心理と特徴

【もったいなさすぎる末路】勉強しない社会人は本当に勉強したほうがいい

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勉強して、学び、知る。一連の行動にあるのが、「人生を自ら作る誠実な意欲」です。

みなさま、私達日本の社会人は、世界トップクラスの勉強しない人々だとご存じでしょうか?

悲しいことに、勉強しない、学ばない、知らない。すなわち作れない。

学生の頃の勉強とは全く違う概念になる、社会人になってからの勉強。

勉強しないとさまざまな支障をきたし、行き着く末路にはとある生き方が待っています。

ここでは、社会人が勉強しないと起きる末路と、勉強の大切さを見ていかれてください。

  • 勉強しないと何が起きるの?
  • 勉強する人としない人の違いを知る体験談とは?
  • 末路を変えるためには何が大切?

これらを紐解き、「勉強しないのはもったいないことなんだ」と知っていただく内容となっております。

私自身が勉強しない人々と関わった体験談と共に、社会人だからこその勉強の醍醐味を吟味する一つの考え方となれば幸いです。

勉強しない社会人の末路

勉強しない社会人の末路は不変

末路は不変の極み。

変わらない継続によって、変わる意欲がなくなります

これが良いのか悪いのかは本人にしかわかりませんが、もし好んで不変を求めていない場合には、ある生き方が構築されます。

他に生かされる生き方です。

 

勉強とは学力向上のためではないと知ることができない

学生の頃は勉強していても、社会人になるとパタッと勉強が止まる人がいます。

私は全く逆のタイプです。学生の頃は勉強が苦手で、義務的な暗記指導という名の強制活動が終わった瞬間に、自分の意志で勉強できることに喜び、大いに始めました。

この時にわかったのは、社会人の勉強は学力向上として物事を記憶し、知識量を増やし、頭をプクプク膨らませる活動ではないことです。

社会人になると義務的な他からの強要や強制、ルールや制約に縛られた他律の呪いから解放され、全てが自分次第になります。

意欲を持って意志に基づいて行う勉強は、自ら物事を作るための力の貯えであり、思考をレベルアップさせるロールプレイングゲームのプレイです。

社会人という自分次第の環境にならないとこのゲームを始められず、勉強しないとスライムすら倒せません。

テイィ、ウリャと剣を振っても、右頬ペチッ、左頬ペチッと叩かれる。

「ふにゃ、もういいや、先に進めない」となった時、村人Aになります。

「宿泊場はあっち、500ルピーだよ」
「宿泊場はあっち、500ルピーだよ」と毎回同じことしか言いません。

社会人になって勉強しないと、人生を自ら作り進めるゲームが始まらず、ゲーム提供側の裏方配属にまわされ、不変の沼にハマります。

 

勉強しない人は不変の沼ハマりに気づけない

末路の不変は、人それぞれに重要な選択肢の一つであり、人によっては変わらないことが幸せの形でもあります。

しかし、勉強しない末路の不変は、自覚がない不変。

知らぬ間に人生が経過していき、変わっていないことに気づけず、人生が進んでいないと知る思考が育まれず、見えない沼にハマる可能性があります。

勉強は、意欲、意志、決意、動機、自尊、動力、忍耐、目的、自制、誠実、計画性など、たくさんのアイテムが絡み合った行動です。

必ず自分の意志に基づくために、人生を切り開き、作り進める力の育みになります。

勉強が自分の意志に基づいていない場合、私の学生時代のように義務的に、他によってさせられる暗記。何の役にも立たない知識を、早食い競争のごとく脳内に入れ込むふざけたお戯れで終わってしまいます。

こんなものを“勉強”と認識して距離を置くのは、もったいないにもほどがあります。

不変の沼ハマりは、勉強の本質を知らぬまま、義務的な他律に限定した記憶や暗記作業に収まり、自らを変える力が鍛えられないので、限りなく狭い世界を自覚なく生きる末路へ誘います。

沼の底にあるのは勉強によって育むはずの認知機能がない、限定された認識範囲

これを思考停止と言います。

 

思考停止は不変の極み

思考停止している人が、思考停止していると思うことはありません。

思考がないと認識力がなくなり、物事を作り進める力だけでなく、気づける範囲が狭くなります。

認識力の低下、自覚のなさによって自責は自然となくなります。

自責がないと自らを認めることができず、自己肯定感や自己評価を高められず、起きるのが自己否定による蔑みか、過剰な自信や自己愛による自己防衛の異常発達です。

被害者意識や妄想から抜け出せない自己世界が全ての見方になり、他者の認識理解や聞く力、相手が何を考えているかの予測、先読みや想像力がなくなります。

会話が相互のコミュニケーションではなく、一方的なやり取りになり、「自分のためになるかどうか」を主体にした自己中心的な言動が増え、問題解決能力がなくなり、感情に訴えて自制がなくなります。

怒りのままに、泣くままに、動物性質が増えていき、脳の使い方が本能的で、社交性がなくなります。

物事の認識が一方的で極端な偏りになっていき、思い込みや決め付けが増え、年齢と共に自制がなくなっていくと、好き勝手なわがままが増えていきます。

思考停止は不変の極み。勉強して力を育まないと、年経過に比例して他律で他責で他人軸なさまが顕著になります。

無自覚な不変は生きるのではなく、他に生かされる結果を待つ人生となる、という考え方です。

※考えない人の末路は、何も考えない人の全く異なるタイプと特徴│一変する考えない末路 をどうぞ。

 

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社会人で勉強する人としない人の違い

勉強する社会人は人生ゲーム中

勉強とは学力や認知能力向上に限ったものではなく、それ以上に生きる上での人生創作に欠かせない行動と考えます。

勉強する社会人は自ら人生を作るさまが表れ、自らのロールプレイングゲーム真っ最中。そんな在り方や生き方が顕著になります。

「私の人生をゲームしている」

一体どんな人なのでしょうか。

選択肢を自ら見出せるので、思考や行為に責任を持ち、自ら考え、行動し、経験し、知り、改善し、工夫し、解決し、向上し、作っていきます。

例えば、小学校の図工の授業。

「それでは、一枚の木の板をお渡ししますので、自由に使って作品にしてください」

先生にそんなことを言われても、始めは何をすればいいかわからず、周りをキョロキョロ見たり、友達の真似をしたり、手持無沙汰で困ってしまいます。

これを、「やったー、ヒャッホー」という状態に持っていくために、勉強があります。

社会人でも勉強する人は選択肢を作り、人生を作り、自ら責任を持って思考と行動し、人生を自分なりに遊びます。

人生を遊びに変える力を持つのが勉強する人。遊び尽くすためにも勉強し続けます。

 

勉強しない社会人は忙しいor暇になる

一方、勉強しない人は、「従う、添う、適合する、即する、同調する、溶込む」が主体になります。

社会に従い、ルールに添い、常識に適合し、他者に同調し、集団に溶け込みます。

自らにおける変化が“他次第”になり、環境など外部変動による一時的な変化はあっても、一定期間経過後にいつもの状態に戻ってしまいます。

自らの人生ではないかのごとく、他に従うことで人生の大半を睡眠と仕事に費やす可能性が高まり、自己コントロールできない時間の制約が起き、会社などの他次第で忙しくなります。

仕事場に限った勉強や学びになり、プライベートでは勉強する時間もなくなり、「睡眠時間は8時間、食事は1日3食」と社会的に言われてフォローしているので、時間を作る工夫や認識を変化させられなくなります。

自ら作り出す力がないと、仕事などやらなければならないことがなくなった時、極端に暇になり、何をすればいいかわからなくもなります

忙しいか暇かが極端になり、物事の捉え方が一辺倒で、改善や解消できなくなるのが勉強しない人です。

※勉強しないと貧乏になる件は、【本当の貧乏とは?】貧乏生活に疲れた時の心の持ち方 をどうぞ。

 

体験談:勉強する人としない人の決定的な違い

両者には決定的な違いがあります。

内容がわかりやすくなればと思いますので、違いを知った体験談をご覧に入れます。

海外に出て一番初めの国、ニュージーランドにいた時のことです。

田舎町のファームで働いていた私は、渡航してかれこれ約3ヵ月経ちました。

が、ほとんど人と会話できず、していたのは恥じる、困る、焦る、憤る、ストレスを作る。

毎日来る日も来る日も仕事して、バックパッカーズホステルで過ごし、3ヵ月間恥をかき続けていました。

英語が話せないから。日本人のいない所にいたからです。

私はとにかく勉強しました。ご飯を食べながら、図書館でネットを使って書き記したノートを復唱して、ブツブツ言っています。

海外の人々はみんな良い人で、優しく話しかけてくれるのですが、いかんせん理解できないので会話が続かない。少し話して離れ、別の人と話して離れの繰り返し。

ずっとひとりぼっちでした。

しかし、私には明確に英語を話す目的があり、ひたすら勉強し続けました。

徐々に下手ながら会話できるようになり、車を購入して仕事を探したりと、ニュージーランドでの過ごし方に選択肢が増え、自ら生き方を作るようになっていきました

初めは牢屋で同じことをしているだけ、ネットもないバッパーの片隅で常にブツブツと一人怪しいイングリッシュ教を始めた状態でしたが、勉強による力の貯えは本当に顕著であり、効果が直ぐに反映し続けました。

勉強したおかげで旅の選択肢が拡大し、人生ゲームはより幅広くなり、数年後にオーストラリアへ辿り着きました。

ここで私は勉強しない人を垣間見ました。

 

勉強しない人と過ごすとわかる違い

オーストラリアでは日本人と過ごしてみようと決め、たくさんの人々に出会いました。

過去に自分が勉強していたさまが思い出され、勉強する人としない人を客観的に知ることができました。

当時の私のように常にモクモクと一人勉強している人もいれば、学校に行く人もおり、たまに気分転換のように勉強する人、全く勉強しない人もいました。

勉強しない人に、「あまり英語話したくないの?」と聞いてみると、そんなことはない。

別の人に、「疲れたから勉強しないの?」と聞くと、そんなことはない。

私にはどうして勉強しないのかが当時はわかっておらず、英語を話すために来たのに勉強や実践しない人がいると、理由を知りたくて聞いていました。

そこでわかったのは、英語を話したいけれども、なんで話したいかの目的が曖昧であること。すなわち勉強に対する価値観の根本的な違いの可能性です。

勉強する人もたくさんいたので、一人一人に価値観を確かめるとあることがわかりました。

  • 勉強する人は勉強が人生の選択拡大だと思っている
  • 勉強しない人は勉強が自分の能力向上だと思っている

[人生の選択拡大のため or 自分の能力向上のため]

両者の違いは目的の広さ狭さであり、“勉強”に対する価値観の違いでもあり、「何のために勉強というものがある?」に対する答えを持っているか否かの違いでもあると考えられます。

 

決定的な違いは自己信頼

言葉通り自覚する人はあまりいないかもしれませんが、俯瞰的に捉えて人生の選択拡大と認識して勉強する人。

局地的に捉えて自己能力向上方法と認識して勉強する人。

自己能力向上のために勉強する人は、勉強することで逆に人生の選択肢を狭める可能性があり、一過性の勉強になったり、仕事場だけの学びだったりと、目的が曖昧になりやすく、結果的に勉強しない人になります。

洞察すると、両者には決定的な違いがあると考えられます

「自己信頼」です。

プライドや見栄ではありません。

勉強しない社会人は自分に対する信頼がない可能性があります。

※自分がない人の末路は、【ポイントは自分がない人の末路】何をしたいのかわからない人の人生戦略 をどうぞ。

 

勉強しない人が末路を変える方法

勉強するために自己信頼が大切

勉強は思考を固くするのではなく、柔軟にする人生のデザイン技術と言えるかもしれません。

末路を変えるために社会人だからこそ勉強する大切さがあります。

勉強しない人が勉強する際、[自己信頼]がキーワードになります。

自らを信じ、信頼できるかどうか。

自己信頼に大切なのが勇気です。

果敢に飛び込む気持ちは、不利益を嫌がる恐れという名目の自己支配、を誤魔化すマインドをブチブチッ、「自分を誤魔化すんじゃない!」と破ります。

変わりたいか変わらないかは選択でしかありませんが、事実を誤魔化しあやす他責は、人のせいにして自分と向き合いません

勉強しない人の自己信頼のなさは、自分と向き合いたくない逃避癖であり、誤魔化しマインドの怠惰恒常化だったりします。

変わらないならば、「変わりたくない」と思っていることを自覚するのが自己信頼です。

変わりたくないのか、変わりたいのか、一体なんなのかわからない目的の曖昧性は、意欲と勇気と覚悟のなさを表し、勉強をストップさせます。

勉強しましょう。

人生を作り自ら生きる方は勉強しましょう。

物事は常に一歩踏み出す勇気と共に始まります

※勉強しないと他人軸になるので、【自分軸がわからない時の作り方】言葉に翻弄されないためのメソッド をご覧ください。

 

社会人への勉強のすゝめ

実学の大切さを唱えた福沢諭吉先生。

私達社会人は勉強を自分のためだけでなく、人生のためという俯瞰的な目線で取り組む大切さがあります。

勉強は自らを、人生を豊かにする力の貯えと育み

自らの人生を作り変えていくための選択肢の増やしは、木の幹から枝が何本も生え広がるようです。

枝が一本であれば選択肢はなし。初めからその枝一択です。

枝がたくさんあるからこそ、選び、作り、工作し、遊べる。鳥さんはこっちでチュンチュン、あっちでチュンチュン。

人生を自ら作り、遊び楽しむために欠かせないのが勉強です。

義務や暗記とは別物。社会人だからこその勉強は、人生に責任を持ち、変化を作るためのアイテムです。

 

注意点:勉強は自分のためではなく人生のためにする

「自分のため」の勉強は目的を曖昧にする可能性があります。

例えば、私の英語勉強の目的はこうでした。

「英語を話せるようになる」ではなく、「海外をもっと気楽に旅して、たくさんの人々と関わるため」

自分という局地的な部分ではなく、俯瞰したより広い範囲です。

「仕事を簡単にするために資格を取る」ではなく、「部長に昇進するため」「独立した時のため」というイメージです。

勉強すればするほど俯瞰性が高まり、先を予測して目的を立てやすくなりますが、細かく設定する必要は一切ありません。

おおざっぱでよく、「楽しい人生を過ごすため」「選択肢を増やして気楽に生きるため」など、人生として目的を捉えて勉強すると、末路は全く変わります。

人生を作るためのアイテムであり、変化を作る力の育み方法となるのが勉強。そんな価値観が大切です。

 

勉強しない社会人の末路 まとめ

勉強とは、学ぶ、精を出す、努力する、経験を積む、熱心に行うなど、さまざまな意味を含みます。

意味を決めるのは自分自身です。

自ら決めるのであれば、「知りたい、学びたい」という意欲と向き合い、誠実で勤勉に自らと向き合うことが大切です。

人生を変えるならば、勉強して学ぶのが方法です。

勉強して経験するのも、努力するのも方法です。

勉強しない人はすぐに答えだけ求めます。自分で考えようとしなくなってしまいます。

不変を欲しながら自覚がないさまを露呈し、思考と行動のちぐはぐ具合が表れます。

勉強はあらゆる力に関わる、何物にも代えがたい欠かせない人生の行動です。

聞く、考える、自覚、自信、変化、改善、解決、工夫、成長、俯瞰、自制、忍耐、想像、創造、配慮、協調、反省、謝罪、感謝、許す、認める、受け入れ、優しさ、尊重。

全ては勉強によって力を育みます。育まなければ力がないのは当然です。

勉強しましょう。

さまざまな分野の勉強がある中でも、私は自己理解となる心理や精神の学びが最も重要だと考えます。

自己理解を深めた時、見えるもの捉えるもの、あらゆる認識は全て勉強材料になり、人生を作る遊びは急速に幅広くなり、楽しむも成長するも何もかもが自分次第の自由になります。

勉強する機会、特に自己理解を深める学び場はあまりありません。

ここには、心理にスピリチュアルを含めた自己理解の学び場があり、私が信頼して提携しております。

社会人だからこその勉強として、自分を知る学び場は非常に貴重ですので、ぜひ下記の心理養成講座をご活用ください。

自己投資にて人生を有意義なものにされることをお祈り申し上げます。

それでは、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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