人生哲学

「働きたくない」の当たり前とおかしさに向き合う。無理に働かない生き方

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社会に疲れてしまった。

私達の住む日本には、外へ向かう縛りのなさがありながら、内側での縛りの強さがあります。

縛って肉体と精神をギュウギュウにすると、働きたくないという当たり前の認識を度外視したり、「働きたくないなんて非国民だ」と言いながら勤労感謝の日に皇居の方角を見つめながら崇め奉ることが起きます。

「働くのか、働かないのか、何が正解で何が良いのかなんだかわからなくなってきた」

働くことに疲れてしまった方は、ここで働きたくないという当たり前と向き合う時間を持たれてください。

  • 働きたくないのが当たり前?おかしい?
  • 働きたくない心理とは?
  • 無理に働かない大切さって何?

これらを紐解き、働きたくないことを当たり前として、心に留めておく大切さを知っていただく内容となっております。

働きたくないのに働く以上に、無理に働かない大切さを知る一助となれば幸いです。

働きたくない当たり前とおかしい認識

働きたくないのは「当たり前」であり「おかしい」

働いている人々には、楽しそうにする人もいれば、辛そうにする人もいます。

「一体何が違いを作るのか?」を考えてみると、明確なものがありそうです。

自ら主体的に働いているか、強制させられているか。

喜んで働いているか、無理矢理働いているかです。

無理矢理である場合、自分のしたいことではない、嫌々、仕方なく、働きたくないのに働くという現象が起きます。

「嫌だ、拒否したい」と思える状態を味わいます。

[無理矢理働いている=不納得で嫌な状態]では働きたくないのは当たり前です。

しかし日本では、「嫌だから働きたくない」と言うと、「コラッ、甘えてはならん」とお叱りを受けることがあります。

集団意識による社会心理と言われるものです。

集団によって今の社会を構築している意識があると、みんな頑張っている中でみんなと同じように頑張らない人は怠け者、甘え、依存、弱いとみなそうとします。

集団に属す教育された通りの思考は、社会性という大きなバックアップを基に自らを正・善・良とみなし、排他意識を作ることでより自分達集団意識を高め、モチベーションに繫げることもできます。

ここでわかるのは、「働きたくない」と言う人も、「働きたくないなんておかしい」と言う人もどちらも大切であることです。

 

「働きたくない」と「働きたくないなんておかしい」は個と集団

日本の仕組み上、働くことは善です。

働く人がいることで仕組みが成り立ち、人間は資本主義には欠かせない歯車の一つです。

「働くことはとにかく善であり正義、正しいことですよ」という教育は仕組みを成り立たせるために重要な文言で、教科書には常に「ここがポイント!」と書いてある点です。

これを集団意識と捉えられます。

一方で集団以上に個々人の意識として捉えると、「みんなでオー」というよりは、「私はどう思う?」という考え方になります。

個の意識になると、仕組みがなんだろうが教科書が何を言っていようが、自分の意志と意思と感情と行動が主体です。

強制や強要など無理強いをされれば、自分という存在を抑圧して縛り付けるので、嫌な気持ちになって拒否・反発します。

自分を消さない強い意志があればあるほどに、無理矢理働く(納得いかない)状態では、「働きたくない」と思います。

個の意識がある人は意志を持って自らを認識するため、働きたくないのに働くと自己を撲滅してしまう可能性があります。

  • 集団意識を重んじる人は、「働きたくないなんておかしい」と思うことで集団の肯定や自己評価向上となり、比較対象を作ることでモチベーションアップになり、業務効率や稼働量が向上する
  • 個の意識を重んじる人は、「働きたくないのは当たり前」と思うことで自らの意志を尊重し、抑圧して穢さず、自分らしく生きる抵抗の撤廃ができる

 

個の意識がある人は働きたくないのは当たり前

「みんなと同じ」ではなく、「私は私」という個を優先する人は、自分が主体であるために嫌なものは嫌、良いものは良いと感じ思います。

喜んで働く場合には自らが納得できる状態があり、不納得があっても納得の方が多ければ喜びが辛さを勝ります。

しかし、辛さの方が多ければ働くことに利点も利益も少ないために、働きたくないのに働くという無理強いが起き、「働きたくない」と思わない方がおかしい状態です。

思わなくてもおかしくないのは集団意識を重んじる人で、思わないことが集団のためになり、自らのためになります。

今の時代では情報が多いので個々に生きていると思い込む人もいれば、個々に学んで生きる術を得る人もおり、どのように生きるかは個々の責任に順じていると思います。

個人として生きる場合には、「働きたくない」という意志と向き合う大切さがあり、利益との駆け引きがあります。

集団であれば自分の役割やキャラが確立しやすく、生きている感じを認識しながら安泰を得られます。

反対に個の認識を減らし、無理に働いていたとしても自分の意志以上に他を優先する必要があり、我慢やストレスの中で従順で大衆、社会的で常識的な道、いわゆる今のままの日本を重んじるルール化です。

個人であれば「自分」が全ての主体ですので、自発的に能動的に行動する必要があり、覚悟と決意を要します。

その先には意志を尊重して貫く在り方が構築され、自分らしく責任を持って生きる自らのレールを人それぞれに歩いたり、走ったり、お茶を飲んだり、お昼寝したり、気づいたら一生を終えていたり、自由です。

※働くのが嫌いな利点は、【労働が嫌いな人の特徴と教科書】現代社会の気楽な生き方が載っている をどうぞ。

 

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働きたくない心理

働きたくない心理に内向か外向かの違い

内向的か外向的かによっても働きたくないと思う心理があります。

内向的な人は自らの内観を重んじて、内側で起きる認識を大切にします。

自分が主体になる在り方です。

特徴は自己理解が深く、内情理解があるためにクリエイティブ、他に従う以上に自ら創り、自らに従う傾向があり、癒し(自らが自らをケアする状態)を好みます。

外向的な人は他との関わりを重んじ、外側と自分に起きる認識を大切にします。

他が主体になりやすいですがそこに違和感はなく、他者との共存や協調が上手です。

特徴は他との関わりを主体にするため集団意識が強く、自分単体ではなく他を含めて自分を認識しているため、調和しやすく執着もしやすく、癒し以上に刺激(自分の中にない他との統合や衝突による衝動)を好みます。

 

内向的な人は「働きたくない」と思いやすい

他者との共存社会ですので何かしら他との関わりがある日々、内向的な人は他者と関われば関わるほどに個が強まり、納得のいかない労働が続くと我慢の限界がやってきます。

「働きたくない!」

この時に他に向かう以上に、自分で考えて解決しようとするのが内向的な人です。

他との関わりでは人間関係の悩みや、疲れやストレス、憤りにジレンマなど、たくさんの不調和と違和感があると思います。

外向的な人の場合は、悩みを解決するために他に向かうので、自分の問題ではなく全体の問題にすることができ、人によっては完全なる他責にて他人のせいにして終わらせることすらします。

他に向かうことで働きたくない原因が緩和できるので、苦しみや辛さを対処、一時凌ぎ、誤魔化しができ、「働きたくない」という真意との向き合いが希薄になります。

人によってはまるで自分で我慢して解決しているように思い込み、「働きたくないなんて甘えだ」と非難する人もいます。

内向的な人は他に向かわないので、苦しみを解消するために一時凌ぎではなく克服する必要があり、外向的な人とは全く異なる辛さの継続と蓄積があります。

「働きたくない」という拒否感の緩和が難しい心理であり、「働きたくない」という気持ちは自分にとって重要な合図になり、真意と向き合うことで見える理解があります。

内向的な人は、働きたくないのに働くと拷問になりかねず、外向的な人には理解し難い苦しみがあるので、「働きたくないのは当たり前」と思うことがとても大切です。

※働きたくない内向的な人は、【夜型は直さなくていい】メリットを生かして夜にしっぽり をどうぞ。

 

怠惰欲(エゴ)で働きたくない人もいる

個の意識有無や強弱によって、働きたくないと思っても我慢できる範囲かどうかが変わります。

内向的な人は個の意識に向かいやすいため、我慢して働いてもある一定のライン(許容)を超えると、自己防衛にて働くことへの拒否感が異様に強くなります。

この場合に無理矢理働くことは自己撲滅ですので、休みを要します。

これとは一線を引いて、個の認識を強調・主張する人もいます。

認識が個の場合には意識が個とは違い、意志がない特徴があり、あえて個として生きている自分を見出そうとするエゴがあります。

シンプルに嫌なことを味わいたくない欲の表れとなります。

働きたくない=誰かに従いたくない、我慢したくない、不納得を味わいたくない」という、怠惰欲優位で自分との向き合い拒否、逃避癖や誤魔化し癖のフォローになり、行動しなくなる待ちスタンスです。

現状の嫌なことに対する逃避として働きたくない気持ちになったり、今の社会への反発として真面目に働くことを善とせずに、働かないことを正当化しようとする特徴があります。

※働きたくないニート心理は、【実は凄い人?!】ニートになりやすい人の特徴と心理とプロへの道 をどうぞ。

 

無理に働かない大切さ

「働きたくない」気持ちとの向き合い

「嫌だ、拒否したい、味わいたくない」などの認識は自然なもので、恐怖心と言います。

「嫌だから働かない」というのは、恐怖心を意味します。

働きたくない時には自らの恐怖心との向き合いがあり、邪魔になるのが、「働きたくないなんておかしい」という周囲の意見です。

否定というのは拒否したくなるものですのでまさに恐怖心を増長します。

「おかしい」と相手を否定することで自らの利益にしている集団意識の賜物ですので、言われたことを気にする必要は皆無です。

「働きたくないなんておかしい」という他へ向けた認識で利益を得る大切さがあれば、「働きたくないのは当たり前」という自らに向けた認識が大切な人もいます。

個として生きる場合には自他を明確に区分けし、「あなたはあなた、私は私」とします。

働きたくないことへの向き合いは困難でも、「働きたくないことは当たり前」だと思うことで、自らを立たせる個の尊重ができます。

恐怖というどでかい壁に真っ裸で対峙するよりも、向き合いやすくするために武器を持つイメージです。

周囲に飲まれず、自らを律し、恐怖と向き合うための助力となるのが思想であり、気づきであり、学びです。

自らに合わせた認識や、物事の理解を育みやすいのが個の認識。おすすめしたいのは働きたくないのは当たり前と思った上で、無理しない働き方です。

※働くのが楽しいと思うおかしさは、仕事が楽しいなんておかしいと思える大切さ【楽しむ方法は一つ】 をどうぞ。

 

無理に働かない=自分で生きる

働きたくなければ働かない

これを実行する場合には、強制されて働くのではなく、自発的に主体的に働きを作ることが答えになります。

働くのが当たり前と思うためには現状の日本の仕組みに順応して、自分をなくす必要があります。

自分をなくすとは聞こえが悪いかもしれませんが、集団従順の優先に違和感がない状態にすることであり、自分の頭で考えない、意志を持たない、または他者を敬い愛する共同体意識を持つ(集団と個の両方がある)状態です。

これらの状態とは一線引くのが個ですので、無理に働かないためには自ら作る・創る・造るという選択になります。

周囲の反応や評価を気にかけるのはもとより、他ではなく自分をどれほどベースに物事を作り出せるか。

実際にしてみると、「働きたくないのは当たり前」の意味が理屈ではなく体感でわかります。

自分を抑制しない解放。縛りを解く状態です。

働くのは嫌だけど、そこにどれほどの利益があったかがわかり、自己理解を深める経験となり、より他を含めて物事を認識する大切さも知る機会にもなります。

 

無理に働かないための能力は自由と解放のバランス

実際に無理に働かないことは、少しずつ能力を育む時間を作る意味です。

「もう働かない、やったー」と思える人は自由を好みますが、本当に自由に適応できるかどうかは人それぞれで、多くの人にとっては自由は恐怖になる不要なものだったりします。

自由とは真っ新な大地にポンッとされるようなものですので、喜べるのは変人です。

自由以上に私達社会人に大切なのは解放であり、「働くけど無理はしない」というバランスが大事な能力です。

例えば、これまでのように働かず、休みを多くしたり、転職したり、仕事内容を変えてみます。

ここで表れるのが恐怖心です。

周囲の評価、これまでの常識との差異による不安、給与が減ることでの思考グルグル、今後の昇進がなくなる事実‥‥。

たくさんの嫌で拒否したくなるさまがあるので、少しずつ恐怖と向き合うために、働き方を自分で作るようにシフトしていくと能力の育みになります。

※生きるために働く真意は、「生きるために働くのはおかしい?」辛い原因は別にある日本のお話 をどうぞ。

 

無理に働かない生き方は自給自足とオタクのバランス

ここでお伝えしたいのは、怠惰欲を引き延ばしたダラダラタイムを肯定するのではなく、オタク感を追加するイメージです。

先入観なく読んでいただきたいのですが、働いて契約に則ることでお金を貰う時間を減らし、自らクリエイトする時間を増やすと、オタクのように自らの意志を貫き、意思を持って物事の理解を深めます。

この時間は価値創作になります。

「価値=生きるための材料」とみなす場合には、典型例が自給自足だと思います。

全てを自分で作る本来の自給自足は、無理に働かない能力のわかりやすい例です。

自給自足を自由だとして、そこにオタク感を入れていくことで、いろいろな形が見出されます。

  • 企業で働きながら定時には必ず帰り、家では好きなことをする
  • 土日だけ働き、お金が足りないので野菜を育てる
  • オタクのように物事の理解を深めて、価値にするためにブログをやってみる
  • 転職して田舎に移動、パン屋でアルバイトして休みの日はかまどを作ってパン作り
  • ‥‥

オタクのように好きなことやりたいことでなくても、無理強いされて仕事するのではなく、自らが価値を作って生活する工夫がバランスをとり、自分で生きる解放時間となります。

お金とは価値を貨幣に変換したものですので、実際にはお金ではなくても生きる術となるのが価値です。

私は海外で誰も知らない地にいた時になんの荷物も持っていなかったのですが、周囲の人々からあらゆるものを恵んでもらいました。

歯ブラシ、石鹸、洋服、お金、食べ物、パンツ、家をくれる人もいました。

この時の私の価値は、感謝の気持ちと生きたい欲パフォーミングと会話と本気涙だったと思います。

いろいろなものが価値になり、今ではインターネットがあるので価値をお金に変換することもできます。

お金も大切ですが、無理に働かないことには自分で生きる力の育みがあり、解放による生きる時間になります。

これまでの働く時間を減らして、別で自らクリエイトする時間を増やすことが、無理に働かない能力であり生き方になります。

※働かないと生きていけないおかしさは、「働かないと生きていけない」をおかしいと思う大切さ。inインド をご覧ください。

 

働きたくないのは当たり前でおかしい まとめ

何事もバランスが大事なのは、バランスをとるために要する自発があるからだと思います。

働きたくないことを、「当たり前」と思っても、「おかしい」と思ってもどちらも大切であり、両方を知ることでよりバランスをとりやすくなります。

私達は一人一人の意識があり認識があります。言い方を変えるとアイデンティティがありパーソナリティがあり、アイデンティティの理解は自らに合わせた考え方や生き方をするために必須であり、とんでもなく重要な自己理解です。

働きたくないと思うことにはこれまでの過程に全ての原因があり、自分を見つめることで答えが見出されます。

個の意識があるからこそ自らを知った時には集団の意識へ向かう大切さがわかり、二つが組み合わさる共同体という、人間同士が育み敬い合う意識もあります。

個の意識がある人は、「働きたくない」という気持ちとぜひ向き合われてみてください。

働きに苦しみがあれば、辛さがあれば、疲れがあれば、嫌になるのは当たり前です。

この当たり前を消さずに、自らの解放時間を作ってバランスを持つために活用していきましょう。

個を強くする時代に入っていますので、価値を自ら作る育みを少しずつされるご参考になれば幸いです。

それでは、働きたくない当たり前とおかしさのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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