体験

「許せない人を許さなくて大丈夫」許すとは過去と執着の手放し

かれこれ何年経ったことか。

辛い傷を負ったあの日、あの頃、あの時代。

しかし、心の中は当時のまま。

あの人が憎くて許せない。

「じゃあ許さなくていいや、ポイポーイ!」

ご存じでしょうか、『許す』とはこのふざけたさまであることを。

私達地球人、もとい日本人は真面目な民族と言われています。

とても大切なことだと思いますが、物事の意味を曲げる可能性があり、それによって自らの首を絞めてしまうこともあります。

特に、「あの人を許せない」という気持ちや状態で解釈を間違えると、強く首をギュッとしてしまいます。

そこで、許す意味を見直すために、「許せない人を許さなくていい」考え方をお伝えします。

  • どうして許せない人を許さなくていいか知りたい
  • 許すことの本質的な意味とアプローチ方法を知りたい

私自身の体験談と共に、許さないからこそ許すことに繋がる思想を探検していきましょう。

許せない気持ちと折り合いをつけるために、一つのご参考になれば幸いです。

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※ふざけた人生哲学『幸せはムニュムニュムニュ』

許せない人を許さなくていい

問題点:人を許せないと起きるサイクル

人それぞれに辛い経験があると思います。

苦しく、悲しく、心を傷つけられ、トラウマを負い、拒否したい記憶を持つ。

「あの人のせいでこうなった」
「あの人がいなければこうならなかった」

過酷な思いをさせてきた相手、許せなくなるのは当然だと思います。

この許せない状態、相手を考えたり思い出すと自らの脳内に入り、過去の記憶に強くフォーカスします。

ネガティブな感情、辛い気持ちなど、脳内の認めたくない記憶にフォーカスし、拒否という行為で表現します。

「あの人を許せない」と思った瞬間、シュンと過去の嫌なシーンを回想。

許せない人と関わる際も、過去の記憶によって構成した認識にて、相手の嫌な部分、許せない性格や在り方に着目しやすくなります。

すると、明確に起きることがあります

思い出す度、許せない人と関わる度に、新しい許せない記憶を作ります

「許せない」という気持ちは憤慨や憎悪、執念や怨念にもなる強い感情です。

気持ちを抱く度にとてつもなく大きなエネルギーを発し、明確に新しい記憶として今この瞬間を使います。

思い出して、「やっぱ許せない、もう考えたくもない」

強い記憶として許せない気持ちが山のように積まれていくと、スッキリしない“しこり”のようなものを抱えてしまいます。

思い出した時に、「もう許せない」「あ、ちょっと待って、今のは許す、大丈夫」と都度許さなければならず、一体何を許せばいいのかわからなくなる可能性もあります。

許せない記憶の製造サイクルができます。

サイクルによって許せない念と嫌悪感が強くなり、頑張って許そうとすることで、本質的な意味がわかりにくくなります。

これを解消することが、この内容の主旨。

詳細へ入りましょう。

 

許せない人を許さなくていい

頑張って許せない人と向き合い、嫌なことをされた過去があっても新たに関わりを持ち、許せるように努力するかもしれません。

中には当たり障りなく関わり、許せないと思う出来事が起きないように、腫物を触る関係性になる人もいると思います。

どれだけ頑張っても許せないと、憎悪が消えず、心地悪さが残り、「許せない自分はダメだ」と否定してしまう人もいます。

私自身、たくさんの許せない記憶を持ちます。

憎悪のにおいがおぞましくなり草饅頭の色味を超えた辺りから、如何に相手を懲らしめるかにフォーカスしていた時もあります。

精神が落ち着きを取り戻すと、自分を縛り苦しめないためにも、「なんとか許せるようになろう」と頑張りましたが、できず。

記憶を呼び戻さないために誰にも言わず、思い出さず、過去を封印する。そんな誤魔化しと逃避策にも走りました。

いつまで経っても許せない気持ちがやまず、できたのは「もう許せた気がする」と自分を思い込ませるまやかしくらいでした。

そんなこんなで、私はアラスカの森で自分を見つめなければならないと考え、一人野生化して森の中で瞑想に明け暮れ、熊に襲われながらのヘロヘロライフを味わいました。
※詳細は、幸せはムニュムニュムニュをご覧ください。

終わった頃には何もかも清算。

許せない念に駆られることがなくなり、心地悪さも辛さも、苦しさも縛りもなくなりました。

この時に気づいたのは、許せない人を許さなくていいこと

正確には、許せない人をダイレクトに許そうとしてもできないことでした。

 

許す対象は他者ではなく、記憶

私達が一瞬一瞬を生きる意識体である考えでは、今この瞬間を使用し、連続的に並べ続けることで現実を紡ぎます。

如何に今を使うかによって現実が繰り広がり、許す行為は今この瞬間に対象を許します

「今、私はあの人を許します」と目的を決め、いざ対象に目を向けると、許す対象がいない

あれ?

あるのは過去。

許したいのは許せない原因となった過去。

その人の過去であり、自分自身の過去の記憶に許す対象がいます。

こうなると、許す行為は過去の記憶へ向かい、その当時に起きた許せない出来事やシーンをいくつかピックアップする必要があります。

今を使って許そうとしても必然的に過去へ行ってしまい、今ここに存在すらしていません。

許せない人を許す場合、どうしても過去へ向かわなければならないため、その許せない対象ではなく、自分の脳内を見ることになります。

少しわかりにくいかもしれませんが、綺麗な夕日を見ながら、「あ、そういえば鍋に火をつけたままだ」と思った瞬間、目の前にUFOが現れたことに気づいていない、みたいなことです。

許す対象を見ずして許したとは本人が最も認められません

対象は人ではなく、自分の中にある記憶

許せない人を許さなくていいとは、人そのものは許すことができない意味であり、許す対象は記憶である、という考え方です。

 

許せない人を許そうとせず、許せない自分を許す

許せないことをされた時に、「いいよ、許す」となれば、目の前の人を許せます。

「許す」とは新鮮な生もののようで、記憶となったその時に許せますが、その時を逃して鮮度が悪くなると、対象となる人を許したくても許せなくなります。

消費期限切れ。

すると許せない人を許そうとする場合、無理矢理に頑張らなければならず、どうにか今この瞬間から、許してもいいと思える良さげな言動や行動をすくい取ろうとします。

飲んだくれて暴れまわっていた人が、今は真面目に働いている。

「あ、なんかちょっと許せるかも」と思えますが実際には許せず、起こるのは許せない気持ちの鎮静作用

また暴れようなものなら、さらに許せない記憶が積まれて、以前より許せなくなります。

許せない人を許さなくていいとは、人を許そうと頑張っても空回りして苦しみを増やしてしまうので、アプローチ方法を変える意味。

アプローチは人ではなく記憶。

許すのは許せない相手ではなく、許せないと抱いた記憶、すなわち自分自身です。

 

許すとは過去の手放し

許すとは過去を手放すこと

[許さない]から[許す]ためには、順序があると考えます。

許さないから許す流れ
  1. 許さない
  2. 許さないをやめる
  3. 許す

許すとは、許さないをやめる行為によってもたらされる、自然な流れのようなもの。

二段飛び厳禁。

許さないをやめることに、許す意味の紐解きがありそうです

嫌なことをされる、理不尽が当たり前、不条理な世の中、思い通りにいかない一切皆苦が常識であれば、「許せない、なんでこんなことをするんだ」と思うことすらないかもしれません。

許さない気持ちによって怒りや憎悪を生み出しますが、許さないとは誰しもが抱く感情ではありません。

どうして「許さない」が生まれるのか。

執着と考えられます。

記憶への執着。

ルールや常識、周囲と比べた認識、見方、捉え方への執着。

嫌な気持ち、ネガティブな感情、辛い経験である過去への執着。

苦しむ自分を認めたくない拒否への執着であり、恐怖心を受け入れたくない気持ちへの執着でもあります。

「許せない」という気持ちは、過去の自分の辛さを認めたくない執着と考えられます。

辛さを認めるとは、起きたことをしっかり理解し、傷や痛みをはっきり自覚し、記憶を記憶として定着させること。

痛いものは痛いとしっかり味わい、嫌なものは嫌だとはっきり拒否し、起きたことは起きたとくっきり現実として受け止めることですので、怖いもの

恐怖心は誰しも嫌がり避けたいものですが、その先に辛い経験を自分の糧とし、能力や才能を開花させ、人間としての強さや精神性を高める育みが待っています。

許すとは許さないをやめるために執着を手放すさま、過去は過去としてあるがままの記憶にさせてあげること、という考え方です。

※執着を手放す方法は、【執着を手放すとは停滞を流すこと】解決方法は心理とスピリチュアル をご参照ください。

 

体験談:許せない気持ちの深堀り

上述の許す意味が分かりやすくなればと思いますので、私の体験談をご覧に入れます。

ある一つの許せない記憶、この体験のおかげで許せない気持ちの理解が深まりました。

私が小学生の頃、たしか10歳。

妹と一緒に電車で映画館へ向かう道中、事は起こりました。

駅に着き、二人分の電車チケットを購入しようとした時、見ず知らずの男(見かけ30歳頃)が後ろから私に掴みかかってきました。

全て突然の出来事。

後ろを振り向かされ、券売機に勢いよくドンッと押し付けられ、肩を両手で強く握られ、小さい私にとって強烈な力で揺さぶられます。

「オラァア!!この野郎!!殺すぞ!!!」

「ペッ!」

顔面に唾を吐かれ、さらに思いっきりどつかれ、男は走って去っていきました。

茫然自失、ポカーン。

駅員が出てきて、「どうした、大丈夫か?」と言われた時に、体中がガタガタ震えだし、涙が溢れる。

パニックで呼吸できず、涙も止まらず、訳も分からず泣きながらチケットを購入し、「犯人はタラコ唇だった」と頭の中をグルグルグル。

あの顔、剣幕、怒り、恐怖、全てが鮮明に記憶に刻まれ、私は似ている雰囲気や顔の人を見ると怖くてしかたなくなりました。

この経験により私は抑圧され、痛みと苦しみを作られたと思い、「許せない」と強く怒りを生み始めました。

思い出す度に、「許せない、見つけたら潰す、絶対刈り取る…ぶつぶつぶつ」

……

月日は経ち、アラスカにてあらゆる清算が起き、あることに気づきました。

そういえば、あの男の人に許せないと思ってないぞ

記憶を思い出しても、「そういえば怖かったなぁ」で終わり、一切記憶への執着がない。

どうしてか考察するために自問自答すると、

「許せない人は誰?」
「あの男、今でも覚えてるあの顔」

「それは誰?」
「あの男だよ、ほら記憶にあるこれ」

「だからその人は誰なの?」
「え…誰って…誰だこの人?」

あの人が誰なのか、どういう人なのか知らない。

知っているのはあの記憶のあの顔、剣幕、出来事、いわゆる私が認識したあの人たらしめる脳内電子データ。

「あの人が誰か知らない、けど許せないんだ」

「何が許せないの?」
「あの出来事、恐怖を食らわせられた」

「どうして許せないの?あの人がどこにいるか、何しているかもわからない、死んでいるかもしれない」
「この記憶がなくならないから、思い出すだけでイライラするんだ」

「記憶がなくなったらいいの?」
「うん、なくなればいい」

「じゃあ、あの人かどうか関係ないじゃん」
「…たしかに」

洞察する、「あの人ではなく、親とかもっと近い関係で、知っている人だったらどうか」

「同じだ、結局記憶だ」

「記憶によって嫌な気持ちになるのが苦しくて、自制できなくなるのが嫌で、記憶がなくならないからエンドレスに恐怖を味わう怖ろしさがあり、逃げたいのに逃げられないから耐えられないのかも」

向き合いたくない恐怖が記憶という自分から拭えないものの中にある以上、思い出す度に恐怖心を味わい、逃げたい、拒否したい、認めたくない気持ちになる。

「記憶によって出てくる自分の恐怖心を認められない」という現実だけが残る。

記憶に執着していたとはっきり気づきました

執着の原因は恐怖心を受け入れたくない欲、辛く苦しんだ自分を認めたくない拒否、嫌なものはただなくなればいいという排他意識。

許せない気持ちとは、苦しむ自分が現実にいると認めたくないがために、過去を手放さない執着かもしれません。

 

許せない時に大切なこと

どうしても怒りや憎悪が強いと、その原因を作った張本人に着目し、「このぉおお!」と気持ちが出てきます。

執念や怨念や逆恨みなど、攻撃的で強烈な波動を生み出す危険性もあり、自分自身をより苦しめて傷つけてしまいます。

なんとか許せない気持ちを解消したいところ。

おすすめしたいのは、「この人を許そう」という気持ちをぶん投げて捨てちゃう。

完全にゴミ袋に入れて燃やす、ボッ

フォーカス対象は許せない人ではなく、「自分が如何に苦しまず、許せない呪縛から抜け出すか」に切り替えます。

はっきりと改善点を自分に置きます。

「相手を思い出してしまう、怒りが湧き出る」と思う状態を、「自分の記憶を思い出すと、怒りが湧き出る」にする。

如何に相手ではなく自分の問題であると認識を変えるかです。

後は、許すとは何なのかを把握することで、自然と解消へ向かいます。

 

許すとは過去を手放すこと まとめ

相手に対する気持ちに思える「許せない」

実際には、自分の記憶に対する不納得なのかもしれません。

「こうありたい、これはされたくない、こうあって欲しかった」

私達はあらゆる願望や認識を持ち、現実を認めたり拒否したり、利益を得たり不利益を回避したり、さまざまに生きる術を考えます。

許せない時に着目したいのは、傷の治療もさることながら、「なんで許せないのか?」の答えです。

答えがあれば、既に納得しています。

答えがないから納得できず、許すことがわかりにくくなります。

実際には納得も不納得もなく、あるのは現実を現実にするか否かという答え。

過去に戻って起きたことを変えられればいいのですが、難しそうです。

しかし、起きたことは起きたと認めれば、現実を曲げるのではなく、捉え方や見方を変えられます。

アングルとピントを変えるように、どの位置でどの立場から捉えるかによって、現実はより細部の事実を教えてくれます。

私の体験談で言うと、「あのくそタラコ唇が」という見方もあれば、「あの人は何かに怯えていたな」という見方もあり、現実は相手を知って初めて真相がわかります。

相手がわからない、深く知らない、知る由がない、知りたくない以上、許せない気持ちは自らを縛る呪縛になりかねません。

着目は自分、明確に自分です。

許せない人を許す必要はありません。

許せない人にフォーカスする必要もありません。

過去への執着を手放した時、自分を許す感覚を体感します。

許せば許すほど、執着を手放せば手放すほど、いつの間にか許せない気持ちがなくなっており、その人を許していることと思います。

許すとは他者に対するものではなく、自分の存在の受容であり、この世の一部として受け入るべき存在だと知ること。

認めがたい大変なことも多いですが、呪縛の解かれた先には大きな力、根源的な強さであり、物事の本質を知る成長があります。

読みがたい内容だったと思いますが、自己を高める材料、そして理解を深める一つの考え方となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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