生き方

「性格が悪い人ほど幸せそう?」上手くいく人から学べることがある

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空港レストランで飲食している人が気になって仕方ないのはなぜなのか?

成功している人ほど頭がいい訳ではなく、中のほんの少し上、この属類だと成功しやすいという研究結果があるようです。

「知能が中のほんの少し上だと性格が悪くなる、または性格が悪いと思われやすいのかも?」と思えてきますが、実際はどうなのか。

そもそも、「性格が悪い=何なの?」というお話。

洞察するとわかるのは、人間味以上に豊かさを掴みやすい一貫性。

ここでは、性格の悪い人の幸せそうな見かけを紐解くとわかる、精神やメンタル理解をお伝えします。

  • どうして性格悪でも上手くいくのか知りたい
  • 幸せな見かけからわかる精神理解を深めたい

見出されるのは大切な幸せの基盤であり条件。

自らの豊かさをより広げるためにも、精神構造の考え方がご参考になれば幸いです。

性格が悪い人ほど幸せそう

性格が悪い人ほど幸せそう

なんでも
なんでも

幸せ者への妬みでも、過去に嫌なことをされた執着でもなく。

性格の悪い人ほど“利益”を得ているさまがシンプルに際立ちます。

例えば、私は毎年インドで頻繁に見かけるのですが、搭乗時間が間もなくてもチェックインカウンターは人でごった返し。

「もう飛行機に間に合わないぞ!」

ザワザワと人々が騒ぎ出し、並んでいた列などないものとなり、我が我がと他の客を押し払って自分の利益を徹底的に得ようとする人が一定数います

つかみ取る搭乗チケット。

他を押しのけて先に進んだ人たちを見ていると、みな「やったぜ、これで間に合う、はは!」と笑顔で後ろも振り返らずに税関へ向かい、罪悪なんて生まれた時から知りませんという顔。

むしろ仲間同士で喜びを称え合ってすらいます。

このような類。

「性格が悪い」と言うのか、「利益取得への執念が強い」なのか。

はたまた、「自己利益以外見る気がない」と言えるかもしれません。

ここで大事なターニングポイントが見えます。

  • 性格が自己中心的
  • 目的ある行為の結果が自己中心的

自己中心性が性格なのか、結果なのかです。

 

性格が自己中心的である場合、喜びがない

自己中な性格者は、チケットをつかみ取っても笑顔なし、口角すら変わりません。

もはや、「け、邪魔な奴等だった」と排他否定にて蔑み、見下します。

せっかくの利益ですが、自分中心で世の中が回っている自動説者にとっては利益だと思うこともなく、「邪魔をなくした」程度で喜びを認識しません

 

目的ある行為の結果が自己中心的である場合、喜びわんさか

もう一方は、我慢しない結果とも言えるものです。

「利益をつかみ取る」という目的にフォーカスを絞り、行動した結果が他に関心なく(または他を排他して)自分が喜ぶ材料ゲット。

「やったぜ!」となり、仲間がいれば喜び合うこともできます。

利益取得に躊躇がないほど喜びも増え、そこに我慢がないと抑圧のなさ、得た実績にて自己評価も高まり、友とその出来事を楽しみ笑い合うこともできます。

 

幸せそうな人は自分の性格が悪いと思っていない

なんでも
なんでも
傍から見たら性格が悪いと言えるかもしれませんが、本人にとって世の見方は別物、この見方を知る大切さがありそうです。

自己利益にしか興味がないことは、他に興味がなく、自己中で、ナルシシストで、共感性がなく、排他的で、周りが見えていない認識力の低さ。

しかし、幸せそうな人、もとい喜べる人であり楽しめる人はこの自己中とは違い、常に自己中な訳ではありません。

自己利益をつかみ取る目的を持った時に、キラッと人が変わるように本性(または動物性)が出て、自分を愛し喜ばせるために任務遂行まっしぐら

イメージは、

好きなアーティストのライブチケットを得るためならダフ屋でもなんでも払う。

落ちている財布を見れば、「ライブチケット入ってないかな、どれどれ」という人もいるかもしれません。

常識やルール、一般概念や倫理観は情報として脳にインプットしているが、自己利益が目の前にあれば別の話。

本人側の目線では性格が悪いのではなく、喜ぶためにやることをやっており、直接危害を加えていない、一体どこが悪いのか。

自己世界に入り込んで、それを肯定している

「この人の立場だったらきっと」にならず、相手側を配慮するとしても、「自分だったらこうだろうな」という想像になるので相手に寄り添うことは困難を極め、思いやりとはかけ離れるが利益は得られるから結果的に喜びや満足があります。

あくまで自分や仲間を喜ばせるためのフォーカス絞り。

自分をちゃんと喜ばせており、そのために頑張り努力しているので、自分の性格が悪いとは到底思えない。

このことから明確になるのが、

自己愛を絶対的に優先している在り方であり、見方です。

自己愛に邪魔を作らないのは自尊であり、自己受容であり、自分を愛しているからこそ。

傍から見ると性格悪ですが、本人側の目線では自分を愛する行為であり、自己への敬い

私の例で言うと、列を壊して他者を押しのけてチケットをつかみ取ろうとしたインド人は、その際に私にぶつかってきました。

私は性格の悪い人間なので彼ら(三人)を先に行かせず、自分のしたことを見つめさせました。

その時、彼らはハッと人が変わったように我に還り、「Sorry」と謝りました。

そして、和解した後、直ぐわれ先にと他を押しのけて一番前に行きました。

自己利益へのフォーカスが局地的に強くなって、周りを見ない認識になるために傍からは性格悪になる人もいます。

自己愛集中状態は第三者目線では性格悪ですが、本人にとっては最高の性格と思えているかもしれません。

本質的に着目したいのは性格悪の見た目以上に、自己愛に邪魔がなく、自分を愛するために自力で目的を持ち、行為に及ぶ在り方です。

 

明確な線引きにて内輪で楽しめる

なんでも
なんでも
自分のことばかり考えている人ほどなんだか楽しそう、このさまも見かける光景の一つ。

※ヤンキーと言われる人々によく見かけるもので、ヤンキー心理を変形させたスタイルが日本では横行しているように思います。

この理由に考えられるのが、他人との線引きの明確化です。

極端に[仲間orそれ以外]という認識があると、実際に性格が悪いかどうか以上に、印象悪が目立つために性格が悪いと思われやすくなります。

例えば、職場では冷徹部長として知られている男性。

笑顔なんて一切見せず、部下が失敗しても怒らない、「そもそも期待していないから」と吐き捨てる。

しかし、家では良きパパであり、優しい旦那さん、奥さんはこの人を大好き。

信頼できる人(自分と同じタイプ)には極端に仲間意識を持ち、友達一家と共に賑やかにお庭でバーベキュー。

それ以外の人には興味なし、なんにも思わない、存在しないと同じ

差別化に躊躇がなくなり、内輪となった人々には気使いなく、ストレスなく、仮面なく、言いたいことを言い合う気軽な関わりを作れます。

仲間がいる、その物理的数が多ければ多いほど自分の在り方を肯定しやすくなり、困ったことがあれば敵を作り、みんなで不安回避。

相手を悪者にして文句や悪口を散布、協力的に不都合を誤魔化して正当化を図る、または自分たちを優越だと思い込めます。

共有して楽しい状態を保持でき、幸せそうなさまを内輪でキープできます。

排他的な線引きをするが故の、楽しみやすくする戦略です。

 

物事が上手くいく性格の悪い人の特徴

なんでも
なんでも
一体どんな人なのか、内面がわかるような特徴を一覧にしました。
上手くいく性格の悪い人
  1. 自分の性格が悪いと思っていない
  2. 自分の在り方に曖昧さ、否定がない
  3. 自尊心があり、自己犠牲はあり得ない
  4. 他者より頭がいい自負や見栄が強い
  5. 根拠のない自信を持っている
  6. 切り替え上手、都合よく忘れる
  7. 排他的である一方、仲間意識が強い
  8. 自己利益への強い執念、執着、依存体質
  9. 自己利益ありきで他に利益を与えられる
  10. 自己愛への一貫性、疑念がない
  11. 運がいい時はとにかくいい
  12. 運が悪い時はとにかく悪い
  13. 行動力があり、波動が高い
  14. 楽しいこと、喜びが好き
  15. 負けん気が強い
  16. しつこい

自己肯定も自己受容もどちらもあり、自己愛の強さが特徴的です。

この在り方に迷いがないため、失敗しても食らいつき何度も挑戦するなど、最終的には周囲が折れる、妥協する、我慢することが多くなる場合も。

徹底的に利益を得るための執念、行動力、自己愛優先が目立ちます。

利益を貰う約束の上で利益を他者に与えることもできる(=優しさはあるが思いやりにはならない)点もあります。

そこに疑心がないからこその貫きがあり、社会的な強さがある人と言えるかもしれません。

 

性格が悪いのに上手くいく人から学べること

幸せそうな人は自己愛ファースト

なんでも
なんでも

性格が悪くても社会的に上手くいっていたり、楽しんでいたり、幸せそう。

このさまから見出したいポイントは、自己愛最優先の一貫です。

私たちは自分のために生きており、自分の喜び、納得、精神の満たしが最優先だと思います。

ボランティアしたいのも、「あの人の笑顔が私の喜びだ」と思えるから助けたい。

私たちの精神は常に自己愛を中点に巡っています

わかりやすくするためにも極端な言い方になりますが、全ては自己愛に基づいており、自己愛を中心に思考し、感情し、行為し、愛も利他の心も生まれます。

[自己愛=神]と言えるかもしれません。

そんな自己愛は自尊心、創造、信念、受容などでバランスを図り、他者との共存コミュニティの在り方や知性引用など、精神と社会構造の中で柔軟に姿形を変えられるものです。

他者の利益や自分の罪悪回避を優先すると、我慢して自己愛が犠牲的になるなど、どのように姿形、彩りを作るかは本人次第。

ここでお伝えしている対象は、我慢したとしても最終的には我慢によって自己愛を喜ばせるなど、長期的視点と時と場合に応じた在り方を持ちながら、常に自己愛を喜ばせる一貫性があること

性格が悪くて上手くいく人は自己愛ファーストを徹底しており、社会的な自己利益優先に特化させていると考えられます。

社会的自己利益であるため、お金、仕事、肩書、保身、欲求発散、不満解消、損害回避と言った利益抽出を得意とします。

強烈なまでの注力、目的遂行のための行動力、欲求、執念。

時に排他的、人の作品を真似て、誤魔化しながら自負し、まるで自分のもののように提供する人もいるかもしれません。

利益を得られるならいくらでも頭を下げ、こびへつらい、大袈裟に大笑いしてみせる。

社会的な力となり強さとなり、他を押しのけてでも這い上がる生存力が高い。

何が上手くいっているのか、楽しいのか、幸せなのかは本人にしかわかりませんが、社会的利益とはSNSで“いいね”されるように、傍からわかるように幸せや成功を視える化したステレオ

幸せそうに見えるわかりやすい例であり、30年後の教科書に載っている一時代の在り方だと思います。

 

精神的に学べること

なんでも
なんでも
ここからは私自身が学べると思ったことですので、お役立ちできそうなものがあればご参考になればと思います。

これまでの在り方で特にお伝えしたいのは、自己愛に邪魔を作らないこと

自分の在り方に曖昧さ、否定がない意味です。

自己肯定と自己受容の両方があり、だからこそ根拠のない自信があり、他を見下しているような言動も出てきます。

同時に自分の頭がいいかのような自負も自動的に表れていたりしますが、性格の良し悪しは抜いて取り出したいのは

ブレないほど堂々とした自己愛の中点置きです。

自分の中心に自己愛があり、世界の中心は自己愛。

他を排他するかどうかの後付けは抜きにして、自己愛を明確なまでに自分の中点にすることは幸せの基盤作りだと思います。

社会的に成功するためには他に行動や努力、継続する力やしつこさも必要だと思いますが、上手くいく、楽しむ、喜ぶ基盤になる。

さらに運をよくする基盤にもなります。

そしてなにより、自己愛に邪魔がないことは波動を高めます。

 

波動が高いと幸福度が高い

波動の高い状態で自己利益を本気で望み、つかみ取ろうと行動する人は、実際につかみ取ったり、現実が引き寄せられます。

喜ぶこと、楽しむこと、これらの純粋な気持ちには常に自己愛が満ちます

自己愛をリスペクトするからこそ真っ直ぐに望み、欲し、自らつかみ取ろうと行動できます。

後付けで否定や排他が入ってくると、エゴにて得るものも自己愛の色も姿も形も変わりますが、ただただシンプルに人間の本性となる愛を重んじる在り方は、とても勉強になるものです。

 

注意点:ただの性格悪

なんでも
なんでも
気を付けたいのは、自己愛を中点に置きながらも、エゴを上乗せしていく場合です。

他からの搾取

利益取得が他からの搾取、奪い取り、加害の場合です。

性格が悪いだけでなく犯罪性となり、悪質と虚しさはびこる邪の道。

正確には、エゴの割合が強くなることで生まれた自己悪中点の在り方

例えば、相手をいじめたり、意地悪することで楽しんだり喜んだり、被害を与えて利益を得るなど。

認知の歪み、共感性欠如や陥没、腐った緑色の魚を食べて美味しいと言うようなものですので、この類は性格が悪い上に幸せにはなりません。
※実際には幸せにならないのではなく、幸せを認知できない基盤を作った状態

幸せを認知できないと社会的に決められた幸福という思い込み(張りぼて)を目指すか、欲求満たしによる刺激快楽にハマります。

一般的な幸福を得ているように見える風貌が人によってあるかもしれませんが、遅かれ早かれ自滅に向かう退化領域、因果応報も待っています。

ただただつまらない他責の思考停止と、反発していると思い込んだ社会従順、過去の継承という自動化に踊らされ、虚無のど真ん中であることに後世気づく奈落の道。

幸せに見えたとしても別物ですので学ぶことはありません。

 

線引きの過剰化

波動の高さを保持するためにも、性格が悪くて上手くいく人は排他や線引きを大いに活かします。

しかし、防衛意識が強すぎると線引きによって、「ああいう人たちは排他してもいい」「こっちは肯定しておこう」と自己利益ファーストの思考は差別化を強めます

人を上下優劣で見るために見下すか見上げるようになり、極端に蔑むかこびへつらうか。

見下す場合、「あれだからダメなんだよ」と否定して終わり、自分を上に仕立てることが目的となり、実際に性格が悪くなっていきます。

排他と肯定サイドを極端に作ることで仲間意識を持ちやすくなる利点もあり、同じ部類で仲良くなれます。

が、利益取得が前提の契約的関わりになるため、利益がなければ突然揉め出し、忌み嫌い合い、トラブルが頻発し、疲れる人生が始まります。

幸せそうに見えても、利益ファーストのデメリットは多くあります。

 

最後に:性格が悪い人ほど幸せそう

利益ファーストの洞察をしたので、利益ファーストの捉え方をする内容となりました。

幸せそうな人は性格が悪くても良くても、自分にとって大切なものが何か明確にわかっていると思います。

それが、自己愛です。

この言葉から、「ナルシシスト」というネガティブワードを思い浮かべる人もいると思います。

しかし、自己愛は全ての源であり、私たちは自己愛に基づき、生きて、存在します。

自分そのものです。

そのものだからこそ、意識も精神も、メンタルもマインドも、生育環境も物理経験も、遺伝子も情報も、社会も自然も、全てを混ぜ込めて粘土細工のように変化させられます。

純粋なる自己利益を見つめた先には、大きな喜びと楽しさがあります。

しかし、私たちは社会という他とのコミュニティでコミュニケートしている生物であるため、周りが見えていないと迷惑で性格悪になります。

周りの配慮も重要になりますが、自己愛の在り方だけを見るとそこには人間だからこその自然な利益願望、欲求の重んじが見られます。

もし、周りを見る気がないだけでなく、他を排他し、搾取し、加害すれば、犯罪にもなりかねないのが愛。

自己愛は調整、解放と、扱いの難しいものですが、生物にとって欠かせない美しいもの。

性格が悪くても学べることはあると思いますので、基盤にそえるための考え方としてご参考になれば幸いです。

それでは、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. より:

    ちなみに私がその苦しみの中から拾ってもらった内の一人です😓
    自業自得ですけど何もかも信用していなかった時期にも北斗さんの文章には謎の全面的な信頼を感じていまして、私は北斗さんが整備してくれた安全な帰り道を辿っている鳩のようなものです🐦
    僕から見た北斗さんはそんな人です😳
    長い自分語りをすみません。
    伝えたくなったんです。

  2. より:

    私からすると北斗さんは性格の悪い人というよりも地獄の中にいる人にも手を差し伸べる慈悲深い人です。

    • 北斗 より:

      「そんな」という思いと、「はぁ」と心が軽くなる気持ちを感じました。

      ありがとう。

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