ふがふがもんもんハッスルビンビン。性欲旺盛、蛇だか亀だか人参だかを食べてモリモリとなる。
性欲には肉体的なものと、思考的なものと、スピリチュアル的なものがあり、人間には体と脳と心があることで、性欲の正体が不明確になっているかもしれません。
私は変態絵描きですが、変態の意味は、スピリチュアル的な性欲しかなく、「あ、あの女性は美しいな」と思っても性欲に繋がらず、曲線とか立体像としての物質に捉えるので、人間も虫も同じに見えることです。
そんな捉え方をして、性欲がないとも思える悟り的なあっち系かもしれないので、人知れず心配をしていたりしていなかったり。
世の中には性欲がどっか行っちゃってない人はたくさんいます。同時に、性欲がおかしいほどあるという人もいます。性欲は人に移り行くのでしょうか。
何が性欲なのか、性欲の正体を知ることで、性や欲や人としての心配や悩みの根底を明確にします。
そこで、性欲の正体とスピリチュアルな性欲への理解を一緒に育み、性への理解と思い込みを解消する一助としていきましょう。
安心してください。ここにいる絵描きは人も虫も雲も同じにしか見えていないけど、十分幸せです。
Contents
性欲を知る

性欲とは何か
性欲とは何か。初めに辞書にある性欲の定義をご覧ください。
性欲とは : ※引用 コトバンク
- 性的な満足を得るための肉体的な欲望、肉欲
- 男女または雌雄両性の間で身体的接触を得ようとする欲望のことをいう
- 性欲は食欲と同じように生物学的にもっとも基本的な「本能」である
- 性欲は幼児のころから生涯を通じて続く神経系の興奮と活動であり,またそれに伴う心理的体験
- 人間同士の関係によって後天的に形成される面の大きい身体的な,精神的活動の全体を指すと考えられる
辞書によると、性欲は本能だと考えられていましたが、哲学者のフロイトさんが、「本能じゃないわい」と言い、幼少期の指しゃぶりの行動が性欲を表しており、生育と共に人との関わりで作られる活動規範の基だとも考えらえています。
欲ですので、人それぞれに度合いや尺度が変わり、「性欲ってこんなもんっしょ」という具合で大まかに捉えられています。
私の体験ですが森の中に住んでいたことがあり、食料がなくて植物や虫を食べて生きていたのですが、その際には性欲なんて言葉の存在も忘れるほどでした。
そんな奇怪体験からは、辞書にあることとは違い、“性欲は食欲と同じ本能ではない”と考えられるかもしれません。
性欲には種類がある
欲望の定義が曖昧になるのには理由があります。
それは、私たち人間は肉体と脳と心の三位一体であるためです。
本能は脳にある無意識の活動動機ですが、それは肉体の感覚と脳の思考による組み合わせでして、肉体が欲することが初めにあり、脳によって活動のシグナルを出します。
肉体が欲する以外にも、脳の思考による性欲があり、さらに心の認知によるスピリチュアルな性欲があります。
その為、『人間同士の関係によって後天的に形成される面の大きい身体的な,精神的活動の全体を指すと考えられる』と辞書にあるように、人生の生き方を左右するものが性欲で、「性」と付けて、「性欲はこれを欲する、禁欲はこれを欲する、食欲はこれ、権力欲はこれ、空飛びたい欲、平和欲、自己満欲…」などと欲望のカテゴリー分けはできないかもしれません。
性欲とは欲望のこと
性欲が少ない人とは欲望が少ない人で、性欲が半端ない人は欲望が強い人と言い換えることができます。
性欲と名を付けて、特定のことを示すことはできませんが、性に対する認識をすることで性欲へのイメージを付けて広げます。
それをするのが脳の思考であり、生育して思考を育みながら、性へのイメージと共に性欲が拡大していきます。
欲望とは自分を満足させるための行動動機となる気持ちや考えの認識ですので、人それぞれに欲の大小、強弱が変わり、性欲の大小、有る無しが変わります。
肉体的、思考的な性欲
肉体と脳と心が分かれていることで、感覚や経験や記憶からそれぞれの認識が生まれます。それらを統括しているのが自我であり、自分という存在を認識しています。
ロボット操縦みたいな感じで、自分というロボットに乗り込んで、体の感覚と脳の思考と心の想いの情報を集めて、真ん中の心臓当たりでそれぞれのセクションと連携しているのが、「自我」という自分です。
- 肉体的な性欲
- 思考的な性欲
- スピリチュアルな性欲
初めに、肉体的、思考的な性欲の正体を暴きます。
肉体的な性欲とは
性欲とは欲望のことですので、肉体的な欲望とは、感覚から満足を欲する欲望です。
五感にて感じる、「心地良い感覚」で満足を求める自分がいます。
それは、体が気持ち良くなることで満足する自分の欲です。
女性は肉体的な性欲を持つことが多い
肉体的な性欲は、「マッサージしてほしいなぁ、肩もんでほしいなぁ」という気持ちと同じです。
性へのイメージを付けるならば、服を脱ぐかどうか、マッサージする場所をどこにするかの違いで、実際にマッサージをしている行動やされている行動は脳の思考でルール設定をしなければ同じ行為で、肉体感覚から満足感を得るために欲することに正体があります。
思考的な性欲とは
思考的な性欲とは、脳で考えることで満足を求めます。
思考をすることで快楽の幅を広げることができるため、綺麗な人を見たり、セクシーな体を見ることで欲する動機を作ります。
脳にインプットした情報にて満足を求める欲求や願望があります。
人や場所などの環境や、外的な体の部位や特徴にルール設定をすることで、人それぞれの満足感を作る欲です。
男性の場合は思考的な性欲を持つことが多い
「綺麗な人が良い」「セクシーが良い」などと、事前に脳でルール設定して思い込み、「あの人だから性欲が出る」「あの場所だから」「これだけ我慢したから」などの思考によって満足しようと欲します。
「誰からも疎まれる美しい女性を手に入れた」「あの人と付き合えた」「みんなが褒める人と結婚できた」などの思考的な満足感を求める欲望が、思考的な性欲の正体です。
以上からわかることは、性欲の正体には快楽を求める姿がありますが、肉体的や思考的な快楽を求めるかどうかは人それぞれで、全員にあるものではありません。もちろん、全員にないものでもありません。
肉体も脳もそれぞれに繋がりあっているので、それぞれの満足を組み合わせて性欲を駆り立てるような認識も作られます。
私のような変態ですと、思考的な性欲は、「ほっぺを触る」とか、「歩き方を観察する」とかで、人間の動きや仕組みを理解することで満足します。
性欲の正体は満たされていない自分
性欲とは欲望のことであり、性的な行為や動作があるかないかは、脳にインプットした情報からの認識次第で変わります。
その為、性的な行為や動作があるかどうかは関係なく、性欲の正体とは満足したいと欲する気持ちであり、自分のことです。
満たされているかどうかや、自分の在り方が性欲によって表れることとなります。
欲望を性的なイメージに繋げるかどうかは趣味です。
ポケモンカードが好きか、ビーダマンが好きか、それとも外でマラソンしていたいのか、人それぞれに好みが分かれることと同じです。
性欲の大小の度合いにて自分の在り方が理解される
欲望は自分の好き嫌いの認識に左右されるので、性的な行動による満足が好きであれば、性的なイメージを思考にて認識して欲望を駆り立てます。
お酒を飲んだ時の酩酊感や自分を露わにできる解放感、物を購入することや食べ物を食べるなどの満足よりも、獲物をゲットした高揚感や他者から必要とされることでの承認欲求や肉体的な快楽を求める際には、人との関わりや接触での満足を求めます。
性欲が強い人は、趣味嗜好が人との関わりを求めている理由もありますが、満たされない気持ちが強い表れにもなります。
自分で自分を満たすよりも、他者の存在があることや、他者に認めてもらうことや必要とされることでの満足感が強いので、人との接触にて満足をする性欲を求める姿が、考え方や生き方としての自分の在り方を見せてきます。
性欲の正体から、性欲がない人、ある人の違いが見えます。
性欲がない人は欲望が少ないですが、ないわけではない。
そこには、スピリチュアルな性欲からわかる欲望があります。
※欲がない人のスピリチュアルな話は、欲がない人は地球には存在しない|欲が絞られるスピリチュアルな意味 をご覧ください。

性欲のスピリチュアルな認識

性欲は愛によって自他を満足させる気持ち
性欲にスピリチュアルな認識があります。
スピリチュアルとは、心の認知による愛との接触反応による人間の在り方を意味しており、哲学です。
超能力的な性の習性や行動がある、神秘の妖精とか、小さいおじさんの性生活とかではなく、愛に基づく性欲です。
愛を基に自他を満足させたいと欲する欲望
愛がなければ性欲は生まれず、愛があることで性欲が生まれます。
心の認識にあるのは想いです。想いには、「心地良い」「心地良くはない」の心が感じる感覚があり、肉体の快楽とは完全なる別物です。
心臓当たりがホワッと温かくなるような感覚があり、言い方を変えるとポジティブな波動を受信して認識することで感じる気持ちがあります。
愛とは特定の気持ちではなく、自分も含めた人を敬い想う気持ちで、喜び、楽しい、感謝、許し、謝り、優しさなど、たくさんの気持ちに含まれる感覚からの気持ちがあります。
性欲は愛によって生まれる欲望で、「自分を喜ばせたい」「目の前の人を喜ばせたい」と欲する“願い”です。
そこに性行為は必須ではなく、愛する人を想って優しくしたり、喜んでもらいたいという気持ちが性欲としてあります。
性欲は性エネルギーの解放とコントロールの兼ね合い
性欲をスピリチュアルに捉えると、性エネルギーと欲を組み合わせて作った“波動拳”のようなものです。
私達人間は、人から愛をもらったり、自らの愛を見出すことで温かさと心地良さを心臓辺りや急所に感じ、第一チャクラと第四チャクラが開きます。
- 男性は第一チャクラが本能的に開かれることで急所が温かくなり、性行動へ自然と意識が向かいます。
- 女性は第四チャクラが本能的に開かれることで心臓辺りが温かくなり、抱きしめたくなり、包まれたくなるような意識を持ちます。
温かさは心地良い感覚を生み、熱を持つようにポジティブな力を出します。
人それぞれのチャクラの開きとエネルギー量が違い、精神性や思考や感性優位の度合、性別にある男性性と女性性の度合、グラウンディングや自立度合によって変わります。
本能的にチャクラが開くことは無意識であるため、チャクラが開き過ぎれば性衝動にて動物的になることもあり、波動拳にて自らが巻き込まれることが起きます。
そのため、波動拳の使い方を間違えると自制を失い、性欲に飲み込まれることも起きます。
性エネルギーをコントロールする自制によって、波動拳は目をくらますことにも、愛を与える敬いの気持ちにも、エネルギーを共有する意識にもなり、性エネルギーの解放とコントロールの兼ね合いにて性欲に人それぞれの特色が表れます。
※スピリチュアルな性欲の基となる愛については、愛とは何か。哲学とスピリチュアルからわかるシンプルな本物の想い をご覧ください。

性欲で自分を成長させる
性欲のスピリチュアルな気持ちが肉体的で思考的な性欲と違うのは、“自分のためだけではない”ことです。
自分の心からの気持ちとして自我を喜ばし、そして何より性欲を抱く相手を喜ばしたい気持ちがあります。
自我を喜ばすことは、体も脳も心も全てを満たすことで、相手に喜んでもらうことで心が特に満たされます。
それは愛や優しさであり、奉仕や慈悲の気持ちにて、考え方や生き方が形成される性欲である欲望です。
性欲によって自分を成長させ、向上させることに繋がる
性欲は人との関わりによって育成される人格や性格に影響を与え、愛を育み、癒しや優しさを向上させて成長をもたらします。
相手を喜ばせることで愛を学び、愛を多く持つことに繋がり、愛の認知度を高めます。
付き合う関係は遊び、結婚は本気と聞くことがあるかもしれませんが、それは肉体的で思考的な性欲を求めるために人と関わるのか、愛を育むために人と関わるのかの違いがあり、愛を持つ性欲では人間同士の本気の関わりになります。
※セックスのスピリチュアルな話は、セックスの本質は性エネルギーの受け渡し|赤ちゃんが教える性行為の意味 をご覧ください。

ツインソウルの存在
性欲のスピリチュアルな認識が他の何よりもわかりやすく理解されることがあります。
それは、ツインソウルと出会うことです。
ツインソウルとは:
- 死後の世界も含めた魂としての概念で、魂を分けたもう一人の自分
- 魂の記憶を共有する自分を分けた双子の片割れ
魂を共有しながら、双子の魂として意識を分けることで成長を促します。
それぞれに別の意識体ですが、魂が同じであることから共鳴し合う関係性があり、他の誰よりも近い存在です。
お互いのこの世での経験がお互いの成長のためとなり、協力し合いながらこの世を生きていき、さまざまなことを経験して学んでいきます。
ツインソウルでなくとも、同じ意識レベルにいるグループソウルにて協力し合い、兄弟や姉妹、親や子という関係性となることもありますが、ツインソウルは男女別れ、夫婦になることが多いです。
何を経験して学ぶために今世を生きるかの目的によって、お互いが出会う関係性が変わりますが、ツインソウルと出会うと直ぐに仲良くなり、愛を理解します。
ツインソウルの存在によって性欲を生み出す
愛の認知度を高めて魂の成熟度を上げるために、男女に分かれて生まれることが多く、ツインソウルと出会うことで性欲を強く認識して、愛を育みます。
しかし、男女の関係性があるかどうかは重要ではなく、男女でも同性でも完全なる愛を感じ、「この人と一緒にいたい」と心から想います。
その際には魂の共鳴と、そこに紐づくワンネスとの繋がりがあり、愛の共有や育みが強く生まれ、お互いに惹かれ合います。
愛の認知度を高めることが魂としての意識レベル向上となるので、ツインソウルと一緒にいることで、愛を育むために多く強くスピリチュアルな性欲が生まれます。
何を目的にツインソウルとして今世を生きているかによって、その愛を裂くことがあったり、裂いてから関係を戻したり、人それぞれにさまざまですが、何かしら関わり合う体験を生きている間に伴い、ずっと一緒にいたいという想いからさまざまな出来事が起きていきます。
※愛の性欲にてモテる人の話は、モテる人のスピリチュアルな秘密|鍵は男も女も女性らしく をご覧ください。

性欲のスピリチュアル まとめ
スピリチュアルも肉体的で思考的な性欲も、性欲の正体は欲望であり、満足をしたいと欲する自分の在り方です。
スピリチュアルは心の認知を基にするために、性欲がなくなることはありません。
自分の魂を向上させるための欲望が性欲でもあるので、自分が満たされて完成されたとしても、人と関わることでの自分には完成がなく、人の数ほど成長を求めることができて、人を喜ばして愛を共有し育む欲求を持ち続けます。
スピリチュアルな性欲でも肉体的でも思考的でも、自分が満足したいことには変わりありません。
自分が喜び満たされることを求める気持ちがあることで欲望を持つことができ、スピリチュアルでも何でも性欲を抱きます。
性欲がない人は、人を愛しているか、愛されているかを確認してみてください。
愛によるスピリチュアルな性欲がない人は存在しません。
肉体と脳の性欲はいつでもどこでも、性欲を増やしたり減らしたりと認識を変えることができますが、愛を抱き感じることで胸が熱くなり、急所がホワンとして、「これか!」と性欲を認知します。
性欲のスピリチュアルには魂としての想いがあるので、蛇や亀を食べても人参でもトカゲでもラーメンでもザーメ、ゴホンゴホン。
何をしても愛の認知に向かうことはなく、「ひとりでできるもん」と赤ちゃんが大きくなり、おむつを取るように育っていくことでしょう。
どんな性欲を持つかによって、自分の在り方や性欲との関わり方が変わります。
性欲とは自分を形成して、生き方を教えて、認識を決めて、物事の捉え方や幸せの感じ方を変えるものです。
心豊かに性欲をもって、自分の成長か脳の毒抜きか毒入れか、肉体の筋力増量行為か、腰への負担か、快楽主義か、快感主義か、エゴか幸福か、自分の喜びか人の喜びか。
性欲を知ることで自分を知ることとなりますので、性欲のスピリチュアルな理解から、心地良い自分の在り方となることを願います。
これにて、性欲のスピリチュアルについてのお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
今回もとても興味深く、勉強になりました。
きっとこの知見は、世界中を旅をし得たものが土台になってるんですね。
私は自然体で生きてる中、頭に浮かんだ言葉を追うと
このサイトを参考にしてます。
先日は”リーダーシップ” 今回は ”性欲”でした。
性欲と一言で言えないんだなぁと感慨深い内容でした。
これからも素晴らしい話を継続して欲しいです。
応援してます!
いつもありがとうございます!
ちっちさん、いつもありがとうございます。
応援していただけるなんて、なんとも有り難い。感謝です。