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【自分を認められない苦しさは心のサイン】認めるのが難しい時の自己理解

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自己肯定感が低い人は、自己肯定しない感が高い人。

いつの間にか、自らを認めないことを認め、さらに受け入れているかもしれません。

この状態で自分を認めようとすると、苦しい、怖いという感情が表れ、とても難儀な仕事となります。

自分を認められないために苦しいと感じる場合、ここで一休みされてください。

  • 自分を認められない原因とは?
  • どうして苦しくなるの?
  • 自分を認めるのが難しい仕組みとは?
  • 一体どうやって認める?

「苦しい」「怖い」と感じる場合には、自分を認める意味が少し逸脱している可能性があります。

私自身、自らを認めることが難しく、弱さの克服のために何年もの時間を費やし、認められた時にわかったのはこれまでの考え方の完全なる見当違いでした。

自らを認めるために行動されている方の一助となれば幸いですので、認めることに潜むトリックと真相を一つの考え方としてご参考にされてください。

自分を認められない原因と苦しい仕組み

どうして自分を認められないのか?

自分を認めるとは、「はいこれが私」「今成功を掴み取った私」「過去に失敗した私」と今と過去が対象です。

喜びがあれば自然と認められますが、喜びがなければ認めるのは困難です。

どうして困難なのかの理由には、「意味」を求めることが起因します。

「喜びがなければ、認める意味はなに?」と思っちゃう私達の脳。認めるための動機や理由付けを欲します。

何も考えずに氷山の上で踊るなんてことはあまりしません。しかし、踊る人は自らが喜びを見出します。

「ねぇ踊ろうよ」と手を取る誰かがいれば、「仕方ないなぁ」と手を挙げてワシャワシャ軽く踊るかもしれません。誰かによって理由を見出してもらえた状態です。

初めに考えられる自分を認められない原因は、自らが認める動機や理由を見出せないことです。

これを自分軸と言います。

 

自分軸がなくなるのは人それぞれ過去に紐づく

軸がないのは社会という集団環境で生きていれば自然なことだと思います。

過去の生活環境にある風土、人間関係、文化、ルール、規律、戒律、制約、階級、食事、空気によって自分軸はいとも簡単にスーっと消えます。

私なんかは貧しい環境で育ち、厳しい家庭でしたので、4歳頃には自分軸がなくなるという実感を覚えています。

自分軸がなくなると起きるのは脳の使用過多と逸脱。考えまくります。

ここで自分を認められない原因がどんどん追加されていきます。自分の考えではないのに脳を使用すると自分の意思がなくなり、意思の持ち方がわからなくなります。

この頭の使い方によって不安や恐怖を持ちやすくなり、周囲の目を気にし、体裁を気にかけて在り方を決め、他の評価・判断を主体にし、他者や大衆を主観にします。

目的のない思考を持ち、記憶をグルグル巡るような脳の使い方となり、意思がないので理解がなく、他の言ったこと、テレビの情報、教科書に書いてあることをそのまま記憶して脳にインプットし、「知る力」がなくなります。

すると思い込みが激化します。何も知らないのに知らないとは認めないようになります。

 

自分を認められない原因は思い込み

自らを認め、肯定し、尊重し、自らが在り方を決めるための感覚を自己肯定感と言います。

自己肯定は「自分を認める」がキーワード。

「認める」以上に「自分」が重要なのが自己肯定感。「自分を認めていますか?」以上に「自分をどれほど知っていますか?」が大前提に関わります。

自分を認められない場合、「自分を知っている、知らない」と意識もしないほどに知っていると思い込んでいる可能性があります。

潜在意識が大きく関わり、無自覚で知らぬ間に自分のことを決めてしまっていると、認める対象認識が困難になります。

脳の使い方に自分軸がなく、「知る」の意味が「理解」ではなく「記憶」になっていればいるほどに思い込みます。

「本当は何も知らない、頭の使い方が違う、自分がない」というのは自分を知っていると思い込めば込むほどに自己否定になるため、認めなくなります。

この在り方に関わるのが、所有概念です。

 

自分を所有していると思い込むと認められない

自分を知っている思い込みは、おそらく誰しもがすることだと思います。

思い込まなければ自分という存在認知が困難ですので、あらゆることを思い込んで自らを構成し、認識します。

そこで、自らのことを所有していると思うか否かは人それぞれ。所有概念があると思い込みは自然と正当化され、思い込みを貫く在り方が固まっていきます。

自分を認めようとか受け入れようという認識にはならず、「現状の私が私でしょ、それ以外に何かあるの?」という認め方になります。

「認めてますね」と思えるさまですが、思い込みの所有物を認める場合、価値や意義が世間的になければ認められなくなります。

お金があるか、権力を持っているか、肩書があるか、体裁は良いかが条件。それらがなければ認められなくなります。

これは人によっては大切な認め方であり、自分を認めるために他を利用した方法の一つです。

 

自分を認められないで苦しい人は少し違う

ここからがこの内容の主旨です。

自分を認められないので苦しい、認めるのが怖いと感じる方は、少し話が変わります。

自分を知っていると思い込み、所有していると思い込みながらも、違和感を抱いている可能性があります。

  • 自分の弱さを知っている
  • 自分を知らないことを知っている
  • 理解せずに記憶だけして知識を持っていると知っている
  • 意思がないことを知っている
  • 自分軸がないことを知っている

事実を知っている人は、自分を認められないことに苦しみや怖さを感じます。

自覚でも無自覚でも知っている認識があればあるほどに現状に苦しみを感じ、認識がなければないほどに苦しみを感じません。

苦しみを感じなければ、現状の自分から認められる何かを見出し、他と比較し、評価され、肩書を得て、お金でも得ておけば認められます。

無知の知という言葉があるように、知らないことを知っているか、知らないことを知らないかの違いは天と地ほどあります。

知らないことを知っていると思える人は苦しいと感じる人です。

 

自分を認めるのが難しい仕組み

自分を知らないと心のどこかで知っている人ほど、自分を認めるのが難しくなります。

苦しいと感じる場合、自己肯定感は低くなるのが自然です。

理由はいくつかありまして、自己肯定感に最も重要な「自分を知っているか否か」の自覚が思い込みによって欠けます。

大前提が欠けると、認めようと行動すればするほどに空回りしてしまい、成果がないことに自己嫌悪や劣等感が強まります。

この経験が事実として脳に理解されると自らの行動を認めることができなくなり、自己肯定しない動機や理由が容易に見出されます。

自己肯定しない感が高まり、自らを認めないことを認めます。

認めようと行動すればするほどに認めないための理由が多くなり、自己肯定感を高めないための自己肯定しない感が高まり、自分を認めるのが苦しくて難しいジレンマに入ります。

この状態を理解し、抜け出すと改善へ向かいます。

※自分を認めないと変わらなくなる件は、【大前提】変わりたいのに変われない=変わりたいから変われない をどうぞ。

 

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自分を認められないのが苦しい、難しい時の改善方法

自分を認められないで苦しい時はサインを掴む

自分を知らないことを知っているサインとして、苦しみや怖さという抵抗を心身が表現します。

わかりやすくするためにも、「苦しい、怖い」というのは心が反発しているサインだと思ってください。

「心が何に反発しているのか?」の答えがこちらです。

自分の弱さを理解している自分に対する反発
=自分を認められない結果+苦しみや怖さの感情

弱さを理解しておきながらそれを認めたくない反発。

反発があるということは自分の中に二人居て、相容れぬ状態を作っています。

心の反発の要因は常に一つ、拒否です。

拒否する対象が核を突いていればいるほどに反発します。自分の弱さを理解していることが核心であればあるほどに、「ち、ち、違ぇよ!」とあらがうイメージです。

 

自分を認めるのが難しい時の改善方法

「苦しい、怖い」と感じる方は、認める対象を明確にします。

「自分の知っている弱さ」です。

自分の知っている弱さが何かを突き止めると、自分を認める基盤であり、自己肯定感の大前提が揃います。

 

自分の知っている弱さを認めるとは、弱いと知るだけでいい

弱さを認めることはとても難しいと思います。ですが安心してください。

弱さは認めずに知るだけです。弱さを認められない時に認めると自己否定になって自らを穢す行為になりますので、やめましょう。

「はいはい、私は弱いですよ、知ってますよ」とこういうイメージです。

何が弱いかを考えるといろいろ出て来ると思います。

  • 人前では言いたいことが言えない弱さ
  • 恐怖に負けてしまう弱さ
  • 直ぐに人の意見に押し潰されてしまう弱さ
  • 他者に強く主張できない弱さ
  • ‥‥

考えて出てきたのは弱いと記憶したものです。

必要なことは弱いと認めるのではなく、弱いと思っている記憶を記憶として認めます。

「言いたいこと言えなかったなぁ」
「恥ずかしい思いしたなぁ」
「あの時は何もできず弱かったなぁ」

とシンプルです。記憶を記憶にする状態であり、感情や思考は一切介入しません。

介入させる場合には、自分の弱さに何とか繋げようとする意思であり、自己肯定しない自分を認めようとする行為だと知ってください。

シンプルに記憶を記憶にすることが、自分の弱さを認める意味です。

※自分を認めるための潜在意識の詳細は、自分を認めるために。潜在意識に「ある一つ」のポイント をご覧ください。

 

自分を認める体験

少し詳細がわかりやすくなればと思うので、参考例として私が自分の弱さを認めた体験談をご覧ください。

私は「自分が弱い、弱い、弱い」と連呼しながら生きる、自己肯定しない感が異常に高い苦行者でした。

「実際に何が弱いのか?」を考えては、「自分を貫けないじゃないか!」と思考的に弱さを認識して、自分を認めないことに勤しんでいました。

もちろん当時は勤しんでいるとは思いもしませんでしたが、実際に弱いと認識している訳ではなく、記憶を認めていないと気づいたのはアラスカの森にて暮らしていた時のことです。

テントと寝袋を持って野生動物の巣窟へ行き、一人で森の奥地へ歩いていました。

奥へ進むにつれて熊の足跡が多くなっていき、私は怖くて歩き進めるのが困難になっていました。

これは弱いと知っている自分の記憶を認めていない状態。知らなければ苦しみにはならないのですが、心のどこかで知っちゃっているとこうなります。

認めない記憶が蓄積していくと、自らの意思で苦しみや恐怖に対処する力がなくなり、誰もいない森の奥地へ進めば進むほど辺りをキョロキョロしながら、鈴をリンリンと強引に鳴らして怖れを誤魔化します。

そして森に入って六日か七日目だったと思います。私は熊に襲われ、一対一の面々になりました。

自分の弱さを認めていない私は、「この野郎、負けるか、ぼけぇ!」と熊のように吠えますが、一蹴ガオッ。

ひゃあーというか弱い本当の声が出て、熊除けスプレーをシューとして難を逃れます。

あの時の光速の逃げは一生忘れないほどの速さでした。

逃げ続けて数時間、私は足首ほどの水位で流れる川の中でぼーっと突っ立ち、「はぁー」と空を見上げていました。

その瞬間、私は明確に知りました。

「私はとんでもなく弱くて、怖くて怖くて仕方がない!」
「怖くて歩くのも嫌で、弱さを克服するためにここにいるけど、今直ぐに帰りたい!」
「もう弱くて弱くて仕方がないほど弱いんだ!」
「バカヤロー、ヤロー、ロー、ー」

心の声は止まりませんでした。

弱さを認めるというのは、既に知っている本音を自覚することでした。

このために自分軸、自らが自覚する動機や理由、自分の意思が必要不可欠です。

 

弱いと認めると、自分を認めないことが苦しみになる

弱さを認めた後、私の行動は全てが一変しました。

熊が怖くてキョロキョロしていたのは、自らの弱さの自覚を拒む拒否であったと気づき、熊が怖い、森に一人で居るのが怖いのは明確な事実として、どうすれば怖くならないようにという意思、軸が表れました。

弱さを自覚しないための自分を認めない拒否が、弱さがあるから自分を護らないとならない意識へ変わり、自分を認めないからこそ苦しみを感じるようになりました。

熊の件で気づいたのは、自分を認めるために必要なのは二つです。

※自分を認める森の詳細は、人生を変えた経験を本に|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ をどうぞ。

 

自分を認められない時は「自分」を手放す

自分を認めるために二つ大切です。

  1. 自分の弱さを認める(記憶を記憶にする)
  2. 自分の意思を持つために他の情報は記憶ではなく理解する

弱さを認めるには、自分が弱いと思った記憶を記憶にすることで認められますが、そのために大切なことが②です。

自分の意思にて理解することは、自分軸を見出す意味でもあります。

今の世の中、情報化社会ですので他の情報がほとんどです。

他の情報を多く入れれば入れるほど意思がない場合には意思が薄れていきます。自分を認めようと頑張れば頑張るほど、情報を調べれば調べるほど交錯して記憶だけ増えていき、理解から遠のきやすくなります。

他の情報が多くなると起きるトリックが、「自分を知っている、所有している」と無自覚に思い込むことです。

これが自分を認め難くするので、方法は情報の取捨選択の明確化、不要物のそぎ落とし、思考の断捨離、全てに共通するのが「自分の手放し」です。

 

自分の手放しは他の情報で自らを主観にしないこと

自分を認めるための方法を自らが考案し、試し、失敗し、再考案し、試し。

このように自らの意思によって行動する際には自らを主観にする必要がありますが、「自分を認めるためにはこうするといいですよ」という他の情報を参考にする場合に主観が自分だと、知っている・所有概念の思い込みが知らぬ間に激化し、意思が薄れて自己肯定感が低くなってしまいます。

手放す方法はシンプルです。

自分を主観に情報把握するのではなく、情報発信者を主観にします。

この記事であれば、自らを主観にして理解することはできません。主観として理解できるのは私のみです。

この内容を理解するためには自分の見方ではなく、私の目線、考え方、認識になりながら自らのために読むと、自らの思考を使いながら、感覚も感じながら理解でき、意思が表れます。

これを知る力と言い、本でも映画でも同じです。

他の情報の中で生きているのが今の私達人間です。常に他の影響が関わるために、「自分」への固執があればあるほどに、それを自覚していなければいないほどに意思が薄れて認めるのが困難になります。

「自分、私」という意識を緩めて、所有している概念を手放すと他の知識を活用しやすくなり、意思を持って他の情報に翻弄されなくなり、自分を認めることができるようになります。

※自分を受け入れる詳細は、自分を受け入れることがわからない│受け入れない大切さに意味と方法 をご覧ください。

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自分を認められない苦しさと難しさ まとめ

今の時代には今ならではの方法があり、その理解が大切です。

自分を認める基盤は、「自分を知っていますか?」への自覚です。

「知っている!」と強く思う人は、自分以外の他によって自らを認める材料を用意します。

「知らない」と思う人は、知っている部分と知らない部分を区分けします。

どちらも意思が明確で、自分を他で認めたり、自分自身で認められます。

知っているも知らないも意識しない場合には、無自覚に知っていると思い込む自己所有の概念が強い可能性があり、他からの影響が主体となり自らの意思がなくなります。

認められないジレンマは苦しみになり、自らの在り方に自らが拒否を作り、心が反発を表し続けます。

苦しみの解消は自らが作っている反発の解消です。

弱さを知り、記憶を記憶として認めます。自分という存在への所有や思い込みを手放し、自らの意思を尊重します。

意思を希薄にしないためにも、的確に行動する注意が大切です。

他の情報は自らを主観にせず、意思を持って理解されてください。

たくさん調べたりするのはおすすめできません。何人か特定して記事の発信者を決めたり、お金を払っての行動は自然と相手を主観にして情報取得できるので、自らの理解に繋がります。

この記事も見極めてください。おかしな内容がちょいちょい入っていますので、自らの意思で読めているかも含めて理解されてみてください。

そんな理解が、自分の手放しになるのが今の時代ならではのものかと思います。

何かご参考になれば幸いです。

それでは、自分を認めるのが苦しくて難しいお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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