人生哲学

なんでもいいの本当の意味│これが言えれば全てが何でも良くなる法則

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

『DNAシフトセラピスト養成講座』

・セラピストになりたい方
・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※本気で人生を変える方専用。

「次の旅行先どこがいい?」
「んー、なんでもいいよ」

「コノコノ、テキトーに答えんな!」となります。

なんでもいいの意味を間違えて使用すると、「どうでもいい」に解釈されます。

なんでもいいとは、何でも良いということですので、使用する側は意味を理解して意志を込めてから気楽に使用すると、さまざまなプラスの意味として真意が相手に伝わります。

そんな、”なんでもいい”という言葉に秘められた意志と人間性、心理と哲学についてをお伝えします。

おそらく、「えっ、どうでもいいー」となると思いますが、暇つぶしとして読んでもらえれば幸いです。

なんでもいいに含まれる本当の意味を多角的にお伝えし、最終的には引き寄せ方法として使用する話をご覧ください。

なんでもいいことを大真面目に書いているので、10分くらいで読む内容です。

なんでもいいとどうでもいいの違い

なんでもいい、どうでもいいとは

“なんでもいい”と同じように捉えられがちなのが、”どうでもいい”です。

なんでも、どうでも

「半々で二文字同じ、二文字違うので、まぁどっちでもいいよね」と思うかもしれません。同じひらがなだし、似てますよね。

しかし、なんでもいいとどうでもいいは極端に違い、天と地ほどの差があります。

なんでもいいとどうでもいいは、どちらも物事が自分に影響する際に自分の在り方を表現する言葉です。

「今の私の人間性と在り方はこうですよ」と相手や自分自身に伝える際に使用し、何か自分の中や周囲で物事が起きたり、自分に何かされたり、何か問われたりした時に伝えます。

なんでもいい、どうでもいいとは :
自分の状態や状況の変化に対して人間性や在り方を表現する方法

※出来事や質問に対する回答ではなく、それに対する自分の表現

何だか辞書っぽいことを言っていますが、言い方を変えると、自分の状態に何かしらの変化を加えられた時に、「これが私です、ムムム」と自分自身を表す行為です。

 

どうでもいいの意味

自分の表現方法は”怒り”と同じです。

何か憤りを感じた際に、泣いたり怒鳴ったり、パニックになったり嘆いたり演技したりと、人それぞれに自分の状態を表現します。

なんでもいい、どうでもいいの時は、自分の状態ではなく人間性を表現するので、自分の在り方全てを表します。

しかし、「どうでもいいよ」と言う場合は、自分に起きた変化を表現しない意志表示になります。

例えば、「ねぇねぇ、今日のデートはどこに行く?」と彼女や彼氏に聞かれたとします。

その時に、「ん、どうでもいいよ」と言う場合は、「考えても答え出てこないや、私には意見ないや、ってかどこでもいいや、興味ないや」という具合に、自分の中で質問される前と変化が起きています。

それを表現しない、またはしたくない、という心理があり、「自分を表したくない」と思えば拒否表示として、「えっ、どうでもいいよ」と言います。

ここで嫌われたくなければ、優しいトーンとハーモニーで、「はは、そんなの、どうでも、いいぜ、キラッサラッ」と髪でもかき分けます。

どうでもいいと言う心理状態
  • 考えても何も答えが出てこない自分を知られたくない
  • 自分の意見がないことを知られたくないし知りたくもない
  • 興味ないから答えたくもないし考えたくもない
  • 自分に興味がないので、自分を喜ばせようとする気がない

そんな自分を表現したくない拒否にて、「どうでもいい」と言う

心理状態を表現すれば、それがそのまま答えになります。

「んー、考えても出てこないからわからないや」
「じゃあ、一緒に考えよう」とか、「自分の意見を持つようにしよう」など、何かしら次に進みます。

しかし、自分を表現したくない心理があることで、相手の要求を真正面から拒否する形となります。

私達人間は自分に利益のないことはしませんので、どうでもいいと言うことに自分なりの利益があります。

どうでもいいの意味 : 自分の人間性と在り方を表現したくない拒否表示
※表現しないことに自分の利益がある
例:知りたくない自分を見ないで済む、知られたくない自分を知られて嫌な思いをしない利益など

 

どうでもいいは自分に対しても使用する拒否

どうでもいいは投げやりな回答で、相手に委ねることではありません。

自分を認めず、否定をされず羞恥やプライドを守り、恐怖や不安を味わわない利益を得るための対処でもあります。

“自分に何かしらの影響がもたらされた時”=”出来事などにて自分の中に変化が起きた時”に使用する言葉ですので、相手に質問されたことへの回答はあくまで一例です。

突然空から鳥の糞が、ピュー、ベチャ。はい、つむじに直撃で、ねっとり感満載です。

「あーあ、どうでもいいー」となれば、自分の中で起きている、鳥の糞が落ちる前と今の変化の拒否表示としてなかったことにしようとします。

これができる人はなかなかいません。

「うぎゃー、ファッキンシット!」という具合に拒否を表します。
「あーあ、ベッチョリじゃん、まぁ、どうでもいいや」となれば自分に興味がないので、反応して人間性を表現すること自体を拒否します。

そのため、自分に対しての拒否表示でもあり、「私は私に興味ありませんよ」という意味でもあります。

それをする場合は自分が嫌いという明確な在り方が表現されています。

※どうでもいいの真の意味については、どうでもいい心理の先に精神│悩みすぎてどうでもよくなる…それって解決じゃない?をご覧ください。

 

なんでもいいの意味

どうでもいいの拒否表示に対して、なんでもいいは”全てを受け入れますよ”という肯定表示です。

なんでもいいとは=何でも良いということで、All goodという意味です。

「全てGoodですよ、何でも受け入れますよ」ということでして、尊重と敬いを意味します。

「ねぇ、旅行どこに行きたい?」
「うん、なんでもいいよ」

このなんでもいいには、もはや旅行どうのこうのの話を超えています。散歩でもいい、むしろ行かなくてもいい。

「All goodで受け入れますよ」という自分の人間性と在り方の表現です。

なんでもいいの意味 : 肯定して受け入れる自分の人間性と在り方の表現
※相手と自分を敬い、肯定して受け入れるダブル効果を表す言葉

 

なんでもいいは相手を肯定して受け入れている

「旅行はあなたとであればどこでもいいよ」
「あなたが行きたいところにしよう」
「あなたが行きたいところならどこでも喜びだよ」

“なんでもいい”という言葉にはそんな肯定が含まれ、相手を敬っていることで言うことができます。

自分を敬うことで相手を敬うことができるので、自分を大切にした上で相手の意志を尊重できる人間性と在り方を表現します。

受け入れることは、「相手を褒めたい喜ばしたい」ということではなく、自分に喜びがあるから認めて迎え入れられる意味です。

しかし、なんでもいいの意味には相手の肯定も含まれるために、「あなたの喜びを大切にしたい」という意志も含めることができます。

受け入れるとは、敬い尊重することでできる、認める、迎え入れる行為
※敬いと尊重がなければ受け入れられない=なんでもいいと言えず、嘘や誤魔化しや取り繕いになる

「旅行先、コンゴ共和国にしたからね」
「ほげー、うそでしょ?!ちょっと考えようと、どこそれ?!」となれば、なんでもいいを使用できる許容がないことを意味します。

“なんでもいい”の意味を理解しないと相手に真意が伝わらず、使用できません。その場合には、どうでもいいと解釈されて痛い目を見ますのでご注意ください。

なんでもいいに含まれる意志
  1. 相手を敬う肯定
  2. 相手を敬う受容
  3. 自分を敬う受容

 

なんでもいいは自分に対しても使用する敬い表現

他者からの質問以外にも、さまざまな出来事が常に起きています。

ドガーンと、隕石が我が家にのみ衝突です。

「はは、なんでもいいよね」となれば、受け入れの許容が広いことを意味します。

誰かに対しての発言ではなく、自分に対して自分の人間性と在り方を表現した状態で、出来事を認めていることはもちろん、その影響を受ける自分を受け入れています。

それは、自分を敬うことを表すために、「なんでもいいよね」となり、似た言葉で、「なんとかなる」とうものもあります。

どちらも自分を大切にしていることで言える許しであり敬いで、「私はこんなことが起きても自分を大切に愛しますよ」という表現が”なんでもいい”です。

人それぞれに受け入れ許容が違うので、どんな状況や影響や問いに対して使用するかで、その人の人間性と在り方にある愛と敬いの許容がわかるのが、”なんでもいい”という言葉。

「なんとかなる」も同じニュアンスがあり、辛い状況に対しての受け入れが強調される言葉ですので、辛い状況を乗り越えてきた人間性を表します。

※敬いについては、人を愛するとは自分のみが対象│自分を敬うことが唯一でたった一つの愛 をご覧ください。

 

なんでもいいの哲学と引き寄せ

なんでもいいにある人間哲学

哲学…少し話が大きくなってきましたが、なんでもいいとはそれだけ壮大な言葉でもあります。

ここにはさらにスピリチュアルも含まれ、人間の意志や人生を表す言葉でもあります。

なんでもいいと発言する際、それは自分を受け入れ、周囲を受け入れて肯定する基盤が自分にあることを意味します。

そのため、自分だけでなく他者を見る際には他者の人間性や人生をも肯定します。

そんな他者を受容する際には、誰かが自分に対して質問したり、直接関わってくる状態があります。
※自分から向かうことは押し付けや干渉ですので、そこに肯定も受容もありません。

誰かに質問や悩みや相談を持ち掛けられた際に、「なんでもいい」と思う場合、相手の人生や人間性のみならず、起きる出来事や成長を見越した俯瞰性を持ちます。

物事を多角的に俯瞰的に捉えることで、なんでもいいと言うことができ、それは、どんな出来事も悩みもその人のために必要で意味のあることだと理解しています。

悩みがあることが”良い”ことで、苦しむことが”良い”ことで、辛いことが”良い”ことであると認識することで、なんでもいいと思うことになります。

「そんなことができるのか?」という話ですので、なんでもいいと言えるか思えるかどうかは人それぞれの受け入れ許容次第です。

 

人生の意味をあるがままに捉えることでのなんでもいい

生まれた時から幸せであれば、何も考えることはなくなります。

悩みもなく自分の意見を持つこともなく、何不自由なく暮らすことで笑って人生を終えていきます。

それが良いのか悪いのかは本人にしかわかりません。

反対に、生まれた時から不幸であれば、とにかく考えるようになります。

生きる術を考え、人を騙す方法やお金の稼ぎ方、生き方としての他者との共存方法や自分の在り方の演技など、さまざまに考えることで悩みを持ちます。

さまざまな経験を嫌でもする環境となり、それによって自分を成長させて自由に人生を作る土台になることができ、笑うも泣くも自分次第で人生を終えていきます。

何が良くて悪いのかは本人にしかわかりませんが、起きたことは全て良いことだと捉えるのが、”なんでもいい”であり、もはや哲学です。

なんでもいいとは、「起きたからには意味があるから、全部良いことなんじゃなーい」という気楽なノリです。

なんでもいい哲学:
ありのままに起きたことを自分のものにする思想
※拒否をしないで現実を活用する在り方

人生を自分の思うがままにコントロールしようとすれば、思い込みや決め付けにて自分の人生を決め、幸せを決め、喜びを決めます。

それが良ければそれで良いのですが、実際に人生を決め付けることなどできません。

起きたことは起きたことで変わりません。
既にある現実を変えてなかったことにすることはできません。

ありのままにする思想にて起きたことをそのままに、自分が受けた影響をそのままにすることで、自分のために活用できるのがなんでもいいという考え方です。

 

なんでもいいは自然の摂理そのもの

なんでもいいの意味に含まれる、相手の受け入れと肯定、自分の受け入れ。

ここにある敬いの気持ちは、全てをそのままに尊重する意志です。植物が自然界に生えていればそのままに見ます。街中のコンクリートの隙間から生えていてもそのままに見ます。

起きていることをそのまま受け入れることには、自分だけでなくたんぽぽ、その場の環境や関わった人、街を作った人やその場に住む人への敬いがあります。

現実をそのままにすることで拒否がなく、「起きたことをどう自分のためにするか?」を主体にする”なんでもいい”は自然の摂理そのものです。

たんぽぽの花は自然界でもコンクリートの隙間でも、セメントをぶち破ってでも生えてきます。それが自然の摂理です。

誰もコントロールできないたんぽぽ自身と自然界の意志と地球との関わりがあり、咲きたい所で咲きたいように生きます。

それを守るためにコンクリートをぶち壊しても良い、植物の意志を聞かずに咲く場所を勝手に変えてもいい。

エゴを含めるのが人間の自然の摂理であり、自己満足というこの世の常識です。

それをすることにも、それに気づくことにも人それぞれに意味があり、なんでもいいと思うことがそのままです。

なんでもいいと思えるかどうかは受け入れ許容で決まるため、相手を受容して肯定して、自分を受容する前提が必ず必要。
意見ではなく哲学であるために、誰しもが持つ必要のない思想であり、持てない人は持つ必要がない。

※なんでもいいにある精神的な理解は、精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性?をご覧ください。

 

なんでもいいの引き寄せ

世の中には”引き寄せの法則”というものがあります。

思考の現実化を引用して、自分の求めるものを引き寄せる仕組みで、脳科学やスピリチュアルの理解があります。

どちらの認識でも、ともに自分の状態によって現実を引き寄せることに変わりありませんので、自分の状態を如何に高めて、良きことを波動にて引き寄せられるか、または良きことを脳が認識して引き寄せるかです。

そのため、自分自身を理解せずに引き寄せることはなく、「何か念じたら引き寄せられた!」というのは宝くじに当たるような偶然です。

そんな偶然も起きたからには意味があり、全てを含めてなんでもいいと思えることで引き寄せる土台の自分を作ることができます。

 

受け入れの敬いにて波動を高めることができる

引き寄せの法則では自分の波動を高めることで、波動と共鳴した出来事や人を引き寄せることができます。

波動が高くなければ引き寄せようとする土台ができていないので、自分の願いが明確でなかったり、本当は欲していないものを求めていたり、恐怖からの逃避にて現実を見ないようにしているだけだったりと、軸がぶれることで引き寄せることはできなくなります。

そのために、なんでもいい思想を使用します。

といっても、なんでもいい思想はできるかできないかが分かれますので、なんでもいいと思えるための敬いが必要になります。

それは自分を受け入れることから始まります。引き寄せの際の主観は自分のみなので、他者への肯定や受容は必要なく、自分を敬えるかどうかにて波動が高まります。

自分を敬うとは愛することであり許すことでもあります。

なんでもいい在り方をするために、自分として生きることを許し、今の自分であることを許します。

その際に大切なのが、エゴを認めて迎え入れることです。

なんでもいい在り方は本当に何でも良いので、エゴも大切です、愛も大切です。共に自分のためになり、起きたこととして必ず意味がある存在であり経験です。

自分のエゴを敬うことで自分を受け入れることとなり、波動が高まるので、あとはグワッという具合で引き寄せです。

 

なんでもいい在り方にて脳の認識を変える

波動の概念とは別の引き寄せとして、脳の認識を変えることで引き寄せる現実を変える方法があります。

脳の認識では、”自分にとって必要なもの”を見て、感じて、認識する仕組みがあるために、自分の中に設定しているルール設定(観念)を俯瞰することが大切になります。

自分で自分のルールを見ることができれば、後は自分次第でいくらでもルール改定できます。

そこになんでもいいを使用する場合には、何でも良いと思うルール設定ができるので、嫌でも良いことしか引き寄せられなくなります。

その認識を設定するためには、自分を知ることが大切で、自分を理解するために観察します。

自分の思い込みや決め付けの無意識のルール設定に気づくためには、自分を観察して今を生きる生き方にします。

今感じていることを自分で理解することで、呼吸の吸い方を知り、何秒で空気を取り込んで吐いているかを知り、同時にそれを知らなかった自分に気づきます。

そのように観察することで自分を俯瞰して見ることができ、自分のルール設定を一つずつ知っていきます。

あとは、自分の真意としての人間性と在り方に沿わせて、願いや求めることを認識することで引き寄せるという仕組みです。

※引き寄せの詳細は、引き寄せの法則とは何か│普通のことを言っている?という大事な理解 をご覧ください。

引き寄せの法則とは何か│普通のこと?の理解にある受け入れる法則ムアムアムアと物事を思うままに現実として引き寄せる。 世の中では今、“引き寄せの法則”が流行っているとか。 「ん、今じゃない...

 

なんでもいい まとめ

なんでもいいとは言葉以上に、発言する意志が大切です。

そのため、試しになんでもいいと言ってみて、自分が本当にそう思っているのかどうかを確認してみてください。

なんでもいいとは言うか言わないかではなく、言えるか言えないかということに気づくと思います。

言うことで何でも良くない自分が出てくるので、違和感を感じるかもしれません。

その際には、「なんとかなる」がいいかもしれませんね。

なんでもいいと思えれば何でも引き寄せますが、そんなことはなんでもいいんですね。と、こうなってしまうので、この言葉を使用するかどうかは考えようです。

ですが、なんでもいいの言葉にはあらゆるプラスの意味が含まれるために、言霊としてもポジティブな波動を出します。

もし使用する場合には、「あ、やっぱ何でも良くないや」という時の自分に集中する必要はありません。

気楽にテキトーにの精神がちょうどいい塩梅になるのが、”なんでもいい”です。

全てのことは本当になんでもいいので、あとはその許容を広げるか広げないかです。広げすぎると非常識な人になりますので、自分に合わせて受け入れることで引き寄せにもなりますし、敬いにて愛を持つことにも繋がります。

そんなラッキーラッキーな言葉であり哲学、そして、言霊も引き寄せもある不思議な言葉にはさまざまな意味が含まれます。

どうでもいいとの違いから、ずいぶん話が飛びましたが、何か暇つぶしや娯楽として読んでもらえれば嬉しいです。

口癖のようになると気楽に生きることができるので、ぜひ自分のために活用してみてください。

では、なんでもいいとどうでもいいの違い、そしてなんでもいいの意味についての話を終了します。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. のんの より:

    なんでもいい、以前に、すべてはただあるべくしてあり、おこるべくしておこっており、それが唯一無二でそれ以外ないのだから、そりゃあもう、なんでもいいよね。 ただ すべては無常なる 清らかな生命の流れ なのだから、

    (p.s.if there is such NFT art, everyone loves to collect it.( (🙏) )

  2. nono より:

    ここ2週間くらいで、タイトル、変えたんですね。

  3. misa より:

    初めまして。
    とても楽しく読ませていただいている変人です(ノ∀︎\*)
    「なんでもいい」の次に何が来るか?ですが、私は「どうでもいい」だと思っていました(❁´ω`❁)
    「なんでもいい」の「何」というのは決断で、「どうでもいい」の「どう」は「動」。つまり、決断後の行動を示すことで、「動でも良い」。どう動いても良いです。って事です( ˘͈ ᵕ ˘͈ )
    ただ、「なんでもいい」や「どうでもいい」は、めんどくさい時に使う人や、自分をよく見せたい為に使う人も多いので、難しい言葉ですね(*¯ㅿ¯*;)
    海外では、どうなのでしょうか?日本から出たことも無く、外国語もすごく苦手なのですが、日本語ほど細かく伝え合える事が出来るのか?今疑問に思っていることです。
    まだ、全記事読んでないのでお盆中に本も合わせて読破したいと思います。どうぞ、健康に気をつけて人生楽しんで下さい(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

    • 北斗 より:

      misaさん、はじめまして。
      ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。全てを読まれるのは大変だと思いますが、ぜひお楽しみください。
      「どうでもいい」。なるほどですね、どう気持ちを含めるかで素敵な意味になりますね。
      海外の言葉は国によってさまざまですが、音楽のように使用したり、気持ちを日本以上に含めている言語など、多岐に渡ってたくさんあると思います。

      本も読んでくださるということで、ありがとうございます。ふざけた内容ですが、楽しい時間を過ごされてください。

      • misa より:

        お忙しい中、ご返信ありがとうございます。
        外国語でも、奥の深い言葉あるのですね!音楽は、魂ととても深い関係があるように思います(*ˊ艸ˋ)♬*
        ブログ読み終わりました(๑˃̵ᴗ˂̵)و
        人生というか、私も北斗さんと同じような人生を送ってきたなぁと。あっ!旅はしていませんが、子供の頃から心の声を封印して最近まで生きてきました。鬱になって、やっと色々向き合って今は心穏やかに、植物や生きものとお話ししてます(笑)
        これから、壮絶であろう本を読ませて頂きます(ㅅ˘˘)楽しいお盆休みをありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

        • 北斗 より:

          ブログの読破、ご苦労さまでした。同じような人生であれば、人生もこれまでご苦労さまでした。
          植物はいいですね、共に良い時間をお過ごしください。

          こちらこそご覧いただき、ありがとうございます。本も楽しまれてくださいね。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です