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怒らない人ほど実はよく怒る【優しい人と優しくない人がいる】

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怒らない人は心から優しい人です。

しかし、優しさではない人もいます。

その場合、根本から倫理観として仮面を被る正義があったりします。

両者は同じ“怒らない人”では括れないほど天と地の違いがあります。

怒らない人とは何者なのか?

これを紐解くと、怒らない人は本当はすごく怒る人であり、優しくしているのは“結果的に”であることがわかります。

ここでは人間理解を深めるために、怒らない内情を探求していきます。

  • 怒らない理由を知りたい
  • 怒らない人は優しいのどうか考えたい

怒る行為は自己愛と感情に基づく、『心』の在り方を表します。

「私たちの心とは何なのか?」という理解も深めながら、怒りの扱い方による精神を除いていきましょう。

Youtubeもありますので、ぜひご覧ください。

怒らない理由

そもそもどうして怒るの?

なんでも
なんでも
怒るとは自己愛に基づき、感情的に憤り、自己内部の負のエネルギーを発散する行為。

自分の中で生まれた嫌なエネルギーであり、さらに発散するので相手に強い影響を与えます。

影響は厳しい教えになることもあれば、傷つけるダメージ与え、攻撃にもなり、使い方によって支配にも自己満足の他者利用にもなります。

・自分のことばかり考える自己愛が強い人ほど、嫌なことや不納得なことがあればすぐ怒ります

・相手を支配して思い通りにいかない状態を減少させたい人ほど、怒りを多用します

・相手に変化を求めて期待している人ほど、怒りが湧き出ます

・相手のために、「変わって欲しい」と想うほど怒りが出ます

※怒りやすい人の詳細は、【すぐ怒る人の育ちに秘密あり】関わるのがめんどくさい時の対処法 をご参照ください

良いも悪いも捉え方を変えられますが、“欲と執着”がキーワードになるのが怒り。

仏教では三毒の一つと言われるほど、自制を重要視する行為です。

そんな怒りとは、

『自他の繋がりの不具合(葛藤やジレンマ)にて生じる心の在り様』と言えるかもしれません。

自他の繋がりを求める人ほど、さらにそこに不具合(不納得や不満足)があるほど、私たちは怒り、憤り、地団駄を踏みます。

シンプルにお伝えすると、許せないから怒ります

社会的に言うと、相手に変化を求めることで許せない気持ちが生まれた時、怒ります。

精神的に言うと、愛の許容を超えるほど拒否感を抱いた時、許せなくなって怒ります。

許せるか否か、許せなくなるほど拒否感を抱くかどうかで、怒るか怒らないか決まるという考え方です。

 

怒らない理由3選

なんでも
なんでも
理由が3つありますので順番にご覧ください。

1,愛の許容が広大

心優しい人ほど怒りません。

「許せない」という気持ちにならないからです。

許容が広く、精神性が高く、マクロレベルで物事を捉える幅広い認識を持っています。

俯瞰性や客観性、共感力の高さ、相手側の認識に寄り添い、立場や思考、気持ちまで汲み取って想像して思いやることができます。

心の寛大さがあり、ちょっとやそっとでは拒否感を抱かないのが特徴的

拒否感がないと穏やかに見守る目線があり、縁側のおじいちゃんのように朗らかに微笑んでくれます。

他者との関りを重んじながら共感し、相手側を思いやって一緒に切磋琢磨する、そんな優しい人です。

 

2,忍耐力がモンスター並み

もう一つの理由は、忍耐力。
※受け止める力にもなります

忍耐力の高さによって相手に期待していようが嫌なことをされようが、受け止められる人は怒りません。

ミクロレベルで精神を育み優しくなっていく人は、自制力を育み自己コントロールします。

感情も知性も自らの使い方もコントロールする人は、個々を尊重するために個人の自由に尊厳を持ちます

「私は私、あなたはあなた」であり、各々に責任があり、辛いことも厳しいことも自力で突き進む在り方や自分らしさを敬います。

これらの認識の基には強靭な忍耐力があり、己が辛さや苦しみを克服してきたからこその心の在り様。

大概のことは辛さや苦しみに思わない経験則があり、ちょっとやそっとでは怒りません。

拒否感を抱くまでの余裕がたくさんあるため、めったなことでは怒りませんが、怒らせたら終わりだと思っていいほど鬼怖い人でもあります。

 

3,心を閉じている

なんでも
なんでも
上述の2つの理由は拒否感を抱くまでの余裕となる、許容と忍耐力でしたが、最後の理由はそういったものがなくてもできます。

心を閉じると怒らなくなります。

正確には怒る理由も意味もなくなります。

相手との繋がりを遮断し、人間関係は事務作業化し、他者への期待も関心もなくなります。

自制力や自責を持って期待しない執着しないようにするとは違い、期待したくてもできなくなるのが心の閉じ。

無関心です

元々接点がなければ関心もないので怒ることはありませんが、意図的に無関心になれる人ほど怒らなくすることができます

他への共感性がなくなり、ルール従順して、合っているか否かの判断をする冷めた目線になります。

「ありゃ、ごめん!みそ汁かかっちゃった?!」

「ええ、でも大丈夫ですよ(言わないけど、この洋服代を今直ぐ払うか、代わりの服を持ってきてクリーニングして綺麗にして返すか選びなさい)」

「私がここでご飯を食べなければよかったんです、ごめんなさい、それじゃ(もう二度とこの人と食べないようにしよう)」

心を閉じれば怒りません。

 

怒らない人は優しいが、優しさではない人もいる

怒らない:優しい人と優しさではない人の違い5選

なんでも
なんでも
同じ“怒らない”でも、許容や忍耐による受け止める力があるか否かで、中身は一変します。

力がなくても心を閉じれば万事終了、しかしこれは怒らないのではなく、怒りを表出させないための対処です。

怒らない優しい人と、優しさではない人には明確な違いがありますので、順番に見ていきます。

 

1,無干渉 or 無関心

怒らない優しい人は無干渉。

優しさではない人は無関心。

無干渉と無関心は外見は似ていますが中身は天と地ほど違います。

無干渉は他者や個々を尊重しているが故の在り方であり、期待しない(=執着や依存しない)さまです。

例えば心配は強いエゴ、無干渉は心配せず、他者を強制せず強要せず、押し付けや決め付けをしません。

「あなたはどうしたいの?あなたの意見は?」と、あなたの人生がある前提を敬い、放っておきます。

相手自身の意思や生き方を尊重するが故の冷たさや厳しさであり、大いに失敗させ、自力と自責を育ませるために距離を取り、時に見守る愛の形です。

無関心は愛の真逆であり、無。

何もないことは繋がりがないことでして、対象そのものを捉える、理解する、認識する気がありません。

心を寄せる関与がない人は怒りませんが優しさとは遠く離れていきます。

 

2,去る or 呆れる

優しい人は去ります。

優しさではない人は呆れてどうでもよくなります。

心が閉じているのに関わるのは、社会的に利益を得るためと目的が明確です。

いわゆる、「金を払わないなら客でもなんでもない」なんて具合。

相手に非があるから怒るのが多いと思いますが、怒らない人は耐えて、相手が自分を見つめ直さなければ静かにいなくなります

個々の尊重があると、お互いの執着をなくし、成長をもたらすためにも縁を切るように去ります。

どうでもいい訳ではなく、「あとは自分で頑張ってください」と夕暮れのような応援を残します。

そしていなくなってからも相手のことを考えたり、罪悪を感じることが少なからずあります。

呆れる場合は相手に非だけでなく責任もグイッとします

「この人がいけないんだ、この人のせいだからしょうがない、そもそもなんやねん常識知らんのか」となります。

相手は自分の中でどうでもいい人になった瞬間であり、切ろうが捨てようが相手が悪いので平気でできてしまいます。

 

3,私も悪かった or 私は正しい

優しい人は自分にも非を見つけようとします。

優しさではない人は自分を正当化するために他を責めます。

優しさではない人の場合、あくまでしているのは心を閉じている対処なので実際には内部で怒っています。

怒らないのは表面の造形、見かけであり、雰囲気やオーラ、内情ではあらゆる形で怒りが表れています。

怒っているとわかる大きな言動が、自分を正当化することです

正当化するために一般常識、大衆観念、文化やルールなど、社会性を味方にする特徴があります。

 

4,許容 or 消去法

人間関係において他者の言動の見方に違いが表れます。

怒らない優しい人は、「私はこの人のこれを受け入れられるかな?」

優しさではない人は、「私はこの人のこれが嫌、マイナス、あぁもう無理」

人と関わる際の認識が大きく異なり、相手に着目して許容できるかどうか、自分のみに着目して減点方式でジャッジする。

減点ジャッジスタイルは人と関り続けると遅かれ早かれ我慢の限界が来やすく、切る際には最低ラインの評価なので切ってもいい、仕方がないと正当化できます。

人との関わりでは上から目線になる人もおり、見栄やプライドが大きく関わってきます。

そこでわかるのは、心を閉じているのは自分を守るための防衛対処であり、メンタル保護である可能性です。

 

5,怒らない or 実は怒っている

最後の違いは、最も明確なことです。

許容に達しない以上は、どんなに周囲から見て酷いことでも怒る気持ちが生み出されません。

なんでも
なんでも
一方、優しさではない人は本当は怒っていたりします。

内部では本当は怒っている、けれども外面は穏やかにニコニコなんて人は多いです。

心を閉じて期待しない、関心しない、何も求めないことで怒らないようにできます。

表出さないようにルール化し、とにかく感情的に相手を捉えないことがポイント

理論や理性(=他に基づく認識)に切り替えることで、自分の目で対象を感じるのではなく、「世間的には、一般的にはこの人は〇〇だ」と情が入らないように。

しかし、怒らない見かけはウルトラマンのように時間の問題があります。

心を閉じ続けるのはサイコパスやダークエンパスなど、悪質が根付いていないと困難。

一時的に無関心になることはできても、継続的になるとどうしても心がチョロチョロと開いてきます。

徐々に怒りが湧き出て来る。

すると、一般的には怒っているようには思えない“別の怒り方”が出てきます。

 

怒りを露わにしない人の別の怒り方

なんでも
なんでも
これまでの内容に該当する場合、怒っているように見えない本人にとっての怒り方があります。
怒りを露わにしない怒り方
  1. 自己正当化
  2. 許さない念
  3. 理論的な愚痴
  4. 罪悪のない嘘
  5. 突然切り捨てる
  6. 人間関係リセット
  7. 減点ジャッジスタイル

人それぞれ何が表出するか変わりますが、目立つのは罪悪のない嘘が怒りであることかもしれません。

怒らない人はとても常識的で良識もあり、倫理的な人が多いです。

善悪を区分け、自らは善であろうとする人でもあり、倫理観がある人は嘘に悪質を感じます。

が、そういった行為を罪悪なくするのが、怒りを露わにしない別の怒り方です。

人によって、怒りは形を変えて悪口になりますが、自分を優しいと思っている人ほど悪口は自己像の否定になるため、愚痴にする傾向があります。

愚痴なら悪意や感情が入りずらく、顔を変形させず、ニコニコしながらでも可能。

特出するのは、罪悪をなくし倫理を通し、自らの在り方をブレさせないためにも、正当性を見出そうとすることです。

正当化を求める人は実際には常に怒りを内包していると考えられます。

怒りの矛先は、正しいことをしながらもさせられている実情かもしれません。

ルールだから迷惑をかけてはいけないと、自らを縛っているかもしれません。

優しい人として自己肯定し、肯定してもらったからやめられないのかもしれません。

自分は正しい人間であり、善人でいなければいけないと抑圧しているのかもしれません。

怒りを内包しながら抑圧している社交的・常識的・倫理的な人ほど、(見かけは)怒らない人になる、と考えます。

 

最後に:怒らない人の優しさ

怒らない人はとても優しい人ですが、ここで特にお伝えしたいのは優しさではない人です。

「優しさではない」と言っても、人に優しくするかどうかは個人の自由なので周りがどう思おうが重要ではないと思います。

重要なのは、「どうして怒らないようにしたいのか?」に対する自分の意見・感受・認識。

危険なのは、怒らないようにしなければと自らを縛ること。

「そうしなきゃいけない」ではなく、「そうしたい」と本人が想えるかどうかが精神であり重点です。

他者に迷惑をかけないのは大切ですが、それを心からしたいのか、しなければならないから自分を縛るのか、行為の作用と影響は全く変わります。

自らを社会性に沿わせて動作させ、周囲に迷惑をかけないために努力し続けている人は根が真面目です。

本当は怒っているのに抑圧すると、人を観察しながら減点ジャッジをして、心を閉じる前準備をしながら人と関わる傾向ができます。

怒らないことが自分を守る方法になりながら、心を痛めつけているかもしれませんので、吐き出すことも大切です。

実際に優しいかどうかは本人がわかるものではなく、他者が評価判断することなのでなんでもいいと思いますが、怒らないさまは取り繕いではなく精神の結果です。

今直ぐ変えられる造形ではなく、これまでの積み上げによる集大成であり、過去の経験、生育環境、親との関係性、あらゆる事実を認めて克服した先にあります。

どれも本人にとっては大切だと思いますが、自分を客観的に捉えて認めることはもっと大切ですので、そのための一つの考え方となれば幸いです。

ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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