愛とは何か

【体験談&解説】大きな幸運の前兆は一つ「愛と不運はセットでやって来る」

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自分の力では到底及びもしない出来事を、運、定め、奇跡と呼びます。

運命の人との出会い、仕事の成功、偶然の重なり、九死に一生。

大きな幸運にはお知らせのような前兆はあるのか、気になるところです。

前兆には虫の知らせ、第六感、セレンディピティ、シンパシーによるサインが知られています。

これらは波動変動によって外部に起こる反応や影響ですが、自分そのものに起こる変化に着目すると、前兆は奇妙かつシンプルだったりします。

ここでは自分に起こる変化として、大きな幸運がやって来る明確な前兆を一つお伝えします。

  • 多くの情報よりも本質的な理解を深めたい
  • 大きな幸運の前兆と仕組みを知りたい

私自身の体験談を洞察すると、幸運とは自ら呼び起こしているものだとわかりますので、幸運を起こす仕組みと共に書き記します。

教科書のような内容になっておりますので、幸運を自分自身で作るためのご参考になれば幸いです。

大きな幸運の前兆とスピリチュアル

大きな幸運の前兆は一つ

私達は自らで幸運をコントロールできます。

物事をどのように認識するか(どんな波動を発するか)によって、作って捉える現実が変わります。
※実際には自らが起こしている現実が変わる意

理論は簡単にですが、こうなります。

  • 何かプラスの出来事が起こる時、波動は高まり、運気が上昇
  • エネルギーの高まりであり、同じ振動数・幅・域・リズム・整然性と同調し、同じエネルギーの人や物事、そして出来事を自然と引き寄せる
  • 量子や物理に基づくエネルギーと質量の等価性(自然の原理)であり、同調作用による因果の法則

エネルギー(波動)をどう変えるかによって、自然の原理である等価性をどう働かせるかが変わります。

そのため、意図的か無意識かは人それぞれに違いながらも、見えないところで自ら作り、選択している前提があります。

このことから幸運の前兆とは、①自ら幸運を作ることでの、②等価性や同調作用の反応や影響と言えます。

波動や運気など自分(認識)そのものが変わると、スピリチュアルも含めたこのような前兆が表れます。

サーっとご覧ください。

大きな幸運の前兆
  1. ゾロ目、エンジェルナンバーを頻繁に見る
  2. 価値観、生活、味覚、仕事、環境が変わる
  3. 人間関係が変わる、突然の別れ
  4. 体調が悪くなる、病気疾患
  5. 異常に眠い、眠っても眠い
  6. 生きていることが幸せになる
  7. 五感が鋭く、感覚的になる
  8. 虫が寄ってくる、虫の知らせ、第六感
  9. 偶然が増える

全部同じことを言っています、「なんか以前と変わった」と。

それぞれに意味や作用はありますが、全て割愛します。

ここでお伝えしたいのはシンプルに一つであり、明確に起こる前兆一つ。

些細な吉兆、いい予感、運気の上り、幸福、全てに共通する一つ。

「無力の気づき」です。

深堀りに入りましょう。

 

「無力の気づき」とは?

「自分が・無力であることに・はっきり気づいた」

翻訳すると、「私というやつは、大きな存在の上で成り立つ、小さな存在だと知れた」という具合です。

大きな存在が神か宗教か科学かなんでもいいのですが、「これが現実か、あらがうことなどなにもない、ふわわわーん」とはっきりわかるのが無力の気づきです。

なんだか哲学的になりそうですがご安心ください。

シンプルに、『愛する気持ち』を意味します。

はっきり無力だと自分を認めることですので、「ガーン、I am nothing」と気づきにあがきもがき、ショックを受けることなどありません。

大いに認められる状態、いわゆる「これが現実か、パァ」と花開くような解放であり、「知らなかったことを知れたぁ、プワァ」

一切の抑圧の手放しであり、拒みや恐れからの解放。

愛を認知する自分になります。

これだけではわかりにくいと思いますので、実際に私に起こった幸運の前兆を見ていきましょう。

 

大きな幸運が起こる体験談

ご覧に入れる体験は、死にかけた時×2と、大切な人に出会った時×1の計3件です。

①九死に一生を得た体験

これはアラスカにいた時のこと。

森で60日間サバイバル生活をする、変人の異形による野蛮化計画。

森の奥をひたすら歩き続け、あまりに食料がなく、体はガリガリの傷だらけでした。

バックパックの方が重いのではと思うほどで、背負ったまま真っ直ぐ立つと後ろにパフンと倒れてしまう。

とぼとぼと下を向きながら、「うー」と小さく叫んでいるような、そんな声が出ていると気づきもしないトランス状態が日常でした。

ある地点で私は川を渡らなければ帰れないとわかり、命を覚悟して川を渡る決心をします。

いざ渡り始めると前にも後ろにも動けなくなり、あとは急な流れに飲まれるだけだと悟りました

あらがう力が残っておらず、ただ「終わった」と現実を受け入れる状態。

全ての力が抜け、不安も恐怖は涙と一緒に流れ出ました。

全てが流れた時、私は完全なる無力を認識しました

この時です。

詳細は割愛しますが不思議体験があり、私は誘導されるように導かれ、足が勝手に動かされているように動き、我に返った時には川を渡りきっていました。

起こったのは導きであり従うだけ、何の抵抗もなくただ従うだけでした。

「なんだかわからないけど助けられた、そして助かった」と強く記憶に残る幸運体験でした。

 

②一人こもっている際に助かった体験

日本の人里離れた場所で暮らしている時、私は突然病気にかかりました。

皮膚が溶け出し、血が流れ、歩くと体中に激痛が走ります。

肺を少しでも動かすと悲鳴が出るほどの激痛が走り、息がほとんどできなくなり、呼吸しているかわからないほどの微かなスーハーを繰り返し、数日が経過。

このことで私は体を動かすことができなくなり、さらに数日すると、肉体を少しでも動かすと激痛に。

仕上げに頭をハンマーでひたすらぶっ叩かれ続けるように激痛が走り、さらに頭部をギューッと締め付けられる状態が休む暇なく続きました。

結局一週間何も食わず、ハンマーの激痛が始まって四日間は一睡もできず、壁に寄り掛かった状態から全く動かず、生きているのか死んでいるのかわからない状態になりました。

この四日間、頭を少しでも動かした記憶がないほど、動きが皆無でした。

「もうなにもない、終わろう」と、完全なる無力を認識したのが最終日

このまま死ぬことを受け入れました

その瞬間でした。

不安や恐怖、あらゆる抵抗や抑圧、全ての不浄物が浄化されるように流れ出て、何もかもが軽くなる感覚に包まれました。

パッと気づいた時、起きました。

眠っていたんです。

いつの間にか数時間眠っており、起きてから少しずつ息ができ、体が動き、肉体稼働と同時にとてつもない勢いで回復していきました。

翌日には体が働き始めたのがはっきりわかり、ご飯を食べられるようになり、「助かった」と強く想う幸運体験でした。

 

③大切な人に出会った体験

最後の体験は、一生の内に関われて本当に良かったと想う人と出会えたこと。

私がオーストラリアにいた際、ある砂漠地にヒッチハイクで辿り着きました。

仕事を探しながら転々と旅をしており、その場所にも仕事がなさそうなので直に別の地へ向かおうと思っていました。

ここでは、これまでの私であればまず確実に関わろうとしない人々との関りが多く、不思議なことにどこに行こうが別の家に住もうが関わることになりました。

「なんなんだ?ここでは私の意思は無効化されるぞ」と違和感。

とにかくその場を離れたくて仕方なくなり、「何がなんでも町を出る!」とまで意気込んでいました。

しかし、出ようと思ったら出られない出来事が発生します。

ある時は急に仕事を頼まれ、

ある時は周囲の人々に強引に止められ、

ある時は問題発生、手続きやらなにやらで動けなくなる。

誰にも仕事がない状況でも私だけ仕事を頼まれるなど、どう考えても奇妙なことが続いた後、大きな幸運が起こりました。

その人との出会い。

「あ、この地を離れられなかった理由ってこれか」と思う体験であり、私の人生において本当に大きな幸運でした。

出会うまでを振り返るとその場に留まらせる何かがあり、私自身の力ではなく起こるままに従ったことでの出来事でした。

 

体験談の共通点:ただ従うだけ

「私はこうしたい、ああしたい」を一切手放した時、幸運が起こる。

三つ全てに共通するのは無力の気づきであり、力みの手放しです。

例えば、死にかけた2回は力みである不安や恐怖、緊張や抵抗感が完全に手放された後、助けられる結末を迎えています。

出会いの時は、「嫌だ嫌だ」と当初はあらがっていましたが、「自分のやりたいようにはならない、意思や願望は無効化だ」と我を手放し、起こるままに従おうと認めた結果、大きな幸運がありました。

決定的に幸運が起こる前は力みのない軽さがあり、不安や恐怖を手放した状態があります。

この状態は、あるままそのまま起こるままに、現実を大いに受け入れています。

中国の思想家である老子が言う、『無為自然』の状態

あるままをあるままに、そのままをそのままにする状態が、「無力の気づき」です。

自我や意思を主張するのではなく、そのままを喜んで受け入れるのは、起こる現実を愛する状態です。

 

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解説:幸運の前兆には不運が付きもの

幸運が起こる前兆は常に『愛と不運』

「無力の気づき」という前兆は、力みとなる我、執着、恐怖を一切合切手放した時を意味します。

「これが無為自然であり、愛する気持ちですよ」とお伝えしていますが、これでは意味がわかりにくいですね。

シンプルにすると、幸運の前は起こる現実に一切抵抗せず、受け入れる状態です。

これが現実を愛する気持ち(状態)です。

幸運そのものが愛であるため、愛の前兆もやっぱり愛。

幸運とは人それぞれの主観によってさまざまですが、全ては受け入れたいと心が躍り、現実であって欲しいと心から想うことであり、起こるままに味わいたい豊かさ、まさに愛の気持ちだと思います。

愛があるから愛が引き寄せられ、あとは愛の気持ちで現実を捉えることで現実が愛になる、愛のフルコース。

しかし、トリックになるのが愛とは恐怖でもあることです。

愛とは絶対性であり、自分一人では成り立たない現実そのもの。

他者を愛するのであれば自分と他者両方を愛することであり、表現を変えると自他の敬いや尊重です。

現実とは自分だけでは成り立たず、必ず自分と他の関わり、自他の調和や繋がりで構成されますので、愛を認知するには自分に対する固執や執着を手放す必要があります

この固執や執着、いわゆる力みの手放し、なかなか簡単にいきません。

自分を手放すとはこれまでの自分がダメみたいで、今の自分は何もないみたいで、価値がないみたいで、認めたくありません。

我があればあるほど自分自分と主張したくなります。

簡単にいかないので無力だと気づけず、せっかくの幸運はどこかに行ってしまいます

愛を認知するのは怖いことであり、拒否したいという恐怖心を内包します。

大きな幸運の前には愛の一環として恐怖、いわゆる受け入れたくない、拒否したいと思える気持ちがあります。

恐怖心は幸運を掻き消したり、不運や不幸を引き寄せ、突然嫌なことが起こったりします。

幸運の前兆は愛であり、愛の前兆には不運があります。

※我を手放したくない心理、自己愛や我に執着すればするほど無意識に恐怖を作り、不運を引き寄せる

 

大きな幸運と不運はセット

恐怖(力みの基)が手放された時、無力に気づくことができ、あとは起こるままに従うと幸運に導かれます。

しかし、問題は無力に気づく前です。

これから起こる幸運が大きければ大きいほど、これまで味わったことがないほど大きなものほど、大きな愛であればあるほど恐怖が出てきて力むのは必至。

体調不調になったり、嫌な人に付きまとわれる、普段だったら確実に関わらない人と関わる、死にかける、我を見失うなど不運が発生。

この状態ではさらに力みやすく、我を手放しにくくなり、無力に気づくのが難しくなります

せっかくの幸運も、前段階の不運を拒否することでシューっと萎れます。

私の体験談③で言うと、「もうこんなところ早く出たい!」と不運を拒否して我を貫いていれば、その後の出会いはなくなっていたことと思います。

恐怖も認めて愛になるように、不運も認めて幸運があります。

嫌なことがあると幸運とかけ離れていると思えますが、実際には愛の側近です。

不運を受け入れて恐怖を手放した時、無力に気づく前兆となり、後は大いに起こる現実を受け入れると幸運が呼び起こされます。

不運があれば幸運が近いサイン。

不運も含めて幸運が存在します。

※良いことが終わらない件は、【良いことが続く時の共通点】セレンディピティとスピリチュアル をどうぞ。

 

幸運を呼び起こす方法

幸運は愛によって作られ、愛によって引き寄せられ、愛によって認識されます。

幸運を呼び起こす方法は愛を抱くことです。

愛する気持ち、愛される気持ちを抱く、または起こることを喜び受け入れると、物事は動き出します

これが「無力に気づく」状態。

力みがなく、力みは要らないと認めた時、そこに愛があるという考え方です。

素敵な人と出会うために、人を愛するとエネルギーが発動します。

お金を舞い込ませるために、お金や経済や資本主義の仕組みを愛すると、波動が物事を引き寄せます。

自らを大切にして愛される気持ちを持つと、周囲から愛されて大切にされます。

不運を大いに受け入れ、一切の抵抗を手放すと、大きな幸運が呼び起こされます。

幸運の前には、幸運を得ようとする力みはどこにもありません。

愛する、愛される気持ちがあればあるほど、大きな幸運を呼び起こす。そんなシンプルな仕組みです。

 

まとめ:大きな幸運の前兆

  • 幸運の前兆にはスピリチュアルも含めてさまざまなサインがある
  • 重点となる一つの前兆は、「無力の気づき」
  • 自分が無力であるとはっきり認められる状態であり、愛する気持ちを抱く
  • 無力の気づきにて力みを手放すと、幸運をつかみ取れる
  • 力みの手放しとは不安や恐怖の手放しであり、我の手放し
  • あるままそのまま起こるままに現実を受け入れる状態であり、老子の言う無為自然
  • 起こる現実を愛することが大きな幸運の前兆になるが、愛とは恐怖でもある罠
  • 愛があるというのは恐怖もあるため、同時に不運や不幸も発生する
  • 我や自己愛に執着が強いと、より不運や不幸が起こりやすい
  • 不運や不幸も含めて起こる現実を愛せるかどうかが試される
  • 愛する気持ち、愛される気持ちがあればあるほど、幸運を呼び起こせる

せっかくの幸運を抹消してしまう力み(我、恐怖、執着)の手放しがポイントとなり、それが「無力の気づき」という前兆になる考え方です。

仕組みは少しややこしく思うかもしれませんが、実際にお伝えしていることは、「どんな現実でも愛しましょう、そしたらなんか幸せ~」なんて具合です。

愛はこの世の絶対性、全ての基になる根源の力。

そんな力を味わえるだけでなく使える私達、人間とはなんと可能性に満ちていることでしょう。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. toyo より:

    たまたま迷い込んだらとっても興味深いブログに出会えて嬉しく思っています。
    これからどんどん読ませていただきます。

    >>体調不調になったり、嫌な人に付きまとわれる、普段だったら確実に関わらない人と関わる、死にかける、我を見失うなど不運が発生

    おっしゃりたい気持ちはわからないでもないのですが、以下のような状態でも無力だと認め、もがかず諦めるほうがよいのでしょうか?

    ・死ぬかもしれない病気を患っている⇒病気を手放す=病院に行くことはやめよう
    ・詐欺に遭っている⇒諦めよう、相手を許そう=警察や弁護士への相談はやめよう

    大いなる何かに生かされている、自分なんて無力だとはわかっているものですが、上記のような現実を突きつけられると、やっぱり現実的な動きをしないといけないのではないかと感じている次第です。

    実際のところ自分の人生はこれまでもなんとかなってきたし、これからもなんとでもなるとも思いつつ。。。
    何もせず放っておいたら残された家族が苦労するだろうなぁとも…
    難しいですね…

    • 北斗 より:

      ありがとうございます。ぜひブログをお楽しみください。

      質問の件ですが、無力の気づきとは“気づく”ことに意味があります。

      ・病気がわかったなら、私はその病気なんだと受け入れる
      ・詐欺に遭ったなら、友人は詐欺に遭ったんだと受け入れる

      これは、現実をそのまま認めることでして、その後に、「死にたくない、治したい」などの
      感情や欲求が人間にはあり、それとどう向き合い、どう認めるかは本人(正確には自我意識の構造)次第であり、自由です。
      その際は、何が良いのか悪いのか、さらに[良い=what?]の認識も人それぞれです。

      無力には愛がありながら、愛とは恐怖であり、さらに自由であり平等。
      言葉を作ってしまったのが人間ですので、この難しさはせっかくなので楽しむしかないのかもしれませんね。

  2. 森の小人 より:

    北斗さんこんばんは。
    北斗さんって、本当に、普通の人が到底体験し得ないような経験されてますね…( ゚д゚)

    導かれる経験。北斗さんのように感受性が豊かとは言えず、だけど、助けられたと感じる経験は結構…いや、北斗さんみたいに劇的じゃないけど相当あります。
    ここまでを思い返すと、全てが導かれていたのかもしれません。そんな気しかしなくなってきているこの頃です。

    一体いつ死ぬのかわからないし、私の人生前半は苦難たっぷりだったけど、今は持てるもの、あるもので幸せです。まだ欲張ろうとする自分もちょいちょい出てくるけど笑

    今は喪失感もなく、心の傷は癒え、十分与えられ満たされていることを感じて暮らせている。成長する機会を常に与えられていて、とても幸せですね。
    だけどこの後の人生、一体どうなるのかなぁ。まだ見えてこないなぁ…なんて思ったり。
    とりあえず今日も庭に出て、庭木や花を手入れし、一人で満足。
    北斗さんの明日も素敵な一日でありますよう!

    • 北斗 より:

      森の小人さん、こんにちは。
      いつお言葉ありがとうございます。
      私は死に近い経験が多いかもしれません。ちょうどこの前もインドで、160km/hで走る車に乗せられて事故るという。
      よく生きてますよね笑

      幸せを感じられるならバッチリですよ。
      生きてるだけで十分だったりしますからね。

      ありがとうございます。
      森の小人さんも愛しい一日をお過ごしください♪

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