変人が嫌われるはずがない。
そんな思い込みと決め付けから始まる話。
変人は好かれるに決まっている?
そんなことはどうでもいいんです。
ですが、もし変人でありながら嫌われる場合、変人かどうかは関係ないかもしれません。
嫌われる理由を考えると、嫌われている以上は”変人ではない”という見方をお伝えします。
変人が嫌われるのか好かれるのか、気楽にテキトーにご覧ください。
Contents
変人は嫌われるのか好かれるのか

変人とは
変人、変わり者、奇妙な生命体、八つ橋みたいな人、宇宙人、脳の細胞が飛んだ、クセモノ、紫色のスライム…。
変人に対する異名は数知れず。
変人とは普通ではない人であり、理解できない思考と行動をする人間のことを言います。
私達人間は脳を多用して生きているので、予想・予測することが必要な生き方になっています。
事前予測をすることで、恐怖に対処して逃避準備を迅速に整えられるからです。
「この人はこう言うだろう、こう行動するだろう」「こうすれば、ああするはずだ」「ああすれば、こうなるだろう」
このように事前予測しておけば自分の脳内思考の範囲に収められるので、スケジュール通りに事が運び、自分の思考と行動を予め準備して、右から矢が飛んでくれば右手で盾をかざし、左からどでかい毛虫がウニュウニュと腰を上下に動かしながら寄ってくれば、「ウエー気持ちわりぃ」と言う。
対処後に頭の中で、「ふっ、予想していたから安心だぜ」とつぶやきます。
そこに突然前方から、お尻丸出しで後ろ歩きを、しかも後ろを振り向かずにガンガン来る人がいたら…!
「ギャあーーーーー!!」
失神。または泡吹いてパニック、まではいかずとも、対処に遅れ、何もできずにお尻にプニドーン。
終わりです。これが戦場ではなくて良かった、平和な世の中で良かった。
変人とは予想・予測できない想像外の思考と行動を持つ、理解できない人。
※変人の詳細については、変人の特徴は本当に変なのか?実は普通かもしれない21の気質 をご覧ください。

変人は好かれる
平和な時代であることは、変人の取り扱い上とても重要なことです。
予想や予測ができなければ死んでいた時代があるため、理解できない人に対して防御を張る心理があります。
しかし、今の時代で防御を張る必要があるのかどうか。
恐怖に苛まれている人、恐怖への対処法がわからない人には必要です。
理解できない奇怪な思考や行動をする人間に対して、「変わっている、変人」などと名前を付けて区分けする人間とは、”普通の人”、または”普通だと思って生きている人”です。
普通だろうと何だろうと何でもいいのですが、恐怖を抱えている人でなければ、「変人だ」と言われたとしても嫌いではなく興味がある人だと思います。
なぜならば、理解できない=自分の思考や経験からでは思いつかない、または自分にはできないことですので、それを知ることは面白いことです。
新しい経験となり、知識や学びとなり、自分を知る機会にもなり、とても興味深いことであり、損失ではなく”新しさ”という喜びや利益をもたらします。
変人が好かれる理由 : 変人の理解できない思考や行動は自分にとって利益になる
※利益とは人それぞれに喜びや興味、知識や学びを得ること
変人が好かれるのは事前予測できないから
理解できない変人の発言や行動は事前予測できないので、臨場感と新鮮味があり、それが面白みとして味が付きます。
これは変人かどうかは関係なく、事前予測できないことは何でも面白いと思います。
例えば、映画や演劇、先が予測できてしまったら観る価値もありません。
「はいはい、この先は主人公がドーン、終わりかと思いきや復活、そしてドーンと悪役退治でしょ」となれば、ポップコーンは直ぐになくなっちゃいます。
ですが、事前予測できなければ、「なぬっ、主人公はヒロインを倒すのか?!」「実は主人公が悪人で、バイキンマンは愛の戦士だって!?」「ヒロインはなんとジャムおじさん…そういう関係だったのか、アンパン野郎」…ボロボロボロ、ポップコーンを支える力もないほど映画に夢中に。
お笑いでも何でもそうだと思います、先が読めないから面白い。
先が読めて面白いのは、「これが面白いんですよ、わかりましたか」という思考ルールの制限の中なので、自分が主観になるのではなく、ルールの中に入れられて観させられるものです。それが好きな人もいると思いますが。
ゲラゲラと笑うだけではなく、科学でも物理学でも、自分ではわからない領域に入ったことで新しい世界を見る。そこには、興味と進歩があり、自分の喜びを駆り立てるように新しいことを知り、新しい自分を知ります。
そんな世界を見せるのが変人であるために、変人は好かれます。
※変人が好かれる理由の詳細は、モテる変人の特徴は内面から溢れる|無意識な性エネルギーの秘密 をご覧ください。

変人が嫌われる理由
「コソコソ、やんなっちゃうわね、よくわかんないことして」
「変わり者だ、関わらないようにしようぜ」
変人は好かれるはずなのに…どうして?
事前予測できないことを与えるのは興味を深める喜びとなり機会となるのに…。
恐怖です。
変人が嫌いな人は”恐怖を抱えている人”です。
変人が嫌われる理由 : 理解できないことに恐怖を覚える人間性があると嫌いになる
※恐怖を抱えて人と関わる人に嫌われる
時代が平和だかどうだかは関係ありません。
サイバーテロのように、人と人の関わりには物理的でわかりやすい攻撃がなくとも、精神的な攻撃やエネルギーを奪うような潜伏型の明確な攻撃が潜みます。
人との関わりに恐怖を抱えている人は、理解不可能で事前予測できないことを不利益に感じます。
この場合、自分が理解できないことや、理解しようとする認識はなく、理解できないことで自分の思考内スケジュール通り(思い通り)にならないこと、それによって「これだけ利益が得られたはずなのに」という空想ゲームが成立しないことで不利益を被ったと思い込みます。
すると、『変人 = 恐怖への対処ができず不利益を与える人』になります。
恐怖とは否定されること
今の時代では、物理的な危害や損失を加えられることとは別に、人間性としての価値や存在意義を失く去られることに恐怖があります。
それが、”否定”です。
否定されることで、自分の価値がないと思い込み、存在意義を見出せないと思い込みます。
恐怖とは思い込みによって作られますが、これまでの記憶と経験にて作られるので本人にとっては正真正銘の恐怖であり、嫌なことです。
そんな嫌なことを味わってしまう、変な奴がいると。
- 自由な様を見るだけで自分が否定されているような。
- 自分の意見を持っている様から、自分に意見がないことを気付かせるような。
- 独創的な行動から、自分はロボットだと気付かせるような。
- 目立たれると、自分が目立たなくなりこれまでの行為を踏みにじられるような。
あらゆる突起を引っ込めてやりたくなり、攻撃的で排他的な意識を持って、「おい変人、お前が嫌いじゃ」と出る杭をコンッと叩く。
しかし、これは思い込みによる人間性の自己防衛であり、本人にとってはとても大切なことです。
「じゃあ、変人が存在することがダメ、悪ね、消えて」というわけではありません。
恐怖を抱える人から嫌われる場合、実は変人ではありません。
詳細を見ていきましょう。
変人が嫌われる本当の理由

変人は本当に嫌われない
変人は嫌われません。
しかし、唯一嫌ってくる存在が”恐怖を抱える人”です。
言い方を変えると、恐怖への対処ができない人=事前予測で他者の思考と行動を制限することでしか対処法がわからない人です。
そんな変人嫌いは、人と関わる際に苦痛を味わわないことをメインに考えます。
それが、恐怖を味わわないことです。
そのような人と関わっている場合、変人ではありません。
※自称変人の話は、自称変人を名乗る理由がある│特徴と心理にある普通過ぎる変わり様 をご覧ください。

変人は自分が確立されているので周囲が気にならない
変人は周囲から言われることで自覚しますが、基本的に自分が変人であることに自覚がありません。
「あなたって変人だよね、面白い」と言われて、「なぬっ、わしが変人だと?!知らんかった」と心の声がつぶやきます。
だからと言って、「じゃあ、こんな変人サービスしよう」なんてことは確実にしません。
これをした場合、変人ではありません。
“変人になりたい人”です。
面白いと褒められれば嬉しくなりますが、他者に対して、「評価して、認めて、めぇ、面白いんだからもっと笑って、ねぇねぇ必要として、欲して、ねぇねぇ、ほらほら」と自分の人間性や価値を見出してもらおうとはしません。
変人の最も大きな特徴は、“自分のことを自分で認識すること”です。
自分のことは自分で知り、理解し、認め、評価し、判断します。
言い方を変えると、自分の人生に対して明確な意志を持ち、覚悟して、責任を持ちます。
※責任とは、自分の思考も行動も理解して受け入れること
変人は周囲の反応はもちろん理解できるので把握しますが、影響されることがなく、そのまま自分らしくいます。
変人は自分の世界の中で生きて他者と関わるので、世界観を持ったまま他者の意見を聞き、認めたり拒否したり、共感はするけど相手の世界に巻き込まれるような同情はしません。
相手の世界に干渉しないので、干渉されることを嫌がり、個々の世界を尊重します。
すると、相手の世界も尊重して敬うので、嫌われる理由がありません。
※気質から嫌われる人の話は、逆エンパスが嫌われる無意識の言動|実は人を恐怖に陥れているかも をご覧ください。

変人はとにかく嫌われる理由がある

変人が嫌われる理由はなく、人間性として恐怖を抱える人には一方的に嫌われるという明確な状態になります。
嫌われる唯一の恐怖人によって、変人は明確に嫌われる人に成り代わることがあります。
いつの間にか変人ではなくなる現実がありますので、こちらをご覧ください。
恐怖を抱えた人から嫌われます。
「お前、変なことばっかするな、言われた仕事だけしてろ、いいな」
「うるせーな、言われた仕事は終わってんだから何やってもこっちの勝手だろ」
もしこのように反発心がある場合、嫌ってくる人によって行動が作られています。
「反発したい、困らせてやりたい」と思った時点で変人ではなくなり、変人嫌い人によって嫌われる人間性を養っています。
変人は自分の世界を持っているので、干渉して壊してくる人間がいると大きな嫌悪感や恐怖を持ちます。
すると、変人ではなくなります。
- 強気な人は反発感を持ちます。それは既に変人嫌い人のテリトリーに入っていることを意味します。
- 弱気な人は気を使います。それは既に変人嫌い人の術中にはまっています。
変人は自分の世界を崩されるともろくなる特性があり、反発や気を使う人間性になることで変人タイムが終わってしまいます。ウルトラマンのピコンピコンと同じです。
変人がとにかく嫌われる場合 : 変人なのに変人ではなくなっている
※自分の世界が壊されることで、反発や気を使う
変人は普通じゃないんです。
変人のくせに変人ではないなんて、一体あなたは何者なの?
「ガッハッハ、私は普通の人になりたい変人だよ」
なれません、変人だから。
嫌われるとは使われること
変人嫌い人。
これは下等な種族で、というのは冗談ですが、変わり者を嫌いになる人は”嫌いになりたい”という心理があります。
嫌いの対象が変人かどうかは関係ないのですが、人を嫌う場合、嫌いであることになにかしらの利益があります。
- 嫌いであることで自分を正当化できる。
- 嫌いと言うことですっきりする。
- 敵にすることで思考を整え、脳内整理になる。
- 敵対視することで仲間を作り恐怖に対処できる。
- 嫌いになることでストレス発散の行動ができる。
- ・・・などなど
誰か人を嫌いになるというのは、自分の中での恐怖の対処や納得、不満足の削減や自分の価値を見出す正当化などの本人にとっての利益を作り、それはエゴを増殖する行為となります。
そのため、人を嫌うことを喜んでする人間はエゴに苛まれて、エゴジャラスというポケットモンスターになっています。
私達は自分のために生きているので、自分にとっての喜びや利益を常に求めてご飯を食べたり、仕事したり、会話したり、なんなりとあらゆる行動をしています。
人を嫌いになることに何かしら利益だと思っていることを求め、変人を嫌いになることでストレス発散や自分の正当化として変人を利用します。
そのため、変人が反発したり気を使う状態は、恐怖を抱える人の思う壺で、使われます。
聞こえませんか、「コソコソ、変人らしさ奪い取る攻撃だぁ」と小さな声でいつも言っています。
※何故か嫌われる人の話は、嫌われる理由がわからない時に知ってほしい│何故か嫌われるスピリチュアルと心理 をご覧ください。

変人が嫌われないために
変人が嫌われないためには変人だと自覚することです。
変人はとにかく自分の世界を明確に持っています。
それが壊されるには過去の長ーい軌跡があり、ぶち壊され続ける経験があります。
しかし、恐怖を抱えて対処法もわからないような人に壊せません。自分の世界を持っていない人に変人の世界は壊せません。
なので、思い出すだけです。
「私は自分の意見を持ち、自分の認識があり、自分の世界があるんだ」と。
それは、一人一人の個々の世界を尊重することであり、己と他者の世界をそのままに認識する人間性を取り戻します。
変人は反発しても攻撃しません。それは余裕がある意味で、自分のことを自分で認識できる人はどれだけ攻撃されても心に余裕があるので、防御としての攻撃性しか持ちません。
防御ですが盾で相手をボッコボコということはありますが、変人から攻撃をしかけることはありません。
それが変人であり、変人が好かれる理由の一つでもあります。
変人であることを忘れず躊躇しない
ぜひ思い出してください。自分らしく生きていたことを。
そもそも人と関わる時に相手の思考や行動を予測しながら関わるというのはとても奇妙であり、マジの変わり者、いえ、変態です。
ルールや常識があっても自分として生きていれば、場所や環境や人によって常識を使い分けることができるので従うかどうかは選択です。
従わなければみんな変人です。ただ自分として生きることが変人なのかどうか、それは変人ではない人が決めることですので、名前は何でもよかったりします。
個人的には、「キノコ人、虫野郎」という具合が良い塩梅かなとネーミングセンスを物語ります。
「なーにぃ!虫野郎ぉお?!」と歌舞伎役者が吠えるほどダサい名前は置いといて、変人は変人になりたい人ではないので、変人にいつでもどこでも戻れます。
あとは覚悟を決める強い意志を蘇らせてください。
変人であることに躊躇は無用。躊躇すればそれは普通の人、変人被れの普通の人です。
“変人と自覚して躊躇なし”が良い感じです。
※変人は普通の人になれない話は、普通の人とは覚悟を決めた強い意思│類まれな努力を作る特徴と人間性 をご覧ください。

変人は嫌われても強くあるべき時代
過去の記憶と経験にて、自分の世界を壊される否定や過干渉、押し付けや決め付けがおそらく変人達誰しもにあります。
別の時代であれば、とくに日本という排他文化が根強い環境であれば、変人は嫌われて恐れられ、隅に追いやられたかもしれません。
しかし、先人の変人達の過去と歴史があるおかげで、今の変人は居場所を作り、自らの生き方を模索することができます。
変人と言われる人達は、自らの場所を作っていきます。
変人は理解できない思考や行動を人のために活用することができ、それによって人を喜ばせることができます。
それは自己表現であり、エンターテインメントであり、喜びや笑い、感動や真実を広げる現実世界の創作です。
創造性は誰しもが持ち、自分の世界が明確であればあるほどに創造力は独自性と活力を合わせた表現となります。
そんな表現は他者への影響となり、喜びとなり、感謝となり、愛になります。
どんなに嫌われても、過去の歴史を調べてみてください。今の変人以上に大変な思いをして歴史を築いて来た変人達がいて、今、私達が変人への印象や認識を変えることができる時代です。
嫌われるからこそ強くなることができるんです。
いつか言うのかもしれません。
「よっ、嫌ってくれてありがとね」
変人は嫌われるけど好かれる話 まとめ

変人は好かれます、面白いです、モテます。
変人であることは良いことだらけです。しかし、変人である以上、攻撃され排他され世界を壊されます。
攻撃や排他を逃れるために自ら世界を壊し、変人ではないと思い込んで生きていくこともあります。
変人であることに躊躇はいりません。ガンガン変人です、嫌われても変人です。
嫌われるとは使われることを意味するので、嫌われれば嫌われるほど、嫌われる何かがあり、相手の利益になっている思考や行動があります。
それが反発であり、気を使うことです。
嫌われていることは恐怖があることを教えますので、自分らしくないことを表す自己表現です。
変人らしく自己表現するためにも、気を使わず躊躇せず、「自分は自分」です。
変人は変人らしく、まずは嫌われてやりましょう。
そして、嫌ってくれたことを乗り越えて自分を認識します。
陰も陽も知る。成長と共に喜びを生み出す表現者、影響者、発信者になる。それが変人が嫌われる理由であり機会であり恩恵です。
「変人が嫌われなかったら普通の人だよ」という話でした。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。