悩み

泣きたいのに泣けないジレンマ│苦しみの原因と改善は三人の自分

泣きたいのに泣けない。
泣きたくないのに泣いてしまう。

この違いは一体何でしょうか?

「自分を許したいか、許したくないか」

そんな話がここにあります。

泣きたいけど泣けず、ジレンマの狭間にて苦しくなってしまう場合、ここで一休み。

「ちょっと三人の自分いませんか?」
そんなおかしな話を聞いていかれてください。

私は、生まれた後も生まれたまんまのように泣きまくり、その後泣くのがどうしても嫌で一切泣くのをやめました。

そして、その後泣くことの意味を知り、すぐ泣く人間に元通り。今ではうるうるライフをゆったり散歩中です。

そんな経験から、「泣く、泣かない、泣けない」には私なりの自論がありますので、泣けない原因理解と改善に繋がる内容であれば幸いです。

それでは、泣けない時の人間分解、内側探求を始めましょう。

泣きたいのに泣けない

泣ける人と泣けない人の違い

初めに、泣ける人と泣けない人の違いを紐解きたいと思います。

よく泣く人がいます。
全く泣かない人がいます。

両者の違いは、自己表現を解放的にしているかしていないかの違いが見られます。

ですが赤ちゃんの時、両者に違いはあったでしょうか?

生まれた時の一声だけあげといて、あとはバブー(泣かないよ、けっ)と決めた顔。

カッコいいーという感じですが、そんなのはなかなかお目にかかれない存在です。

みんな泣いていましたね。

全く泣かない人は自己表現にある、「泣く行為」をとめる理由、原因、目的が成育過程にあると思います。

泣かない動機と目的がなければ赤ちゃんのまま、嫌なことがあれば泣いて自己表現続行。

ですが、ある程度の年齢になると誰しもが泣かなくなります。

ませたってやつ?

いえ、常識やルールへの従順、強要、躾、教育、決まり事への順応、まさに泣く行為をとめる動機と目的がある状態です。

その後に起きるのが、涙が出てきた時に泣く許容をするか否かの選択。

泣きたくない動機と目的がある人は、自ら泣かない選択をし、そうでなければ感情に身をまかせて涙が出てくれば泣くことをとめない選択をします。

泣くことへの価値観や観念は人それぞれにあるため、人によっては要らない。

羞恥、迷惑、自己価値を下げる、自信のない表れ、弱さの象徴、失態、甘ったれの執着と、マイナスになりかねません。

そのため、泣くか泣かないかは選択です。

シンプルに、泣く選択をするか、泣かない選択をするかですが、泣く行為は感情に紐づいて反射的に表れ、演技や芝居ではない日常では自らコントロールして泣こうとはしないと思います。

そのため、選択は泣くことをとめるかとめないか、自分の感情反応を拒否してとめるかとめないかと考えられます。

言い方を変えると、自己表現を拒否して抑制する人は泣かない選択をします。

  • 泣ける人は自己表現を拒否しない解放選択者
  • 泣けない人は自己表現を拒否する抑制選択者

自己表現するか否かではなく、自然と表れる自己表現に対してストップをかけるか否かが両者の違いとなるポイントです。

ここで泣かない選択をした場合、あることが心身内部で起きます。

 

泣かない選択をした人は泣けなくなる

私が子供の頃はあまりに泣き、人前でも自分の意見を言うだけでも泣いていたもので、いろいろ怒られたり、恥をかいたりが嫌で、泣かない選択を強く決めました。

それによって、泣く行為に対する負の結果は起きにくくなりました。

「泣いて恥ずかしい思いをしないで済む」
「弱い者に見られない」
「バカにされて、嫌な思いをしない」
「強い人間に思われ、周囲からの評価を高められる」
「自信がないヘタレだと思われずに、誤魔化せる」

これらを自己概念(自分ルール)と言いますが、自己概念が現実にならず、恐怖を感じない利益を得られました。

「泣かないようになって良かった」と思いましたが、自分の内側は大変なことになっていました。

抑制、抑圧、支配、閉鎖、縛り、真意の無視、愛の封鎖。

泣かない選択をすると、自らを支配して行動や思考を制限し、自らの真意を誤魔化し、嘘と偽りと逃げを多用します。

すると決定的なことが起きます。

恐怖である怖さ、危険、苦痛、拒否を味わわないために認識と価値観を制限し、恐怖を認識しないことが自分の中での利益になります。

喜んで自らを制限して縛りつけ、支配します。

すると、自らを大切に敬い想う愛の認知が遠のき、どこかへ行ってしまい、見失います。

いわゆる自分の中で自分が分断、恐怖側と愛側が綺麗にズバッと切り裂かれる。

「愛の認知を持っていた自分はどこだー」と初めは探します。

が、「そんなことよりもっと大事なものが目の前にあるじゃないか、恐怖を味わわないことこそが喜びだろ、なぁ」と自分の中にいるもう一人の自分が言ってきます。

泣かない選択をすることで、「恐怖を味わわないことこそが良い人生だ」と言い張るもう一人、恐怖を拒否する自分が主観になり、自己表現をコントロールし始めます。

自己支配始動です。

恐怖を嫌がるための反発や誤魔化しの手法は進んで自己表現するようになり、怒りや悔しさ、憤りやイライラ、ストレスや愚痴、文句や非難、否定や批判はします。

怒りや悔しさ、悲しみや哀しみによって流れる涙は出て来ますが、喜びや笑い、感動や人を愛し、敬い想うことでの涙が出てこなくなります。

いわば、愛の認知に基づく涙の自己表現は完全に支配下。

この状態がさらに続くと、感情自体の支配へと続き、怒りや悔しさに対しても泣けなくなります。

それは自己表現の支配完了。

泣かない選択が激化すると恐怖に飲み込まれ、自らの支配によって泣けなくなる可能性があります。

 

泣きたいのに泣けない人の特徴

私のようになると完全に泣かなくなり、自己表現の抑制、そして自然発生的な泣くという自己表現に対しても管理をギラリ、常に自らを客観視する監視体制が激化します。

ここでお伝えしているのは、この状態にはなっていない人、「泣きたいのに泣けない」と思える人が対象です。

「泣きたい」と思えることは、完全なる自己支配下ではないことを意味します。

まだまだ間に合います、戻れます。

そのためにも、自分を理解することが大切になります。

特徴にて詳細を紐解いていきますので、順番にご覧ください。

 

1,自己表現前に常にチェックが入る

自らの内側にある思考、感情、欲求、願望などの認識を外に表す際には、要確認。

刑務所から郵便レターを出す時と同じことが起きています。

 

2,自分を監視する体制

セキュリティレベル3。

自らを客観視するように別目線の自分がいます。

それが、恐怖を拒否する自分。常に他からの反応、見られ方、評価を気にします。

 

3,誤魔化しの多用

自らを納得させる誤魔化しを多用します。

嘘や偽り、演技に事実の湾曲化、物事をなかったことにしたりと認識を偽り、自らに見せる世界を制限、編集する特徴です。

 

4,我慢の多用

忍耐ではなく我慢する特徴でして、嫌なものを嫌と言わずに取り組もうとします。

我慢によって自らの行動や思考の真意を自覚しない手段となり、「我慢しているから」「頑張っているから」と思える状態を作ることで、自らをスムースに制限・納得させます。

 

5,自己防衛意識が高い

喜びを作ること以上に、悲しみや辛さを味わわないことを優先する特徴です。

この認識には自己防衛意識の高さがあり、恐怖拒否でありながらも愛の認知をどこかで守ろうとする意識が消えていないことを意味します。

誤魔化しも我慢も自己防衛意識からの行為でして、心のどこかでは泣く自分を表現しようとする部隊が潜んで筋トレ中、備え中、いつでも行けます。

 

6,完璧主義

恐怖を嫌がる在り方には、否定や批判されることを恐れる人間性があります。

そのため、恐怖を味わわない方法として自らを我慢させて辛いこともする選択をして、完璧主義者として他者から何も言われないように、否定されないように自らを作ります。

他者からの反応や評価が重要になるため、他律で大衆的、統一主義的な一般論を重んじ、間違っていない、負け犬ではない状態を望みます。

 

7,感性が乏しい、知性がある

感性が乏しいために自らの意見や認識が希薄な特徴です。

しかし、他の意見や認識を多くインプットしているため、思考を多用して他の情報からの知性に溢れています。

 

8、自己表現や創作を恐れる

感性が乏しいことで、自己表現する際に他者の認識や情報を重んじます。

すると自己表現にならず、自ら表現や創作するのが苦手です。

 

9,素直過ぎる

体質も気質も素直な特徴ですが、素直過ぎるために他律になり、恐怖に飲み込まれやすく、恐怖を嫌がる欲求にひたむきになります。

怒りや悲しみなどの恐怖の表現も素直、我慢するか爆発的に吐き出すかとなり、調整が少し苦手な特徴です。

 

10,自分を許していない

最も大きな特徴です。

自分を許していない、または泣かない選択をするに至った原因の他者を許していない、または両方あるかもしれません。

許していないことから、何かあると自分を優先したり大切にできず、気付けば自らの嫌なことをしていたり、我慢していたり、さらにそれを誤魔化してなかったようにしようとします。

以上が、泣きたいのに泣けない人の特徴でした。

 

泣きたいのに泣けない人の特徴 一覧

上述の特徴一覧です。

泣きたいのに泣けない人の特徴
  1. 自己表現前に常にチェックが入る
  2. 自分を監視する体制
  3. 誤魔化しの多用
  4. 我慢の多用
  5. 自己防衛意識が高い
  6. 完璧主義
  7. 感性が乏しい、知性がある
  8. 自己表現と創作を恐れる
  9. 素直過ぎる
  10. 自分を許していない

 

泣きたいのに泣けない原因と改善

泣きたいのに泣けない原因

泣けない理由は支配による恐怖主導、愛の認知喪失が考えられますが、その根元となる原因が潜みます。

自己表現の抑制は多少の違いはあれど誰しも自然なことですが、泣く自己表現の抑制には少し特徴的な人間味があります。

それは、自覚しないようにすることです。

「自らの認識を自覚したくない」

すると、苦しみがあっても苦しんでいると思わないようにします。
悲しみがあっても悲しんでいる自分そのものに集中しなくなります。
喜びがあれば喜んでいる自分自身を認識しなくなります。
楽しければもっと楽しもうと望まなくなります。

まるで自分を見ないように、感じないように、考えないように、想わないように、知らないように。

これらの状態は支配完了の兆候ですが、「泣きたい」と思う場合には、恐怖を感じている拒否状態(怒りや悔しさや苦しみや悲しみなど)は自覚しようとします。

同時に、「他者からどう見られているか?」の他者目線からの自分の在り方や状態も自覚しようとします。

しかし、愛の認知(喜びや楽しさや感動や幸福など自らの受け入れや許し)を自覚しないようにする傾向があり、自分を知りたくない可能性があります。

それが、自分を認めたくない何か、原因はここにあります。

泣きたいのに泣けない原因は、自分を許せず大切に想えないため。

※泣いてしまう人の理解でわかりやすくなるので、泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度 をどうぞ。

 

泣きたいのに泣けない 改善キーパーソン

「泣きたいのに泣けない」

この発言には、二つの意味からの自己矛盾を表します。

  • 「泣きたいのにできない」という自らをコントロールしようとしてできないジレンマが一つ
  • 「願望しているのにそれが叶わない」という、自らの欲求がまかり通らないことにおかしいと思うジレンマが一つ

この自己矛盾は自らを苦しめてしまいます。

「泣く」という行為は感情や意識に紐づき、自律神経を整え、ストレスを緩和し、幸福ホルモンを分泌し、癒しを与えると言われています。

それは、自然発生的な自己表現として、自らを縛らない自由な表現場、心理や精神など自らの内側の状況や状態如何によって見出される反応と言えると思います。

そのため、悲しくても楽しくても泣くかどうかは潜在領域の自分や、意識としての自我や真意に問わないと答えはわかりません。

いわば、コントロールするものではないという考え方です。

ジレンマとなる認識には、自己概念として自らを制御するためのルールが多い可能性があり、「これはこういうものだ」「こうなるべきだ」「そういうものなんだ」という思考過多で情報量多の状態が考えられます。

そして、自らの欲求がまかり通らない憤りを、進んで作ってしまっている可能性があります。

この心理には、「ダメな自分を作りたい」という認識があるかもしれません。

また、「自分を知りたいけど知りたくない」という認識も考えられ、自らに正直になろうとする認識を歯止めする自分がいます。

少しわかりにくいかもしれませんが、要約するとこうです。

「泣きたいのに泣けない」という一言には、三人の自分がワチャワチャしちゃってる。

別々の二人が全く違う認識を持ち、別の一人がジレンマを感じて矛盾を作った発言をするという意味です。

ここで登場人物を確認しておきましょう。

泣けない実情 登場人物
  1. 自己支配にて泣く行為をコントロールしようとする自分
    …恐怖が主観
  2. 泣けない(自分を知りたい)と叫ぶ自分
    …愛が主観
  3. 自分を許せない自分
    …恐怖の拒否が主観

注目は③です。

両者の狭間にいて、現状の認識、自分の在り方や人間性を作っているのが③。

恐怖を拒否する自分は、恐怖側①という意味ではありません。

恐怖側でも愛側でもないことに自覚をしたくない状態が起因し、恐怖と愛の狭間で自らの認識を作っている③は、現状恐怖優位、思考過多にて恐怖を味わわないことを選択している自分です。

ここで明確にしておきたい改善のキーパーソンは、「③」です。

 

泣きたいのに泣けない改善方法

「泣きたい?」
「泣けない?」

愛が正しいわけでも、恐怖が間違っているわけでも、その逆でもありません。

許せない自分が現状の認識を作りながらも、自覚がないために自己理解(恐怖と愛の認知)へ向かわず、自らを知らないために自らに翻弄されている状態が考えられます。

改善のためには、泣く行為に縛りをもたらしている人を捉えます。

③です。

あとは、シンプルです。

捉えたら、「おかえり」と、それだけ。

これは自分を知ることを意味し、自覚を意味します。

そのため、「捉えるかどうか」ではなく、「捉えられるかどうか」です。

③を捉えるためには、①泣こうとコントロールする自分を捉え、②泣けないと叫ぶ自分を捉えることも方法です。

捉える際のそれぞれの特徴はこちらです。

  • 泣くことになんのこだわりも執着もないのが①恐怖側(泣く気すらない)
  • 泣くことに何の縛りも持たないのが②愛側(泣けないようにしていることに反発がある)
  • 「泣きたい」と思っているのが③

二人を捉えられれば、残りの一人は今の認識を作っている張本人。

張本人が泣きたい理由は、他者の反応や評価を気にして恐怖を味わわないようにするためです。

張本人には特徴があります。

現実を見ないように誤魔化します。

日常に無限に存在する経験、それは自分を知る機会を自覚しないようにします。

すると、五感を認識せず、ご飯をしっかり味わわず、呼吸を感じなくなるかもしれません。

これは、今この瞬間にも経験し続けていることを見逃がす意味です。

毎日さまざまに自己理解を深め、自らを成長させる機会に溢れているのがこの世です。

「③、または三人共を捉えられると物事は変わる」と、私の経験からは理解しています。

捉えるとは自覚。

自覚している時、それは既に自分を許し始めた合図です。

※泣きたい時には、悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る人間の意識と仕組み をご覧ください。

悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る人間の意識と仕組みとまらない、泣いているわけではないのに涙がとまらない、まるで泣いているようだ。 全く悲しくないのに、辛さや哀しみの感情もないのに、...

 

泣きたいのに泣けない まとめ

少しややこしい話だったかもしれませんが、もし思い当たることがあれば、自己理解を深める意味でも三人の把握をされてみてください。役立てば何よりです。

「泣きたいのに泣けない」

この一言には三人分の認識が全て凝縮されています。

「泣きたい」
「泣きたいのに」
「泣けない」
「のに泣けない」

「のに」の意味には、自己概念、コントロールの支配があり、③の認識です。

恐怖も愛も全て自分、恐怖を拒否する③ももちろん自分です。

ですが、恐怖も愛も遠のけることで、嫌だと思う恐怖を拒否する認識を主体にし、あらゆる「自分」という存在が遠のきます。

ポイントは自覚です。

自覚すると許し始めます。許さないのは自らを認めないから、受け入れないからだったりします。

自らを受け入れると自然な反応への拒否をしなくなり、泣けば泣いた、泣かなければ泣かないとそのままの自然。

自然は自然、そのままが良い塩梅です。

主観が他者への反応や評価を気にする状態ではなくなると、恐怖も愛も自覚し、③は自己理解を深めた上で物事を認識します。

その時には、自らの感性を育む日々となり、物事の見方、世界の認識が一変していることと思います。

「泣きたいのに泣けない」と苦しむ時は、泣くこと以上に自分を知る機会にされてみてください。

そんな内容がご参考になることを願います。

それでは、泣かぬなら、踊ってほにゃらら、腹ポンポン。

そんな名言を残した天下人がいるらしいですよ。

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