スピリチュアル

精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性?

「なんだかこの人はレベルが高いな」と感じることがあるかもしれません。

なんとも崇高で誇り高い、立ち居振る舞いから違う。

実はその上がいます。

おふざけポンチ、ふざけている人。

精神レベルが高いかどうかを見る場合には、人間の内側を見ることになり、思考にて評価判断するのではなく、精神としての人間性や在り方の見極めとなります。

精神レベルが高い人は、思考的にルール付けたり他者を気にする概念がゼロのため、外見を見ると何も考えていない能天気の極みとかなんとか。

そんな精神レベルが高い人の特徴から、精神レベルとは何かの詳細をご覧ください。

精神レベルが高い人の特徴

初めに精神レベルが高い人の特徴にて、精神レベルの片鱗を掴んでいきましょう。

精神レベルが高い人の特徴

精神レベルが高い人には明確な特徴が見られ、それは嫌われる要素と好かれる要素を持ち合わせます。

精神レベルが高い人の特徴
  1. こだわりがない
  2. 嘘の概念がない
  3. 何をされても気にしない
  4. 考えない、感じる
  5. 今を生きる
  6. 柔軟性と寛容性がある
  7. ルールに縛られる意識がない
  8. 時間の概念がないのでスケジュールが一生ない
  9. 楽しいことを求めて遊ぶ
  10. ふざける
  11. なんでもいいと思っている
  12. 精神レベルが高く見えない

順番に見ていきましょう。

 

1、こだわりがない

一切の固執、依存、執着がないために何もこだわりません。

饅頭があれば饅頭を食べ、それが腐っていれば、そのまま食べたり捨てたりと自分の好きなようにします。

「今日の夜ご飯は何にします?」
「…食べるの?」

という具合で、その時その時の状態や状況に合わせて答えが出てくるので、何を言い出すか想像できません。

 

2、嘘の概念がない

自分を偽り、否定されず、恐怖や不安を感じず、見たくない自分を見ず、安泰を得るなどの嘘による利益を必要としないために、嘘の概念がありません。

事前に先のことを予測したり、自分の未来像を予想することがなく、嘘をつくことの意味を理解しているために概念自体が消えています。

 

3、何をされても気にしない

精神レベルが高い人の最も大きな特徴が、何も気にしないことです。

受け入れられる許容の広さを持ち、依存や執着をせず、先のことを予想予測しないので、あるがまま、起きるがままに認めます。

気にしないのは無視するわけではなく、そのままに認めて受け入れます。

押し付けや決め付けがないことを表し、「こうなってほしい、自分のために」「これは起きないでほしい、自分のために」という空想への押し付けや、苦痛回避への依存をしません。

家が巨大な虫に食べられていれば、「ふーん」と眺め、その光景が楽しければキャッキャ笑いながら観る感じですね。

 

4、考えない、感じる

精神レベルが高い所以として、精神を主体にします。

そのため、思考以上に感覚や感性を優位にして、内なる感度を高めます。

肉体感覚を感じ、心にて波動感受をし、気持ちを認識します。

相手の状態や意図を波動にて感受するために、言葉がなくても意志疎通が図れるようになり、意志である精神性にて物事を観て、感じて、想います。

必要な時に思考を使用する状態となるために、思考の使用頻度が低く、心身全体を使用して認識します。

 

5、今を生きる

精神レベルが高い人に存在するのは”今”という現実のみ。

今この瞬間を生きるために、思考にて過去や未来を巡ることがなく、常に現実を認識し続けます。

今この瞬間に存在する自分として肉体感覚と脳の感情と心の気持ちがあり、全身を余すことなく使用して、起きていることを認識します。

 

6、柔軟性と寛容性がある

受け入れる許容が広いことで物事への思い込みと決め付けが一切ありません。

固執がないことで、押し付けや干渉せずに他者の行動はそのままに認めます。

他者や一つ一つの存在を敬うこととなり、柔軟性と寛容性のある寛大な受け入れがあります。

虫が家をバリバリ食べていても、「ちょいちょい、やめてくださいな」と伝えてやめなければそれまでで、「お腹空いてんのかな」と食べるのをそのままに。

「また、家建てればいいか」「まぁ家なくてもたまにはいっか」という具合です。

 

7、ルールに縛られる意識がない

精神レベルが高い人は完全に自由です。

ルール設定や常識の概念がないので、自分の世界の認識で決めます。しかし、今この瞬間しか生きていないので、自分なりの常識を決めても次の瞬間には全く違う常識になります。

水のようで風のような人で、誰かに、「信号は青になったら渡るんですよ」と言われれば、「なるほど」とルールを憶え、その際に思考を使います。

ですが、明日になれば憶えていないかもしれません。

 

8、時間の概念がない

思考をなくすことで、ルールとして認識している地球の時間概念がなくなります。

時間を気にすることもなく、スケジュールを作ることは一生ありません。

すると、朝だから朝ごはんを食べる、夜だから寝るという常識もなく、ご飯はお腹が空いたと肉体が認識した時、眠いと脳が求める時に寝ます。

今何時かを確認することもなく、必要であれば自分の肉体感覚にて時間が作られるので、感覚的に体感します。

 

9.楽しいことを求めて遊ぶ

精神レベルが高い人の大きな特徴は、いつでも”遊ぶ”ことです。

自然の摂理のように自分が求めることをする人間性と在り方にて、喜びや楽しいこと、愛のあることを求め、全てが含まれる”遊び”をしてはしゃぎます。

その際に、「幸せだなぁ」と思うこともなく、ただ楽しい感覚を感じて受け入れてそれだけです。

自分を愛する結果として遊びます。他者を愛する結果として他者を仲間にして一緒に遊びます。とてもシンプルです。

 

10、ふざける

受け入れることは、どんなことも認めて敬えることに変換する能力でもあるために、怒りや悲しみもふざけてしまいます。

それはユーモアになり、悲しいことも笑いに変えたり、辛いことも喜びに変える遊びとしてふざけつくします。

ふざけることでの他者の目や反応も気にせず、自分や周囲の人が喜ぶことを第一にして、起きた現実を喜びや楽しみに変えてしまいます。

 

11、なんでもいいと思っている

あらゆることを自分の世界に変えてしまい、それを他者のためにも変える力を持ちます。

人それぞれに人生があり、時間があり、世界があるために押し付けや干渉は一切せずに、起きることはそのままに、生死を含めた俯瞰性にて意味を見出します。

俯瞰性にて意味を認識し、辛くても良い、幸せでも良い、ふざけても良い、糞真面目でも良いと捉え、なんでもいいと思っています。

以上が、精神レベルが高い人の特徴です。

※視点を変えた魂レベルについての内容は、魂レベルの高い人と低い人の特徴|口が悪くても意識が高いワンネスへの距離感 をご覧ください。

 

精神レベルとは

精神レベルとは

精神レベルが高い人の特徴には共通点があります。

それは、“受け入れられる”ことです。

受け入れることは、するかしないかではなく、できるかできないかです。

精神レベルとは、受け入れる許容がどれだけ広いかに比例して高くなります。

受け入れるためには許容としての柔軟性や寛容性が必要で、それに伴って俯瞰性や敬いが生まれ、自分から他者を敬うことに繋がっていきます。

精神レベルとは : 受け入れられる許容の広さを表す人間性
※現実をそのままに認めて拒否せずに自分を許す様や在り方

受け入れられることが増えていくと、精神レベルが一つずつ高くなっていきます。

 

精神レベルには固執の反対が大切

精神レベルは一つずつ受け入れにて上がっていきます。

例えば、「今日のご飯は卵焼きじゃなくて、和牛ハンバーグになっちゃうんだ」となった時、受け入れられる人は、「えっ、そっちの方がいいやんけー」「まぁ、ハンバーグも良いよね」となります。

しかし、「なんでやねん、卵焼きが世界一やんか!」「和牛なんか食ってられっか」となれば、自分の事前予想や思考に固執します。

これは、自分ルールを他者に押し付ける状態となり、ご飯を作ってもらっていることや、手伝いもしないで食べられることを当たり前だと思い、現実の認識幅を自ら制限してしまいます。

自分の思考ルールの中にこもってしまい、そこから外は見ずに受け付けないことは、ルールの中でしか生きられない狭さと精神レベルが低い状態を表します。

精神レベルの高低を分けるのは、物事の認識が多角的(俯瞰性)で幅が広いかどうかと考えられます。

バナナの片側だけを見て、「おいしそう」と思うのではなく、反対側には白い胞子が付いていることや、黒い斑点がついて糖度が高まっていることも踏まえるような具合です。

精神レベルの大切なことは、真面目に規律と常識に縛られないおふざけ加減。

ルール設定の量や思い込みは精神レベルが低い訳ではなく、自分のルールしか見えていない人間性からの、攻撃性や押し付けて他者を変えようとする様にレベルの低い特徴があります。

※精神的に大人の状態については、精神的に大人な人の特徴と生き様│大人になるには要「自立と恐怖」をどうぞ。

 

精神レベルが高い状態

物事を多角的に捉えることで、常識の見方を自分の見方にします。

さらに精神レベルが高くなることで多角的な捉え方が俯瞰的になります。

空に浮く感じです。

常識やルールを自分の認識で理解することで生まれる効果が、押し付けや決め付けにて他者を変えようとしたり、干渉して自分を押し付けることをなくす対処です。

自分を明確に持つことで愛する意識へ繋がります。すると他者を干渉する必要はなくなりますが、受け入れる許容が増える訳ではありません。

起きた現実を拒否する状態をなくす多角的な捉え方から、物事や他者を敬う気持ちによって受け入れが増えていきます。

すると、最愛の人との別れも、「バイバイ、またねー」という具合で気楽になり、物事の線引きや大小の区分けや差別がなくなります。

精神レベルが高い状態は、拒否しない様以上に迎え入れる様
※受け入れに喜びがある完全なWELCOME状態

 

依存と執着の矛先と手放しにて精神レベルを高くする

精神レベルが高くなると依存と執着が手放されていきます。

  • 精神レベルを高めることで、起きた事実を拒否しなくなる = 他者への依存と執着を手放す
  • さらにレベルを高めることで、起きた事実を迎え入れる = 自分への依存と執着を手放す

精神レベルが高い状態とは依存と執着を手放す状態で、自分へのものを手放します。

わかりやすいので最愛の人との別れを例にしますが、最愛の人に依存と執着をしていた状態を手放すことで、”悲しい”、”辛い”ということがなくなります。

その後、最愛の人がいたことで自分の喜びが得られていたと名残惜しむことや、復縁したいと願う過去にセンチメンタルな自分への依存と執着を手放すと、本当の意味で受け入れになります。

精神レベルが高い状態は依存と執着を手放し、受け入れの意味を理解する。
※受け入れは依存と執着が紐づいた段階がある

精神レベルを示す”受け入れ”は、意味を理解できるかどうかが精神レベルに左右されます。

 

精神レベルは自分への許し度

精神レベルは依存と執着を手放した後に、自分を許しているかどうかの段階に入り、さらに高まっていきます。

それは、自分を許すことで受け入れの許容が増える意味です。

精神レベルが高まると、自分への敬いと愛から、他者への敬いと愛に広がっていきます。

しかし、どれだけ他者を愛するかは精神レベルには関与しておらず、あくまで”自分のみが対象”である精神レベル。

他者を愛せる範囲が広がることは受け入れ許容が広いため、精神レベルの高さを表しますが、さらに高くなると他者を愛するかどうかが関係ない領域に入ります。

そこで関与しているのが“どれだけ自分を許せるか”です。120%越えで許していきます。

言い方を変えると、どれだけ自分として生きる抵抗がないかです。

精神レベルが高いと自分として生きる抵抗がない。

依存と執着はとても大切なものです。自分に対してなければ、自分を喜ばそうとする意識がなくなります。

しかし、精神レベルが高い人は思考をせず、今この瞬間にしか生きません。そのため、「自分を喜ばそう」とする人間性があっても考えたり思うことがありません。

自分を許して抵抗のない様を作ることで、今この瞬間に起きたことを何でも喜びにしてしまいます。

それが、ふざける。

※精神性とは何かについては、精神性とはスピリチュアル?│実は簡単な意味と大切さ、そしてサービス をご覧ください。

 

精神レベルが高い人はふざける

おふざけは全てを遊びに変える変換術で、”ユーモア”とも言います。

精神レベルが高まるにつれて、起きている現実のみを認識するために過去や未来への空想や回想がなく、脳の思考による依存や執着がなくなります。

すると、今この瞬間を生きることになります。

今を生きながら自分としての抵抗がない様は、ありのままの自分であり、そのまま。

わかりやすく言うと、光り輝く崇高な笑顔でウンチ垂れ流し状態です。

自分を許すことでそのままの自分に抵抗がなくなり、今しか生きられなくもなりますが、そんなことを気にしたりこだわることもありません。

ふざけることで目の前で起きたことを何でも遊びにしてしまいます。そして、自分で遊び楽しむことを作り出し、他者への共有や調和にて愛を育みます。

もちろんウンチは垂れ流れています。ブリブリー

 

真面目からおふざけへ

許しを広げて、どんな辛いことも悲しいことも喜びにしてしまうのが精神レベルの高い人です。

こだわりがないので他者と遊ぶかどうかも、その内になんでもいいようになっていきます。

それを精神レベルっぽく言うと、他者の人生や在り方そのものを敬う意識を持ち、物事の全ての意味を理解することから、辛さも喜びも他者自身の成長や精神レベルを高める糧となる認識を持ち、関与や干渉をせずに見守ります。

これはその人自身が自ら成長するための見守りであり、出来事をそのままにする愛です。

成長の機会で助けを求められれば、それがありのままとして思うままに手を差し伸べたり、差し伸べなかったりとその瞬間に自分が抱くようにします。

と、このように真面目な状態を超えることで、そんなこともなんでもいい状態となり、見守る認識だけして意識することもなくなり、あらゆることを見ているけど気に留めないという状態になります。

ありのままに全てを受け入れる状態となることは、”地球”のようです。地球がふざけ始めた状態が精神レベルが高い人だとイメージするとわかりやすいかもしれません。

「突然だけど、明日寿命ね」と余命宣告されても、「なるほどねぇ、じゃあこれをみんなに言い回ってふざけよう」「本当でしたパターンだ」となっちゃう。

これが俯瞰性でして、無視や無干渉ではなく把握だけしている状態です。

そのまま俯瞰していく状態が”ワンネス一体”と言われるもので、全てを一つの意識と捉えた全体の見方となり、他者を自分と同じように認識して、自分が経験したことを見守るような温かい在り方をします。

心身全てにて認識しているので認知幅が広く、それを気に留めないだけで理解はしているのが精神レベルの高い人です。

ただ、ふざけているので精神レベルが高いようには一切見えないという特徴があります。

※精神的に強い人の話は、精神的に強い人は自己中じゃないと│特徴からわかるメンタル強化の内道 をご覧ください。

 

精神レベルが高い人はただのレベル低い人に見える

「ちょっと何をこんな時にふざけてんの!」
「いい加減にして!」
「空気読めよこの野郎!」

ハハハ、最高!

これです。

精神レベルを高めるかどうかは考えようです。

しかし、ここまで行かなければ、より崇高で崇められるような精神レベルの高い人になれるので安心してください。

本当に精神レベルが高いと嫌われます、信じられません、相手にされません。

何とも、何も考えていない能天気なおバカさんに見られますし、どんな時でもふざけているので、同じような精神レベルの人でないと理解できません。

平気で生死の話を笑ってしますので、排他されます。ドーン

社会的には非常識となるために、全くもって精神レベルが高いようには見えず、「私は精神レベルすごいよー」と自慢することも自覚もしないので表舞台にも出てきません。

ただ、そんなことは気にしませんしこだわりませんので、自分のいる場所や目の前を認識して常に楽しんで生きていることには変わりありません。

 

どう見られても自分を許して受け入れ続ける人が精神レベルを物語る

真面目な人や糞真面目な人がいて、常識やルールがあるからこそふざけることに楽しみが見出せることを理解します。

一つ一つの理解があるために、エゴや依存や執着、そして恐怖の大切さを知り、必要のなさを知り、物事の見方が全方面からになります。

それはミクロの詳細な世界に入り、認識する自分を極小にすることでミクロがマクロになる状態で、自分の認識となる視点を大きくしたり小さくしたり、地面からや空からと自由に変えます。

そして、「どの視点が楽しいかな?」とたまに思考を使い、お気楽に受け入れ続けます。

喜びや楽しいことなどには自分を愛する意志が含まれ、愛に関することは一切の抵抗なく受け入れられることです。

しかし、愛でもエゴでも恐怖でも視点を変えて受け入れる許容があることで、どちらも楽しく喜びのあるものに変わるので、精神レベルが高い人は誰とでも関わります。

愛のある天使のような人と関わり、ウンチでもぶん投げてキャッキャする。

恐怖の強い鬼のような人と関わり、逃げ回ってキャッキャする。

自分の意志で行動し責任を持ち、「この野郎!」と思うこともなく、「この野郎!」と演技してふざけます。

死ねばそれまで、生きていればそのまま。

もう完全なる自由ですが、その先がまだまだあることを知っているのが精神レベルが高い人の真意でもあります。

何も考えていないような考えているような、そんな人。

※精神性からもたらされる意志の話は、意志が強い人と弱い人の特徴│自由なる意志を高くする曇りなき口癖 をご覧ください。

意志が強い人と弱い人の特徴│自由なる意志を高くする曇りなき口癖この世は狂っていて、狂っていない。それは全て意志次第で決まる世の中。 意志とは何か? これを知ると人生を知ることになります。...

 

精神レベル まとめ

精神にレベルがあるのかどうかは謎なところですが、受け入れる許容が増えることで人としての在り方に違いが出るのは確かです。

同じ出来事が起きても、受け入れにある拒否をしない様、他者への依存と執着、自分への依存と執着、自分への敬いと愛、他者への敬いと愛、そして自分への許しがあることで、受け入れ方や認め方に人それぞれに違いがあります。

その違いをレベル分けすることで精神レベルが見出されます。

精神レベルは人と比べるものではありませんので、レベルの認識は許容に対して自分のみが認識するものです。

その際には、全ては”自分への許し”の話であることに気付くと思います。

どんなことが周囲に起きても、どんなことを自分にされても、それを受け入れるかどうかは他者や物事を受け入れるのではなく、その他者や物事の影響を受ける自分を受け入れるかどうかです。

すなわち、影響を受ける自分を許す許容があるかどうか。それは、柔軟性であり寛容性であり、俯瞰性です。

せっかくレベルが高いのであれば、他者に評価されるような、ビシッと決めて、バシッと素敵なことを言って、「これは名言なり、ドカン」と後世に残すと良い感じ。

ですがいかんせん、精神レベルが本当に高い人は何も気にしないために、大切な仕事があっても急に森に行ったりしますので、社会性のある常識やルールで縛れません。

水のように風のように生きるために、今頃どこで何をしているのか、気付くと霊になっていたり、そんな遊びをしていたり。

そんな、ふざけた人が精神レベルの高い人という話でした。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です