり、全体を俯瞰する存在(ミニワンネス的ポジション)がいます。

家族やチーム、コミュニティや社会、国や地球など、何かしらに属しているのが人間。

人を許すとはコミュニティに所属している受け入れと言い換えられます。

  • 何かしら自分やコミュニティと繋がる存在であると受け入れることが、人を許す意味
  • 何かしら繋がる存在であると受け入れられることが、人から許される意味
  • 何かしら他と繋がっていると自分を受け入れることが、自分を許す意味

 

人を許すとは愛の形

人を許すとは三つの受け入れ

量子力学や物理学を含めると、私達は粒子やエネルギーや質量の存在です。

スピリチュアルを含めると、エネルギーや意識体同士が繋がり合ってこの世が構成されます。

人を許すとは、私達が存在する仕組み(環境)、一人一人が繋がり合う媒体(心身)、繋がり合って出来事を構成するさま(現実)、これらの受け入れという考え方です。

人を許す三つのポイント
  1. 人間が存在する仕組み
    存在や環境の受け入れ
  2. 一人一人が繋がる媒体
    心身の受け入れ
  3. 繋がりによる構成
    現実の受け入れ

人間が存在する基盤である環境を知り、

繋がり合える心身があることを知り、

一人一人の繋がりに意味と現実があると知る。

環境である場所、自然、コミュニティを受け入れ、

自他を繋がり合わせる共同体意識(感覚)を受け入れ、

起こる物事は繋がり合っているから意味があると受け入れることに、人を許すさまがあります。

 

ブッダの許し

例が極端になってしまいますが、上記三つのポイントを最大限受け入れたわかりやすい方が、ゴータマ・ブッダだと思います。

ブッダは食中毒によって入滅(死)したと言われています。

最後の料理をもてなしたのが、熱心に仏教を学び、積極的な布施に努めていた青年チュンダ。

入滅近くにブッダはこんなことを告げたと言われています。

「いいかアーナンダ、きっと誰かが言い出すだろう。
『純陀(チュンダ)が毒料理を食べさせたせいだ。純陀は徳のない悪党だ』と。

しかし、それは間違いである。私は、純陀の料理を最後の供養として逝くのであるから、第一にこの生涯のさとりを大成させ、第二に大般涅槃に至らせてくれたのである。

この供養は、私が受けた供養の中でもスジャーター(成道の際に最初に乳粥の供養を捧げた女性)のものと並び、我が人生の供養の中で最も重要なものである。

大いなる威徳がある供養だ。純陀は大いなる威徳を積み、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ。純陀を恨む者が現れたなら、よく諭すのです。」

※Wikipedia 参照

十大弟子の一人であるアーナンダに対し、純陀(チュンダ)は毒を食べさせたのではなく、最も重要な供養をしてくれたと伝えます。

入滅させてくれるのであり、涅槃に至らせる最後のプロセスを完成させる大きな役割を担ってくれたのがチュンダと説き、チュンダが後々困らないように配慮し、大きな高徳として感謝・継承します。

所属する全体、仕組み、共同体意識、出来事の意味を理解し、起こった現実、行為、他者を受け入れるさま。

人を許せる人は、現実を知り、強さを持つ、大きな愛の存在です。

 

受け入れないと人を許せない、自分を許せない

人を許すとは誰しもができる行為ではないと思います。

一般的な行為ではなく、できる人は極僅かであるために、日々成長していく大切さが見出されます。

多くは他者ではなく自分を許すことで、結果的に人を許せない気持ちをなくします。

または、他者と調和したり和解できるようにコミュニケーションを図り、相互理解を深める自他両方の認知によって、人を許せない気持ちを解消します。

「許す・許さない」という言葉が流通していますので、普段から使用するかもしれませんが、このスピリチュアルな理解では、言葉と実際の行動は大きく差異がでます。

自己理解を深める際の足かせになり、許そうとすればするほど空回りして、頑張っても許せないことで自分の首を絞めてしまう可能性もあります。

それほどに難しい行為が人を許すこと。

「こんな貧しい生活なんて嫌だ」

「あなたと私には繋がりなんてない」

「あなたには同じ場所にいて欲しくない」

「こんなことが起きるはずがない、ふざけている」

環境、心身、現実の受け入れがない、または受け入れるための事前理解(経験)がないと、人を許すのはもとより、自分を許せなくもなります。

※許せないと起こる因果応報は、人を許せない人が陥りやすい因果応報の罠│「自分を苦しめた人が幸せそう」に見える訳 をご参照ください。

 

人を許す行為は崩壊する力であり、愛でもある

もしコミュニティのリーダーが許すことの理解や受容がないと、大変なことになる危険性があります。

許す行為のはき違いは、人を支配し、裁こうとし、奴隷化を促進し、コミュニティを崩壊します。

例えば、家族のリーダーである親。

家族間では繋がりがたくさんあります。

住む場所、育つ環境、滞在する時間、血、性格、遺伝子、アイデンティティ…etc

そんな環境だからこそリーダーが繋がりを把握せず、または作らず、拒否すれば、一斉に壊れます。

同じ家族間での繋がり、起きる問題やハプニングはみんなにとっての意味があり、みんなで現実を構成している。そんな理解、受け入れがないと、ボンッ。

そもそも、環境や心身の繋がりを受け入れていなければボンボボンッ。

「許さない」

忌み嫌い合う犬猿の仲。

憎悪を膨らませ、執念と怨念により傷つけ合い、利用し合い、巨大なドグマを作りかねません。

一方で、許せない経験によって執着や恐怖の克服をして、強さを育むことができます。

許したいと思える他者の言動があれば誰でも許せます。それは許しではなく、納得です。

許すには必ず強さが要ります

辛い経験を味わうことで人を許すための受け入れ三点の理解を深められ、許す力を高められます。

強さがなければ許しは破壊になり、強さがあると許しは愛になる。両極端の力を内包する二極一元化の行為です。

※同じく破壊と愛になる優しさについては、本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている をご覧ください。

 

人を許すとは愛

許すとはたくさんのプロセスを歩み、辛さを克服した先にある愛だと考えます。

愛とは自他共に敬い尊重するさま。

愛とは現実であり、現実とは自分と共に他を受け入れることで認識できるリアリティ。

「あの人を愛する、でもあの人はもっと愛する」

どれだけ愛していると思っても、差や区分けを見出す認識に現実はなく、あるのは愛だと思いたい思考かもしれません。

愛とは平和、フラットな認識であり、現実を知るからこそ受け入れられる、自他両方の尊重。

人を許すことは、生きている基盤である地球や自然、そして社会、人間を知り、存在の仕組みである本質や真理を知り、さらに受け入れる。

自分と自分以外の他を知り、心身を知り、繋がりあう媒体である共同体意識を持ち、自らを初め、他を受け入れる。

一人一人、一つ一つの存在や物事や出来事の意味を知り、過去から学び、現在を作り、未来を見据え、繋がりによって構成される現実を受け入れる。

知るから強くなり、強くなるから余裕ができ、余裕ができるから優しくなり、優しくなるから自他を敬い、自他を敬うから現実を尊び、現実を尊ぶから人を許せる。

人を許すとは、それら一連を経験して理解していくからこその愛だと思います。

大きな大きな愛の形。そんなお話です。

 

人を許す、自分を許すスピリチュアル まとめ

人を許せるのは愛の人。

愛は強さであり、知り、受け入れることができるさま。

許すとは強さでもありますので、意味や使い方を間違えると破壊の力になり、人を支配して裁き、私物化にて大きなカルマを積みます。

その環境に、コミュニティに、自分に、人に愛がなければ、許せないだけでなく他者を巻き込み、大きな痛手を負ってしまうかもしれません。

誰しもにできる行為ではない「許し」、まずは自分を許すことから始まります。

環境、心身、現実を受け入れると、許せます。

同時に自分を愛する行為にもなる一石二鳥です。

許せないからこそ許せます。

怒りを知り、憎悪を育て、執着を煽り、恐怖心を拒否し、攻撃的になることで逃避し、許せない気持ちを強く経験するからこそ、一歩一歩克服した暁には強さを得ていきます。

強さの先に自分への許しがあり、その先に人を許す愛があります。

誰しもが人を許せたら、きっとこの世は平和だと思います。

人々は気高く余裕を持ち、コミュニケーションを重んじて他者を尊重する、愛のある世界です。

そこへ向かうためにも、許せない経験が物を言い、与えられた苦しみを成長に変換できます。

人を許す人からの与えであれば、「この苦しみは成長のためだよ」と意味を投げてくれますが、そんな人でないならば自ら成長に変換するしかありません。

だからこそ私達はまだまだ強くなれます。

だからこそ意味を知る大切さがあります。

とても大きな言葉、『許す』

スピリチュアルな理解によって、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

それでは最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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