意識、次元

【因果放置は意味深い】カルマが重い人の特徴&軽い人との違い

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「カルマ大好きなんだぁ、むしゃむしゃ」

「食べて消えてくれたらなぁ」なんて妄想しても、目の前にはドサッと積まれた山、ふぅ。

誰しも溜め込んでいるカルマ。

スピリチュアルな過去世にまで及び、背負い続ける重荷になります。

そんなカルマ、たくさん積まれて重い人もいれば、軽い人もいます。

一体何が違うのか?

ここでは、カルマの重さ軽さの違い、そこに潜む因果を放置する本質的な意味をお伝えします。

  • カルマが重いとどうなるか知りたい
  • カルマが軽いとどうなるか知りたい

なんでもそうですがカルマも考え方次第で関わりが変わり、重さは辛さではなく、リュックにお菓子をたくさん詰めた遠足にもなります。

私はカルマが重いので、そんな人間の理解していることを、一つの考え方としてご参考にしていただければ幸いです。

カルマが重い人の特徴と性格

カルマが重い人の特徴5選

初めに、重い人に表れる特徴を順番にご覧ください。

1,何もかも思うようにいかない

邪魔が多く、抵抗が強く、抑圧が強固。

やりたいことがあってもドンッと岩が落ちてくるように歯止めがかかり、とにもかくにも周囲の人々や生活環境の邪魔が入ります。

「自分一人だったらどれだけ楽だろうか」と何百万回思ったかわからないほどかもしれません。

 

2,障害、病気

周囲からの邪魔となる障害、自分の人生を生きる上での弊害、不運を初め、人によっては自分自身の身体的障害、機能的障害がある特徴です。

生まれながらの病気、不治の病を持つ人もいれば、周囲からの障害によって蓄積した憤りやストレスが病気となって発症する人もいます。

 

3,人生を他者に決められる

メンタルや自己選択が関わるので誰しもではありません、さまざまな要因が絡み合います。

生まれながらに神社を継がなければならない。

父親に付いていったらそのまま刑務所暮らし。

幼い頃からのヤングケアラーにて誰かのためにしか生きられない。

生まれた民族や村や街のために、自分にしかできないことをしなければならない。

自らの意志決定がない、またはなくなる環境にて、人生を他者に決められる特徴です。

実際には絶対的な強制ではありませんので、自ら決めるのを難しくする邪魔や抵抗がとても多い意味です。

 

4,辛い経験が多い

貧乏で恵まれない、周囲と違う生活環境、いじめや虐待、障害や病気、人間関係が上手くいかないなど、苦労人。

常に周囲に干渉されたり、いざこざに巻き込まれたり、トラブルが盛んです。

 

5,死にかける経験をしている

重いカルマの持ち主の中には、命をかけて解消を望む人もいます。

死にかける経験をしており、守護霊や周囲のサポートによってなんとか生きているなど、家系や集団カルマの解消を担う人もいます。

人生の経験値が高く、一般的ではない経験をしています。

※許せない念がカルマを重くする詳細は、人を許せない人が陥りやすい因果応報の罠│「自分を苦しめた人が幸せそう」に見える訳 をご覧ください。

 

カルマが重い人の性格的特徴5選

性格にも特徴が表れます。

1,我慢強い

我慢する人、嘘をつく人、誤魔化す人、逃げる人ほどカルマが重いです。

「我慢することでカルマを解消する」と目的を持った一部特例もいますが、多くの場合、我慢は解消しないための封を閉じる行為となり、どんどん新しいカルマを積みます。

蓄積すればするほど辛いことが増え、より我慢を強いる循環に入り、我慢強くなります。

 

2,行動力が低く、能力が高い

カルマが重い人は頭でっかちになりがちです。

あれこれと思考が巡り、考えが止まらなくなります。

魂としての経験値が高く、個人能力や才能に長けていますが、行動力が低いため発揮されずに内部で静まることが多々。

人間関係の辛さや痛みによって自信がなく、自己肯定感が低く、能力が眠ったままになる人もいます。

 

3,重い

身体もメンタルも精神も重く、重力が人一倍のしかかるように鈍くなります。

波動の低さも重りになり、やる気が出にくく、活力がなく、動機も意志も衰退しやすいです。

 

4,めんどくさがり

重みは魂の重みとなり、一つ一つの動作がめんどくさくなり、無駄を嫌います。

カルマが重い人は過去の経験が多い人でもあるため、解消意志のある人は、「めんどうだからボタン一つで合理的にしよう」と経験を糧に考えます。

解消意志によって、めんどうだけどやるべきことを知っており、やる時はしっかりやる人が多いです。

 

5,怠け癖

一方で、解消意志がないカルマが重い人の大きな特徴は怠け癖です。

身体やメンタルの重みも関係し、行動力がなく変化しないために楽を選び、嫌なことをとにかく拒否します。

「なにもしたくない、これやって、あれやって、なんかそれなりになればいいや」という怠惰、むにゃむにゃ。

解消意志がない場合、カルマを放置しながら新しく蓄積し続ける人が多く、何度も同じ人生を繰り返している可能性があります。

特徴は、自己愛への執着が強く、自分や他者を物のように扱い、ぬいぐるみのように可愛がろうとします。
※誰しもではありませんが傾向

以上、カルマが重い人の特徴でした。

 

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カルマが軽い人の特徴

次は軽さです。

「軽い」と言う場合、人生経験が浅い意味にも、カルマを解消し続けた成果にもなります。

人によって特徴が分かれますので、変わり模様をご覧ください。

カルマが軽い人の特徴(人生経験が浅い)5選

1,被害者意識が強い

まるでカルマが重いかのごとく、経験してきたかのごとく振舞いをします。

実際に関わってみると、かまってほしい悲劇のヒロイン願望者。

他者承認欲求を求めてやまないエゴの過剰、他者に憤り、怒り、感情に翻弄され、意思を持たず、執着と依存を繰り返します。

 

2,サル的

人間とは言いがたいサル的な印象があります。

感情的で衝動的、自制できず欲情して不平不満を満たし、好き勝手に振舞う思考停止が顕著。

我欲に基づき物を欲し、優越を欲し、勝ちを求め、負けると暴れ、上下の差を作る比較対象がないと自己の存在認知が難しい特徴です。

 

3,会話が難しい

自分勝手でわがまま、自分中心の見方は自らを認識するのではなく、自分を中心だと思うために劣等者を探して蔑もうとします。

相互概念がないために相手にとって会話は難しくなります。

本人は自分が思ったことは相手に通じると思っているので、「なんでこの人わからないんだ、ダメな人だなぁ」と自分を変える気がない特徴です。

 

4,カラ元気

電車の中で大声で話します。

気に食わないと騒ぎ立て、周りを気にせず好き勝手にします。

身体の動きが機敏で、中身がないためにカラッカラの印象を周囲に与えます。

 

5,認識力がない

物事を捉える際、自分が見えておらず、他者が見えておらず、周りが見えていない。

私利私欲や利益を如何に他者によって満たすか、そんな人間関係になりがちです。

自己都合の世界のみを見る執着があり、新しいデータインプットが微量。

認識力を育むことが難しく、成長も退化もない不変が継続し、そこに違和感や疑問を感じない特徴です。

 

カルマが軽い人の特徴(カルマを解消し続けている)5選

1,与える

人に与える人。

物だけでなく優しさ、配慮やサポート、感謝や尊重、そして愛を与えます。

人助け、ボランティア、寄付をして、自分以外の他に与えることでこの世の循環を作る特徴です。

 

2,他者貢献、利他心

努力の人。

自らのカルマを解消するために恐怖心と向き合い、克服し続けている人。

「嫌だ、怖い、認めたくない、許せない」と目を瞑りたくなる気持ちの呪縛を解き、真っ直ぐに現実とは何かを捉えます。

自分を見つめて向き合うステップを終え(または終えようとしており)、向く先は他者。

他者の苦しみ、恐怖がよくわかるため、サポートや助けの手を出し、他者貢献と利他の心を育む段階に入ります。

 

3,心が軽い

ドヨ~ンとした雰囲気がなく、サラッとスッキリした雰囲気。

心の軽さ、魂の軽さから活力的に意志を持ち、行動力がすさまじく、気づいたらもういない、あれ。

飛んでどこかに行ってしまうのではないかと思うほど、この人を止める重荷は少なく、抵抗も邪魔もありません。

 

4,波動が高い

エネルギーの強さがあり、波動である振動数・幅・質の高さによって審美性、美しさが見られます。

容姿の造形ではなく、オーラから醸し出される光があり、自分の道を邁進するさまは清々しいものです。

普段は笑わないとしても、笑顔がとても素敵な人です。

 

5,辛いことも受け入れる

過去を笑う人。

辛さや苦しみは全て自分のためであり、周囲のためとなった理解者。

誤魔化して笑い飛ばすのではなく、本当に面白く大切な経験だと思っています。

人生の醍醐味を知っており、今後も自分の思うようにカルマを作り、因果応報を楽しみます。

以上、カルマが軽い人の特徴でした。

 

カルマが重い人と軽い人の違い

カルマが重いとは?

カルマとは業(ごう)。

行為(こうい)を意味します。

『物事は原因があって結果がある』

因果応報の考え方では、原因にあたる部分が行為でありカルマ。

※カルマの詳細は、【真理の言語化】カルマの法則とは?わかりやすく『責任の生死』をご参照ください。

行為があるから原因が作られ、結果へ続いていきます。

シンプルに、カルマとは物事の原因を作る行為であり、良いも悪いも結果を生み出す基、意志による活動です。

私達は常に行為していますので、カルマを持たない人は存在せず、常にあらゆるカルマを生み出しています。

美味しいごはんを食べている時に、「食べ方が汚い!」と子供を叱り、子供が嫌な気持ちになる。

叱る行為によって子供が嫌な気持ちになるカルマを作り、自分が叱ったカルマを作りました。

反対に、「これは美味しいね」「ねー」と和気あいあいとしていれば、子供が楽しい気持ちになるカルマを作ります。

私達は本当にあらゆるカルマを作り続けています。

そんなカルマが重くなるのは、作った行為が結果まで辿り着かないがため

良いことをすれば誰しも納得して結果に辿り着き、やったーわいわーいで終着、エンド。

しかし納得いかず、認めがたく、受け入れたくない、いわゆる現実として起きたことを拒否する場合、エンディングへ向かわずカルマが残ります
※そんな映画がクレヨンしんちゃんにありましたね

未完の行為は嫌なことをする行為、それが相手に対する行為であると残りやすく、拒否したくなる出来事や行為をすればするほど、たくさんのカルマが蓄積します。

ズシッと重くなり、魂の記憶に行き詰りを作り、抵抗をはびこらせ、カビていくようにメンタルが弱まり、心が重く、波動が低く、精神が虚弱化します。

魂は絶対的な自分の軸であり、全体と繋がる出入口になるため、一つの意識として全体の中で存在する私達一人一人にとって、カルマの重みは大きな邪魔となり、人生における重荷や抵抗になります

なんとしても軽くしたいところです。

 

重みは過去世も含めた長期スパンであり、現世での在り方を彩る

カルマは過去世など魂や霊の記憶も含めたスピリチュアルな認識が強まります。

今世だけでなく、過去どれだけ転生してきたかわからない魂スパンでのカルマは、一体何をしてきたかわからないほどあります。

この理解から、「生まれてくる前にどれだけのカルマを解消するか決めてくる」という考え方もあります。

カルマは個人のものだけでなく、グループや家系、集団や全体としてもあるため、幅広い考え方になり、人生の役割や意味を見出す材料にもなります。

重いと思ってもある人にとっては軽かったりするのが価値観ですが、カルマが重い軽いは一つの行為を言っているのではなく、多くのカルマが蓄積することでの重み

これが意味するのは、ずっとカルマが積まれ続けているのに解消しないできたことです。

カルマが重いとは、未完のカルマを作り続けて解消しない自分自身の在り方を表します。

 

カルマが重い人と軽い人の違い

カルマの重みは解消せずに生きてきたツケ。

過去世も含めた大きなツケです。

解消しないのは自らがしたことと向き合わず、現実を拒み、誤魔化し、自らに嘘をつき、我慢し、逃げるが故であり、恐怖心と向き合えないことが理由となります。

自らの行為、相手に与えた影響は自然とカルマになるため、解消するには自分のしたことを認め、相手に与えた影響を知り、認める必要があります。

しかし、私達人間は嫌なことを忘れ、次へ移行したい気持ちがあり、どの記憶がどのカルマかなんてわかりにくい。

過去世も含めているため、もうわかりっこない。

そのため、カルマとはピンポイントに自分がしてしまった一つの行為を解消するのも大切ですが、普段の在り方がより重みに関係しています

日常的に恐怖心と向き合わず誤魔化し続けるとカルマが積まれ続け、どんどん重くなり、波動は低まり、メンタルが弱まり、精神が脆くなります。

反対に、恐怖心と向き合い、自らがした行為を自覚し、理解し、認め、受け入れる人は、カルマが解消されていくので重くなりません。

拒否せずに受け入れることが多くなればなるほど軽くなっていきます。

カルマが重い人と軽い人の違いは、「過去に何をしてしまったのか、それを解消しなければ」という罪の意識ではなく、

「現実と、自分と、他者と真摯に向き合い、物事を自覚して受け入れ、改善や向上のために成長しているか」に表れます。

※カルマによるご縁については、魂的に縁がある人とは切れない【縁の深みは愛以上にカルマ】をご覧ください。

 

あえてカルマを重くする人もいる

「未完を作り続けた重み、ダメな私だ」と思う人もいるかもしれませんが、あえてカルマを重くする人もいるのが魂の面白いところかもしれません。

カルマは過去世も含めた魂の記憶を基にしています。

過去世を憶えている人は少ないので、カルマは憶えていないことも含めて魂に基づく自分の在り方をさらします

カルマが重い人は経験値が高い人でもありますので、過去世を含めればどれほど恐ろしく崇高なことをしているかわかりません。

誰でもできる簡単なゲームをクリアしてもつまらないように、難しければ難しいほど本気で遊べる。

解消しづらいカルマをわざと残して積み上げ、「これくらいならやりがいがあるってもんよ」と人生を生きる、そんな魂の在り方を持つ人もいます。

いざ人生を始めると、積み上げてきた重荷に耐えられない人もいますが、「苦しい、くそぉ」と本気で頑張っている時、魂はフレーフレーと笑顔だったりします。

魂とは自由な存在です。

カルマが重い人には魂スパンで人生を楽しもうと創作する人もおり、あえて辛い経験を味わい、現実を認めて受け入れることで一気に解消していきます。

受け入れられなければさらなるカルマを残し、辛さから周囲に当たり散らしてよりカルマを重くしていく人もいます。
※それもまた計画通りかどうかは本人のみぞ知るところ

一方、カルマが軽い人はこういった一連を超えているか、または人生を真っ直ぐ進もうとするタイプだと考えられます。

奇妙なお話ですが、魂状態になると死ねません。

早く真っ直ぐ進む選択もありますが、如何に一つ一つを味わい、クネクネと周り回っていくかの選択もあり、全ては経験を記憶にしてどう受け入れるかにかかっています。

思った以上にカルマを重くして、動けなくなっている人は怠け者に多いです。

しかし、めんどくさいと思いながらも人生の遊び方を魂的(無意識)に考え、やる時はやり、行動する時は一気に行動し、解消する時は解消に邁進する人もおり、一癖も二癖もあるひねくれものはひねひねくれているうねり者、面白い人が多いです。

 

カルマが重い人の特徴と本質 まとめ

カルマとは一体なんなのか。

記憶の材料であり、全体と繋がっている証と言えるかもしれません。

一つ一つの魂(意識)が全体と繋がり合っているからこそカルマが成り立ち、一人では生きていないことがわかり、一人では成長できないこともわかります。

この理解に法則を見出すと、カルマの法則や因果応報となり、一人一人が成長していく変化の先に、全体となっていく真理へ向かいます。

仏教の諸行無常。

ウパニシャッドの梵我一如。

全てを繋ぐ原理にカルマがあり、因果応報があります。

カルマを修行に使うか、遊びに使うか、魂の世界では何事も自分次第であり、宇宙の原理に乗っ取るそこに縛りはありません。

どうせなら面白おかしく遊ぶ材料にしてもいいかもしれません。

良くない行いをしてきたのならたくさんのカルマが残り、山となっています。

いつかやらなければならないカルマ解消。

解消の先にあるのは心の軽さ、魂の自由度。

抵抗のないこの世を生きる道は、楽しいのかどうか。

せっかく地球という場所にいるなら、ギューッと重くて、ビッシリ詰まった、凝縮カルマをドンッ。

ははは、辛さを克服して笑い合う日を楽しみましょう。

そんな考え方としてご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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