『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
心と向き合いたい人ほど、恋愛感情に疑問を抱きます。
「一緒にいて落ち着く、けれども好きかわからない」
こんな時にはっきりさせたいのは、「落ち着くこの人は何者?」と同時に、「私の心の本音は?」の二つ。
これらの答え、人間の精神と心理を紐解くと出てきます。
ここでは、一緒にいて落ち着くのに好きかわからない状態を分解し、心の明確化に迫ります。
- 一緒にいて落ち着く人のことが好きかどうか知りたい
- 好きかわからない関係性をクリアにしたい
「落ち着く」と「好き」は相容れない気持ち。
そんな精神理解を紐解く内容となっております。
人間の気持ちを知り、お互いの関係性を良きものとするために、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
一緒にいて落ち着くけど、好きかわからない
この曖昧さを知る上でとっても重要なことが、落ち着く気持ちとは何かです。
一緒にいて落ち着く人とは?
時空間の共有、そこに調和があると落ち着く感覚が生まれます。
落ち着くとは、安心の中枢感受。
一切の排他攻撃がない、ジャングルの楽園。
「ほっとする、ほんわかする、安心する、今日も裸で水浴びだ、イエイ」
不安や防衛意識が緩まったメンタル状態を意味します。
ここでポイント。
人と居ることでの落ち着く気持ち、気を許した相手に抱きます。
典型例が、親友、家族、いつもお菓子をくれる近所のじいちゃんばあちゃん、行きつけの喫茶店の変わらないマスター。
特に仲のいい人に抱く気の許し、気を張る必要性がありません。
一緒にいて落ち着く人とは、気を許せる人です。
落ち着く人=時空間を共有できる
落ち着くとは時空間を共有し、調和しているからこそ抱く気持ちであること。
私たちは誰しもエネルギーという周波数(振動、波動)の中で生きているので、他者と関わる際は誰でもエネルギー同士が干渉します。
キンキン、カンカン、ブワブワ、ポワンポワン。
ぶつかってもプニューンと当たり、ブヨヨヨンと融合すると、干渉は共有や同調という調和になります。
キンキンと衝突し合っては調和が生まれず、マウントやモラハラ、私物化に支配化、落ち着く気持ちには到底なりません。
調和は時空間(テリトリー)を共有できている表れ、気を許すだけでなく相手を許す心理状態です。
本質的には自分を許す意味。
一緒にいて落ち着く人とは、自分を許せる状態にしてくれる人(許すことで時空間を共有できる)です。
※落ち着く人のタイプ詳細は、【居心地がいい人の5タイプ】一緒にいたいスピリチュアルな訳 をご参照あれ。
好きかわからなくなる理由:自分を許す状態になるため
[一緒にいて落ち着く人=自分を許す状態になれる相手]
自分を許すから相手を許せます。
自分を許すから気を許し、気を張らず、安心できます。
自分を許すから心を開き、気楽に、調和でき、落ち着きます。
愛とは自他両方を敬い受け入れる気持ち、まさに時空間を共有する状態です。
テリトリー干渉を受け入れ、パーソナルスペースを緩和させて歩み寄る(または許容する)さま。
自分を許せる状態にしてくれる人と一緒にいると落ち着きます、が、好きかわからなくなります。
わからなくなる理由は、自分にも相手にもフォーカスしなくなくなるからです。
自分を許せる状態=フォーカスが自他どちらにもない
「相手と居る際、相手に着目してる?」
確認されてみてください。
フォーカスは無意識に自分と相手の時空間、共有しているテリトリーになり、着目が自分でも相手でもなくなっています。
極端に言うと、「あれ、いたの?っていたよね、ははは(あっれ~、忘れちゃうくらい同化してたぁ)」
認識が個から全体へポワーンと広がっている状態です。
人によっては空間が安全であることに着目し、お菓子をバリバリ食べながら本を読み、自分の行為に集中しやすくなり、自分のことすら忘れます。
自分を許すと頭にも心にも余裕が生まれ、自然体になります。
精神的に捉えると、「私は私、この私、この性格、この自分らしさが私なの!」という我の主張や固執が緩まり、エゴが減り、ありのままや無為自然状態。
刺激や凹凸が減り、フラットで波の上下変動がない緩やかな精神、心の在り方になります。
刺激が生まれにくく、シゲキックスや綿飴ぱちぱちするやつだったのが、ほうじ茶飲んでズズズ。
お茶の味をしっかり堪能している自分になっており、「あれ、そういえば一緒にいるのに、好きという恋愛感情がよくわからないや」となります。
自分を許すと今ここに集中しやすくなり、認識は点ではなく円、一点を見ない代わりに全体を見るイメージです。
好きかわからなくなる理由:着目が自他両方になるため
もう少し「好き」と抱く状態を深掘りしましょう。
好きと抱けば、遅かれ早かれ嫌いも抱く。
好きかわからない場合、嫌いかわからない。
好きとわかる場合、着目は自分か相手かどちらかに強い状態。
嫌いとわかる場合、着目は自分か相手かどちらかに強い状態。
「好き」の感情は相手(または自分を投影した相手)に着目して抱く気持ち、自分か相手どちらかに強い一点フォーカスがある状態と考えられます。
そのため、刺激がある方が抱きやすくなります。
刺激とはドーパミンを初め、笑いや楽しさ、相手がわからない(から知りたい)、恐怖や危険、フォーカスが一つに強い状態(例えばアイドルしか目に入らないなど)。
許す状態は相手や自分への着目が薄れ、刺激がなくなり、好きも嫌いもなくなります。
イメージは、バンジージャンプやジェットコースターは自然と自分の恐れと喜び、相手がもたらす楽しみと不安に認識が向き、好き嫌いの感情を抱きやすい。
気を許した幼馴染には、「え、もう知ってるもん、いまさら着目って」という具合に認識が向きにくく、一緒にいる自他の時空間や雰囲気に認識が向いて好き嫌いが曖昧に。
着目が自他両方、またはどちらでもないと好きかわからなくなります。
※落ち着く人の特徴は、一緒にいて落ち着く人の特徴14選【ほっこりフィーリング】をご覧ください。
「落ち着くけれども好きかわからない」と悩む心の本音
落ち着く気持ちの内訳①:気楽
落ち着く気持ちには『許し』があると知っていただきました。
この『許し』、大きく二分されます。
- 気楽さ
- 共同体感覚
※どちらも安心感のある気持ち
気楽さをもたらすのは、自分を許した場合
疲れない、ストレスがない、我慢する必要がない、気軽でラクチンな関係。
気使いが要らず、時に気が抜けるほど緩み、配慮なく躊躇なくなんでもはっきり言ったり、人を足で使うことも起こります。
気楽さは不安がなく安心があり、継続的な関係になりやすく、合う点がお互いに多いので結婚も視野に入れやすくなります。
喧嘩は多くなりますが、気を使わずに過ごす平等な関係になります。
自分を許しても相手を許しているかどうかは人によって違うこと。
一点気になるのは、相手を許していない場合、気楽さの意味が変わります。
許しのない偽装落ち着き
相手を許していないと何もかもをさらけ出すことはせず、不安を生じる懸念は完全に心の奥に隠します。
隠ぺいありきの気楽さ、何が何でも告白しない強い決意によって気楽さを強固なものに練り上げます。
例えば、自分をさらけ出さずに恒常化すると、嫌なことと向き合わずに良いことだけを認められる関係性に気楽さと落ち着きを覚えます。
この場合、好きかわからない真意は本人が知っています。
好きではない。
が、それを認めると嫌な気持ちになるので認めない状態。
関わると楽で、一人にならずに済み、不安や恐怖の不利益がなくせる損得計算をした結果、関わり続ける他者利用を継続します。
隠し事をしているというのは、何か質問されたりお互いを知り合おうとする際、どうしてもタブーを避けながらの思考や会話になるため、罪悪や後ろめたさなど歯の奥にメンマが絡まった気持ちになります。
これが恒常化するとやんわり嘘をつき、嘘をついていると思わない程度に自らを誤魔化して罪悪を感じなくなります。
すると、好きかわからない自分を許せなくなる可能性があります。
相手を許していないことは、実際には自分も許していない心理を表します。
※許す本当の意味は、「人を許す、自分を許すとは?」本質はスピリチュアル【三つの受容と愛】をどうぞ。
落ち着く気持ちの内訳②:共同体感覚
素晴らしく自然な関係性であり、好きかわからなくても心同士が繋がり合っています。
共同体感覚について(アドラー心理学)、
共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する。
共同体感覚が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないようにする。
相手を仲間だと信じ、繋がり合う感覚や意識があると、私たちは共同体感覚を育めると言われています。
落ち着きや居心地のよさを感じるのは、自他共に許すことでの信頼と調和、共同体感覚があります。
共同体感覚には、「私は私、この気持ちが私のものだ!」という自我の主張はなく、[自分=自+他]になります。
一緒にいて落ち着く人も含めて自分という認識になるため、好きも嫌いも、愛するも愛さないもよくわからなくなります。
意識すること自体があまりなく、「意識すれば好きかもしれないし、愛しているかもしれないし、うーん、どっちでもないかもな」なんて具合に徐々になっていきます。
心と向き合って本音を出そうとする人ほど、好きかわかりません。
けれども気にする必要はありません。
共同体感覚があると調和があり、許しがあり、お互いに助け合い、協力し合い、成長し合い、高め合います。
時に助け、時に厳しく、時に甘え、時に離れるので、人間としての深く濃い関係性、それはパートナーや夫婦といった肩書も必要としない超濃密な間柄になります。
重要なのは、好きでも嫌いでも落ち着く気持ちが心地いいかどうかです。
※本当に合う人の見極め方は、「波長が合う!」は勘違いの可能性大【本当に合う時の感覚&直感の真相】をご参照ください。
番外編:好きかわからないのは、大好きだから
大好きだから、距離が近すぎるからこそ、好きかわからない可能性もあります。
気楽だから落ち着く場合はこれに該当しません。
共同体だから落ち着く場合はこれに該当する可能性があります。
こういったものは意外に多くあったりします。
例えば、何気なくいつも食べているけど、何が好きか聞かれるとよくわからないもの。
もはや食事は卵だけでいいと思っているほどでして、実際何が好きなのかよくわかっていません。
明確なのは卵に対するリスペクトがあり、卵を無残に破棄されると怒りが出てきます。
好きかわからないものに対して、誰かが排他・攻撃した際、それがどんなに怖ろしい相手でも怒りを露わにする場合、心から大好きなのかもしれません。
例えば、自然。
自然が汚されれば怒りが出てくる。
意識せずとも調和している共同体は、「好き、愛する」とわかっていなくても、気づけば自然と自分の調和に集中している。
大好きだからこそ、心から愛するからこそ、それらの気持ちが調和と許しの共同体感覚だからこそ、[自分+他(自然)=自分]になっているので好きかはっきりしない。
海があればずっと海を眺め、火があれば火を見つめ、石があれば無意識に触り、川があれば気づけば飲んでおり、山があれば登っている。
大好きも愛するも無く全てが在る共同体感覚、全ての答えは一緒にいて心地いいと感じるかどうかの現実そのものです。
※落ち着いた人間性については、【温かい家庭と冷たい家庭】おっとりしている人の育ちと精神性 をご覧ください。
最後に:一緒にいると落ち着くけど、好きかわからない
好きかわからないものほど、一緒にいることが明確な答えそのものです。
確認したいのは落ち着く気持ちの内情、本音。
何が良いか悪いかは本人のみが知ります。
他者との人間関係には正解も間違いもなく、お互いがその時その時に決め合うもの。
ただ一つ注意したい点があります。
執着や依存心があるかどうかです。
気楽さはとても大切ですが、執着や依存であれば配慮と敬いがなくなり、気づけば損得勘定や損害回避を目論む他者利用になる可能性があります。
私自身痛い経験となったことがありまして、好きや愛する気持ちに執着すると、共同体感覚から遠のいて落ち着く気持ちを壊してしまいました。
好きであることが重要かどうかは人それぞれです。
人間関係で本当に欠かせないのは調和であり、『自他への許し』があるかどうか。
好き嫌い以上に大切なものを持っているからこその、「好きかわからない」
本質的に共同体感覚を育み合う関係性を作るためにも、一つのご参考になれば幸いです。
最後までありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。