育ち

【温かい家庭と冷たい家庭】おっとりしている人の育ちと精神性

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

「あれ、急に空間がほんわかし始めた」「あぁ、落ち着く、安心する」

平和な空間を持つ、おっとりしている人。

「どうしてそんなにおっとりなの?」と聞いてみたところ、「う~ん、なんでだろうね~」と言っている。

これは精神性なのか、それとも闇を知らないのか?

はたしてどんな精神の持ち主なのでしょう。

ここでは、おっとりしている人の解明を深めるために重要な、育ちに迫ります。

  • おっとりしている人の育ちを知りたい
  • どうしておっとりするのか理解したい

時空までホワホワするような、絶対的な余裕が見られるおっとり人間物語り。

自己を、または身近なあの人を知るために、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

おっとりしている人の育ち

着目:おっとりしている人の育ちポイント

今日もにこやかで朗らかなあの人、毒リンゴだって平気で貰っちゃう。

険しい人相で忙しく働く人々の中、まるで時間が止まったかのごとくクリームパンを食べて夢見心地、「なにこれ、おいし~」「食べる?」

心地良く穏やかな雰囲気

自分がなくならない一貫性

動じないマイペース

「おっとり」の有り様には、自己確立による絶対的な余裕が見られます。

不安と恐怖が少なく、緊張感がなく、笑顔がほんわか、ゆったりした雰囲気、焦らず、冷静で、常に心に余白があります。

素敵な人間性ですが、何も困らずに生きてきた恩恵としておっとりしている可能性もあり、どういう育ちがあったのか気になるところです。

そこで着目したいのは、おっとりしている人の大きな特徴。

マイペースで芯が強く、他に干渉せずに受け入れる人こそ、おっとりしています。

4つ。

  1. マイペース
  2. 芯が強い
  3. 他に干渉しない
  4. 受け入れる

自分軸が明確にあり、意志と信念を持ちながら、他は他としてあるべき認識があり、人のやり方や信念に干渉せず、個々の在り方を敬います。

「ああしなさい、こうするべきだ、さぁはやく!」がない。

「そうしたいの、じゃあそうしよっか、間違えれば変えればいいよね」なんて具合。

人と調和しながら己も他も消さないさまがあり、他を排他しない意識と、自己への尊重が見られます。

一緒にいても平和的、押し付けや決め付けがなく、人それぞれの在り方を見つめながら自分のペースに合わせて受け入れてくれる人。

待ち合わせに遅刻されても気にせず、「待ってる間にアイスクリーム食べちゃった、やったね」

あらま、平和~。

育ちの着目ポイントは2つ

  1. 排他がない
    =自由
  2. 受容力がある
    =思いやり

それでは材料を基に本題へ入りましょう。

 

おっとりしている人の育ち①:排他されない環境

一つ目は、『排他がない育ち』

「チョモランマッ」

「コラッ、家に帰ったらチョモなんたらじゃなくて“ただいま”って言いなさい!」

これがない育ちです。

排他とは否定や批判や無視など、その人をその人として認めずに拒否する行為。

本人の意図や気持ちを度外視せず、思い込みや決め付けをせず、その人としてしっかり捉えるために相手側の目線で理解しようと努力する家庭環境は、おっとりを高めます。

「チョモタンマって何?」を始め、どうしてそれを言うのか、家に帰った時に使いたいのはなぜかなど、本人の理解を一緒に深める平等ある協力と調和があります。

「チョモタンマじゃないよチョモランマ、保育園でみんな言うんだよ」と会話をしながら、家に帰った時に「ただいま」と言う意味と大切さを教え、チョモランマの本人にとっての正しい使い方を一緒に考え、導く教育があります。

理解のない言動をアップデートしてあげるだけでなく、意思や気持ちを大切にしながら使い方を調整し、本人の創造を肯定してレベルアップさせる機会。

『自由』を重んじた縛りのない生育環境です。

縛らずに放任して無視するなどの無責任ではなく、自由になるための邪魔をしないのが排他のない育ち

難しいことですが、これができる親との育ちがあると、マイペースと芯の強さが成長し、おっとりした人になれます。

 

おっとりしている人の育ち②:私物化しない親

私物化しない環境で育つことは人格形成に大きく関与し、『排他性のなさ』がより際立ちます。

私物化は個々人の意志、意思、アイデンティティ、性格、性質、気質など、「あなたで在ること」を無意識に排他してしまう可能性があります。

「(私の子なんだから)言うことを聞きなさい」
「(私の子なのに)なんで言われたようにできないの」
「(私の子なら)これだけ怒ればわかるでしょ」

思い込みや決め付け、上下関係、支配欲や無知、無思考と学ぶ気のなさ(怠惰や現状維持)が増大してしまいます。

さらに、辛くても身を粉にして子供を守ってきたなど頑張って育ててきた主張、強すぎる仲間意識があると、執着と依存心によって無意識に私物化しやすくなります。

私物化しない家庭は、自ら物事を考えて他者を理解しようとする、責任と自律のある人々の集いを意味し、留まらずに学んでいく意志があります。

頑張って育てた主張がない、強すぎる仲間意識がない、依存していない意味でもあり、自他の線引きをして個々人を尊重しているとわかります。

自分と相手両方の自由の尊重であり、私たち人間は誰しも自由であっていい、そんな縛りのない平等認識を持つ家庭で育つと、おっとり感が高まります。

 

おっとりしている人の育ち③:自己受容しやすい

自己受容が促進される環境には、「私は大切にされているんだ」と安心できる育ちがあります。

自己受容とは、存在する自分をそのまま見つめて、感じて、考えて、受け入れること。

心を開いて自らを大切にする意識、愛が欠かせません

信用でき、人を疑うことなく、自らを大切な存在だと認識する環境で、幼い頃から愛を認知するほど自己受容できます。

自己肯定は他や過去を含めて相対的に認めるため、良悪、優劣、高低、今昔の概念が含まれ、複合的に自分を認めます。

少しややこしいですが、自己受容はシンプルに「今この瞬間の私」を見つめて受け入れて終了。

「お、膝を上げようと意識したら膝が上がった、これがわたしー」というイメージでして、否定も拒否も排他もなく、「今、私、これ、オッケー、イエィ」

精神的に豊かで貧しくない家庭、疑心のない心を開いた環境であるほどホッとでき、過去や未来(執着や期待)ではなく現実という今この瞬間に集中して、自らの行動、気持ち、認識を受け入れられます。

安心と信用を感じる環境で育つと、おっとりしていきます。

幼い頃から既におっとりしている人の場合、不信を感じる家庭環境であっても、特定の人(例えば母)から強く信用と安心を感じられれば、おっとりは消えずに済みます。

 

おっとりしている人の育ち④:思いやり

最後の育ちとなるのは、思いやりを学ぶ生育です。

上述の安心と信用ある環境には、排他がなく愛があります

愛とは自他両方を敬い受け入れることでして、そこには必ず思いやりがあります。

思いやりとは、自己受容を初めに他者の受容があればあるほど高まる、心の許容・寛容・俯瞰性です。

育ちに大きく関わるのが、自分の頭と体と心で考える自律の高め

自分で考えることは認識の現実度を高める意味でして、「あの人にはこの優しさが必要なはずだ、そうに違いない」といった独りよがりをなくし、より相手側の目線や思考になる基盤です。

重要ポイントと考えられるのは、実際に親など周囲の人々から思いやりを受け取る経験、それによって自ら考えて思いやりを磨いていく理解です。

「なんか欲しいって言えば何でも買ってきてくれるぞ、思いやりだー」なんてことは思えないのが思いやりの仕組みでして、「自分を想ってくれているんだ」と心同士が繋がる経験が自分で物事を認識して考えるきっかけになります

親にされた優しさをそのまま親にしてみる、そんな返報性を皮切りに相手の反応を見ながら調整し、より喜んでもらうためにはどうすればいいか考え、向上していき、他者との貰い与えが循環されていきます。

人気者です。

自律を育む経験と同時に、思いやりを学んでいく(向上させたいと思う)環境によって、愛が追加して心の余裕が拡大します。

おっとりしていきながら、愛を知る経験値によって『穏やか』『周りをほっこりさせる人』に進化していきます。

 

『自分を知りたい方へ』

自己理解は知識の習得だけでは本質になりません。
経験と実践を含めて理解がより深まるため、機会をここに提示します。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※自分を本当に変えたい方のみご活用ください。

おっとりしている人の精神性

生育環境だけではおっとりしない

[生まれる前の自分(性質、気質、スピリチュアリティ、遺伝子、血縁)]に[生まれた後]が加わり、おっとりが形成されます。

同じ生育環境でも、おっとりする人もいればしない人もいます。

関わってみるとわかりやすいですが、おっとりしている人はホワホワしながらも周りに流されない堂々たる軸が明確にあります。

「私とはこの私」

まるで動じない鋼の扉のごとく、どれだけ押してもビクともしない屈強な軸。

庭でカマキリとのお喋りをやめないので、もはや背後から担いで連れてこないと食卓に来なかったりします。

明瞭な自意識の高さを表し、おっとりしている人ほど焦らず困らず動じず、高い自己受容、自己信頼が見られます。

ここでお伝えしたいのは、おっとりとは生後の育ちだけではなく、生前から持つ自意識の高さがあってこそという考え方です。

精神性、または遺伝子情報の多さとも言い替えられ、細胞一つ一つに凝縮した記憶が含まれている、そんな人です。

自意識の高さとは経験則の高さでもあり、スピリチュアルな考えを含めると輪廻転生が多く、魂年齢が高く、守護霊など見守るスピリッツが多い人。

遺伝子で表現すると、ご先祖を含めた家族から引き継いだ情報が多い、繋がりによって構成される人同士の経験値や想いが強い状態です。

 

精神性の高い人がおっとりする

おっとりとはマイペースや芯の強さを基盤に、生育上の環境、人間関係、経験によって高まっていく本質的な心の余裕(自と他の受容、許容、寛容=愛)だと考えられます。

おっとりした人になるために最も重要なものは、心の余裕(愛)です。

自由と思いやりがある人ほど心の余裕が深まり、そのために自意識の高さが欠かせません。

自意識とは私と他を区分けする意識、「私」に対する執着ではなく、意志や信念の強さを意味します。

おっとりするには生後の育ちも大切だと考えられますが、大前提として意志や信念が弱ければ自由とは恐怖そのものであり、思いやりとは貰う一方の依存になり、愛はエゴの思い込みに変わり果てます。

自意識が高いほど、遺伝子情報が多いほど、自分を軸にしながら他を吸収・受け入れるスタンスになり、愛を知るために学び続けます。

自意識の高さは言い替えると精神性の高さでして、自らの物事(出来事、経験、環境、人生)に責任を持つさま。

おっとりしている人とはおっとりできる人であり、精神性(自意識)の高さがあるからこそ、生後の成長と共におっとり感が高まります。

そこにあるのは、愛の理解度という考え方です。

 

付録:真逆の育ちだと…

最後に「おっとり」の本質を見ていかれてください。

おっとりしている人のタイプ
  1. 明るくてお花畑にいるような人
    …愛が光に偏る
  2. 謙虚で穏やかな人
    …愛が光と闇の両方

おっとりとは心の余裕となる愛をどれだけ知っているかですが、愛とは光と闇(善と悪、陰と陽)を共に内包して構成されるため、どれだけ光と闇を受け入れているかによってタイプが分かれます。

タイプ①は温かい家庭、人間関係にも恵まれ、排他のない平等な精神の中で協力しながら、時に厳しいことがあっても家族と共に乗り越え、愛を育み合いながら共に生きます。

ここでお伝えしてきた内容です。

愛の光側に傾くと明るくて笑顔が多く、満ち満ちた豊かさが眩しいほど輝きます

人が寄ってきてモテる、人気者にもなり、いるだけで空間がパッと心地良くなり、なんというかとっても幸せです。

一方、タイプ②は育ちの環境が真逆である人が多いです。

排他的、自分のペースでいられない、自由はどこだ、信用できない、安心できない、孤独、寂しい、苦しい、辛い…。

それでも自意識を貫き、自らを潰さず、現実に負けず、一人で戦い抜き、本気で乗り越えて成長してきた人は、辛い育ちを与えてもらったことに感謝し、親を愛します

生育と共に闇を知り、克服してその先へ進み、苦しみながらも自由と思いやりを学び、他者との調和を知っていきます。

愛の両面を知る人であり、とても謙虚、おっとりを超越した穏やかさがあります

両者は愛の理解度に大きな差があり、タイプ②は精神性がとても高く、静かで平和的なにこやかさを醸し出します。

どちらが良いも悪いもありませんが、温かい家庭と冷たい家庭の育ちの恩恵は最後までわからず、どう受け取り、どう活用するかは自分次第であることを示唆します。

おっとりの原形は私たち誰しもに眠ります。

常に根底にあるのは意志と信念、自意識を活かすも殺すも自分次第ですが、活かした暁にはおっとりという平和、自由と思いやりをつかみ取った証が具現化します。

 

まとめ:おっとりしている人の育ち

おっとりの本質は人間の核心、だいぶスケールの大きな言葉だと考えます。

マイペースでも芯があるかないか、人によって違います。

芯があっても、信念があるかないか。

マイペースがあっても、他に干渉するかしないか。

他に干渉しなくても、自己受容があるかないか。

ただののんびり屋さんかもしれません、それもまた素敵。

おっとりしている人は絶対的な心の余裕、愛に基づくため、愛を知っているか否かは関わるとすぐわかります。

愛の認知には育ちが大きく関わり、自由と思いやりを学べるサポートと基盤があります。

しかし、サポートと基盤がなくても自らでつかみ取れるのは、私たちに学ぶ気があり、努力して行動する力があるからです。

そんな力が自意識であり、個人の尊重と他との調和、自由と思いやりが栄養素となります。

個と調和、両方の重要性を語るおっとり風情は、陰と陽の組み合わせ。

バランスと成長意志の大切さを物語り、全ての大前提となる確たる自分の構築努力は自分次第であると教えてくれます。

そんな考え方が理解促進のお役立ちとなれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. ちっち より:

    ご無沙汰してます、ちっちです。
    出ました!めにとまる記事です!
    また私のこと?と勘違いしちゃいました。
    最近はインスピレーションを参考に
    フワフワ生きてます。
    ステキな記事ありがとうございます!

    • 北斗 より:

      ちっちさん、お久しぶりです。

      ひらめき、感性、いいですね。
      喜んでいただけて良かったです!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です